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特別な1%だけではなく、凡庸な99%が愛おしくてたまらないオタクの心理。

 1%と99%。  いいえ、べつに「ウォール街を占拠せよ」といいだしたいわけではありません。  この数字は社会における富裕層とそれ以外の割合ではなく、創作における大傑作とそれ以外の割合を指しています。  つまり、どんなジャンルであれ、真の傑作と呼ぶべき作品は全体の1%あればいいほうだということ。  基本的にアマチュアが多くを占めるウェブ小説や同人漫画では、もっと少ないかもしれません。  しかし、数は少ないとはいえ、その1%こそがジャンルを代表するものであり、残りの99%を合わせた以上に大きなバリューを秘めた存在なのです――と、ぼくのような人間は考えがちであるわけですが、ほんとうにそうなのでしょうか。  99%の作品の価値は全部合わせても1%に及ばないものなのでしょうか。  そう考えていくと、どうやら必ずしもそうではないという結論が出そうです。  たしかに、99%に属する作品はかがやかしい天才による1%ほどの圧倒的存在感を示しているわけではないかもしれない。  それらはどこかしら平凡であったり、ありふれていたりするでしょう。  ですが、それでも、なお、ジャンルの大多数を占めているのはそういった作品のほうなのです。  そして、ジャンルフィクションのファンというものは、大方、そういう99%の作品をこよなく愛しているものなのです。  シオドア・スタージョンはぼくの敬愛する天才作家ですが、「どんなものも90%はクズである」といういわゆる「スタージョンの法則」を残したとされています(じっさいにはちょっとニュアンスが違うらしいですが、まあ、こういうふうに伝わっている)。  スタージョン自身は1%に属する作家であったにもかかわらず、99%の作家と作品を擁護したのです。  スタージョンの法則は、さまざまな局面にあてはまります。  たとえば、エロゲの代表作というと、ぼくなどは『SWAN SONG』みたいな奇跡的傑作を挙げたくなりますが、その一方でぼくは『To Heart』とか『Piaキャロットへようこそ!』とか『夜が来る!』なんかも大好きなんですよね。  それらは天才的想像力の産物とはいえないかもしれないけれど、穏やかに心を癒やす作品です。  やっぱりそういう作品も必要だと思うのですよ。  SFとかミステリといったジャンルフィクションでも、99%の作品群には愛着があります。  ロケットと美少女と宇宙海賊! レムやイーガンの傑作だけではなく、そういうありふれたガジェットの小説にも心惹かれるわけです。  そういうものが好きだということが意外にジャンルフィクションを愛好するということの本質を成している気がします。  もちろん、1%と99%は明確に分かれているわけではなく、99%の作品のなかでもさまざまなグラデーションが存在しているということもほんとうです。  しかし、 

特別な1%だけではなく、凡庸な99%が愛おしくてたまらないオタクの心理。

究極の異世界ファンタジーとは。

 山本弘さんが「現代日本の異世界ファンタジーの多く」を批判的に語って話題になっているようです。 http://togetter.com/li/952223  いきなりですが、この意見が、炎上とは行かないまでも賛否を呼ぶ背景には、わりと典型的なディスコミュニケーションの問題がある気がしてなりません。  というか、ある意見が非難を集めるときは、しばしばそこに何かしらの誤解が生じていると思うのですよ。  これは非常にむずかしい話ではあるとも考えるのですが、だれかの意見を理解しようとするときには、ただ言葉の表面だけを追っていけばいいというものではなくて、その奥底にある「その人がほんとうにいいたいこと」を慎重に探っていかなければなりません。  しかし、それと同時に、かってに憶測をたくましくして、その人がいってもいないことをわかったと思ってはいけないのです。  この一見矛盾する条件を満たそうと努力することが「読む」ということなのであって、ただあいまいな印象だけを受け取るとそこに誤解が生まれます。この場合もそのパターンだと思う。  論者である山本さんとそれを批判するほうで、認識にずれが生じている可能性が高い。  ぼくはこういうやり取りを見るたびにもう少しどうにかならないかなあと思うのです。  情報を発信する側と受け取る側のどちらに責任があるともいえないし、またどちらにも責任があるともいえるというケースだと思うのですが、責任の所在はともかく、あまりにも話が不毛すぎる。  だれもが自分だけは正しい、自分だけは正確にひとのいわんとするところをわかっていると思い込んでいて、結果として誤解が広まっている。  このパターンを、いったいどれくらい見てきたか。  ネットで「議論」とか「論争」と呼ばれているものの正体は、大抵が放置されたディスコミュニケーションに過ぎないのではないかと思うくらいです。  こういうやり取りを見ていると、簡単にひとのいわんとするところを理解したつもりになってはいけないのだなあと思いますね。  もちろん、ぼく自身、山本さんのいわんとするところをわかっていると思ってはいけなくて、誤解が生じていると思うこと自体が誤解なのかもしれませんが……。  それはともかく、「どうも現代日本の異世界ファンタジーの多くは(もちろん例外もあるが)、「異世界」じゃなく、「なじみの世界」を描いてるんじゃないか」という意見は、ある程度は正しいものだと思われます。  山本さんは作家ひとりにつきひとつの世界があってもいいという前提で考えているわけで、それに比べれば「現代日本の異世界ファンタジー」の多くはよりシンプルに規定された世界を描いているに過ぎない、これは想像力の貧困じゃないか、という指摘は、まあありえると思う。  問題は 

究極の異世界ファンタジーとは。
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海燕

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