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記事 4件
  • 児童ポルノ所持で書類送検の『るろうに剣心』作者に人間の複雑な深淵を見る。

    2017-11-22 12:41  
    51pt
     映画化もされた(そしてヒットした)『るろうに剣心』で有名な和月先生が児童ポルノの所持で書類送検されたという話がいま話題になっています。
     ちょっとこれはかばいようがないというか、法的にも倫理的にもアウトっぽいので、べつに弁護するつもりはありませんが、『るろ剣』の北海道編が始まったばかりというタイミングは最悪で、関係者には同情せざるを得ません。
     図らずして自分の性癖がアウティングされてしまった和月さん自身も(自業自得といえばそうかもしれないとはいえ)、ちょっと可哀想。
     まあ、被害者の児童ポルノに出演させられた女の子たちがいちばん可哀想といえばもちろんそうなのですが。こういうものを買ったりするとやっぱり捕まるんだなあ、といまさらながらに思いますね。
     ぼくは一時期、美少女偏愛映画に凝っていたことがあって(いろいろなものに凝る人なのだ)、ルイ・マル監督の『プリティ・ベビー』を観たりしていま
  • 6月、半ばを過ぎて。

    2017-06-16 21:33  
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     六月は書く、といってから早くも半月が過ぎ去った。これはいけない。さすがいいかげんに本当に書かなくてはいけないと考えて、いま、この記事を記している。
     さて、この半月、特に遊んでいたわけでもなく、実は、珍しく仕事に励んだりしていた。その詳細は書けないが、とにかく、ぼくが仕事に集中していること自体、めったにないことである。
     しかし、一旦、仕事に時間を取られると、これが実際、相当に忙しく、本も読めない。ゲームもできない。それでもまだなかなか終わらないのだから、なるほど、世間の人々はこうも忙しなく暮らしていたのか、といまさらに思い至った程である。
     むろん、仕事が忙しいなどとは、言い訳にもならない。が、ともかく時間が取れないことは真実で、書くことに倦んだわけではない。
     それでも、活字中毒のことで、やはり本は読みたい。そこで、石川淳の短編「紫苑物語」や『新尺雨月物語』を読み返してみた。
     いず
  • ここを気を付ければ確実に文章はうまくなるよ、というポイントのこと。

    2017-02-15 21:21  
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     このところ、ぼくは「小説家になろう」で下手な小説を発表して喜んでいるわけなのですが、そこで気になるのはやはりどういう文体で書いたら良いのかということです。きょうはその文章の話を書きたいと思います。
     ぼくは普段、やたらめったら文章技巧のことを考えている人なのですが、それでも生来の才能に恵まれなかったせいか、そこまで文章が上手くはありません。
     そもそもこういうものはどうしようもなくセンスが左右するところがあって、生まれつき素質に恵まれていない人は一定の限界を突破できないというのもほんとうのところなのかもしれません。
     とはいえ、実はその「一定の限界」はかなり高いところにあって、凡人でも修練すればかなりのレベルに達することができることも事実です。
     しかし、文章がうまくなる努力ってどうやるの?と疑問に思われる人もいるでしょう。というか、大半の人はそこで途方に暮れると思います。
     ぼくもそう
  • 論理的な文章を書きたい!

    2016-05-05 02:21  
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     ふう。さすがに1日10000文字前後も書いていると疲れますね。
     この記事は深夜の1時半から2時にかけて書いているのですが、一度風呂に入っているにもかかわらず、かなり疲労がたまっています。
     どうも1日10000文字というペースはオーバーペースのようです。
     いつもいっているように、ただ書くだけならどれだけ書いても大して疲れません。面白い記事を書けるよう集中するから疲れるのです。
     ただ書くだけなら「手」だけで書けるけれど、集中して書くには「頭」を使わないといけない。そういうふうに説明したらぼくの感覚をわかってもらえるでしょうか。
     だから「ただの10000文字」ならさほど疲れないと思うのだけれど、「集中しての10000文字」だとけっこうな負担になるようです。
     特に今回は3日で30000文字前後書いているわけだから、それなりに疲労してあたりまえということもできるでしょう。1週間もあれば薄い文庫本の1冊もできてしまうペースですからね。
     でも、ぼくはできれば毎日、少なくとも特別に出かけたりする以外はこれくらいの分量を書いていきたいのです。
     ということは、3日で疲れ果てるようでは困るということになります。どうすればいいのでしょうか。
     ひとつ考えられることは、なるべく疲れないように書くべきであるということです。
     いま、7割から8割くらいの力を使っているところを、5割でいいようになれば、あまり疲れなくなるでしょう。
     これは「手を抜く」ということではなく、長期過程を見越して、少ない労力で同じだけのパフォーマンスを発揮できるよう訓練するという意味です。
     そんなことが可能なのかと思う人もいるかもしれません。
     ぼくもじっさいにはやったことがないのではっきりしたことはいえません。
     しかし、理屈の上ではそう無理でもないのではないか、とも思うのです。
     おそらくいまのぼくには無駄に力が入っているポイントがあるはずで、そこで脱力することを覚えれば、もう少し疲れずに書くことができるのではないかと。苦手なんですけれどね、脱力……。
     あとは、記事を書く際の思考過程を整理して、よりシンプルに書くことを覚えれば、無駄に頭を回転させる必要もなくなるかもしれません。
     ぼくのような先天的に頭がよくない人間は(しくしく)、どうすればより聡明な人と対等のレベルで思考できるかを考えなければなりません。
     そのために必要なのが「無駄な思考過程をショートカットする」という作業だと思います。
     たとえば、ある映画について書くとする。その際、どのようにロジックを展開するべきなのか、ある程度事前に知っておくということは有効に思えます。
     ぼくは普段、まったく論理展開を考えず心の赴くままに書いているのですが、それでは説得力のある文章を書くことはむずかしいでしょう。
     ただ、毎回、一から自分で考えるのも労力がかかりすぎる。
     だから、「どのように問い(コンセプト)について答え(ロジック)を考えればいいのか」について事前に学んでおくことが大切だと思うわけです。
     これはあらかじめ構成力(論理力)をつけておくということと同義です。
     ただし、ぼくの場合は、いちいち構成を文章にして書きだしたりすることなく、瞬時にして構想できるようでなければならない。
     そうでないと時間も足りなくなるし、労力もかかりすぎる。
     つまり、あるテーマを決定して、それに対するコンセプトも決めたときに、同時にそれを語るためのロジックも思い浮かぶくらいに自分を訓練していかなければならないということ。
     幸いというか、文章的な意味でのロジックのパターンは限られていますから、それを勉強しさえすればぼくにも論理的な文章が書けるようになるはずです――たぶん、きっと、おそらくは。
     ただ、