• このエントリーをはてなブックマークに追加

記事 3件
  • 人工知能が天使になるとき、悪魔と化すとき。

    2016-05-17 20:54  
    51pt
     淡々とマーベル映画を見ています。
     あとは『ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー』と『キャプテン・アメリカ/シビル・ウォー』を見れば完全制覇。
     ぜいぜい。はあはあ。さすがに短期間で10作続けて見ると疲れる。全部見終わったらまとめて記事を書こうと思います。
     ほんとうはこうやって極端に集中して見るんじゃなくて、毎日1本ずつくらい見て行くのがいいんだろうなあ。結果的にはそっちのほうがたくさん見れるはずだし。
     ぼくはどうも長距離走を短距離的に走り抜こうとして失敗する傾向がある。いいかげん自分のリミットを把握しなければ……。
     さて、NHKの「天使か悪魔か 羽生善治人 工知能を探る」という番組を見ました。
     タイトルからわかるように、世界各地で急速な進歩を遂げている人工知能(AI)に関する番組です。
     ついにさまざまな領域に進出しつつある人工知能について、将棋というゲームに関する「人類最高の知性」であるところの羽生善治が探求するという内容。
     非常に興味深い番組だったのですが、最終的に出てきたのは人工知能の倫理問題でした。
     人間の理解を超える領域にまで進歩していこうとしている人工知能に対し、どうすれば倫理的な制約をもうけることができるかという問題です。
     ぼくたちは多数の映画や小説で「危険な人工知能」というヴィジョンを見せられてきています。
     そういう作品では、人工知能はなんらかの目的のために「暴走」し、人類滅亡といったプロジェクトを開始するのです。
     しかし、現実的に考えればそういう「邪悪な」人工知能は生まれづらいでしょう。
     人工知能をそういうふうに捉えることはいわば人工知能の擬人化であるに過ぎません。
     だから、『ターミネーター』に出てきたような「邪悪な支配欲に駆られた人工知能」といったものを想定することはばかばかしい。
     しかし、その一方で「人類の利益に対して一切無関心な人工知能」は考えられるでしょう。
     そういう人工知能は、ある目的のために「結果として」人間の目から見ると邪悪ともとれる行動を取るかもしれない。
     人工知能のそういう「結果としての暴走」をどう阻止すればいいのか。あきらかに人工知能に倫理を学ばせる必要があるという結論が出そうです。
     しかも、その「学習」は、人間が「これは良いことだ。これは悪いことだ」と教え込むという形ではなく、人工知能自身に考えさせ、結論を出させる必要がある。
     つまりモラル面のディープ・ラーニングです。
     ぼくは思うのですが、たとえば「住宅街に向かってミサイルを発射せよ」とだれかが命令したとき、命令通りに発射する人工知能と命令に背く人工知能、人類にとって安全といえるのはどちらでしょうか?
     あるいは、もしその住宅街にテロリストがひそんでいて、そのテロリストを殺害することによって何万の人を救えるかもしれないとしたら?
     こういった問題は人類が現段階で明確な答えを持っていないものです。何が正しいのか、だれにもわからない。
     いまのところ人工知能は「成か、否か」明確に分けることができる領域で活躍していますが、その能力の劇的な進歩に連れて、やがて必ずこういった「答えのない問い」の領域にまで進出していくでしょう。
     そのときには、どれほど高度な知性を持つ人工知能といえども、完全に正しい答えを出すことはできないはず。
     問いそのものにパラドックスが設定されている問題だからです。
     そういうパラドキシカルな状況設定に対して超高度な人工知能がどのような答えを出していくのか、ぼくは興味があります。
     そしてまた、 
  • 人生最大の無駄とは、無駄をなくそうと思い悩む時間である。

    2015-06-15 23:31  
    51pt
     きょうはふたつ前の記事の完結編を書く予定だったのですが、どうにもうまく書けないので、予定を変更して別の記事を書いてみます。
     先ほど、たまたまNHKの「クローズアップ現代」を見ました。いわゆる「目利き」ビジネスの話。

     消費者が商品の選択を“プロの目利き”に委ねる新たな消費スタイルが今、人気を博している。月6800円でプロのスタイリストがユーザーに似合う女性服をセレクトするレンタルサービスが始まり3ヶ月で5万人の登録者を集めた。また北海道の書店店主がおススメの本を1万円分選んで顧客に配送する『1万円選書』も400人待ちの状態だ。ショッピングサイトにモノの情報が氾濫するなか、知識や経験を生かした目利きの商品選択が、商品選びに疲れた消費者に驚きや発見を与えているのだ。
    http://www.nhk.or.jp/gendai/kiroku/detail_3668.html

     つまり、商品を自分で選ぶのではなく、信頼がおける「目利き」に選択を委任してしまうというショッピングスタイルが人気を博しているということらしい。
     初めから見たわけではないのだけれど、番組を視聴していると、「ああ、そうだろうな」と納得するところが多々ありました。
     いちじるしく選択肢が増えた現代社会ではこういうスタイルが出て来るよね、と。
     つまり、商品そのものの価格が下落し、一方で選択肢が膨大に増加しつづける現代社会では、その商品そのもののコストを、商品を選択する行為にかかるコストが上回るという現象が起こったりする。
     「選択肢は山ほどあるけれど、そのなかから最適なひとつを選ぶことがいちばんめんどくさい」という状態。
     商品の選択を「目利き」に任せるということは、その最も大変な作業を専門家にアウトソーシングしてしまうことであるといういい方もできるでしょう。
     「目利き」と呼ばれる人たちは、そこはプロですから、素人とは比較にならないくらいの情報を持っているし、何より直感的に良い商品を選ぶことができる。
     それはもう、たとえ何十万の選択肢があろうと直感だけでひとつを選び取ることができるわけです。
     この直感とは実は超能力などではなく、膨大な経験に裏打ちされた知的な予測能力にほかならないわけなのですが、その能力に期待して商品選択を委任することは、現代社会においては、ある種、合理的な行動なのかもしれません。
     しかも、選択をひとに任せるからには、自分では決して選ばないような商品が送られてくる可能性があり、そこにいわゆる「セレンディピティ」的なときめきを期待することができます。
     想像もしなかったすばらしい商品との偶然の出逢いは、予測されきったルートからのスリリングな逸脱を意味し、人生にワクワクとドキドキを取り戻してくれる、かもしれません。
     いずれにしろ、 
  • この世は運ゲー! 偶然が支配する現実世界の摂理を学ぼう。

    2015-02-25 10:00  
    51pt

     先日、『極私的ドキュメント にっぽんのリアル』というNHKのドキュメンタリー番組を見たんですけれど、これが面白かった。タイトルは「私と幼なじみ」。3月15日にBSプレミアムで再放送されるので、衛星放送に加入している人はよければ見てみてください。
     どういう話なのかといえば、まあタイトル通り「わたし」と「幼なじみ」の物語なのですが、その「わたし」はNHKでアシスタント・ディレクターをやっている身。
     築何十年という古びたアパートに住んでいて、いまのところ恋人はいません。一方、「幼なじみ」の友人はオーストラリアでオーストラリア人の恋人といっしょに住んでいて、何だかフラダンスを学んだりして優雅かつ充実した日々を過ごしているらしい。
     昔は何をやらせても「わたし」のほうが上だったのに、いったいいつ逆転してしまったのか? 「わたし」は考えこんでしまう――という筋書き。
     いつのまにか人生で追い越されてしまった「幼なじみ」のことを妬み半分疑問半分の視線で眺めながら、なんでこんなことになってしまったのかと考えこんでいく話、というふうに書くといかにも陰湿なストーリーが思い浮かぶけれど、じっさいにはそんなこともありません。
     何だかんだとはいっても「わたし」もそれなりに自分の人生に自信を持っていて、満足しているから、「幼なじみ」に過剰なルサンチマンをぶつけたりしないのだと思う。
     じっさい、「わたし」と「幼なじみ」はSkypeで国境を越えて話をするくらい仲が良くて、ほほえましい。いろいろな情緒が行き交うところも含めて、女友達というものもいいものなのだろうな、と思わせられます。
     まあ、Skypeの画面の一方は豪邸で、他方はねずみ付きアパートであるわけなのですが、それはそれ。
     しかし、それでもなお、やっぱり「わたし」の心には釈然としない思いが残っていることもたしかであるようです。
     何といっても、昔から何をやるにしても自分は常に向上心を持って頑張ってきた。それなのに、その「幼なじみ」はいつも何だかふわふわしてばかり。
     部活だって、自分はバレー部を選んで必死に努力してきたのに、「幼なじみ」はオタク系の部に入ってひたすら漫画を読み耽っていた。
     だからほんとうなら自分のほうが上のポジションにいなくてはならないはずなのに、なぜか彼女はオーストラリアの豪邸で、自分はねずみがダンスを踊るアパート――おかしいじゃないか、というわけです。
     これはじっさいもっともな話だと思うのだけれど、まあ、現実がそうなのだから仕方ない。それにしても、何をやらせてもふわふわしている「幼なじみ」が、いったいどうやってオーストラリアの金持ちをゲットしたのか? この話が面白い。
    (ここまで1122文字/ここから1527文字)