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記事 7件
  • 『アルスラーン戦記』第2巻刊行! 不動の天才軍師を動かす「そのひと言」とは何か。

    2014-05-08 22:45  
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     あした9日、漫画版『アルスラーン戦記』の第2巻が出ますね。この巻では、軍師ナルサス、旅の楽師ギーヴが登場し、あとひとり、女神官ファランギースが出てくれば、物語の最重要人物は勢揃いするはずです。
     もっとも、まだまだアルフリードやメルレインやジャスワントなど、面白い人物はたくさん出て来るのですが……。
     主人公であるパルスの王太子アルスラーンの下にはやがて「十六翼将」の名で知られる十六人の精鋭たちが集まって来ることになるのですが、いま挙げた人物はすべて、その十六翼将の一員です。
     とはいえ、アトロパテネの野の会戦に敗れ、戦場を落ち延びたアルスラーンに従う者は、いまのところ黒衣の最強騎士ダリューンただひとり。宿敵ルシタニア軍はその数、実に三十万。いかにダリューンが屈強といえども、勝負になるはずがありません。
     そこでダリューンが頼ったのは、友人であり「その知謀は一国に冠絶する」といわれる
  • はるかな大陸公路がここにある。荒川弘版『アルスラーン戦記』が出色の出来。

    2014-04-11 19:00  
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     それははるかな異世界の物語。大陸の覇権を奪いあい、戦い、騙し、裏切り、陰謀を巡らし、ときには命を賭けて忠義を尽くす英雄たちの年代記。
     それらの群雄あまたあるなかで、すべての中心となって運命を動かすものは、最も無力な若き王子、その名をアルスラーン。
     大陸公路の覇権を担うパルス王国のたったひとりの王太子として生まれたかれは、十四歳にして国難に遭い、いったん滅亡したパルスを救うべく立ち上がる。
     そのとき、かれのかたわらにあったものは、雄将ダリューンと智将ナルサス、美貌の楽師ギーヴ、女神官ファランギース、そして解放奴隷の子エラムのわずか5名であった。
     アルスラーンを含め6名にしかならないこの人々は、いかにして侵略者ルシタニア軍30万を打ち破るのだろうか。アルスラーンの物語が始まる。このとき、かれはまだのちに「解放王」と呼ばれ讃えられる自分の運命を知らない――。
     田中芳樹『アルスラーン戦記』は、ベストセラー作家の田中が30年近くにわたって書きつづけている長編スペクタクルロマンである。流浪の王太子アルスラーンを中軸に、さまざまな魅力的なキャラクターを配した物語は、いまに至るまで熱狂的な支持を集めている。
     本書は、その小説を『鋼の錬金術師』、『銀の匙』の荒川弘が独自の解釈で絵にした漫画化作品である。ひとこと、すばらしい。そうとしか云いようがない。
     あたりまえのことだが、小説作品は小説としての魅力を最大限に考えて書かれており、それが映像になったときのことは考慮されていない(例外はあるだろうが)。
     だから、そういう小説を漫画に変換する作業には、それなりの苦労が伴うはずである。華麗な花の如き都エクバターナ、とひとことで書かれていても、それを絵にするのは楽ではないだろう。
     しかし、現代漫画を代表するベストセラー漫画家である荒川弘は、その困難を難なく成し遂げているように思える。豊穣なパルスの大地、勇壮な軍隊と軍隊のぶつかり合い、花の都エクバターナ、そしてアルスラーンやナルサスを初めとする個性的な人々といったものを、彼女は実に丹念に描き出している。それは、かつて『鋼の錬金術師』においてひとつの世界を生み出してのけたときの技そのままだ。
     原作の読者は、アルスラーンを初めとする英雄たちが、それぞれに再解釈された新たなキャラクターとして動き出すところを目撃するだろう。それはもちろん荒川弘独特の描きではあるのだが、じっさい、物語は意外なほど原作に忠実に進行している。
     とはいえ、オリジナルの序章が用意されるなど、漫画版独自の展開も存在するので、ただ単に小説世界を漫画に移し替えただけのものではない。
     本編の3年前を舞台とした序章に登場する「ルシタニアの少年騎士」の描写には、ニヤリとした原作読者も多いはずだ。「かれ」が何者なのか、はっきり描かれてはいないのに、わかる者にはわかるのである。
     考えられる限り最高の『アルスラーン戦記』がここにある。最高の描き手を得て、元々痛快無比な物語はさらなる飛躍を見せようとしているようだ。
     既にアルスラーン、ダリューン、ヒルメスといった最重要人物たちは登場している。次巻においては、ナルサスやギーヴも出て来ることになるだろう。
     ファランギースやメルレインやアルフリードも、そのうち姿を表わすはずだ。いったいかれらが荒川弘の手によってどういうふうに描かれるのか、楽しみでならない。特にアルフリードは可愛く描かれるといいんだけれどなあ。
     ともかくまだ物語は始まったばかりで、原作で云えば、 
  • 好きあっていても、セックスできないふたり。星里もちる『夜のスニーカー』。

    2014-04-03 22:44  
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     星里もちるが、ぼくにとって重要な作家のひとりであることは、いままで何度か書いてきました。初めてふれた作品が何だったかは忘れましたが、一応、少年漫画時代からずっと読んできているはずです。
     で、『夜のスニーカー』はその星里の全一巻の単行本。こういうキリリとまとまった作品があるあたりも、星里さんの魅力ですよね。
     ちなみに恩田陸に『夜のピクニック』という有名な小説がありますが、無関係のようです。もっとも、「夜」と「ウォーキング」を扱っている作品であることは共通している。
     夜の東京をウォーキングすることが趣味の男女のお話なのです。それにしても、星里さんの漫画はどれも舞台が東京だよな……。
     『ハーフな分だけ』移行の星里作品は、ほぼすべて青年漫画ではあるのですが、それでも比較的「青少年向け」っぽい作品とはっきり「大人向け」の作品が分かれている印象があります。
     で、この『夜のスニーカー』は
  • 琴葉とこのハートフルメンヘラコメディ『メンヘラちゃん』が面白い。

    2014-04-03 22:12  
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     琴葉とこ『メンヘラちゃん』上巻を読みました。これはやばいですねー。下巻を読むのを躊躇するやばさ。いや読むけれど。
     というのも、ぼくはリアルタイムでメンヘラやっているわけで、こういうものを読んでしまうと病状が悪化する危険があるわけです。メンヘラちゃんが悪夢を見て絶叫とともに跳ね起きるところなんかまさにおれ。ぼくもよくああやって跳ね起きます。お前はおれか。
     まあ、ぼくは普段、ほんとうに心を病んでいるひとが描いた漫画を読むと「ひきずり込まれる」ので、避けているのですが、この漫画も相当やばい。
     基本的にはキュートな「メンヘラネタコメディ」なんだけれど、時々、描写がリアルすぎて辛くなってしまう。いや、ぼくの病状なんてそうたいしたものでもないんですけれどね。全然普通の範疇。
     ちゃんと外出もできるし、遠出だってできるし。大丈夫大丈夫。少なくとも薬を飲んでいる限りは。そう、たまにちょっと死にそうになるくらいで、まだ死んでいないから全然大丈夫です。
     普段から死なないように注意しているし、たぶん自殺したりする可能性はほとんどないと思う。しーんぱーいないさー♪ それでもまあ、しんどいといえばしんどいですね。ぼくより遥かにしんどいひともいることもわかってはいるのですが……。
     ぼくはいま、「健康」な「ちゃんとした大人」を目ざしてはいますが、健康を目指しているその時点で「いまは病んでいる」わけですよね。むしろ病んでいるからこそ、健康に憧れるのだと云えるかもしれない。
     やっぱりどうしても生きていることはしんどいわけで、少しでも健やかに生きていきたいなあ、と思わずにはいられないのです。
     森博嗣の『すべてはFになる』ではありませんが、「生命なんてバグのようなもの」で、ある種、異常な状態だと思うのです。死のほうが遥かに安定している。
     だから、基本的に生きていくことは辛い。しんどい。それがあたりまえだと思う。ぼくはその上で、「健康に生きていきたい」と願うわけですが、それは決して「一切の苦しみから解放される」ということではありえません。
     『メンヘラちゃん』に話を戻しましょう。この物語には、メンヘラちゃん、病弱ちゃん、けんこうくんの三人の人物が登場します。主人公はメンヘラちゃんで、けんこうくんと病弱ちゃん(腐女子設定あり)のふたりは彼女を支える役どころです。三人がどうやって知り合ったのかわかりませんが……。
     本書中盤で、メンヘラちゃんが、友人である病弱ちゃんが苦しむところを見て、「自分だけが苦しいんじゃなかったんだ」「今度は自分が彼女を支えよう」と悟る場面は感動的です。
     この瞬間、彼女は自分だけのループしつづける思考から、つまり「ひとりだけのナルシシズムの宇宙」から脱して、ほんとうの意味で「他者」と出逢ったのだと思います。
     しかし、その「孤独な牢獄」を脱出したなら、その先には「現実世界」という過酷な戦場がひろがっています。「病弱ちゃんを支えなくては」と思い込んだメンヘラちゃんが、直後、薬を飲まなくなって体調を崩してしまう展開はリアルです。
     そう、「自分だけしかいない世界」を抜け出すことはゴールでも何でもなく、むしろそこがスタートなんですよね。ミクロの問題を完全に解決してなお、マクロの問題がのこるように、世界には「自分の内面の課題」を解決しただけでは解決しきれない問題があるわけです。
     ちなみにメンヘラちゃんが薬を飲みたくないという気もちはよくわかります。ぼくもできれば飲みたくないし、しょっちゅう飲み忘れるから(ダメじゃん)。いや、ほんと、薬って、飲みたくないんですよねー。
     なぜなら、それは「自分が病人である現実を常に突きつけてくるもの」であるからです。ただ、薬を呑まないでいると露骨に体調が悪くなることは否定できません。
     ぼくは 
  • プロブロガーイケダハヤトに見る「炎上の作法」。

    2014-03-31 20:39  
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     イケダハヤトさんの『なぜ僕は「炎上」を恐れないのか ~年500万円稼ぐプロブロガーの仕事術~』を読みました。
     駅前のジュンク堂までわざわざ買いに行ったんだけれど、よく考えてみれば当然、電子書籍が出ているよね……。しまった。Kindleで買うべきだった。まあいいや。
     どういう内容かと云うと、まあ、タイトル通りの話です。テーマは「炎上」。ひょっとしたら日本一炎上しているかもしれないプロブロガーであるところの著者が、「なぜ、炎上を恐れず挑発的な記事を書きつづけるのか」を語った一冊。
     その内容をひと言で表すと、「空気なんて読むな! 炎上を恐れず自分が考えたことを発信しつづけよう」に尽きます。このひと言を心から得心できているなら、この本は読む必要がないんじゃないかな。
     しかしまあ、いかにインターネット時代といえども、大半のひとは「炎上」とは無縁の人生を送っているはず。とにかくやたら炎上させまくって悪口を云われまくっている(ように見える)イケダハヤトさんのお言葉に耳を済ませてみるのも悪くないのでは?
     まあ、内容的には自慢話とも自己正当化とも受け取れるものが延々と続くので、ひとによってはただそれだけのものだと云って切って捨てるでしょう。
     でも、ぼくは自慢話を聞くのは嫌いじゃないし、「しょせん自己正当化に過ぎない」とか「自己正当化だからダメ」といった意見にはそれほど価値を見いだせません。
     じゃあ、あなたは自分の意見は正当じゃないと思っているんですか、という話ですよね。もし正当だと信じているなら、そのひと自身も自己正当化していることになるし、そうじゃないなら自分は正当だと思っていないくせにひとを非難するってどうよ?となる。
     つまりは「自己正当化しやがって」とは、あまり意味がある批判ではないと思うのです。よりまっとうな批判としては「あなたの発言内容は正当ではない」と云うべきであって、「自己正当化」そのものを問題視するのは違うんじゃないかな。
     それはつまり自分が正当だと信じていることを主張することそのもの自体が問題だ、と云っているに等しい。少々露悪的な表現を選ぶなら「自分が正しいと思っているなんてバカじゃないの」というたぐいの云い方です。まあ、いかにも日本人的な発想ではありますけれどね。
     話が逸れた。自身を日本でトップクラスのポジションにいるブロガーと位置づけるイケダハヤトさんは、どうすればその地位にたどり着くことができるかをつらつらと解説しています。
     といっても、具体的なブログ執筆の戦略はここには書かれていない。そのかわり縷々綴られるのは、いわば精神論です。
     イケダさんは、ブログやその他の分野において、トップに至るために何より大切なものは「情熱」であると語っています。何であれひとに差をつけるためにはかれらに増して圧倒的に時間をかけることが必要なのであって、そのためには情熱が欠かせないのだと。
     イケダさんはブログにも絶対的な時間をかけているそうです。わりに頑張っている日でも1日3時間程度しか書かないぼくとしては耳が痛い話です(インプットの時間を入れるともっと長い間「働いている」ことになりますが。でも、いくらぼくが厚顔でも、萌え漫画読んでいる時間を労働時間に入れられないわー)。
     で、でも、大切なのは時間だけじゃないと思うよっ。いやまあ、見ていればわかると思いますが、ぼく、あまり情熱がない人間なんだよね。
     徹底的に気分屋なので、安定して更新しつづけるということができない。いや、ほんとうはできるんだろうけれど、あまりその必要性を感じていないというか……。
     このブロマガ、平均してみれば1日に2,3本は更新している計算になるのですが、1日7、8本も更新される日もあれば、「0」の日もあるのは御存知の通り。
     いやー、プロフェッショナルとしてあるまじき話ですね。毎日必ず3本ずつ更新していたら、会員数はいまの倍くらいは行っていたと思う。無理だけれど。
     それにしてもネットだけで年収500万円稼いでいるというイケダさんの技術は驚異的なものがあります。この話を聞いて「それくらいおれだって稼げる」と思うひともいるかもしれませんが、おそらく無理です。
     まあ、絶対に無謀とは云わないけれど、ネットでお金を稼ぐことは、やってみるとわかりますが、相当大変ですよ。それこそ過激な内容であおって炎上を誘えばすぐに会員が増えると思っているひともいるだろうけれど、いや、それ、無理だから。
     特にメルマガみたいな会員制システムではまず無理。仮にそれで会員を増やすことができたとしても、すぐにやめていきますからね。だれもそういう価値がない情報にお金を払いつづけたりしないのです。
     イケダさんはアフィリエイトで収入を得ているようだけれど、 
  • 優しいひとの触わり方。セックスという究極のコミュニケーションについて。

    2014-03-30 04:04  
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     どうして朝にはたくさんあった時間がその日の夜にはなくなっているのだろう。わけがわからないよ。
     いや、こいつは暇だと云ってみたり、忙しいと云ってみたり、どっちなんだと思っておられる方もいらっしゃるかと思いますが、実は両方なのです。
     というのも、ぼくは基本的にはひきこもりのダメ人間なので、暇を持て余しているはずなのですけれど、マジメに記事を書こうと思うと途端に時間がなくなるんですよねー。
     もちろん、ただ書くだけならそれほど時間は取られないのだけれど、本を読んだり映画を観たりして資料をインプットするためには時間を取られるわけなのです。
     一見すると遊んでいるようにしか見えないし、じっさい遊んでいるだけなんだけれど、それでも時間がなくなることはたしか。労働時間そのものは1日30分から2時間だけでも、インプットの時間が必要なんだよね。
     ただ、てれびんあたりがきちんとスケジューリングして行動しているのを見ているとぼくの時間の使い方は非合理的だなあ、と思います。
     余談ですが、ぼくは基本的に年下年上かかわらず、ひとのことは「さん付け」して「あなた」と呼ぶのだけれど、てれびんだけは「呼び捨て」で「お前」です。てれびんはぼくの対人関係のルールを破壊しやがった恐ろしい奴なのです。
     ひと呼んで宇宙生物てれびん。ぼくは奴に散々世話になっているので云いたくはないですが、世の中には変わった人間がいるなあ、と感じますね。ぼくは普通だ。
     さて、きょうの「ベーシックレビュー」は花房観音『女坂』です。花房観音さんの作品は、以前、『花祀り』を紹介したことがあります。
    http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar24344
     これはね、ぼく的にとても面白い作品でした。つまりはエロい上にもエロい官能小説をずっと書いてきているひとで、『女坂』もその系譜の作品です。
     女の情念どろどろのエロティックな物語に仕上がっています。ぼくもとことんこの手のどろどろ系のお話が好きですね。
     オタク的な滅菌された物語とは180度対照的な作品ではありますが、でも、ぼくはどちらかというと「こちら側」の人間なのだと思う。いくら清く正しいオタク生活を送っていても、じっさいには情念系の人間なんだよなあ。どういうわけか。
     まあとにかくエロスな物語は好きです。エロティシズムとはつまり「ひととひとが触れ合うことの官能」のことなのですね。そしてセックスとはつまり「ひとの心と体に触れる」ための方法論なのだろうと思う。
     その際、「優しいひとの触わり方」について知らないひとは、ひととに「乱暴に触わって」しまい、相手を傷つける。
     性別ですべてを判断することはできないとはいえ、やはり男性が傷つける側にまわることのほうが多いでしょう。この『女坂』ではそんな男たちのあり方がきびしく断罪されています。
     花房観音とは、どこまで行っても「女」を描く作家なのですね。そこがまた、ぼくは何とも好きです。ぼくは女性のことはよくわからないけれども、だからこそ、そこにはある種のセンス・オブ・ワンダーがあるのだと思うのです。
     それにしても、いつも思うのだけれど、ぼくが書いていることの真意はどの程度のひとに伝わっているのだろうか。
     ぼくが最近ずっと書いていることは、つまりは「この病んだ近代社会においてほんとうに健康であるとはどういうことなのだろうか」というテーマなのですね。
     自然から切り離されて、人工世界ですべてが完結する近代社会においては、「生きている実感」を得ることがむずかしい一面があります。
     自分の頭のなかですべてが完結してしまって、ぐるぐると想像が回るなかで肥大化し、ほんとうの現実を生きることができないという現象が起こるのです。ペトロニウスさんはこれを指して「ナルシシズムの牢獄」とか云ったりしているのだと思うのです。
     その「自分ひとりだけしかいない世界」からいかに脱出し、ほんとうの意味で他者と、世界と関わりあうためにはどうすれば良いのか。そのための方法論のひとつとしてセックスがあるのでしょう。
     セックスとは「ひとがひとに触わる」行為であり、その真実は「体を通して心に触わる」ところにあるのだと思う。自分自身の「心の穴」を開放し、傷つけられるリスクを犯してなお、相手の心と体に触れる行為。
     そこではもう「体」と「心」を二元論的に分けて考える必要はなくなるはず。だから、 
  • 高河ゆんの若き天才時代。

    2014-03-28 11:03  
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     きょうから「ベーシックレビュー」と題した新コーナーを始めます。具体的にどういうものかというと、ただのあたりまえの作品紹介なのですが、このブログ、案外そういう普通の記事が欠けている気がするんですよね。
     よりディープに作品を深堀りしていくのも良いけれど、もっと浅くて読みやすい記事も必要なはず。あと、じっさい、ぼくは普段読んでいる本の大半をここに取り上げないので、それはもったいないよな、と。
     特に何かしらのコンテクストにのっとった作品じゃなくても、雑談ふうに語っていくことはできるし、それで十分記事になるんじゃないかと思ったしだい。まあ、これもペトロニウスさんの入れ知恵なんですけれどね。
     さて、そういうわけで、ベーシックレビュー、始めます。第一回は『佐藤くんと田中さん』。この漫画、以前にも取り上げた気もするけれど、まあいいや。
     永遠を生きるヴァンパイアの人生を、いまやベテラン作家となった高河ゆんがセンス抜群に描いた作品です。
     云うまでもなく古来、吸血鬼ものは枚挙にいとまがないくらいあるわけですが、さすがは高河ゆんというべきか、一風変わった作品に仕上げることに成功しているように思います。
     というのも、「永遠」を生きるヴァンパイアの佐藤くんの描写が非常にライトなんですよね。永劫を生きる者の者の孤独と哀切が、まったく描かれていないわけではないのだけれど、ごくあっさりと流されている印象。
     いかにも高河ゆんらしいセンスあふれる内容で、いやー、面白い。往年の高河ゆんの天才を忍ばせるものがありますね。けっこうオススメ。
     ちなみに、吸血鬼ものの長く続く歴史については、以下の記事を参考にしてください。まあほんとに参考程度にしかならない記事だけれど、過去ログの海から取り出してきました。
    http://d.hatena.ne.jp/kaien/20110228/p2
     それにしても、高河ゆんさんって、あまり作品を完結させることができないタイプの作家さんなんですよね。いや、きちんと完結しているものもたくさんあるのだけれど、未完に終わった作品はそれ以上に多い。ぼくは、以前、「高河ゆんの未完伝説。」と題する記事を書きました。
    http://d.hatena.ne.jp/kaien/20100328/p2
     高河ゆんの漫画で未完に終わったものがいかに多いかということを示した記事なのですが、どうもこの『佐藤くんと田中さん』も未完に終わるのではないかという気がする。そういう意味では、無責任な作家と云えなくもないかなあ。
     代表作である『アーシアン』がきちんと完結したことは喜ぶべきだけれど、もうひとつの代表作『源氏』が未完に終わったのは残念だよな。『源氏』、面白かったんだけれどね。
     個人的には、高河ゆんの作風は妊娠、出産、休養を経て、少年誌や青年誌に舞台を移したあたりからがらっと変わっている印象です。『妖精事件』以後の作品は何かが違う。
     それをまたいで描かれてる『恋愛』と『恋愛 CROWN』を読み比べてみると非常に違いがはっきりしている。まあ、ぼくしか感じない違いなのかもしれませんが、でもぼくはそう感じるのだ。
     ぼくはやっぱりそれ以前の作品が好きなんだけれど、まあ云っても詮なきことではあります。失われた過去は決して取り戻せはしないのだから。
     やはり