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オレはようやくのぼりはじめたばかりだからな、このはてしなく遠いダメ人間坂をよ。
2016-05-11 03:1151pt
あした朝早く起きないと、と思ったらさっぱり眠れません。我ながらこういうところは神経細いよなあ。
いやまあ、きのうは昼近くまで寝ていたのでいま眠くならなくて当然なのかもしれませんが。
しかたないので、Phaさんの『しないことリスト』をぱらぱらと読み返しています。
Phaさんの文章は口語に近く、しかも力みがないのでとても読みやすい。こういうとき読むには打ってつけですね。
この本は以前にも紹介しましたが、人生において「しないこと」、「しなくてもいいこと」をリストアップした内容です。
リストは「買い物をしない」、「お金で解決しない」から始まって、「突き詰めない」に至るまで、36項目に至ります。
いずれも「ダメ人生の達人」としての極意が簡潔に示されていて、非常に参考になります。
これから先、ダメ人間として生きていくつもりのぼくとしては「先人の教え」にも等しい話ばかり。
いいよなー、この人。一切気負わずに脱力しているというか、無駄な力みがない感じ。ヒトとして素晴らしいと思います。
Phaさんと比べると、ぼくなんか、やっぱり無為に耐えられない性格をしていると思う。
その意味ではニートにもひきこもりにもあまり向いていない。基本的に無能だからひきこもりをやっているだけで、働けるものなら働きたいと思うもん。
もちろん、「労働」になんらかの美徳を認めているわけではないのだけれど、働いていないととにかく暇でしかたないのですね。
映画とかゲームとかでは暇をつぶし切れない。そしてやっぱり努力していないつもりでもいくらか努力してしまっているところもある。
ようするに中途半端でキャラが立っていないのです。
以前にも書いたかもしれないけれど、Phaさんはよく「だるい」と書きますが、ぼくはあまり「だるい」とは思わないのです。
もちろんやりたくないことはたくさんあるけれど、それは積極的にやりたくないという意味であって、「だるいからやりたくない」とは違う。
やっぱりPhaさんと比べるとぼくは体力が余っているんだろうなあ。だから、無意味なことにも力を注いだりしてしまうのだろう。
そこらへん、まだまだダメ修業が足りないな、と思います。
そうかといって、一般的な社会人として暮らしていけるほどのスキルも持っていないわけで、いや、ほんと、半端者ですね。
まあ、それがぼくという人間だからいいのだけれど。
ぼくはなんだかんだといってもやっぱり自己責任でひとと競って成果を上げることがけっこう好きです。
それはべつにそのことに高尚な意味があると思っているわけではありません。
当然、社会のためになるなどという幻想も抱いてはいない。
ただ、ある種の「ゲーム」として数字をアップしていくことが好きなのですね。
だからこそ、こうして1日に4本も5本も記事を更新しつづけているわけです。
「お金のため」といえばそうなのだけれど、やっぱり基本的には「暇つぶし」、「退屈しのぎ」というほうが近い。
もし書くことを「だるい」と思っていたら、これほど更新したりしないでしょう。
ぼくはふしぎと書くことについては一切「だるい」とは思わないのですよね。
へたすると1日10000文字とかをテーマに沿って書いているわけですけれど、それでも全然飽きないし、書き足りないくらいに感じる。
やっぱり書くことが好きなのだと思います。それが少額とはいえお金につながっているわけだからもう文句なしですよね。
つまりはぼくはやっぱりダメ道においても悟り切れない凡人でしかなく、Phaさんの遠い背中を見てはため息を吐くばかりです。
でも、 -
運命はいつも極限の二択を突きつけてくる。選べ。「立ち向かう」か「座り込む」か。
2015-05-11 03:0851pt
いま、『3月のライオン』の連載が非常にタイムリーな話題を扱ってくれています。
以下、ネタバレあり。
さて、今週号の『ライオン』は主人公である桐山零くんのこのような独白で始まります。
人生はいつも
「立ち向かう」か「座り込む」かの
二択だ
何もしないでいても救かるなら 僕だって そうした
――でも そんな訳無い事くらい 小学生にだって解った
だから 自分が居てもいい場所を 必死に探した
自分の脚で立たねばと思った
一人でも
生きていけるように
誰も
傷つけずに すむように
ここで桐山くんはダメ人間の川本父と対峙しながらこう考えているわけです。
一見して、非常にきびしい内容であることがわかります。
つまり、人生における「立ち向かう」と「座り込む」の二択で、自分はいつも「立ち向かう」ことを選んで来た、それは自立してひとを傷つけないようにするためだった、ということだと思います。
ここにはあきらかにその都度の選択肢で常に「座り込む」ことを選んで来た(ように見える)川本父に対する批判が見て取れます。
ある意味で零くんはここで自分自身のシャドウと向き合っているといえる。
川本父はもしかしたらそうだったかもしれないもうひとりの自分の姿なのです。
しかし、それでもなお、零くんと川本父は決定的に違う。
それはつまり人生の志の差なのだということは前回で語られました。
零くんには長期的な視点があり、川本父には短期的なそれしかないのだ、と。
これはじっさい、連載をここまで追いかけてきた読者にとっては説得力ある話です。
なんといっても、読者は零くんがこれまでズタボロになりながら努力する姿をさんざん見て来ているわけですから。
そのかれがいう「自分の脚で立たねば」という言葉からは非常に強い印象を受けます。
しかし、同時にこれは「そういうふうにできない」人間を切り捨てる話にもなりかねないわけです。
ネットでこういうことを意見にして書くとものすごく叩かれますよね。世の中にはそうできない人間もいるんだ、お前は弱者を切り捨てるのか、と。
つまり、非常に微妙な問題を孕んだエピソードがここにあるということ。
ぼくの意見をいわせてもらうなら、
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