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記事 2件
  • キズナアイとちびくろサンボは「差別的なステレオタイプ」なのか。

    2018-10-12 00:13  
    【『ちびくろサンボ』という傑作絵本】
     『ちびくろサンボ』という絵本をご存知だろうか。
     こう書くのは、『ちびくろサンボ』はある程度以上の年齢の世代だと知らないものはいないほどのタイトルなのだが、長いあいだ複数の出版社で絶版になっていて、入手できない時期が続いていたからだ。
     いまでは問題なく読むことができる本だが、あるいは、ある年齢層の人たちにはなじみがないかもしれない。 それでは、この本はなぜ絶版の憂き目を見たのだろうか。特に内容に問題があったのか。そういうふうに見る人もいるが、ぼくはそう考えてはいない。この本の絶版は、ひとえにそのなかに「差別」が誤認されたという不幸な問題に寄る。そう思っている。
    【キズナアイとちびくろサンボ】

     なぜ、いま、この作品のことを取り上げるかといえば、Twitterでつるし上げられたキズナアイの問題に、この『ちびくろサンボ』を巡る問題と重なるものを感じ
  • 熱い議論が不毛に終わるたったひとつの理由。

    2016-02-06 13:35  
    50pt
     ふと思ったこと。
     よく同性愛者は異常だという人がいる。ネットを検索してみるとたくさん見つかるだろう。
     いまの常識から見ればそれは間違えた意見であるわけだが、そういう人と「議論」をしても相手の考え方を変えることは困難である。
     というか、何らかの信念を抱いている人と議論をしてその人の考えを変えようとすることはいずれも不可能に近いくらいむずかしいと思う。
     なぜだろう?
     それは、ようするに「言葉」とか「理屈」の次元で話をしているからだと思う。
     もちろん、議論は「言葉」で交わすよりないわけだが、そうやっていくら「言葉」を重ね、「理屈」を丁寧に説明しても、ひとの心は変わらない。
     なぜなら、ひとはほんとうは「言葉」や「理屈」でものを考えたりしていないからである。
     ほんとうは「心」ですべてを判断していて、その「心」を納得させるために「言葉」を生み出しているに過ぎないのだ。
     いわば「心」は基地で、「言葉」はその先兵である。
     だから、いくら「言葉」で相手を論破したところで、相手の「心」を変えない限り、ほんとうにその人を説得したことにはならない。
     同性愛者を嫌う人は、同性愛が異常である理由を、十でも百でも並べ立てるだろう。
     そして、同性愛者や同性愛者をサポートしようとする人はその「理屈」を打ち破ろうと自分たちの「理屈」を並べ上げる。
     ぼくの主観では、後者の理屈のほうが「正しい」ように思える。
     しかし、その理屈が「正しい」なら同性愛者異常説はそのうち消えてなくなるかというと、そうではない。
     それは「言葉」のレベルでは勝利していても、相手の本丸である「心」を変えることはできていないからだ。
     ひとは「心」が変わらない限り、また新しい「理屈」をいくらでも考え出してくる。
     「同性愛者が異常である理由」という「理屈」は、「同性愛者が嫌いだ。気持ち悪い」という「心」を正当化するために、無限に生産されつづけるのだ。
     つまり、だれかの意見が間違えていると思うとき、ほんとうに変えてもらうべきなのは「言葉」ではなく、それを生み出す「心」のほうであるわけだ。
     しかし、ひとの「心」を動かすことは至難である。
     そしてまた、ひとは往々にして「言葉」の次元での勝ち負けに拘ってしまうものだ。
     「言葉」による「議論」が概して不毛なのはこういう理由もあると思う。
     もちろん、相手を説得したり論破したりすること以外のところに目的がある場合はこの限りではないが。
     この話はべつに同性愛に限ったことではない。あらゆる何かしらの信念を持った人との議論にいえることである。
     たとえば一般に「歴史修正主義者」と呼ばれる人たちの議論は、限りなく不毛に陥りやすい。
     修正主義者たちは、たとえばあるユダヤ人虐殺が実はなかったということを説明するために膨大な量の「理屈」を持ち出してくるからである。
     それに反論する側はいちいちその「理屈」を潰していくしかないわけだが、どんなに「理屈」を否定してみせたところで相手は怯まない。
     ユダヤ人収容所が実在しなかったことのそれらしい理由など、その気になればいくつでも生み出されるものだからである。
     これは南京虐殺否定論でもなんでも同じことだ。
     ほんとうに問題なのは、差別や虐殺がなかったと思いたがる「心」のほうなのだ。
     しかし、