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記事 3件
  • コミュニケーションのクオリティは「メディア力」で決まる!

    2016-05-06 11:51  
    51pt

     山田ズーニー『あなたの話はなぜ「通じない」のか』読了。ひと言、素晴らしかった。
    「山田ズーニー」という奇妙な筆名に偏見を抱いていたが(まさか本名じゃないだろう)、読んでみれば実に骨太で説得力に富む一冊だった。
     いままでぼくが抱えていて、しかも抱えていることに気づいてすらいなかったいくつもの問題点に対する解答が明快に記されていた。
     コミュニケーションというより、「ひとに自分の意見を伝えること」について悩んでいる人すべてに対する適切なアドバイスである。
     これほどに実りのある本だとは思っていなかったのでさらさらと一読してしまったが、もういちどていねいに読み直さないと、と感じるくらい。
     これほど多くの「発見の感動」があった本は、アドラー心理学について解説した『嫌われる勇気』以来だ。
     本書は、初めから終わりまで実に無駄がない本である。どこにも埋め草めいた個所がなく、ぎゅうぎゅうに中身が詰まっている。
     そのなかでも印象深いのは、本書がただ「主張の内容が論理的であればいい」とはしていないところだ。
     本書によれば、いくらロジカルな主張であっても通じないことがある。
     相手に嫌われていたり、そうでなくても不信感を抱かれている場合だ。
     人間をひとつのメディアだと考えると、「メディア力」が下がっているのである。
     新聞のようなメディアに喩えるとわかりやすい。たとえば同じニュースを伝えるにしても東スポと朝日新聞ではメディアとしての性質が違う。
     どちらが優れているという単純な話ではなく、両者は別ものなのだ。
     それは人間でも同じことだということ。
     このメディアとしての性質、徳望、信頼感などのことを、著者は「メディア力」と呼んでいるわけだ。
     この本が優れているのは、その「メディア力」を築く方法について紙幅が割かれていることだ。
     この本によれば、メディア力を上げることこそが話を通じさせるためのいちばんの基礎である。
     この本では、どうしたら自分という人間への信頼と共感を高めながら、相手にいいたいことを伝えればいいか、そのための技術が記されている。
     そういう意味では、この本は「ディベートのように強い自己主張で相手を言い負かす論法とは決定的に違う」と著者はいう。
     ただ主張を押し通せばそれでいいというものではないのだ。
     主張は通したが、相手には嫌われてしまったでは、本末転倒である。
     それでは、自分のメディア力を上げるために、多少のうそを吐くことは赦されるのか。自分のほんとうにいいたいことはいくらかごまかして、相手に合わせるべきなのだろうか。
     そうではない、と著者は語っている。
     表現は「何をいうか」より「どんな気持ちでいうか」が大切である。
     根っこに愛情があれば、「バカ!」といっても温かい。逆に、根っこに軽蔑をためた人から発せられる言葉は「おりこうさん」といってもバカにしている。
     その人の根っこのところにある想い、あるいは発言の動機、著者はそれを「根本思想」という。
     根本思想は、短い発言でもごまかしようがなくにじみ出て、相手に伝わってしまう。
     ふだん環境に関心がない人が、テクニックを駆使して環境保護を訴えても人の心に響かない。
     そう、ただ技術だけ磨けばいいというものではないのだ。
     逆にいえば、根本思想はそれだけ強いものだから、根本思想と言葉が一致したとき、非常に強く人の心を打つ。
     あくまでも「自分の想いにうそを吐かない」ことが大切なのだ。
     しかし、あくまでも自分の想いにこだわるなら、相手と衝突することは避けられないのではないだろうか?
     そこで、技術である。
     この本には、いかにして相手を不快にさせずに自分の想いを正確に伝えるのか、そのための技術と思想と論理がいっぱいに記されている。
     著者は、通じ合えずに苦しむ人の志は高い、という。
     もし相手を決めつけて切り捨ててしまっているなら、その苦しみもないはずだからだ。
     志が高いからこそ、傷つき、また苦しむのだ。
     それでは、ぼくたちはそんな苦しいコミュニケーションを通じて何を目指しているのだろう? コミュニケーションのゴールとはどこにあるのだろうか?
     ただ阿諛追従を使ってでも相手の賛意を得れればそれでいいのか? そういう人もいるかもしれない。しかし、「志が高い」人間はそうではないはずだ。
     著者はいう。「自分の想いで人と通じ合う、それが私のコミュニケーションのゴールだ」と。
     単なるきれいごとに聞こえるだろうか。しかし、 
  • 面白いブログ記事を書くためにまずやるべきこととは?

    2016-05-04 18:12  
    51pt

     山田ズーニー『あなたの話はなぜ「通じない」のか』を読んでいます。
     なぜこの本を選んだのかといえば、前の記事でも書いた通り、コミュニケーションの技術を学びたかったからです。
     Amazonで「コミュニケーション」でサーチするとこの本が最前列に出てきたのですね。
     しかし、読んでみると、あにはからんや、単に対人コミュニケーションで役立つという次元を超えて、ブログの書き方にも参考になる点多数でした。
     いや、めちゃくちゃ参考になりましたよ。
     まあ、最も広い意味でのコミュニケーションについて書かれた本だから、あたりまえといえばあたりまえの結果なのですが、いかにこの本がコミュニケーションの本質を鋭く突いているかということだと思います。
     それでは、この本のどこがどうブログの執筆に役立つと思うのか?
     まあ、細かい文章の技術などについては書かれていませんし、役に立ちません。文章技術の本ではないのだから当然です。
     そうではなく、文章の構成の仕方そのものについて非常に有益な情報が多かったと思うわけです。
     ぼくはこのブログの記事を書くとき、何かしら「コンセプト」を設定しています。
     あるいは「主張」といったほうが良いかもしれないけれど、まず初めに「この記事は何をいいたい記事なのか?」を考えるのですね。
     それは最終的にタイトルに象徴されることになるわけだけれど(タイトルは最後に考えているのです)、たとえば前の記事だったら「ナンパとコミュニケーションスキルについて書こう」という程度のことは考えてから書き始める。
     ここがあいまいだと、あまり面白い記事が仕上がらない。「ナンパとコミュニケーションスキルについて書こう」もけっこうあいまいだから、前の記事はそこまで面白くないと思います。
     自分でそんなことをいってしまっていいのだろうかという気もしますけれど、まあ、いいでしょ。
     さらにいうと、まったくコンセプトを考えないでいきなり書き始めている記事もあります。
     以前はそういう記事が多かった。たとえば本の紹介なんかは、コンセプトがなくてもそこそこ書けてしまうのです。
     あらすじを書いて、それに対する感想を書いて、あとひとつふたつ雑談を付け加えておけば、それで一応、文字数は埋まる。
     でも、そういう記事は概して面白くない。まあ、なかにはそういう記事もあっていいのかもしれないけれど、ぼくとしては力が入っていない記事なのですね。
     こういうふうに書くと、おそらく読者の皆さまも「ああ、あの記事はそれだな」と思いあたるものがあると思います。そして、おそらくそれはあたっています。
     やっぱり力を抜いた記事は読むほうにしてもわかるものなんですよ。どうしたって内容が薄くなりますから。
     だからぼくは「コンセプトがない記事はダメだ」と思っています。
     ただ、それなら具体的にどうやってコンセプトを設定すればいいか? そして、どのようにしてそのコンセプトからロジカルに文章を展開すればいいか? それがいままで良くわかっていなかった。
     ぼくはいままでそこを「ただなんとなく」やっていた。
     ただなんとなくでできるのだからぼくもそこそこ偉いものだと思うけれど(増長)、やはり手なりで書いているから根本的に実力が足りなかったと思います(反省)。
     そう、十数年間ネットに文章を書いてきて、読みやすい文章を書くための細々とした技術はだいぶ身についたと思うんだけれど、根っこになる構成力がいまひとつなのです。
     うーん、致命的じゃね?
     で、構成力とはつまり論理力なんですね。いかに明晰なロジックに基づいて書くかということが大切。
     そのことはわかっていたんだけれど、それでは、どのようにすれば論理力を鍛えられるかということがわかっていなかった。
     「こういうふうに書けばいい」と解説している本はいくらでもあるのだけれど、そういう本を読めば読むほど反発しちゃうので(笑)、身につかないのですよね。
     しかし、この『あなたの話はなぜ「通じないのか」』を読んで、初めてわかりました。
     文章のコンセプトとは「問い」のことで、そのロジカルな展開とは「いかにして問いに答えていくか」なのだと。
     つまり、ある事実が初めにある。たとえば、前の記事だったら「ナンパ」という「テーマ」が存在している(より正確には、ナンパについて書かれた漫画があって、そこからナンパというテーマをひっぱりだしてきているわけですが、まあ、それはいいとしましょう)。
     その「テーマ」に対し、なんらかの「問い」を設定するのが「コンセプト」なのですね。
     前の記事でいえば、ぼくはなかば無意識的に「どうすればナンパができるくらいコミュニケーションがうまくなるのか?」という「問い」を設定していた。
     それが即ちあの記事のほんとうの「コンセプト」であり、記事全体を端的に象徴するタイトルにもつながっているわけです。
     言葉の正しい使い方として合っているかどうかはともかく、ぼくの理屈としてはそういうことになる。
     ようするに、記事の「コンセプト」を発見するためには、目の前にある「テーマ」に対し、なんらかの「問い」を仕立てればいいということになる。
     これは、ぼくにとっては非常に画期的な発見でした。
     いいえ、 
  • どうすればコミュニケーションの達人になれるのか?

    2016-05-04 14:58  
    51pt

     きょうのエッチな漫画レビューです。
     このコーナー(いつコーナーになったんだろ)は、18禁ではないエッチな漫画を紹介することを目的としています。
     好評なのか不評なのかまったくわかりませんが、最近、ダンボールにひと箱その手の漫画を注文したので(笑)、もうしばらく続けるつもりです。
     いやさ、この手のぬるいエッチ漫画って、何か妙に心癒やされるものがあるんだよね。
     たくさん読んでいると、わりと幸せ。ダメ人間だなー、おれ。
     独身だからこそできることだとも思う。このままシングルで生きていこ。
     さて、きょう取り上げる作品は『クロスエッチ』。ナンパネタの漫画です。
     初めて愛した女性から「100人とセックスして、それでもわたしのことを好きだったら交際してもいい」といわれた主人公が、ストリートに出てナンパ師として成長していくさまを描いています。
     が、正直、あまり面白くない。もうちょっとナンパのテクニックとか詳細に描いていたら読む価値があるかもしれないけれど、この手の漫画の常であっけなく成功してしまうので、読みごたえがないのですね。
     まあ、エッチ漫画なんだから成功しないと困るのかもしれないけれど、物語としては盛り上がりを欠く。絵もあまりうまくない感じ。
     ただ、ぼくはナンパという趣味(?)そのものには興味がある。
     正確には、ナンパには興味がないけれど、コミュニケーション一般にはある。
     ぼくもコミュニケーションスキルがあるほうじゃないから、どうすれば人とうまくやり取りできるか? 知りたいと思うのですね。
     特に初対面の他者に対しどういうふうに対応すればいいのかということには大いに関心があります。
     初対面の人に逢うとき、事前に相手が情報を仕入れているのでなければ、好感度プラスマイナスゼロからゲームはスタートするはずです。
     そこからどうやって好感度を高めていくか? いい換えるなら「自分というメディア」の信頼度を上げていくか? そういうテーマについてはしょちゅう考えます。
     自分の苦手分野だからこそ、なんとかしたいと思うのですね。
     まず、簡単に改善できるのは、いわゆる「第一印象(ファーストインプレッション)」でしょう。
     よく「清潔感のある恰好」をせよ、といわれますが、まあまったくの正論で、真新しい服装に靴、まともな髪型であれば、容姿は普通であってもそこそこ好印象を与えられるものです。
     じっさい、髪型の第一印象に占める割合って大きい。で、ちょっと高い理髪店で髪を切ってもらえば、やっぱりそこそこかっこいい髪形になるものなんだよね。
     まあ、ぼくはいま全身性円形脱毛症でハゲとしての人生を送っているので、どうしようもないけれど……。治療に2年くらいかかるらしい。しくしく。
     とにかく、あまり気合いを入れておしゃれをしなくても、そこそこお金をかけた、くたくたになっていない、清潔感のある恰好をすることが大切なのでしょう。
     顔を洗うとか歯を磨くとかは当然として、とりあえずそこを押さえておけば、第一印象は悪くないものにできるはず。相手が同性であれ異性であれね。
     問題は、