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記事 3件
  • たった4ステップ! だれにでもできる簡単な電子書籍のつくり方。

    2016-10-07 22:39  
    51pt
     電子書籍『『ベイビーステップ』成長の方程式(1)』と『書評集「スタジオジブリは山羊を愛さない」』を出版しました。後者は新書や詩集などノンフィクション本の書評を集めたものです。ご興味のある方はどうぞ。

     さて、ここ数日、1日2冊くらいのペースで新刊を出しているわけですが、さすがに疲れて来ましたね。
     出版の作業そのものは簡単なのだけれど、電子書籍化する文章を選択してチェックし推敲するのがけっこう手間取る。まあ、2冊で5万文字くらいにはなりますからね。そら楽なわけないよ、とも思います。
     ただ、くり返しますが、いま、電子書籍を作ってKindle Storeで販売する方法そのものはおそろしくシンプルです。具体的には、以下の4ステップしか必要ありません。

    1)電子書籍化するテキストを用意する。
    2)でんでんコンバーター(http://conv.denshochan.com/)でepubファ
  • 『風立ちぬ』再考。堀越二郎はほんとうに冷血の天才なのか。

    2016-06-09 21:21  
    51pt

     瀬名秀明の『瀬名秀明ロボット学論集』と並行して、杉田俊作『宮崎駿論』を読んでいる。何度目かの再読である。
     宮崎駿の漫画や映画を題材にした批評書は何冊も出ているが、この本は際立って面白い。
     宮崎駿の過去の全作品を素材に、表現論、自然論、さらには宮崎駿その人の人物論に至るまで、縦横に語りつくしている。
     興味深いのが、宮崎監督の(いまのところの)最新/最終作である『風立ちぬ』への評価だ。この本にはこう記されている。

     ひたすら戦闘機を作っては失敗し、作っては墜ち、炎上した。そして夢の飛行機の制作にようやく成功しても、何の達成感も喜びもなかった。目の前には、あたり一面、夢の残骸と廃墟が広がっている。人生を賭した夢は、ついに誰をも生かさなかった。国民も、家族も、愛する人も、そして自分すらも。
     『風立ちぬ』は、そんな映画に思えた。
     
     (中略)
     堀越二郎の、あの、無表情な顔。あれ
  • きっとあなたは愛されている。映画『思い出のマーニー』は切なくも優しい秀作だ。

    2014-07-21 23:30  
    51pt


     スタジオジブリの最新映画『思い出のマーニー』を観て来ました。ほんとうは初日に観たんだけれど、いままで記事を書かずに放置していたのはネタバレなしで何を書いたらいいのかわからなかったから。
     ほんの些細なことからでもカンのいい人は真相に気づくだろうから、あまり気軽に書く気になれない。
     しかしまあ、「ノラネコの呑んで観るシネマ」でも高評価のレビューが挙がっていることだし(http://noraneko22.blog29.fc2.com/blog-entry-762.html)、ぼくも書かなければなるまい。
     ちなみにノラネコさんは「ジャック・フィニイ辺りが好きな人は絶対はまると思う」と書いているが、観ていてぼくもまさに『ゲイルズバーグの春を愛す』の作家を思い出した。
     宮崎駿的なケレン味はほとんどなく、地味といえば地味であるものの、しずかで優しく繊細な小品に仕上がっている。おそらくひとによって評価は分かれるだろうが、ぼくは大好き。
     スタジオジブリの作品のなかでも、『ハウル』とか『ポニョ』より何倍も好きですね。また、宮崎駿が口出しをしていない(らしい)ぶん、『アリエッティ』より映画的な完成度は高いと思う。
     もっとも、それこそ『ハウル』の空中散歩や『ポニョ』の波乗りのようなアニメーション的な見どころがなく、あくまで淡々と物語が進んでいくので、観て、肩透かしを食ったと感じる観客も少なくないはずだ。
     ある意味で『アナと雪の女王』に近いガール・ミーツ・ガールの物語ではあるが、おそらく『アナ雪』のように大衆的に受け入れられることはないんじゃないかな。
     「レリゴー」のようなわかりやすい短期的なカタルシスはこの作品にはない。最初から最後まで集中して観て初めてすべての描写の意味がわかり、監督の意図がわかって大きなカタルシスがある。
     そういう意味では何かしらアクションがないとすぐに寝てしまう観客には向かない作品であり、正しく「映画」としかいいようがない映画だと云っていいだろう。
     いつも思うのだが、この情報が飽和し、時間が細切れにされてゆく現代社会において、2時間ものあいだ観客を暗い空間のなかに縛りつける劇場映画とは、ほんとうに贅沢な芸術だ。
     そういう「映画的なるもの」に対し肯定的なひとはこの映画を絶賛するだろう。逆に、次から次へと事件が起こらなければつまらないと感じるひとは、退屈だと断じてかえりみないに違いない。良くも悪くもいまどきめずらしいくらい映画らしい映画だと思う。
     ぼくなどはこの「アクションの少なさ」に覚悟を感じる。凡人だったらちょっとはアクションを入れたり画面を花やかにしようとか余計なことを思うよね。観客のほとんどは「宮崎駿的なるもの」を期待して観に来ているわけなんだから。
     しかし、宮﨑駿はすでに映画監督を引退してしまっているわけであり、いかに偉大であっても過去の存在だ。そういう「宮崎駿的なるもの」を無視し、自分の個性を活かした映画を作り上げることは、やはり正解だったのではないだろうか。
     どうせだれも宮﨑駿の真似はできない。ならば、自分のカラーで勝負するしかないでしょう。もちろん、そうはいってもなかなかそれはできるものではない。
     「ポスト宮崎駿」の期待がかかる新作に、これほどしずかな内容を持ってきた米林監督のクソ度胸に、個人的には拍手を送りたい。
     とはいえ、この