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記事 9件
  • 萌え日常系ラノベに「リア充主人公」が登場する日は来るか?

    2016-12-22 20:21  
    50pt
     平坂読『妹さえいればいい。』最新刊を読み上げました。前巻で一気にストーリーが進んだのでこの巻ではどうなるかと思っていたのですが、物語は停滞することなく先へ進み、ひとつのターニングポイントへたどり着きます。
     同じ作者の前作『僕は友達が少ない』では、物語は主人公が決断を避けることによって徹底的にひきのばされたのですが、この作品では正反対の方法論が採用されているように思えます。
     主人公はあっさりと決断を下しつづけ、物語はどんどん進んでいくのです。こうも真逆の方法論を続けざまに使いこなす平坂読の実力には驚かされます。すごいや。
     ネットで平坂さんの作品を取りあげてラノベ批判を行っている人たちのばかばかしさがよくわかります。どうして平坂読の次代を読む力量がわからないかな、と思うのですが、わからないんだろうなあ。
     もちろん、作品の評価は人それぞれではありますが、あまりにも議論のポイントがずれて
  • 萌え日常漫画は21世紀の新しいライフスタイルの表現である。

    2016-12-18 01:23  
    50pt

     佐々木俊尚さんの最新刊『そして、暮らしは共同体になる。』を読み上げました。タイトルからわかるように「暮らし/生活」テーマの本です。
     ぼくは最近、本はほぼKindleとかBOOK☆WALKERでしか買わないのだけれど、この本は電子化するのを待てず紙で買ってしまいました。それくらいぼくにとっては重要なテーマを扱った一冊です。
     ここ数年、ぼくはこの本で扱われているテーマを追いかけて色々な本を読んできましたが、「決定的な一冊」には出逢えなかった。この本はまさにその「決定的な一冊」です。
     ぼくが漠然と思い描きながらはっきり言葉にすることができずにいたさまざまな問題がクリアに言語化されている。こんな本と出逢えて幸せです。
     それでは、この本にはいったい何が描かれているのか。ぼくにいわせれば、ごくシンプルなことです。「いまの時代、どうすれば快適に暮らすことができるのか」というテーマ。
     もっと
  • フェミニストはオタクの敵ではないのです。

    2016-07-22 02:27  
    50pt
     ども。海燕でゲス。
     フェミニストとして高名な北原みのりさんが「萌えキャラ」を批判してこんなことを書いているでゲス。

     ハッキリ言いますが、大人の女の多くは、少女ファンタジーにしがみつく大人の男を、キモイと思っています。萌えキャラがキモイ、というよりも、萌えキャラを重宝し濫用する男社会がキモイ。少女に向ける眼差しやファンタジーの過剰さに困惑し、どう身を置いていいかわからなくなるのです。なぜ男たちは、ここにいない少女たちを、執拗に求め続けるのか。その眼差しの空虚さに、恐怖するのです。
    http://dot.asahi.com/wa/2016070600233.html

     あー、はい。としかいいようがない意見でゲス。いまでもまだこんなことを書く人がいるんだなあ、とぐったりしますでゲス。
     たとえば、この意見をこんなこんなふうに書き換えてみると、この意見のどこがどう問題なのかはっきりします
  • 萌えは別腹。

    2016-05-07 22:50  
    50pt
     どもです。
     きょうは朝から晩まで倒れたように寝ていました。
     いま、風呂に入ってきてようやくすっきりしたところ。
     ふう、東京から帰ってきてから集中して作品を消費し、記事を書いていたので、知らず知らずのうちに疲れが溜まっていたようです。
     やっぱりこのペースは無理があるのかも。
     あるいは、やるとすればもう少し疲労を蓄積しない工夫が必要になるのでしょうね。
     マッサージを受けるとか。お風呂に入りに行くとか。考えておきたいところです。
     さて、いいかげん本題に入りましょう。
     きょうは「性的フィクションと現実世界における性的傾向の関係性」という話をしたいと思います。というか、あまり関係はないよね、と。
     現代の常識では、一般に、ひとは固有の性的志向を持っているとされています。
     異性愛だとか同性愛だとか、あるいは両性愛だとかですね。そしてまた、そのいずれにも含まれないと認識している人もい
  • 「性交欲」は「性欲」よりも満たしがたい。

    2016-04-22 14:44  
    50pt
     「ずっと二次元さえあれば生きていけると思ってた」という匿名記事を読みました。
    http://anond.hatelabo.jp/20160421025800
     ずっと二次元(のエロゲ)さえあれば生きていけると思っていたけれど、この頃は寂しくなってきた、と「普通」に生きられない自分を嘆く内容です。
     いかにも典型的なオタクの嘆きのようだけれど、じっさい読んでみたところ、オタクはあまり関係ないな、と思いました。
     むしろ非コミュの問題でしょう。まわりの「普通」の生き方にあこがれながら、しかしそれは自分にはできない、あまりにもストレスフルすぎると考える。
     現実に対して矛盾した心理を抱いているわけで、これは辛いだろうな、と思います。
     しかし、実は記事そのものよりも、それに対する反応のほうが興味深い。
     つくづく思うのだけれど、ひとはだれかから「苦しい」といわれると、即座に「お前の苦しみなんて大したことない」とか「そんなに苦しいはずがない」といって否定しにかかるものなのだな、と。
     本人が苦しいといっているのだから苦しいのだろうと認めてやってもいいはずなのに。
     たぶん、だれかに「苦しい」といわれると、自分の苦しみを否定されたように感じるのでしょう。
     「自分のほうがもっと苦しいんだ!」、「この程度のことで苦しいなんていうな!」という対抗心が生まれる。
     苦しみはひとそれぞれで、比較なんてできるはずもないのにね。
     ひとの苦しみを否定するのでもなく、何かしらの「解決法」を提示して自己満足するのでもなく、そのままに寄り添うことはかくもむずかしいということでしょうか。
     それにしても、「二次元は心の隙間を埋めて癒してくれるが、温もりは与えてくれなかった」とは、けだし名言です。
     たしかになあ。抱き枕にほっかいろをくっつけて「ぬ、ぬくもりだ」とかいってもむなしいだけだものなあ。
     風俗へ行け、というお約束のツッコミもあるようですが、この人は傷つくのが怖いので、それもしたくないということのようです。重症ですね。
     きのう読み上げた『はじめての不倫学』の言葉を引用させてもらうなら、この人が充足させたいのは「性欲」ではなく「性交欲」なのでしょう。
     ただ単にからだを合わせるのではなく、ひととつながりあい、混ざりあい、ぬくもりを味わい、精神的に充足したいという欲望。
     ひとが多くの場合、恋愛に求めるもの。
     ゆえに、風俗産業では満たすことができない。
     もちろん、 
  • 無菌系にハーレム系、「男女比が極端なアニメ」主流化にいびつさを感じる。

    2016-04-19 04:50  
    50pt

     問題。以下の今期アニメの特徴を述べよ。

    ・『三者三葉』
    ・『ばくおん‼』
    ・『あんはぴ♪』

     うーん、これは答えるまでもないかな?
     いや、あたりまえすぎてかえって思い浮かばないところかもしれませんが、正解は「ほぼ女性(女の子)しか出て来ない作品であること」です。
     いやー、ほんとうに増えましたねえ、この手のアニメ。
     LDさんはこういう女子しか出て来ない作品を「無菌系」と呼んでいるようですが、この場合の「菌」とは当然、男性のことです。
     「男性キャラクターが登場しない無菌の楽園での物語」といった意味かと思われます。
     この系統は歴史をさかのぼるというまでもなく『あずまんが大王』にたどり着くわけですが、最近では一期に一作品以上はこの手の無菌系アニメが放送されるようになって来ました。
     よほど男性が出て来る作品を見たくないという人が大勢いるのでしょう。
     世も末という気もしなくはありませんが、まあ、視聴者の需要に応えているという意味では悪いことではないのでしょう。
     じっさい、『三者三葉』も『ばくおん‼』も『あんはぴ♪』もそれなりに面白いし。
     『ばくおん‼』は微妙にキャラクターが可愛くない気もするし、『あんはぴ♪』はさすがに不条理すぎるネタな気もしますけれど、まあ、そこらへんは大同小異の癒やしアニメ。大した問題ではありません。
     そういうわけで、今後も女の子しか出て来ない無菌系萌えアニメは繁栄しつづけることでしょう。おしまい。
     ――いや待て待て待て待て。話はここからなのです。
     べつに無菌系萌えアニメに思うところはないぼくですが、その一方でやっぱり男の子が出て来るアニメも見たいなあ、とも思うのですよ。
     もちろん、主人公が男性のラブコメアニメはさすがの現代といえどもたくさんあります。
     今期でいうと、『ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?』あたりがそれに相当するでしょう。
     けれど、この手の作品は主人公ひとりのほかはほぼ男性キャラクターが出て来ないのがお約束です。
     いや、友達キャラにライバル(あて馬)キャラくらいは出てくることもあるけれど、いずれにしろ主人公と対等かそれ以上の魅力を持つキャラクターはほとんど登場させないのが普通になっている。
     ぼくはそれでは不満なのです。
     もっと魅力的な男性キャラクターが複数出て来て、なおかつ女性キャラクターも複数登場するアニメが見たい!
     今期でいうと、やはり『灰と幻想のグリムガル』みたいな作品が理想ですね。
     主人公以外にも男性キャラが複数登場して、主人公と対等なレベルで恋愛したり冒険したりする物語がもっとあってもいいと思うのですが、少ないですよね。
     本来、現実世界ではほぼ同数の男性と女性が生まれて来るのだから、男女がほぼ同数出て来る物語が大半を占めることが普通だと思うのですが、どういうわけか現在のアニメではそうなっていない。
     女性キャラのほうが数的に多い作品が多数を占めているように思えます。
     いや、どういうわけかと書いたけれど、ほんとうはその理由はわかっている。
     作品の視聴者が男性だからです。
     かれらのなかには、一部、物語に男性キャラが登場することを拒否する人たちがいます。
     ほぼ一切の男性キャラの登場を認めない最右翼から、感情移入の対象である主人公だけは男性であってもかまわないとする人、いくらか男性が出て来てもかまわないとする穏健派まで、グラデーションはありますが、基本的には男性キャラが物語に登場することを登場することを好ましく思わないということは共通しています。
     かれらに配慮した結果、昨今のアニメは女性しか登場しないものか(無菌系ないし百合)、さもなければ主人公が複数の女性の愛情を独占するもの(ハーレム系)がやたらに増えたように思います。
     これが、ぼくにはどうにもいびつに思えてならないのです。
     もっと男女が同数くらい出て来るアニメが増えても良いのではないでしょうか?
     もっとも、そうならない理由もわかっています。
     主人公に匹敵するくらい魅力的な男性キャラが出て来ると、視聴者が嫉妬するからです。
     ましてそういうキャラクターがヒロインのひとりと結ばれたりすると、視聴者は「自分の恋人を寝取られた」かのように感じます。狂乱する人も少なくないでしょう。炎上まっしぐらです。
     だから、男性向けアニメはどんどん「女子過剰」の方向へ進んで行く。
     しかし、無菌系ばかりではどうにも世界が狭く感じられてしまいますし、ハーレム系には倫理的な問題が付きまといます。
     ほんとうならこれらの作品ばかりが流行することはやはりいびつであるはずです。
     そうなのですが、「ネトラレのタブー」はとてつもなく強烈で、いまのところ、男性向けアニメの女子の数が過剰になる傾向は変わりそうにありません。
     いや、 
  • 甘ったるい萌えアニメに腰までひたっても、なお。

    2016-04-04 09:00  
    50pt

     さて、昨日の記事に続いて、ペトロニウスさんが最新記事のもうひとつの論点として挙げている「向上心がない物語はダメなのではないか」という話を語りましょう。
     これは、20年くらい前から延々と形を変えていわれつづけていることのバリエーションだと思うのですが、まあ、じっさいのところ、どうなんでしょうね?
     元々の野尻さんの発言は「コンプレックスまみれの視聴者をかくも徹底的にいたわった作品を摂取して喜んでたら自滅だよ」というものでした。
     「コンプレックスまみれの視聴者をかくも徹底的にいたわった作品」とは、具体的には『このすば』のことらしいのですが、これがほんとうに問題なのかというと、正直、ぼくにはよくわからないです。
     たしかに、こういう作品ばかりになってしまったらいかにも退屈だし、良くない状況だとは思う。
     しかし、現実にそうなっているかというとね、なっていないんじゃないでしょうか。
     ここ最近ヒットしたアニメなりウェブ小説を見ていくと、必ずしも甘ったるいばかりの作品がウケているとはいえないと思うのですよ。
     もちろん、ぼくはそのすべてをチェックしたわけではないのでたしかなことはいえませんが、少なくとも『進撃の巨人』もあれば『魔法少女まどか☆マギカ』もある、『SHIROBAKO』もあれば『1週間フレンズ』もあるわけで、業界全体が一色に染まっているとはいいがたいでしょう。
     むしろ、過去に比べても多彩な作品が提供されるようになって来ていると思います。
     もし、それらの作品が一色に見えるとすれば、やはりパッケージの問題でしょう。
     現代のアニメには色々な作品があるけれど、そのほとんどに何らかの形で美青年や美少女が出て来ることもたしかで、そのキャラクターたちの画一的なイメージが作品に多様性がないという印象を与えているのだと思います。
     じっさいには、当然、キャラクタ―デザインにある程度の差異があるのですが、それは「わかる人が見ればわかる」種類のものであることもたしかです。
     わからない人が見ればやはり似たり寄ったりに思えるでしょう。
     そして、そのパッケージの印象を、野尻さんは「かっこ悪い」といって批判しているのだと思います。
     これは良く考えるとなかなか深い問題で、一理はあると思う。ただ、いまさら美少女を出してはダメだといってもね、それは届かないことでしょう。
     それに、ここ十数年くらいで、アニメに登場する美少女たちも(決してリアルになったわけではないにしろ)相当に多様化が進んでいると思うのです。
     ここらへんは「暴力ヒロイン問題」と密接な関わりがあるのですが、たとえば『俺妹』の桐乃なんかは一方で強烈な反発を受けるくらい過激なキャラクターであるわけですよね。
     そういうキャラクターもいまは例外とはいえないくらい普通に存在している。
     まあ、その手のキャラは必然的に「女の子は天使じゃないと許せない派」からは過剰な反発を受けるわけですが、そうかといっていなくはならない。
     あいかわらず色々な形で出て来ては視聴者の自意識を告発したりするわけです。
     そういう告発に耐えられない視聴者層はたしかにいます。
     しかし、いまとなっては、その手の告発すら平気で受け止められる視聴者層も熟成されて来ているように思います。
     野尻さんは「コンプレックスまみれの視聴者」と決めつけていますが、これはアニメ視聴者に対するかなり古いバイアスです。
     かつてはともかく、いまは特に大きなコンプレックスがないアニメ視聴者も相当の割合でいるはずです。
     そういう視聴者は必ずしも慰撫だけを求めてアニメを見ているわけではない。
     いや、当然、見ていて不快になるようなものを求めているわけではないでしょうが、野尻さんが考えているほど甘ったるいばかりの物語を求める「弱い」視聴者層ばかりではないと思う。
     その証拠に、『このすば』の主人公もさんざんあざけられ、ばかにされ、笑い者にされているではありませんか。
     まあ、たしかにかれはご都合主義的に美少女といっしょに旅をすることにはなります。
     ですが、その旅も美少女も必ずしも主人公を慰め、いい気分にさせてくれるだけの装置ではない。
     一見してそう見えるにしろ、じっさいには色々あるのであって、その色々が作品の個性となっています。
     「いや、そうではなく、もっと視聴者の自意識の欺瞞を徹底して告発するきびしい物語が必要なのだ」という意見もあるでしょう。
     それもわからなくはない。ある程度は共感できる意見です。
     しかし、 
  • アニメ『ガラスの花と壊す世界』を観たが、よくわからなかったよてんてんてん。

    2016-03-11 00:28  
    50pt

     プレイステーションストアで『ガラスの花と壊す世界』を観ました。
     先日まで劇場公開されていた作品ですね。
     『コードギアス 亡国のアキト』もそうですが、この手の最新の作品をすぐにネットで落として観れることは実にありがたい。
     なかなかそうはいかないのだろうけれど、ほかの作品もこういうふうになってくれると嬉しいですね。
     で、作品内容の話なのですが、結論から書くと、このアニメ、見なくてもいいです(笑)。
     少なくともぼくはそう思う。Amazonなんかだとわりと評価が高いのですが、それはそもそも褒めるような客層しか観ていないからではないでしょうか。
     たぶん、一般の客層が見たら「ぽかーん」となるに違いありません。それくらい初見ではよくわからない感じ。
     もちろん、ちゃんと細部に注目してくり返し見ればある程度は内容の推測ができるのですが、そこまでしたくなるほど魅力のある作品だとはぼくは思えませんでした。
     ぼくの場合、それでも記事を書くため二回続けて観たのである程度は理解できるようになりましたが、初見ではやはり「ぽかーん」でしたから。
     普通はそこで投げるよな。
     よく見ていくと突然に挿入されるカットのひとつひとつに意味があることがわかるのですが、すぐにはそこまで把握できないよなあ。
     ちゃんと一回観ただけで事実関係が把握できるようにしてほしかった。
     いや、お前がもっと注意して観ていればいいのだといわれればそれまでですが、でも、この作品の場合、奇妙な難解さに意味があるようには思われないのですよね。
     もちろん、情報量が膨大だったりすぐには意味が読み取れない映画はいくらでもあります。
     でも、それらのなかで名作と呼ばれるものはわからなくてもわからないなりに面白く観れるように作ってあると思うのです。
     『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』とか、細部は何がなんだかよくわからなくても映像の凄さで一定のカタルシスはあるわけで、やっぱりエンターテインメントはそうでないといけないと考えるのですよ。
     「難解だからダメ」とひと言で切り捨てるつもりはないけれど、この映画の場合、視聴者に対する姿勢が不親切だったなあと思わずにはいられません。
     何か壮大なSF的ヴィジョンがありそうにも思えるのだけれど、視聴者の側で想像力をたくましくしないとそれはわからない。
     いわゆる「脳内補完」と呼ばれる作業が必須なのです。あまりにもよくわからないシーンが頻出するので途中で考えるのをやめたくなるのもほんとうですが。
     この作品、そもそも、 
  • 傑作? 凡作? 伏見つかさ最新作は『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』を超えられるか。

    2015-03-11 00:24  
    50pt


     さて――このところアニメの話ばかり続けたので、きょうはライトノベルのことを書くことにしよう。
     ここに取り出したるは伏見つかさの最新シリーズ『エロマンガ先生』! その最新刊! きのう発売されたばかりのぴっかぴかの一冊。これをいまから罵倒の限りを尽くして口汚く貶してやろうと――うわっ、何する、何だお前ら、やめ(以下略)。
     というのはイッツジョーク(寒い)、ただ、昨日発売の『エロマンガ先生』最新刊を購入したことはほんとう。「本物のエロマンガ先生」を名のるなぞの人物登場というクリフハンガーで終わった前巻も良かったが、この巻も面白い。
     エロマンガ先生と正体不明のイラストレーター「エロマンガ先生G(グレート)」の間でイラスト勝負の火蓋が切って落とされるという燃える展開!
     はたしてエロマンガ先生Gとは何者なのか? 必殺の「エロマンガ閃光(フラッシュ)」は炸裂するのか? 某大手動画サイト(どこだろ?)を舞台にくり広げられる勝負の行方は萌えイラストの神のみぞ知る!
     というわけで、きょうは期待と興奮の『エロマンガ先生』第4巻の話。そもそも『エロマンガ先生』を知らないという不勉強な読者のために一応は解説しておくと、この作品は『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』で大ヒットを飛ばした伏見つかさが『俺妹』に続いて電撃文庫から送り出したライトノベル。
     前作に続いて妹もの、イラストレーターも前作と同じかんざきひろということで、発売前には多くの読者に「どうなんだろ?」と思われていたであろう作品なのだけれど、現実に発売されたものを読んでみると、これがまあ良くできている。
     リーダビリティ抜群の文章といい、紙面狭しと躍動するキャラクターたちといい、あいかわらず可愛らしいイラストレーションといい、文句なしに出色の出来なのであった。
     じっさい、挑発的とも見えるタイトルに反し、お話の内容はすこぶる堅実。ライトノベルの書き方教室があったら教科書に採用したいくらいのクオリティ。
     中高生のベストセラー作家や天才イラストレーターが次々と出て来る設定にリアリティがないという批判もあるようだけれど、そもそもライトノベルで設定の現実性を問うことじたい意味がない。
     べつに現代文学の潮流に棹さす一作を目指しているわけではなく、あくまで一本のライトノベルとして面白いものを志しているだけなのだから、特に現実的な設定を採用する意味はないだろう。
     いや、ほんと、よく出来た少年読者向けエンターテインメントなのですよ。秀作。
     ――というところで終われれば良いのだけれど、残念ながらもう少し付言せざるを得ない。というのもこのシリーズ、きわめて完成度が高いことは論をまたないことながら、じっさい読んでみると、もうひとつ、ふたつ、物足りない印象が強いのだ。
     これはぼくの個人的な感想に過ぎないから、「めちゃくちゃ面白い!」と感じているひともいるだろうけれど、ぼくは高い完成度のわりにいまひとつ物足りないと思っている。
     間違いなく考え抜かれた作品ではあるんだけれど、何というか、「無難」だよなあ、と。『俺妹』の熱心な読者だったぼくとしてはどうしても『俺妹』と比較してしょんぼりしてしまうのである。
     いや、『エロマンガ先生』、あるいは作品のクオリティとしては『俺妹』よりさらに高いかもしれない。
     『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』は作者としては計算外の要素が入った作品だったはずだ。純粋に構成だけを見れば『俺妹』の展開はわりとめちゃくちゃである。
     行き当たりばったりとはいわないまでも、勢いまかせなところがある。最終的にほとんどの伏線を拾ったことはたしかだが、ネットを見る限り、最終巻は賛否両論の内容だった。
     それに対し、『エロマンガ先生』は十分に計算して作品世界を構築している印象が強い。主人公とメインヒロインが血の繋がらない兄妹であることはあらかじめ示されているし、各キャラクターとも嫌味なく描かれている。
     萌え耐性がない一般読者はともかく、ライトノベルをそこそこ読み慣れている人間なら、この小説を読んでいやな気持ちになるひとは少ないだろう。
     何より、文章がでたらめに読みやすい。いったん物語のなかに入ったら、あっというまにラストまで連れて行かれるようなスピーディーな快感がそこにはある。
     読者にとって読みやすい文章を書くためには作者は恐ろしく苦労しなければならないわけで、伏見つかさが懸命な努力の末にこの作品を組み立てたことをぼくは疑わない。
     しかし――そう、しかし。それでもなお、ぼくはこの小説を読むとき、一抹の物足りなさというか、歯ごたえのなさを感じずにはいられないのである。もう少しで傑作にたどり着けるだけの出来ではあるのだけれど、どうにも「置きに行っている」印象が強いな、と。
     「置きに行く」とはもともと野球用語で、投手がフォアボールを恐れてストライクゾーンにボールを「置きに行っている」かのような配球を行うことを指している。
     そして、それが転じてお笑いなどで無難なネタで勝負することを意味するようにもなった。ここでぼくが「『エロマンガ先生』は置きに行っている」というのは、つまりはこの作品がいかにも無難なネタで勝負しているという意味である。
     そう、『エロマンガ先生』に読んでいてヘイトが溜まるような仕掛けはほとんどない。どこまで行っても、平和で、明朗で、穏やかな笑いが続いていて、晴れた日にひなたぼっこをしているような気分になれる一作なのである。
     作品のどこを切り取っても、文句を付けるようなポイントはないのだ。それはまあ、現実感に乏しいことはたしかだが、先述したようにそこはライトノベルにとって欠点にならない。とはいえ、それでもやはり物足りなさを感じることは事実。どこかに何か足りないものがあるのだ。何だろう?