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記事 3件
  • 日本の未来がそこにある? ウルトラ格差競争社会・韓国の壮絶すぎる現実。(2463文字)

    2013-05-14 07:56  
    53pt

    ○この記事の内容。○
     『超格差競争社会・韓国』、『怒りのソウル』といった本を読んだ感想です。いや、韓国はほんとうに大変な状況になっているんだな、と。韓国のきょうは日本のあしたであるかもしれないわけで、他人ごとではまったくないと思います。




     九鬼太郎『超格差社会・韓国』を読み終えた。タイトルにある「超格差社会」韓国の現実を余すところなく描き出した衝撃的な一冊である。
     超格差社会とは、超競争社会でもある。韓国の格差と競争は、日本の比ではないのだ。格差が開いたといわれる日本ではあるが、韓国に比べればまだ平穏な状況だということがわかる。
     韓国社会のどこがどうきびしいのか。具体的に見ていってみよう。たとえば野球の話。日韓の野球の実力をどう評価するかは微妙なところだし、また、特に野球にくわしいわけでもないぼくの手には余る。
     しかし、本書にあるように、韓国は2008年の北京五輪で金メダルを獲得しているし、日本は第一回と第二回のワールド・ベースボール・クラシックで韓国を破って優勝している。そこまで実力は離れていないと見ていいだろう。
     ところで、日本には4000校を超える高校に野球部があり、甲子園大会に参加している。それがプロ野球のレベルを根底のところで支えているといってもいいと思う。
     さて、韓国の野球全国大会には何校くらいの学校が参加していると思われるだろうか? ヒント、韓国の人口は日本の半分以下だから当然、日本より少ない。ちょっと考えてみてください。
     正解はわずか50校にすぎないのである。日本の80分の1! それでプロ野球は日本と互角に近い実力を持っているのだから、わけがわからない。なぜ、こんなに差が開いているのか。
     著者によると、日本と韓国ではスポーツに関する考え方が根本的に異なっているのだという。韓国では、オリンピックや世界大会など、国際大会で好成績が期待できる種目に関しては国家代表チームが編成される。
     この代表入りを目指し、幼い頃から猛烈なエリート教育が行われる。野球やゴルフなど、プロとして大金を稼ぐことが可能な競技でも徹底的な英才教育がほどこされる。
     その一方で、日本のような「青春のひとコマ」としての中学や高校での運動部はほとんど存在しない。国家代表やプロが無理だと判断したらさっさと断念し、受験勉強に集中するのだという。
     なんという割り切り! しかし、それが韓国という国なのだ。最近、韓国の選手はオリンピックやワールドカップで華々しい活躍をしている。その背景にあるものは、幼い頃からの選抜と競争と、そして「地獄の特訓」にほかならないということなのである。
     これだけでも「韓国の現実」の一端がわかるだろう。しかし、韓国の競争社会のきびしさはまだまだこんなものではない。
     
  • 目ざすはニートかナリワイか。非バトルタイプにお奨めのお金がかからないライフスタイル。(2445文字)

    2013-05-13 11:59  
    53pt

    ○この記事の内容。○
     個人でできるスモールビジネスである「ナリワイ」の話です。グローバリゼーションとか帝国企業の話が微妙に絡んできたりしています。まあ、「支出削減スキル」はとても大切だよね、という話だと受け取っていただいてもかまいません。いや、ほんとにね。



     伊藤洋志『ナリワイをつくる 人生を盗まれない働き方』を読み終えた。「ナリワイ」とは聞き慣れない言葉だが、「個人レベルではじめられて、自分の時間と健康をマネーと交換するのではなく、やれやばるほど頭と体が鍛えられ、技が身につく仕事」のことだ。漢字なら「生業」と書く。「生きるための業」である。
     著者は語る。

     また、現代社会に生きる私たちは、生活を時給する能力がかなり衰えている。何も考えずに暮らしていると、たいしたことをしてなくても支出が高い。だから、稼ぐのを一休みして、立ち止まる余裕がない。考える余裕がないから、妙な住宅ローンを組んだり、目先の運転資金のために不利な仕事も請け負ってしまう。
     これでは、人生を盗まれている。

     で、人生を盗まれないためにナリワイをしましょう、ということになるわけだ。ナリワイには、以下のような特徴がある。

    ・やると自分の生活が充実する。
    ・お客さんをサービスに依存させない。
    ・自分で考え、生活をつくれる人を増やす。
    ・個人ではじめられる。
    ・家賃などの固定費に終われないほうがよい。
    ・提供する人、される人が仲良くなれる。
    ・専業じゃないことで、専業より本質的なことができる。
    ・実感が持てる。
    ・頑張って売り上げを増やさない。
    ・自分自身が熱望するものをつくる。

     ちょうど松井博『企業が「帝国化」する』を読み終えたばかりなので、ナリワイがAppleやAmazonなどの「帝国企業」の仕事と好対照であることがわかって面白かった。
     帝国は可能な限り「お客さんをサービスに依存させ」ようとしているし、「頑張って売り上げを増や」そうとしているのだから。
     それも当然といえば当然の話で、著者が読者にナリワイを勧めるのは、やはりグローバリゼーションと企業の帝国化が背景にあるのだ。
     『企業が「帝国化」する』や『ワーク・シフト』といった本では、グローバリゼーションに伴い、ほとんどの仕事の価値が安価になっていく未来が提示されていた。



    企業が「帝国化」する アップル、マクドナルド、エクソン~新しい統治者たちの素顔 (アスキー新書)

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    ワーク・シフト ― 孤独と貧困から自由になる働き方の未来図〈2025〉リンダ・グラットン 池村 千秋 プレジデント社  2012-07-28売り上げランキング : 111Amazonで詳しく見る by G-Tools



     これは日本などの先進国の視点から見ると「仕事報酬の空洞化」であるが、新興国から見れば「世界平準化」であるに過ぎないので止めようがない。
     それでは、これから仕事を奪われる旧先進国の人間はどのようにして生きていけばいいのか。この疑問に対し、『企業が「帝国化」する』では「アート」という答えが用意されていたし、『ワーク・シフト』では「複数のスキルを組み合わせることによってオリジナルなスキルを生み出す」ことが推奨されていた。
     で、『ナリワイをつくる』では「ナリワイをやればいい」と記されているわけである。
     個人でできるスモールビジネスであるナリワイは、あまりお金にならない。そこで著者は複業ならぬ「複業」を勧める。これは文字通り複数の仕事を持つことを意味する。マルチワークというわけだ。
     著者によると、「月3万円ビジネス」を10個持てば年収は360万円になるはずだ、ということである。楽観的に過ぎる計算と思われるだろうか。また、360万円ではとても足りないと考えられるかもしれない。そこで支出削減の話になる。
     
  • 仕事の値段が下がっていく! クラウドソーシングに見る世界競争とツールとしての英語。(2601文字)

    2013-05-13 09:51  
    53pt
    ○この記事の内容○ まあ、グローバリゼーションについての記事ですね。ぼくはネット的にもリアル的にも辺境日本に活動を封じ込められているひとりのニートに過ぎないので実感できませんが、世界はどんどんとんでもないことになっていっているようです。



     クラウドソーシングサービスという言葉を知っているだろうか。Wikipediaから引用すると、以下のようなシステムのことだ。

     従来、アウトソーシングという形で企業などが、外部に専門性の高い業務を外注するというトレンドがあった。しかし、昨今では、インターネットの普及により社外の「不特定多数」の人にそのような業務を外注するというケースが増えている。それらを総称し、クラウドソーシングと呼ばれている。 知的生産力やコンテンツなどを、多数の人々から調達・集約し、事業成果を得ることを目的にしている。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%83%89%E3%82%BD%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%B3%E3%82%B0

     ようするに仕事を委託するひとを探してくれるサービスということですね。日本にもいくつかクラウドソーシングのウェブサイトがあって、「Craudia」や「Lancers」といったところが有名であるようだ。
     仮にあなたがこれらのサイトを利用するとしたら、仕事を依頼することもできるし、依頼を受けることもできる。価格は需要と供給が一致しているところで決まるので、いくらになるかはわからない。
     ただ、自然、競争が発生するわけで、相当安い価格で引き受けるひとが出てきているようだ。「自宅でできる内職」と考えると、造花を作ったりすることに比べればわりがいいといえるかもしれない。
     当然、高度な知識やスキルを持っているひとはよりわりがいい仕事を選ぶことができるはずである。たとえばあなたがウェブデザインなどを頼むなら、専門業者に依頼するより、これらのサイトで安く請け負ってくれる個人を探したほうがいいかもしれない。
     さて、ここまでは前置き。当然ながら海外には日本以上にたくさんのクラウドソーシングサイトがあり、そこには世界中からアクセスすることができる。特に英語のサイトは、理屈の上では英語圏の10億人以上がだれでもアクセスして仕事を求めることができる理屈になる。
     そうすると、どういうことになるか。何も経済学の知識がなくてもわかる。依頼価格が物価や賃金が安い国のひとが提示する数字にまで下がっていくのである。大塚雅文さんのブログに、oDeskというサイトを利用しパキスタン人にポスターを依頼した時のことが記されている。

     ポスターの発注価格はわずか$50。恐らくパキスタンでは日本的感覚で10万円位の価値はあるでしょう。ただこのプロジェクトは一年以上前の話。いまはさらに時代は進化しています。最近の傾向はいままであまり見なかった英米人からの応募が増加。フィリピン、インド人と同じ価格帯でビッドしてきます。
     英語を言語ではなくシンプルなコミュニケーションツール(相手が非ネイティブの場合が圧倒的に多い)として使いこなすことが出来ると世界中のタレントにアクセス出来る恐ろしい時代に入っています。
     「これは英語で行う仕事のみの話。日本は日本語という壁に守られているから安泰」と思ったら大間違い。つい先日募集をかけた仕事に初めて日本人の応募がありました。2年半前にニューヨークタイムズのに“Many in Japan Are Outsourcing Themselves”という記事、現実味を帯びてきています。
    http://www.masafumiotsuka.com/2013/01/odesk-2.html

     つまりは「グローバリゼーションによる仕事報酬の世界平準化」はこんなところでも進んでいるということだ。そしてぼくたち日本人もまたその土俵に乗っているのである。いや、まったく恐ろしい時代がやって来た。まさにグローバルである。
     しかし、インドやパキスタンのひとは素晴らしい時代がやって来たと考えているだろう。かれらにしてみれば世界中から仕事を探すことができる時代がやって来たわけである。素晴らしい革命といわずして何といおう。仕事を奪われる国々のひとのことは、かれらの知ったことではない。