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記事 7件
  • BLはBLファンのためだけのものなのだろうか?

    2019-01-27 11:02  
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     このマシュマロ(https://twitter.com/kaien/status/1089338564918181888)がなかなか興味深かったので、長文で答えてみました。その内容をここにまとめておきます。
     マシュマロありがとうございます。仰られることはおおむねごもっともかと思います。そのことを受け止めたうえで、ちょっと興味深い話なので、以下、少々長くなりますがぼくのほうの意見を述べさせていただきます。
     まず、この作品がBL専門誌に掲載されたBLファン(いわゆる腐女子)向けの作品であることは、もちろん承知しています。ぼくが最初にこの作品を読もうと思ったのも、そういう人のなかのひとりが作品の名前を挙げていたからです。
     その意味では、たしかにぼく向けの作品ではないといえるでしょう。しかし、ぼくは思うのです。「キャラ萌えがないと物足りなく感じる」ということは、裏返してみればBL萌えという
  • 「お約束」に縛られない百合やBLを読みたいというエゴ。

    2019-01-25 04:02  
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     おかげさまで同人誌『マインドマップで語る物語の物語(1)(2)(3)』が売れています。具体的な数字は出しませんが、当初想定していた数字より相当に大きな部数が出ていることは間違いありません。
     最初に夏コミまでの目標として掲げていた数字はたった1日で達成してしまいました。このままだと再び全商品が完売し、品切れになる可能性もなくはないかもしれません。かなり多めに刷ったつもりだったんですけれどね。
     長期的に在庫を残しておく状態にしたいので、もしそうなったばあい、どうするのかは考えどころです。さてさて、どうしたものでしょう。
     で、まあ、それはともかく、きょうの話に入りましょう。いま、書きたいテーマをいくつか抱えていて、たとえば、

    ・セックスの快楽とは? 孤独からの解放/開放。能動の性と受動の性。
    ・ボーイズラブや百合と「お約束」。
    ・プリキュアとリベラリズムの正義。
    ・男らしさから「半分だ
  • 「正義」の思想につばを吐く。

    2016-10-26 01:56  
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     Twitterで古い知りあいの唯野さん(なんと初めて逢ったのは20年近く前。何もかもみななつかしい……)に「海燕さんはオメガバースに興味もちそう」みたいなことをいわれたので、オメガバースについて調べてみました。
     オメガバースとは、海外のBL(スラッシュフィクションと呼ばれる)業界でわりとメジャーなSF設定で、αがどうのΩがどうのという専門用語がいろいろあり、差別や階級の問題が繊細に絡んで来るので、単純によしあしをいいづらい話ではあるんだけれど、個人的に「ああ、こういうのが流行るのはわかるなあ」とは感じます。
     階級とか支配とか凌辱とか、こういうのが好きな人、いるよねえ。ぼくも嫌いではない感じですが、どうにもベタすぎて気恥ずかしい。ぼくの好みの物語と非常に近いところにありながらちょっと違う感じ。
     ぼくはやっぱり差別に安住する物語ではなく、差別を乗り越える物語を見たいのかもしれません。ま
  • なぜ一部の男性たちはボーイズ・ラブを嫌悪し非難するのか。

    2016-06-30 13:01  
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     溝口彰子『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』を読んだ。非常に面白い一冊だ。
     ぼくにボーイズラブ作品一般の知識がないために完全に理解したとはいい切れないが、それにしてもセンス・オブ・ワンダーを感じさせるような素晴らしい読書体験だった。
     この本はBL(ボーイズ・ラブ)小説ないし漫画の「進化」を語っている。
     そう、BLはいま「進化」しているのである。
     それはBLのヘテロノーマティヴ(異性愛規範的)で、ホモフォビック(同性愛嫌悪的)で、ミソジナス(女性嫌悪的)な一面の超克である。
     BLに対して、それらの作品はミソジナスでありホモフォビックであると、あるいはもっと直接に女性差別であり同性愛者差別であるのだという批判がある。
     その種の批判はどの程度的確なものだろうか。
     個人的には「一理はある」と認めないわけではない。
     ミソジナスだったりホモフォビックだったりするBL作品は過去に存在したし、いまも存在するだろう。
     『BL進化論』はBL作品における以下のような「ノンケ宣言」を引用する。

    「オレは男色やないっ、好きになったんがたまたま男の人だっただけや‼」
    「(……)あいつは冗談でも、オカマやゲイと遊ぶような男じゃないから」/(……)/「あいつ、ノンケなのよ。一度なんか迫ってきたゲイボーイ、蹴り殺しそうになっちゃってさ」
    「オレあ基本的にノーマルなんだよ」

     これらの「ノンケ宣言」は、素直に読む限りやはりホモフォビックな言説といわざるを得ないだろう。
     したがって、少なくないBL作品にホモフォビアを見て取ることは誤ってはいない。
     しかし、ここで注意するべきは、同時にそれはBLそのものの可能性がミソジニーやホモフォビアによって閉ざされていることを意味しているわけではないということである。
     ミソジナスではないBL、ホモフォビックではないBLは理論上は存在しえるし、現実に増えて来てもいる。それが『BL進化論』で語られている事実だ。
     つまり、ホモフォビックなBLやミソジナスなBLは単体として個別に批判されるべきなのであって、BL全体がホモフォビックでありミソジナスな表象であるという批判は成り立たないのである。
     それならば、なぜこうも「BLは同性愛者差別だ」という批判がくり返しくり返し語られるのだろうか。
     そこにはやはり批判者たちの「BLフォボア」ともいうべき心理が介在していると考えるしかない。
     ようするに 
  • 映画『同級生』はキラキラ系青春ボーイズ・ラブ。男子も見てみるといいよ!

    2016-06-04 16:00  
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     アニメ『同級生』をレンタルして見ました。
     ボーイズ・ラブ漫画の名作として名高い『同級生』の劇場映画版です。
     原作も読みましたが、いやー、このアニメ版は素晴らしい出来。
     それはもう胸キュンものの作品となっております。
     BL好きの女子はもちろん、男子もバイアス抜きで見てみるといいんじゃないかな。
     とにかく一本のアニメとしての出来がずば抜けているので、アニメファンなら見ておいて損はないはずです。
     それにしても、いってしまえば「知る人ぞ知る」作品の企画でこの出来。つくづく時代はいいほうに変わったんだなあと思いますね。
     原作ファンもきっと満足していることでしょう。ちなみにこの映画の公開時、てれびんは『ずっと前から好きでした。~告白実行委員会』と間違えて男ひとりで見に行ったそうです。
     「あれ? こんな話だったかな?」と思って見ていたらそのうち男同士のラブシーンになって唖然としたの
  • 志村貴子の初ボーイズ・ラブ本の印象やいかに?

    2016-04-21 02:52  
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     「あの」志村貴子さんがボーイズ・ラブ漫画を描いた、という話を聞いて好奇心で買ってしまった一冊。
     ついに禁断のとびらを開いてしまったわ。どきどき。というほどうぶではありませんが、BL雑誌連載の漫画を買うことはめったにないので、貴重な体験とはいえるでしょう。
     ちなみに志村さんがBL雑誌に描くのは2002年以来のことで、BLの単行本は初めてということです。
     いままでもBLっぽい内容の作品はあったけれど、正式なBL(?)はこれが最初ということになるのでしょうか。
     『青い花』という、おそらく日本最高水準の百合漫画を描いた人が、BLを描くとどうなるのか。そこにぼくの興味は集中していました。
     で、結論から書くと 
  • 『響け! ユーフォニアム』で考える百合論。

    2015-07-12 15:43  
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     『響け! ユーフォニアム』をようやく第8話まで見ました。
     一応、最終回まですべて録画してあるのだけれど、ついつい見るのが遅れてしまっています。
     いや、面白いんですけれどね。いつ見てもいいと思うと、すぐに見る気になれなくなってしまう。
     もっとも、アニメはやはりリアルタイムで追いかけるのが良いと思います。
     あまり放送から時間を置くといろいろネタバレも入って来るし、良くないことが多い。
     まあ、そういいつつ今季のアニメも消化が遅れているぼくなのですが……。
     『ユーフォ』の話でした。
     事前に話に聞いてはいたのだけれど、この第8話はまさに百合回。
     それもちょっとありえないくらい高いクオリティの神回。
     京アニが本気だすとここまでのものが仕上がるのか!とキョーガクの渦にひきずり込まれるかのような傑作エピソードでした。
     いやー、これは百合オタじゃなくてもずきずき来るわ。
     狙っているとしか思えない台詞もばんばん飛び出してくるし。
     いや、ほんと、いいものを見た。
     あるひと夏の、ふたりの少女の、交錯する想いと「愛の告白」。たまらないですね。
     ぼくはそんなにカップリング妄想をするほうではないけれど、このふたりのいちゃいちゃを見ていると、たしかにこれは恋愛だよなあ、と思ってしまいそうになります。
     ただ、ぼくは百合という言葉に、またジャンルそのものに微妙に距離を置きたいと思っていて、それはこういう「名前のない関係」を恋愛と置き換えることによって失われるものがあると思うからなんですね。
     友人、恋人、伴侶、先輩後輩、教師と生徒、同僚、仕事のパートナー――人間同士の関係は多くが名づけられているけれど、でも、同時に、この世には「まだ名前が付いていない関係」もあるはず。
     そういう関係性の繊細さを、恋愛として、あるいは性愛として読み替えることは、ある種の単純化に近い側面があるように思えてしまうのです。
     ここらへん、たとえば腐女子の人たちはどう思っているのだろう?と考えるのだけれど、まあそれはわからない。
     ただ、ぼくの視点から見ると、あれこれの関係を恋愛とみなしていく作業によって喪失するものは確実にある。
     それによって微妙で繊細で多様な何かが壊れてしまうように思えてならないのです。 あるいは、「百合」という言葉は、「名前のない関係」を名前がないままで語るためにあるのかもしれませんが――。
     ただ、そうはいっても、「名前のない関係」を名前のないまま放置しておくと物足りないこともたしかなんですよね。
     『ユーフォ』を見ていると、