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記事 1件
  • リアルタイムで黒歴史を作ってみるテスト。

    2014-04-25 23:21  
    50pt
     どもっす。趣味で短編小説など書いてみました。死蔵するのもどうかと思うので、ブロマガで後悔、じゃなかった公開してみます。お金をもらっている場で趣味で書いたものを発表していいのだろうかと思わないこともないけれど、まあいいでしょう。
     ちょっとびっくりするくらい小説を書く才能がないことが一部で知られている海燕さんなのですが、下手の横好きというべきか、書くのは楽しいですねー。
     この話は、一応、これで完結してはいますが、作中の某人物(読めばわかると思う)のことが気になって仕方ないので、彼女を主役にした話をもう一作書きたいところです。その話を読みたいのは地球上でぼくひとりだけかもしれませんが――。
     まあ、暇で暇で仕方ないという方だけ読んでみてください。ぼくは暇で暇で仕方ないので、くり返し読み返しては推敲してます(笑)。楽しいです。文章は書くより書き直すほうが楽しい。ちなみにこの記事はメール配信されません。では。
    「初恋の瑕」
     チノパンのサイドポケットでスマートフォンが小刻みに震えた。一度。そして二度。それだけでふたたび沈黙する。つまり電話の着信ではない。おそらくメッセージアプリの通達だ。新藤夏木はそう判断し、その機械を取り出して画面を覗き込んだ。予想通り、そこには2行のメッセージが表示されていた。
    (ごめん。10分だけ遅れる。)
     そして、
    (いつもより可愛い格好していくから、驚くなよ☆)
     夏木はひとり目を眇めため息を吐いた。
     何が「驚くなよ☆」だ。10分遅刻する自覚があるということは、2、30分は確実に遅れてくるだろう。五十嵐佳苗はそういう女の子だ。17歳にもなって、あたりまえの約束が守れない。まあ、きょうはあらかじめ連絡を入れただけ良いほうだろう。何度も口を酸っぱくしていい聞かせた甲斐があった。
     それにしても、初めてのクリスマスデートにまで遅れてくるとは、夏木には信じがたい神経だった。まだ高校生だから、時間を守ることの大切さがわかっていないのかもしれない。それとも、夏木なら怒らないと侮っているのか。
     十分に考えられる可能性だ。付き合ってから9ヶ月、夏木は4歳年下の恋人相手に怒ったことがない。ほんのちょっと声を荒らげたことすら皆無。それで甘く見られているのかもしれない。じっさい、怒ってもいいことは何度もあったのだが、佳苗にはふしぎな愛嬌があって、どうにも怒鳴ったりする気にはなれなかった。彼女がいたずらを叱られた猫みたいにしゅんと首をすくめて申し訳なさそうにしていると、ひとつため息を吐いて赦してしまう。そういうところは、ほんとうに甘い恋人なのかもしれなかった。
     ともかく、2、30分だけ時間が空いた。この中途半端な間をどうやって過ごそう。
     夏木はそう考えながら冬の繁華街を眺めわたした。聖なる12月25日、街には甘ったるいラブソングが流れ、そこら中に恋人同士と思しい男女が腕を組みながら歩いている。べつに羨ましがる理由はないはずだが、何となく疲れたような気分になった。人類の贖罪のため十字架の上で死んだという救世主は、いまのこの国のありさまを見たら何というだろう。やはり自分もしっかり時間を守れる女の子を選ぶべきだっただろうか――。埒もない考えが浮かんで来て、ハッとして首を振った。いくら時間にルーズでも、佳苗は可愛い恋人だった。ほかの子と付き合うことなど考えられない。
     仕方ない、近くの喫茶店にでも入って待つか。そう考え、頭のなかでマップをひろげたそのときだった。夏木は思い切り頭を殴られたような衝撃を感じた。目の前で、ひとりの若い女性が街灯にもたれかかり俯いていたのだ。
     知っている顔だった。いや、知っているどころではない。一時期は、頭に思い浮かべない日はなかった女性だ。そのひとは、ベージュのマフラーになかば顔を埋め、ひとり、暗い視線で歩道をじっと見つめていた。長いまつげの下の大きな目はいまにも泣き出しそうに見え、身じろぎもせずその場に立ち尽くすその姿はひどく寂しそうな気配を漂わせていた。「孤独な美女」というタイトルの彫像のよう。道行くひとたちも、何となく惹き寄せられて、横目に眺めては、あわてて視線を逸らしていた。
     夏木は目を逸らすことはできなかった。かれの視線はまるで引力にひかれるようにそのひとに吸い寄せられた。唇がかってに動いて彼女の名前を呟く。
    「葉子先輩」
     その声は彼女にまで届いたようだった。そのひと――夏木にとって高校の1歳年上の先輩だった三上葉子は、ちいさく震えるようにして視線を上げた。互いの目を正面から覗きあう格好になる。葉子の目には、思わぬ再会への驚きと、何かそれ以上の感情が揺らめいているように見えた。そして、その右目にきれいな涙のしずくが緩やかに盛り上がったかと思うと、すうっとひと筋、こぼれ、なめらかな頬を伝わり落ちて路面で砕けた。
    「夏木くん――?」
     掠れた声でそうささやく。
     夏木は心臓をかな梃子かなにかで締め付けられる思いがした。かつて、この地上のだれより大切に想っていたひとが、ひとり、寂しげに涙している。そのようすは衝撃的で、かれは、いまの状況も忘れて衝動的に駆け寄っていた。
    「先輩! こんなところで何をしているんですか?」
     彼女は慌てたように手を振った。
    「わたしは、その――買い物帰りよ。夏木くんこそ、どうしたの?」
    「えっと、おれもその、ちょっと待ちぼうけで」
    「そう」
     葉子は夏木の格好を眺め、そっと目を細めてほほ笑んだ。
    「クリスマスだものね。彼女と待ち合わせ?」
    「え、ええ」
     夏木は力なく視線を逸らした。
     いまから佳苗と時間を過ごす予定であることが、なぜか少しだけ後ろめたかった。そんなふうに感じるべき理由など、何もないはずなのに。もう、葉子は夏木の恋人ではないのだから。そう、彼女が夏木のものだったのは、もう3年も前のことなのだ。何もかも遠い昔。いまはもう、夏木には佳苗がいるし、葉子にも、きっとだれか大切なひとがいるのだろう。そうに違いない。しかし――。
    「葉子先輩」
    「うん?」
    「どうして泣いていたのか、訊いていいですか」
     気づくと、夏木はそう訊ねていた。ただでさえつぶらな葉子の瞳が、さらに大きくひらく。この目が、照れくさそうに、しかしまっすぐに自分を見つめてくれたこともあった。夏木はふしぎにやるせない胸の痛みを感じながら、そう思いだしていた。そう、あれはかれがいまより若く、いまよりもっと何も知らなかった季節のことだ――。
     □■□■□
    「葉子先輩!」
     ひと通りがない広い廊下でそう呼びかけると、そのひとは驚いたように振り返った。制服のスカートが、風を孕んでふわりとひろがる。その野暮ったいロングスカートですら、彼女がまとえばとたんに可憐に見えてくるのはなぜだろう。恋の力なのか、それともだれの目にもそういうふうに見えるものなのか。
     後者に違いない、と夏木は確信していた。なぜなら、鞄を胸に抱えたまま、ちょっと怒ったように眉根を寄せて夏木のほうに歩み寄ってくる葉子は、ほとんど眩しいくらい可愛かったからだ。この愛らしさが自分にしか感じられない幻だとは、とても信じられない。
    「もう、夏木くん、学校では、三上先輩って呼ぶ約束でしょう」
    「先輩こそ、学校では新藤くんって呼ぶんじゃなかったんですか」
     幽かに顔をしかめたまま注意してきた葉子に向かい、そういい返すと、彼女はむっとしたように唇を結んだ。その表情がまた、いますぐ抱き締めたいくらい可愛い。もちろん、ひと前でそんな真似をしたりしないし、それどころかいままで一度もそのほっそりした体を抱いたことなどないのだが、空想のなかでは、すでに何度も彼女を抱き締めていた。もちろん、ただそっと優しく抱きしめるだけだ。それ以上のことはまだ考えられない。
     何となく入部した文芸部の部長である彼女に恋して玉砕覚悟で告白し、奇跡のように良い返事を得てから3ヶ月、ふたりの関係は、何度か映画館や美術展へデートしたことのほかには、一向に進展の気配がない。しかし、夏木はそれでも十分にしあわせだった。
     すらりとした長身で、ととのった目鼻立ちで、しかももの静かな佇まいの葉子を狙っている男は少なくなかった。おそらく、誘いをかけたり告白したりした者もほかにもいるだろう。そのなかで、なぜ、自分だけが選ばれたのか夏木にはわからない。ほかの男と比べてとくべつ運動に秀でているわけでもないし、成績優秀でも、眉目秀麗でもない。どう考えても、何かの奇跡としか思えなかった。
     この3ヶ月間は夏木にとって人生の春だった。初めの頃は緊張でろくに口を利くことすらままならなかったし、あるとき、勇気を出して彼女のほっそりした指に自分の指さきを絡めたときなど、ふれた箇所から電流が流れ込んで来るように感じられたものだ。いまでも、ふたりきりになると口がうまく回らない気がする。しかし、何とか自分から積極的に声をかけることはできるようになった。それだけでも長足の進歩に思える。
    「先輩、きょう、6限で終わりですよね。いまから帰るなら、いっしょに帰りませんか」
    「そうね」
     葉子は煮え切らない返事をした。何となく次の言葉をためらっているようすで、じっと夏木の顔を見つめる。たそがれ時の日差しを受け、左右でわずかに大きさが違うまぶたのなかで、きれいに磨かれた黒い真珠めいた目が幾度かくるめいた。
    「何ですか? おれの顔に何か付いています?」
     夏木は照れかくしの微笑を浮かべ、首を傾げた。葉子はその笑いに同調することなく、柔らかそうな頬を薄く紅潮させてうつむいた。
    「そうじゃないの。あのね、夏木くん」
    「はい」
    「そのね、つまり――そう、きょう、両親が留守にしているの。遊びに来ない?」
     夏木の胸郭の奥で心臓がひとつタップした。少なくともかれにはそういうふうに感じられた。夏木は反射的に生唾を飲み込むと、目を驚愕に大きく見ひらいた。
    「それって――」
    「いや?」
     葉子は気恥ずかしそうに、かるく掠れた声でささやいた。夏木はものすごい勢いで首をふった。かれがどんなに間抜けだったとしも、この機会を逃してはならないことはわかっただろう。そして、かれはそこまで間が抜けてはいなかった。
    「そう、ありがとう」
     葉子はさらに何か言葉を重ねようとしたが、彼女の背後からかかってきた声が阻んだ。
    「おい、葉子。行こう」
     葉子の親友の水島橙子だった。おとなしく優しげな葉子とは対照的に、ちょっと怖いような鋭くけわしい雰囲気の少女だ。しかし、ふたりはふしぎと仲が良いようだった。もちろん、夏木にとって、女の子の友情の秘密など、永遠に解けそうもない謎でしかない。
    「待っているから」
     そう、かれの傍でささやいて、葉子は去っていった。あとには呆然とした夏木ひとりがのこされた。
     □■□■□
     そのちょうど一時間後、夏木は葉子の家の玄関前に前に立ち尽くしていた。この家が目的地なのは間違いなかったが、どうしてもチャイムを押す勇気が持てない。万が一、怒り顔の父親が出て来たら、赤面して逃げ出すしかなくなってしまう。
     そんなかれの内心が伝わったのか、どうか、扉は内側からひらいた。中から出て来たのは、間違いなく葉子だった。思わずホッとしてその場に座り込みそうになる。
    「ようこそ。いま、料理をつくっていたの」
     いくらか緊張した表情でいう彼女に、「どうも」などと意味がない返事を返しながら、夏木は恐る恐る室内へ入って行った。葉子の言葉に嘘はなかった。キッチンでは作りかけの料理が火にかけられようとしているところだった。チキンのばらばら死体の火刑だ。
    「食べていく?」
     葉子の言葉に、無言でうなずく。なぜか口のなかが乾いて仕方なかった。
     そのまま、キッチンテーブルの背の高い椅子に座る。しばらく気まずい静寂を過ごしてあと出て来たのは、きれいな半月形のオムライスだった。ケチャップのチキンライスがうっすらと焦げたレモンいろのオムレツによってみごとに包み込まれている。いったいどうやって作ったものなのか見当もつかない。
     「いただきます」と告げてしずかに頬張ると、口のなかに卵とバターとケチャップの芳醇な味わいがひろがった。それほど期待してはいなかったのだが、しろうとが作ったものとは思えないほど美味かった。思わず夢中になって半月を崩してしまう。
    「おいしい?」
    「はい。めちゃくちゃおいしいです」
     ほほ笑ましげに眺めてくる葉子の視線を、今度は正面から受け止めることができた。葉子もまた、自分のぶんのオムライスをゆっくりと食べていった。和やかな食事の時間がつづく。そのまま凍りついてしまえばいいと思うような時間だったが、やがて、ふたりとも食べ終わってしまった。洗い物を片付けると、部屋はしんと静まりかえった。心臓の音ばかりがうるさく、いっそ止まってしまったらいいと思えるほどだった。油をさし忘れたブリキの木こりのようになった夏木に、葉子はささやくような声で話しかけてきた。
    「ね、夏木くん」
    「はい」
    「わたしの部屋に、行かない?」
     夏木はかろうじてうなずいた。甘い声で誘いかけてくる葉子が、いつもの彼女とはまるで別人に見えた。世界の秘密を何もかも知り尽くした大人の女性のようだった。そんなはずはないと、3年後のかれならわかっただろうが。
     ふたりは幽霊のようにしずかに二階の一室に入り込んだ。葉子はきれいな木目が浮かび上がったベッドの上に座り、純白のシーツを幽かに乱しながら、そっと優しく告げた。
    「――いいよ」
     その瞬間に彼女に襲いかからなかったのは、精一杯の自制心の結果だった。夏木はそっと葉子の肢体を抱きしめると、なるべく優しく乳房の線を撫ぜた。葉子の唇からちいさな呻きがもれる。それが、快感か拒絶のいずれを意味しているのか、わからない。夏木はただ、追い立てられるようにして、彼女の制服の釦を外していった。迷路のような刺繍がほどこされたピンクのブラジャーがあらわになる。それをそっと上にずらすと、かれがいままで想像のなかですら見ることを赦さなかったところ、つまり白く円い小ぶりな乳房がまろび出た。淡い色あいの乳首のまわりに、青い血管が幾筋か走っている。そのすべてが、かれがいままで見て来たこの世の何よりも美しかった。感嘆と同時に、猛るような欲望が湧き上がってくる。かれはゆっくりと手をのばし、そこにふれ、そして――そして、葉子の甲高い悲鳴に殴られたような衝撃を感じた。
    「だめ!」
     彼女はそう叫んだのだ。
     見ると、葉子の顔は血の気が失せ、青ざめていた。いままで憶えがないような焦りと狼狽に駆られて、夏木は彼女の体から飛びすさった。頭のなかはひどく混乱していた。気づかないうちに、何か致命的なミスを犯してしまったのだろうか。
    「ごめんなさい。おれ――」
     何とかそう口にしようとした夏木を、葉子は止めた。
    「違う! そうじゃないの。あなたが悪いんじゃない。わたしに問題があるのよ」
     痛々しいほど青ざめた顔いろのまま、彼女は夏木から視線を逸らし、ベッドのシーツを固く握り締めた。ため息めいた掠れた声で、ひとりごとのようにささやく。
    「わたしね、男の人がだめなの」
    「――え?」
    「男性をそういう対象として見られないのよ。女の子しか好きになれないの。あなたに責任はないわ。わたしがそういう性向のもち主なんだから、仕方ない」
    「そんな――」
     視界が、嵐の小舟にでも乗っているかのようにゆらゆらと揺らいだ。すうっと血の気が失せていくことがわかる。夏木は無意識に頭を抑えながら、かろうじて何か言葉を紡ぎ出そうとした。
    「じゃあ、ぼくのことは――?」
     葉子は申し訳なさそうに夏木を見つめた。しかし、その言葉は残酷だった。
    「あなたなら平気かと思っていたの。その、あまり男の子っぽくないし。でも、やっぱり駄目だった。ごめんなさい。利用したような形になってしまったわね。でも、わたしはそんなつもりじゃなかった。男の人を好きになれるなら、それでもいいと思ったの。わたしには、ほんとうは好きなひとがいるんだけれど、その子はそういう意味では女の子を好きじゃないと思ったから。だから――」
    「まさか」
     夏木の脳裏にひとつの名前が浮かんだ。
     水島橙子。
     まったくタイプが違うように見えるのに、なぜかいつもいっしょにいる葉子の親友。
    「ずっとわたしの片想いなのよ。叶うあてのない恋」
     葉子は夏木のようすにはかまわず、自嘲するような口ぶりで続けた。このときの夏木はそこまで思い巡らす余裕がなかったが、紛れもなく、彼女もまた深く傷ついていて、しかも、自らその瑕口をいじらずにはいられないのだった。そのひとみが涙で潤んだ。
    「だから、だれかにわたしを好きになってほしかった。愛しているっていって、抱きしめてほしかった。そのとき、あなたがあらわれたの。それで――」
    「もういい!」
     夏木は両手で乱暴に耳をふさいだ。葉子が暗い目つきでかれを見つめる。
    「聞いて、夏木くん。わたしはね」
    「もういいっていっているだろ! おれは、おれはあなたのことを、本気で――」
     それ以上は口にできなかった。夏木は逃げ出すように部屋を飛び出ると、そのまま外へ出た。わけがわからないことを口走りながら、アスファルトを走る。心臓の血管が破れ、そこからどす黒い血が流れ出ているように思えてならなかった。そのせいで体重が減っているのか、どうか、ふしぎとからだは軽く、地に足が着いている実感がない。だからなかば転がるようにして路面に倒れたときも、べつだん、痛くもなかった。額が擦りむけて血が流れ出てはいたが、それも気にならない。
     ただ、異様な感情が胸の奥から後から後から湧いてきて、ひどく辛かった。それは哀しみのせいだっただろうか? しかし、哀しみというにはあまりにどす黒く、むしろ怒りや憎しみに近いように思われた。
     かれはひとり、路傍に倒れ、鼻水を垂らしながら泣いた。ひとが見て奇異に思われるとしてもかまわなかった。泣いて、泣きながら歩いて、そしていつのまにか、自分の部屋に戻っていた。
     それが、夏木にとって初めての失恋だった。
     □■□■□
     その後のことは思い出しくもない。夏木は文芸部を退部し、葉子が卒業するまでの半年間を、なるべく彼女の顔を見ないように暮らした。周囲の生徒たちは急に部活動をやめ、妙に寡黙になったかれを好奇と心配の目で見たが、夏木は決して葉子の秘密を話さなかった。話せるはずもなかった。半分は自分自身の名誉のためだ。
     夏木は打ちのめされていた。たしかに、葉子に対する想いは特別な純愛ではなかったかもしれない。淡いあこがれめいた初恋が偶然に受け入れられて燃え上がった、それだけのことだったといえなくもない。しかし、彼女を想う心に嘘はなかったのだ。
     時々、読みさしの本から顔を上げ柔らかくほほ笑む葉子の顔が好きだった。長い髪を後ろでくくって大股に歩く彼女の姿が好きだった。彼女のすべてが、その言葉や行動の一々が、ほんとうに好きでたまらなかった。しかし、結局、それはかれのひとり相撲であるに過ぎず、一方通行の片思いでしかなかったわけだ。
     ひとり、だれの視線もないところで自分の内面を探ってみるとき、夏木は葉子に裏切られたのだと感じ、そんなふうに考える自分を厭に思った。しかも、その被害者感覚ははてしなかった。底なしに深い自己嫌悪の泥沼に、どこまでも沈み込んでいく錯覚。それから1年間は、ひとが変わったように暗い日々を過ごした。しかし、時が経つにつれてその感覚も褪せ、佳苗と付き合うようになってすっかりもとの自分に戻れたと感じていた。
     そしていま、こうして彼女と再会することになった。いったい何ものの導きだろう? ただ、彼女とこうしていることは大きな危険を意味していることもたしかだった。いくらなんでも、クリスマスデートの待ち合わせ時刻にほかの女性と過ごしているところを佳苗に見つかったら問題だ。佳苗はいまのところ特に嫉妬深いところを見せてはいないが、まったくジェラシーがないわけでもないだろう。いますぐ彼女と別れるべきだ。そう理性ではわかっていたが、どういうわけか、一向に体は動かなかった。
    「泣いてなんかいないわ」
     葉子は強がった。
    「ただ、ちょっと、哀しいことを思い出しただけ。でも、こんなところで、ひとりで俯いているなんて、変よね。ひどいところを見られてしまったみたい」
    「先輩――」
     何かやるせないような想いに駆られて、夏木は沈黙した。葉子もまた、黙りこむ。そうして、ふたり、どのくらい時を過ごしたことだろう。おそらくは、数分に過ぎなかっただろうが、遥かに長い時間に思われた。と、夏木は後ろからの声に気づいて、振り返った。
    「佳苗――」
     そこに、いつもより可愛らしく着飾った恋人が立っていた。キュートな女ものの帽子をかむり、ちょっと大きめのピンクのワンピースの上にコートをまとって、ちいさなハンドバッグを持っている。いつもの彼女と比べると、いくらか大人っぽい格好だった。そしてその顔は、めったにそこに見いだせないような怒りと疑いを孕んで、こわばっていた。
    「どういうこと?」
     しまった、と夏木は内心で舌打ちした。もうしばらく来ないだろうと見ていたが、思ったより早く間に合ったらしい。何か、いい訳をしなければ。いや、ただほんとうのことを話せばいい。真実、後ろめたいことは何もないのだから。
    「ああ、佳苗、気づかなくて悪かった。こちら、三上葉子さん。いま、そこで偶然逢ったんだ。何年かぶりだから、なつかしくて、つい話しあっちゃった。それだけだよ」
    「ごめんなさい。せっかくの日に、邪魔しちゃったわけね」
     葉子は薄くほほ笑んだが、佳苗は硬い表情のまま応じなかった。彼女の心のなかで、深刻な猜疑が渦を巻いていることが手に取るようにわかった。
    「ほんとにそれだけなの?」
    「ほかに何がある?」
     佳苗はカッとしたようにバッグを振りまわした。
    「わたしは――」
    「待って」
     葉子がそっと彼女を制止した。
    「あなたはかれの彼女なのね? 大丈夫よ。あなたの恋人はこんな日に浮気するような男じゃない。ただ、そう、とても優しいから、わたしがひとりぼっちで寂しそうにしているところを放っておけなかったの。そうね、たとえばプライベートのお医者さんが具合が悪そうな患者さんを見つけてしまったみたいなものかな? かれが優しいことは知っているでしょう?」
    「――知ってる」
     佳苗はふくれっ面のままそうひとことだけ答えた。葉子はほほ笑ましげに彼女を見下ろし、優しく大人びた口調で告げた。
    「こんな優しい彼氏は大切にしなくちゃね。邪魔者はもう退散するわ。もう二度とあなたたちの前にはあらわれない。だから機嫌をなおして。ね?」
     そして彼女は夏木のほうを見ようともせず、そこから歩き出した。少しでも別れがたい想いがあったとしても、その歩みからはまったく見て取ることはできない。夏木は反射的に彼女を呼び止めていた。
    「先輩!」
     葉子が立ち止まる。しかし、彼女にかけるべき言葉は脳裏に見あたらなかった。自分はいったい何をいおうとしていたのだろう? 夏木は必死になって言葉を探した。
    「えっと、その――メリー・クリスマス」
     口にした次の瞬間には、ひどく間抜けなことをいってしまったと気づいた。葉子は、かるく吹き出して、おかしそうに少し笑った。それから、姿勢を正し、笑顔で答えた。
    「メリー・クリスマス、新藤くん。彼女とお幸せに」
    「うん。先輩も、どうかお幸せに」
     そのひとことで、葉子の夜空の色のひとみが幽かに潤んだ。そこからもういちど涙が流れ落ちるかと思われたが、今度はその涙は堰を切らなかった。彼女は優しくほほ笑みながら、夏木たちに背を向けた。それきり、彼女が振り返ることはなかった。
     その姿が見えなくなると、夏木はそっと佳苗の指に自分のそれを絡めた。拒まれるかもしれないと思ったが、彼女はかれの手をいつになく力強く握りしめてきた。驚いてその顔を見ると、いままで見たことがないくらい真剣そうな表情をしていた。かれの顔を見上げて、硬い声で呟く。
    「ね。新藤さん」
    「うん?」
    「キス、して」
    「――え?」
     佳苗は、きつい問い詰めるようなまなざしで夏木の目を睨み据えた。
    「わからない? キスしてって云っているの」
    「そんな。こんな人前で、無理だよ」
     この子は突然何をいいだすのだろう。思わずうろたえた。
     佳苗はそんなかれをきつい目つきで睨みつづける。恋人ではなく、仇を見るように。
    「わたしのこと、好きじゃないの?」
    「それとこれとはべつの問題だろ」
    「べつじゃないよ! 同じことでしょう」
     夏木はため息を吐いた。
     ふいに強い苛立ちがこみ上げてきて、苦労してこらえた。この子は、どうしてこう自分を困らせるのだろう。たしかに自分も悪かったかもしれないが、だからといってこんな無理難題をいわれる筋合いはない。やはり自分たちは相性が悪いのだろうか――。
     しかし――そのときだった。不器用な化粧で彩られた佳苗の目から、涙の雫が盛り上がってこぼれだした。低い嗚咽とともに、涙は次から次へと流れ落ちていった。
    「佳苗――?」
    「新藤さんの嘘つき!」
     唖然とする夏木の前で、彼女は両拳を握りしめ、嗚咽まじりの声で叫んだ。
    「ほんとうはあのひとが好きなんでしょう? それなのに、自分に嘘をついて、わたしと付き合っていたんだ。わたし、わかっていたよ。いつもわたしをだれかと比べているんだって。だれか新藤さんには大切なひとがいるんだって。ずっと、わかっていた。でも、わたし、我慢していた。だって、新藤さんはわたしのことを選んでくれたんだって思っていたから」
    「佳苗」
    「でも、そうじゃなかった。新藤さんは、わたしのことなんてどうでも良かったんだ。あのひとのことをいちばん大切に想っていたんだ。わたしなんて、ただの代用品で、邪魔もので、それで――」
    「佳苗、それは違う!」
     道行く人々の露骨な好奇の視線が集まるなか、くるりと後ろを向いてそのまま駆け出そうとした佳苗の肩を、夏木は何とか掴んだ。
    「そうじゃないんだ。あのひとはそういう相手じゃない。たしかに昔、彼女はぼくにとって大事なひとだった。でも、いまは君がいちばん大切だよ。だれよりも、何よりも大切に思っている。嘘じゃない」
     偽りない本心だった。夏木を失恋の瑕から立ち直らせてくれたのは佳苗だ。そのはつらつとした元気さに、どんなに勇気づけられてきたことか。佳苗はいま、かれにとってほんとうにかけがえがない存在だった。まして、だれかの代用品などでは絶対にありえない。
     佳苗は振り返った。涙でせっかくの化粧が落ちて、いっそこっけいなほどの顔になっている。その顔が、夏木の胸に勢いよく飛び込んできた。
    「わたし、時間、ちゃんと守るから! もう絶対、約束を破ったりしないし、高いプレゼントおねだりしたりもしないし、いい子にしているから。だから、お願い――」
     それ以上は言葉にはならなかった。夏木はそっとその背中に手をのばし、ひどく傷つきやすい大切な品物を抱えるようにして、彼女の体を抱きしめた。そうしてみると、腕のなかの肢体はひどく小さく、たよりなげに思えた。
     こんなに小さかったのか。
     あらためてそう思った。あたりまえなのかもしれない。まだ十七なのだ。かれが過去に置いてきた早春の季節を、彼女はいまから過ごそうとしている。そう考えると、両腕のなかの仄かなぬくもりが、しみじみと愛おしく感じられた。強く抱きしめる。
    「ごめん。佳苗がそんなふうに考えていたなんて、全然気づかなかった。でも、大丈夫だよ。あのひととは、いまはもう何でもないから。ただの高校の先輩だよ。お世話になったひとだから、ちょっと声をかけてみただけだ」
     佳苗は不安そうに揺れる視線でかれを見上げた。
    「ほんとう?」
    「ほんと、ほんと」
    「――うん、わかった。信じる」
     きゅっと唇を結ぶ。もちろん、すべて納得したわけではないだろう。しかし、彼女はどうやら夏木を信じることにしてくれたようだった。これから夏木は、その信頼に応えていかなくてはならない。
     そのとき、ふいにこみ上げてきたひとつの想いが、かれを圧倒した。そうなのだ。過去は美しく、遠い思い出はほろ苦くもなつかしい。しかし、それでも、なお、夏木はいまを生きているのだった。過去はどこまでも過去であるに過ぎず、思い出のなかの可憐な恋人より、じっさいにいま抱き合っている少女をこそ大切にしなければならないのである。
     ようやくほんとうに昔の瑕に別れを告げられるのかもしれなかった。そして、いま、初めて、葉子に幸せになってほしいと心から思える。時が過ぎ去ったのだ。初恋の深い瑕口は、ついにふさがろうとしていた。そのことが嬉しく、また、少しだけ切なかった。
     夏木はそっと佳苗から体を離し、照れた笑いを交わし合った。
     きょうはこの後、駅前のいくらかしゃれたイタリアンレストランで食事の予定だ。そのあとの予定は決まっていない。ふたりの気もちしだいになるだろう。いずれにしろ、きょうはかれらにとって特別な日になるに違いない。
     ふしぎにあたたかく安らかな気もちに満たされながら、夏木は佳苗のちいさな手を握ったまま、クリスマスソングが流れる街なかを歩きはじめた。恋人たちのそのあとを、影だけがしずかに追いかけていった。
     完