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『ドラえもん のび太と鉄人兵団』リメイクを見て旧作の偉大さを考える。
2016-03-14 02:3651pt
ひさしぶりに――おそらく30年弱ぶりくらいで、映画『ドラえもん のび太の鉄人兵団』を見ました。
いや、LINEで話していたらなぜかこの作品の話題になったのでAmazonで見てみただけなのですが、面白いですねー。
あらためて鑑賞してみてそのエンターテインメント性の高さに驚かされました。
正直、記憶のなかで美化されている側面もあるのではないかと思っていたのだけれど、いま見ても普通に面白い。いや、普通以上に面白い。
家出したドラえもんを探すのび太が北極で巨大ロボットの部品を発見するところから始まって、いったいこの部品はなんなのか? そしてそのロボットを探すなぞの少女の正体は? と、謎また謎の展開で惹きつけます。
そして、劇場版『ドラえもん』シリーズのなかでも最も鮮烈かつ悲劇的なラストへと一直線に物語は進んで行くのです。そのスピーディーなこと。
ほんとうにまったく無駄がない緻密なシナリオです。素晴らしい。あー、いいものを見た。面白かった。
――で終わらせられればいいのですが、どうもぼくとしてはそうもいかないのですね。
というのも、この『鉄人兵団』、『新・のび太と鉄人兵団 はばたけ天使たち』としてリメイクされているのです。
となると、どうしたってリメイク版と比較して見てみたくなる。はたしてリメイク版の出来はどうなのか? 旧作を超えることができたのか? 比べて考えて考えてみたくなるのは人情でしょう。
で、続けて新作も見たのですが、その結果はどうだったかというと――うーん、微妙?
非常によくアレンジされていると感じたので、旧作と比べて単純に良い、悪いとはいい切れない感じですね。
アニメーションとしての迫力、それに遊びやくすぐりの部分では確実に旧作から進歩を遂げていると思います。
さりげなくドラえもんが意地が悪くなっているあたりはうまいなあと。
また、細部に至るまでシナリオに手が加えられていて、一貫してより見やすく、わかりやすいように調整されていると感じました。
だから、そのあたりをどう捉えるかでこの作品の評価は決まって来るでしょう。
それでは、ぼく自身はどうなのか? うーん、やっぱり微妙、という答えになっちゃうんですよね。
新作がとてもよくできているだけに、新作に軍配を上げたい気持ちもあるのだけれど、そのアレンジの巧みさが逆に旧作の偉大さを知らしめているところもあって、なかなか優劣を付けにくい。
結局、好みの問題になって来ると思う。で、そう前置きしたうえでいうなら、ぼくはやっぱり旧作が好きだなあ、と思うのです。
なぜか?
それは、 -
まっさらな気持ちで観てみよう。映画『STAND BY ME ドラえもん』はやっぱり傑作だと思うのだ。
2014-08-16 19:0051pt
一昨日、映画『STAND BY ME ドラえもん』を観て来た。ネットの一部では悪評芬芬、また別の一部では大好評な本作なのだが、じっさいのところ、どうなのか?
ぼくの感想は――いや、ふつうに傑作でしょ、これ。それはたしかに、CG映画で『ドラえもん』を制作すると聞いた時には、ぼくも「大丈夫なのか?」と思ったし、予告CMにはそれほど期待させられなかったのだけれど、じっさいに観てみると、これがもう文句なしの出来。おみそれいたしました。
90分足らずという短い尺のなかで、一から新しい『ドラえもん』を再構成しなおし再提示するという離れ業には驚かされる。
ひとの意見はそれぞれなので、本作に対して批判的な人を否定するわけではないが、少なくとも予告編が生み出す先入観で判断して忌避するのはもったいない出来だ。
まだお盆休みが残っている向きには自信をもってオススメできる国産娯楽映画のマスターピースと云えるだろう。これが日本のエンターテインメントだと世界に誇れる一作だ。
それにしても、ここまでの作品を作り上げてなお、バッシングされる制作スタッフやキャストは可哀想。くり返すが、ひとの価値観は多様である。本作を観てまるで面白くないと思うひとがいても当然だとは思う。
しかし、ぼくには多くのひとが「あざとい「泣かせ」映画」という先入観でもって本作を判断してしまっているように思えてならない。この映画、云われるほど「泣かせ」に拘っているようには思えないんだよなあ。
それはまあ、原作『ドラえもん』のなかでも特に「泣かせる」エピソードをクライマックスに持ってきているのはたしかだけれど、一面でこれはごくあたりまえに笑えるコメディ映画でもある。
映画館では時々、子供たちの笑い声が響いていた。情緒過多という批判も目にしたことはあるが、そうかなあ、ぼくの目にはむしろ演出はしっとりと抑え目であるように思える。
たとえば(少々ネタバレにはなるが)、ドラえもんとのび太が別れる場面を直接描かないあたりの抑えた演出には感心させられた。
ここらへん、何をどうしても「原作が偉大だから」で済ませられてしまいがちなわけだが、ここまで秀抜な作品の功績をすべて原作者に帰すことはどうにもフェアではない。
膨大な原作をどう切り取るかということはあくまで監督や脚本の力量であり、本作において、その両者を務めた山崎貴は素晴らしい才能を示したと思う。
批判するのは自由だが、擁護するのも自由であるわけなので、ぼくは大いに弁護させてもらおう。じっさい、不況の日本映画でヒット作を出しつづけていながら、山崎の能力は過小評価されがちなのではないだろうか。
それもこれも甘ったるい「泣かせ」映画を作りつづけているというイメージから来ているわけだが、ほんとうにそうなのかどうか、ここらへんで再検証してみる必要があるのではないか。
予告編やキャッチコピーから離れて、子供のように純粋に映画を観てみよう。いつだってそこからしか物語は始まらないのだ。
おそらく、本作で最も議論を呼ぶのは「成し遂げプログラム」と名づけられた映画オリジナルのアイディアだろう。ネットを回ってみると、このアイディアが「原作破壊」だという意見をたくさん見つけることができる。
監督のインタビューをひき合いに出し、このようなブラックなアイディアはそれ自体が「ディストピア」的であるとするひとは(おそらくじっさいには映画を観ていないひとも含めて)たくさんいるようだ。そうだろうか。 -
新しい時代の新しい『ドラえもん』を見てきたよ。
2013-03-27 21:3853pt3歳の甥っ子に付き添って『ドラえもん のび太のひみつ道具博物館』を観て来ました。事前情報ではなかなかの傑作と聞いていたけれど、いや、じっさいおもしろかったですよ。
今回の物語の舞台は22世紀の日本にある「ひみつ道具博物館」。古今東西、ありとあらゆるひみつ道具が収蔵されているというこの広大なミュージアムを舞台に、のび太たちの冒険が描かれます。
といっても今回は『ドラえもん』の歴史のなかでもターニング・ポイントとなるかもしれない異色作で、過去の『ドラえもん』とはだいぶ雰囲気が違っている。具体的にどう違うかというと、まず、いつものボスキャラ、「巨大な悪」が出てこない。
ポセイドンとかギガゾンビにあたるキャラクターがいないわけです。今回も地球は危機に陥りはするのだけれど、それは悪の力によるものというよりは人為的なミスによるもの。のび太たちは今回、強大な的に立ち向かう必要はないのです。
ここらへんをどう解釈するかが今回の見所になるのではないかと思う。「悪の親玉」が登場しないことによって、作品全体がシリアスな雰囲気を失っていることは間違いない。少なくとも『魔界大冒険』や『鉄人兵団』にあったような、あまりに巨大すぎる敵との絶望的な戦い、そしてその末の勝利というカタルシスは今回の作品にはない。
初期の『ドラえもん』には間違い無くあった「怖さ」や「暗さ」といった要素もほぼ消滅している。そこが物足りないといえば物足りない。この映画がたとえば『海底鬼岩城』のようにスリリングかというと、やはりそう断定するのは無理がある。
そのかわり全体にコミカルで、ギャグ満載ではある。今回初めて明かされるSF的な設定もいくつかあって、なかなかにセンス・オブ・ワンダーに富んでいる(いまさらこんな大きな設定を開陳してしまっていいのだろうかとも思いますが)。
さて、これをどう解釈するか。ぼくは物語中盤まではわりと批判的だったのですが、見終わる頃にはこれはこれで良いのかもしれないと思っていました。『ドラえもん』もやっぱり時代の産物であるわけで、初期劇場作品が「怖さ」や「暗さ」を抱えていたのは時代空気を反映していた側面が大きいはずです。
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