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記事 7件
  • もしサノスの主張が「正義」なら、そのとき、アベンジャーズはどうしたのか?

    2019-06-14 15:57  
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     先日、見に行った映画『プロメア』のことを考えています。この映画、『天元突破グレンラガン』のスタッフによって制作されているのですが、ある意味、『グレンラガン』から「一歩も先に進んでいない」といえるところがあって、そこら辺が賛否両論を生んでいるようです。
     具体的にどういうことかというと、この作品の悪役(ヴィラン)であり、「ラスボス」であるところのクレイ・フォーサイトの主張(「悪の理論」)に対し、主人公たちの主張(「正義の理論」)が弱いのではないか、という話があるのですね。
     作中、クレイは滅亡に瀕した人類を救うためという理由で自分が選んだわずかな人たちとともに地球を脱出しようとするのですが、そのために新人類バーニッシュを犠牲にします。これは、ある意味でわかりやすい「悪」ではあるといえるでしょう。
     ですが、もしもクレイがほんとうに正義からこのやり方を選んでいたとしたら? そして、また、このクレイのやり方以外に人類を救う方法がないとしたら? そのとき、主人公たちはクレイを純粋な「悪」として告発することができるでしょうか?
     実際には、クレイには私心から行動しているという瑕疵があり、また人類が滅亡に瀕しているという問題には未発見の解決策がある。だから、クレイを「悪」として告発することには意味がある。
     しかし、もしクレイにそのようなエゴがなく、また、解決策が存在しなかったらどうでしょうか? そのとき、クレイを告発する理由は存在しなくなってしまうでしょう。これがつまり、『物語の物語』のなかでぼくたちが延々と話している「天使」の問題です。
     「天使」とはつまり、「倫理的に隙のない絶対善としてのラスボス」のことなのです。
     倫理的に隙のないラスボスを正義の名のもとに告発することはできません。クレイのように私心(エゴイズム)から行動していたり、あるいは人類と世界を救う方法が他になる場合は、ある意味で主人公にとって都合が良いといえるでしょう。
     そのときは彼の「悪の理論」を高らかに論破し、「おまえのいうことは間違えている!」と叫んで殴り飛ばしてしまえばいい。それで主人公は正義のヒーローとしての立場を守ることができます。
     問題なのは、ラスボスが語る悪の行動を正当化する理論がほんとうに正当だった場合です。たとえば、ほんとうにバーニッシュを利用すること以外に人類を救う方法がないとしたら? そのとき、ヒーローは倫理的な窮地に追い込まれることになるでしょう。
     いくら「おまえは間違えている!」と叫んでみても、説得力がないことはなはだしい。あるいは「正義」はほんとうに相手にあるかもしれないのですから。
     実は同じことが『アベンジャーズ/エンドゲーム』に対してもいえます。『エンドゲーム』のラスボスであるサノスは、宇宙の人口問題を解決するため、宇宙全体の人口を半分にしてしまうという目的を持って行動しています。
     その際にアベンジャーズと対立するわけですが、はたしてかれの行動はほんとうに間違えているといえるのでしょうか? 作中では、その問題はあいまいに処理されてしまった感があります。
     もちろん、作中ではサノスの主張の根拠はあいまいで、また、サノスはエゴを払拭しきれていない。そして、最後の最後では「わかりやすい悪役」に堕ちてしまう。
     つまり、サノスは「天使=倫理的に隙のないラスボス」ではなく「ヴィラン=倫理的に隙のあるラスボス」であるに過ぎなかったことになる。だからこそ、キャプテン・アメリカやアイアンマンの「正義」は相対的に保証されることにもなる。
     ですが、もしサノスに一切のエゴイズムがなく、またサノスの計画以外に問題を解決する方策がないとしたら? そのとき、やはり「天使」の問題が浮上することになってしまうでしょう。つまり、アベンジャーズはサノスに対する相対的な正義を主張することができなくなってしまうわけです。
     『エンドゲーム』は『プロメア』と同じく、サノスを「ヴィラン」の次元に留めることによって、この問題をごまかし、回避したように思えます。
     ですが、べつだん、それによってサノスの掲げた問題が解決したわけではありません。もしかしたら、サノスによって救われた人もいたかもしれないし、サノスのやり方のほうが正しかったかもしれないのです。ぼくはやはりそこに物足りなさを感じてしまう。
     ただ、『エンドゲーム』の圧倒的な好評を見る限り、そのような問題について真剣に考える人は少ないのかもしれません。そこにどのようなごまかしがあるとしても、大半の人は「天使」以前の物語、主観的な「正義」が主観的な「悪」を暴力で倒しておしまいという物語で満足なのかも。
     しかし、ほんとうにそうなのでしょうか? そういう意味では、これから先の『アベンジャーズ』と、ハリウッド映画の展開が楽しみです。はたしてハリウッドに「天使」は降臨するのか? 皆さんもお楽しみになさってください。
     では。 
  • マーベルとDC。アメコミ映画のふたつの「ユニバース」を解説する。

    2017-11-25 07:00  
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     ああ、『ジャスティスリーグ』が公開されたので見に行かなければ。『アベンジャーズ インフィニティ・ウォー』は来年公開だっけ? あれも見に行かないとなあ。来年は『スター・ウォーズ』の続編もあるはずだし、また忙しくなりますね。
     一応、マーベル系の映画はひと通り見たのですが、その後また新作がぞろぞろ出ているので、『アベンジャーズ』の新作の前にそれも見ておかないといけないんだよね。
     ほんとうはドラマとかも追いかけておくと良いのかもしれないけれど、さすがにそこまで付き合っていられない。
     DC系の映画は、まあ『ジャスティスリーグ』は見るにしても、『ワンダーウーマン』を除くとそこまで評価が高くないのでまあ、いちいちチェックしておかなくてもいいだろう。結局、クリストファー・ノーランのバットマン三部作が異様にいい映画だったということだよなあ。
     以上、アメコミについて知らない人にとっては何が何だかわか
  • さらにさらにマーベル映画を見たよ。

    2016-05-16 22:49  
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     「1週間耐久コンテンツ消費計画」、早くも5日目です。どうも予定通り進んでいませんねー。
     やっぱり初日に作品を集中しすぎてその後に疲労が溜まったことが痛い。
     あまりに休みなく根を詰めてコンテンツを消化しようとすると逆効果だというあたりまえといえばあたりまえの教訓が得られました。
     また、コンテンツ消化に時間を取られて記事を書いている時間がありません。
     まあ、それでも〈マーベル・シネマティック・ユニバース〉くらいは制覇したいと思います。そこで続けて見たぜ。
     シリーズ5本目は『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』。シリーズのなかでも最高傑作との呼び声も高い作品です。じっさい見てみると、噂に聞いた通り傑作でした。終わり。
     シリーズ6本目は『アイアンマン3』で、シリーズ7本目は『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』。さすがにここまで来ると登場人物に親しみが沸きますね。終わ
  • とりあえずまず『アイアンマン』を見たよ。

    2016-05-12 22:40  
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     〈マーベル・シネマティック・ユニバース〉の嚆矢となる作品『アイアンマン』を見ました。
     この作品公開の時点ではまだ映画『アベンジャーズ』の構想は示されていなかったわけですが、エンディングロールの後で秘密組織S.H.I.E.L.D.の長官ニック・フューリーが登場し、アベンジャーズ結成を匂わせます。
     この映画で最強のパワードスーツをまとったスーパーヒーロー「アイアンマン」ことトニー・スタークを演じるのは演技派ロバート・ダウニー・ジュニア。
     天才で、大富豪で、皮肉屋で、女たらしで、大企業を継いだ二代目という、一般的なヒーローのイメージからは程遠いむずかしい役を見事にこなしています。
     このトニーはどうにも鼻持ちならない性格のもち主で、いっそかれを排除しようとしたラスボスの気持ちがわかるくらいなのですが(笑)、ダウニー・ジュニアの名演のおかげでそこまで嫌味はありません。
     これがほかの役者がやっていたら耐えがたいキャラクターだったかもしれませんが……。
     トニーは巨大軍事企業スターク・インダストリーの二代目社長という設定なのですが、あるとき、誘拐された現場で自分の企業の商品が横流しされて人を殺しているところを目撃したために兵器開発がいやになり、兵器ビジネスから手を引くことを決心します。
     しかし、それは事件の裏で糸をひく黒幕にとってはまずいことで――と展開は進みます。
     この黒幕、あまりにも怪しいため、出てきた瞬間に「あ、こいつが黒幕なんだな」とわかるんですけれど(笑)、そういう軽薄なところも含めてなかなか楽しい映画。
     『ダークナイト』みたいな深刻なまでのテーマの奥深さはあまりなく、トニー・スタークがあっさり兵器開発から手をひいてしまうことも、「ほんとうにそれで正しいのか?」と思わせられるものの、なんといってもトニーのキャラが立っているため、一作のエンターテインメントとして楽しく見れることは間違いない。
     トニーが「アイアンマン」を開発し、その力で正義を実行しようとする行動を『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』のジョン・ファヴロー監督はユーモアたっぷりに描いていきます。
     全編、くすくす笑えるシーン多数。正直、ヒーロー映画というよりコメディ映画としてのほうが見ごたえがあるかも。このテンポのよい演出は才能だよなあ。
     自社による兵器開発をやめて個人用の兵器を作り、ヒーローになろうとするという行動はどう考えても矛盾を孕んでいて、そこらへんを深堀りすれば素晴らしい傑作になったかもしれないとも思うのですが、この映画の役割はそこにはないということなのでしょう。
     何しろ、このあと『アベンジャーズ』へ続いていかなければならないのだから、あまりシリアスなテーマを持ち出されても困るというのもほんとうなのかもしれません。
     そういう観点から見ると、実によくできた映画ですね。スーパー傑作というわけではないにしろ、見ておいて損はない作品といえるかと。
     まあ、この映画を見なくても『アベンジャーズ』を理解するために苦労はしませんが、トニー・スタークの軽薄なキャラをわかっておくとこの先がわかりやすくなるとは思います。
     決して大のオススメというわけではありませんが、〈マーベル・シネマティック・ユニバース〉を続けて見てみるつもりの人はチェックしておくべき作品なのかもしれません。
     でも、〈マーベル・シネマティック・ユニバース〉ってこの先も9作が予定されていて、つまり最低でも22作は公開されることが決まっているのですよね。
     へたすると30作とか40作とか続いていく可能性もなくはない。それを全部追いかけていくのは大変でしょうね。
     あと、 
  • 1週間でどれだけ小説・映画・漫画・アニメ・ドラマを消化できるか、やってみよう!

    2016-05-12 18:50  
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     はー。暇だわー。退屈だわー。やることないわー。からだがなまるわー。などと、ダメっぽさ満載のひとり言を呟きつつだらだら仕事をしている最近の海燕さんですが、これではいかん! ニートにも程がある! ということで、ちょっと頑張ろうと思い立ちしました。
     ぼくの場合、頑張るとなるとこのブログを更新することなのだけれど、ただやみくもに数だけ更新しても意味がない(いまでも十分数は多いし)。
     それよりむしろたまっているコンテンツの消化に力を注ぐべきなのでは? 見ていない映画とか読んでいない小説とか山のようにあるでしょ? あれとかこれとかそれとか。と気づいたので、ちょっと集中してコンテンツの消化に力を入れてみようと思います。
     時間を区切らないとすぐに飽きることが予想されるので、とりあえずこれから1週間、つまりいまから18日(水)まで頑張って色々消化してみようと思います。
     普段、「いや、いくら時間があっても映画ばかり見るとか無理だよねー」などといっているわけですが、ひょっとしたらやればできるかもしれない。
     とにかく一回やってみるべきでしょう。そうしたら何か新しい発見があるかもしれないし。
     まあ、すぐにあきらめてしまう可能性もあるけれど、その時はその時。そこが限界だったということがわかるだけでもバリューはある。
     そういうわけで、ここから1週間でどれだけ小説・漫画・映画・アニメ・ドラマを消化できるか、やってみようと思います。
     とりあえず、ノルマを設けましょう。
     「1週間以内に〈マーベル・シネマティック・ユニバース〉の全作品を見ること」。
     〈マーベル・シネマティック・ユニバース〉とは、 
  • もっとSF映画を見たい。

    2015-12-18 23:16  
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     ども。
     世間は『スター・ウォーズ』上映で大騒ぎになっているようですが、ぼくはそこまで関心がないので家で漫画を読んでいます。
     『スター・ウォーズ』が色々と凄いのはたしかなのでしょうが、何しろぼくはリアルタイムで体験していないのでどうも実感がありません。
     むしろ、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』あたりのほうが「すげー」という印象がありますね。
     そのあとのSFX系映画に関してはあまり知見がなく、「きっとすごい映像になっているんだろうな」と予想している程度。
     最近のそれ系映画で見ているものといえば、『アベンジャーズ』と『パシフィック・リム』くらい。
     どちらも友人の家で観ました。ひとりだったら観なかったかも。
     この手の映画に興味がないかといえばそんなこともなく、基本的にヒーローの物語は大好きなのだけれど、どちらを優先するかとなると人間ドラマのほうを重視して映画をセレクトしているため、結果としてはSFX系の映画から遠ざかることになってしまっているのでした。
     ちなみに、『ハリー・ポッター』も見ていません。
     『ロード・オブ・ザ・リング』は全部見ましたが、それも10年以上前のことですよね……。
     うーん、気づいたらほんとうにこの手の映画から遠ざかっているな。
     その理由のひとつに、ものすごい特殊効果を見てもあまり素直に「すげー」と思えなくなったということがあって、まあ、ようするに慣れて食傷気味になってしまっていたのですね。
     でも、それからもう十数年とか経っているわけだから、現代のコンピューター・グラフィックスなどには普通に感動したりするかも。
     『スター・ウォーズ』も見に行ってみるか……。
     しかし 
  • 物語論。奈須きのこの世界は「拡散」する一方で「前進」しない。

    2015-07-20 07:30  
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     昨夜、LINEで話したことがちょっと面白かったのでメモしておこう。
     最近、『アベンジャーズ』とか『バットマンVSスーパーマン』とか、本来、独立しているヒーローの映画を組み合わせた映画作品が次々と発表されて話題をさらっている。
     映画史的にはそれなりに画期的な事態だと思うのだが、この種のクロスオーヴァーは、アメコミの歴史のなかではくり返し行われてきたことであるらしい。
     というのも、本来、「なんでもあり」のアメコミでは、バットマンやスパイダーマン、ウルヴァリンといったキャラクターだけを活用してさまざまな実験的な作品が描かれてきたからだ。
     それもこれも作家ではなく出版社が著作権を有しているからではあるのだが、あるキャラクターが何度も死んだり、そのたびに生き返ったり、いろいろなキャラクター同士がくっついたり離れたりすることはかなり常識的に行われているのだとか。
     日本人の目から見るとかなり奇妙にも思える話ではあるが、あらゆる物語の根源である神話や民話に近いと考えると、こちらのほうが正統な物語の系譜であるといえるかもしれない。
     一方、より作家的/近代的な作品が多いと思われる日本ではそういうオールスターキャスト的作例は少ないと思われる(ないことはない)。
     『ガンダム』とか『仮面ライダー』あたりは比較的近いだろうか。
     もっとも、『ガンダム』でさえひとつの宇宙を共有しているというわけではない。
     その一方で「ある作家が描いた複数の作品がひとつのバックグラウンドを共有する」という真逆の現象はよく起こる。
     それはたとえば永井豪の作品がそうなったように、独立して描かれた複数の作品が最終的にはひとつの物語世界へ流れ込んでいく、という形を取ることもあるし、奈須きのこの作品がそうであるように、初めからひとつのバックグラウンド世界を想定して書かれることもある。
     『エヴァ』とか『ジョジョ』とか『ファイブスター物語』などを見て行くと、まったく異なる作品を作り出そうとしても最終的には同じものに仕上がってしまう作家がいることもわかる。
     その作家が自分の内面世界を象徴的に描き出しているだけなのだと考えるなら、それは当然のことであるのだろう。
     『エヴァ』にしても、新劇場版のシリーズは「まったく新しいものを作ろうとしても『エヴァ』になってしまう」というところから「それなら『エヴァ』にしよう」ということになったらしいし……。
     とにかく、このように、それぞれ独立した物語であるように見えていた物語がひとつの物語世界の出来事として語られることは洋の東西をまたいで少なくない。
     もっというなら、その際、「公式」か「非公式」か、一次創作か、二次創作か、という話は原理的にはあまり意味がない。
     重要なのは、一度発表された魅力的な物語は、その瞬間から「拡散」しはじめるということである。
     たとえば、コナン・ドイルのシャーロック・ホームズものは発表以来、数知れない「パスティーシュ(贋作小説)」を生み出している。
     その数、数万ともいわれるパスティーシュは出来も内容もさまざまだが、シャーロック・ホームズないし類似の人物が登場していることだけは共通している。
     これをすべてひとつの世界のパラレルワールドの出来事として考えると、ちょっと面白い。
     というか、こういう「同じキャラクターが登場するが内容的に矛盾する複数の物語」を合理的に整理しようとすると、必然的に「平行世界(パラレルワールド)」を持ちださざるを得なくなるということだろう。
     逆にいえば、その設定さえ持ち出してしまえばどんな異質な物語であろうと、異なる世界線の出来事として整理してしまえるということでもある。
     先述した奈須きのこの作品世界は、それぞれの作品がパラレルワールドの関係にあり、しかもひとつの作品内でもパラレルな複数の物語が展開しているという非常に複雑な構造になっている。
     そこに『Fate/Zero』を初めとする「外典」がいくつも加わるわけで、もう何がなんだか、という状況ではある。
     だから、たとえば『Fate』なり『月姫』の番外編的新作が作られても、それは必ずしも『Fate』や『月姫』の物語が先へ進んだことにはならないわけだ。
     それぞれ「Fate」とか「Unlimited Blade Works」と名付けられた物語はあくまですでに完結しており、それはもう変わることはないということなのだろう。
     ここまで書いてきて、それでは、一本の連続した物語とはどう定義すればいいのだろう、ということが頭に浮かんだ。