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記事 5件
  • 純粋贈与はいかにして可能となるのか?

    2020-02-16 21:01  
    50pt
     いま、色々な本を読んで、色々と考えているのですけれど、ちょっとずつ小出しにしていかないとまとまりそうにないので、テキトーに思いついたことを書いてみます。
     何を考えているかというと、「贈与」のこと。贈与とはまあ、平たくいえばプレゼントですね。だれかに何らかの価値を贈ることを意味する言葉です。
     で、この贈与という概念についてくわしく考えて『贈与論』を書いたのが哲学者のマルセル・モース。この『贈与論』はのちのレヴィ・ストロース、バタイユ、デリダなどに影響を与え、結果、「贈与哲学の系譜」ともいうべき一群の思想が生み出されることになります。
     が、それに関してはぼくはいままさに勉強ちうなので、あまり語れることがありません。バタイユの贈与論とか、読んでみたいとは思うのですが、ほかにも読みたい本はあるので、なかなか手が出ません。
     これはある程度以上の量を読書する人には納得していただけることだと思

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  • 「正義」の思想につばを吐く。

    2016-10-26 01:56  
    51pt
     Twitterで古い知りあいの唯野さん(なんと初めて逢ったのは20年近く前。何もかもみななつかしい……)に「海燕さんはオメガバースに興味もちそう」みたいなことをいわれたので、オメガバースについて調べてみました。
     オメガバースとは、海外のBL(スラッシュフィクションと呼ばれる)業界でわりとメジャーなSF設定で、αがどうのΩがどうのという専門用語がいろいろあり、差別や階級の問題が繊細に絡んで来るので、単純によしあしをいいづらい話ではあるんだけれど、個人的に「ああ、こういうのが流行るのはわかるなあ」とは感じます。
     階級とか支配とか凌辱とか、こういうのが好きな人、いるよねえ。ぼくも嫌いではない感じですが、どうにもベタすぎて気恥ずかしい。ぼくの好みの物語と非常に近いところにありながらちょっと違う感じ。
     ぼくはやっぱり差別に安住する物語ではなく、差別を乗り越える物語を見たいのかもしれません。ま
  • 神崎蘭子が硝子の靴を履くとき。『アイドルマスターシンデレラガールズ』は愛と救済の聖なるアニメ!

    2015-03-09 04:41  
    51pt


     優れて面白い物語はひとを救う。特に高尚な芸術に限らない。ときにごくあたりまえの娯楽作品にも救済は宿る。
     その秘密は真摯さであり切実さ。それはコメディであれホラーであれラブロマンスであれ変わりないだろう。一冊の本がひとを導くこともあるということ。すべてクリエイターはそういう魔術的な一作を目ざし作品を作っているのではないだろうか。
     さて、アニメ『アイドルマスター シンデレラガールズ』最新話を見た。特に衒ったところのない軽いコメディだが、それでもそこにはある種の救いがあるように感じた。
     いまの生活がどんなに惨めでも、苦しくても、物語を見ている時は救われる。そう思わせる作品には価値があるに違いない。
     萩尾望都の傑作「青い鳥」の一節を思い出す。

    なにもかもなくして
    希望がなくても
    世界が不条理でも
    舞台だけは美しかった
    あそこには幸福があった
    舞台にだけは青い鳥が住んでた

     それがほんとうにすばらしいものならば、アニメーションのなかにも「青い鳥」は宿る。だからこそ、きょうに至るまで無数のアニメが作られつづけているのだろう。
     『デレマス』もまた、ある種のひとにとっては、そんな「青い鳥」を内に住まわせた作品のひとつである。ようするに非常に面白い。
     今回の主人公は「中二病キャラ」の神崎蘭子。いつも漆黒のゴシックファッションをまとい、同じ色の日傘を差して、奇妙な中二病言葉で話すこの少女は、原作ゲームの膨大なキャラクターのなかでも指折りの人気だという。
     今回の話は卯月たちに続いてデビューすることになった蘭子が、その企画の是非に関してプロデューサーと対話するまでを描く。
     いつからそんなふうになってしまったのか、彼女以外にはよく意味がわからない中二病言葉でしか話せない蘭子は、プロデューサーとうまく意思の疎通を図ることができない。
     かれのちょっとした誤解を正すこともできず、ただただ困惑するばかり。そんな蘭子がなけなしの勇気を振り絞り、プロデューサーに自分の意志を伝える場面が今回の見どころだ。
     前回と同じくコミュニケーション不全がコミュニケーション成立によって解決するパターン。誤解に基づく問題と理解による解決は、今後も『デレマス』のシナリオのゴールデンパターンとして定着するかもしれない。
     そもそも蘭子がわずらう中二病とは自意識の病である。自分の正確なポジションを把握することができず、ただひたすら自意識を空転させ肥大化させる病理。
     その結果が過剰に尊大な態度や言葉遣いとなって現れるわけだが、話がコメディになるとそれはキャラクターの可愛げに見えて来る。
     じっさい、蘭子もそのほんとうの素顔はごく素直で内気な少女なのだ。不可思議な言葉遣いや白い肌を覆う黒服は彼女の「鎧」。ほんとうは繊細で脆弱な心を持っているからこそ、それとはうらはらに傲慢な態度を取ってしまうわけである。そのギャップが蘭子というキャラクターのチャームポイントなのだと思う。
     視聴者のなかにも何らかの形で中二病をわずらった経験がある者は多いだろうから、とても共感しやすいキャラクターなのかもしれない。
     思えば、アニメファンなどという人種は、大抵は硝子細工めいた繊細な心を持っているもの。生まれつきワイヤーロープみたいな豪胆な神経を持っているひとはなかなかこの種の作品を理解しないだろうからそれも当然のことだ。
     蘭子は、そういう繊細な精神と放埒な態度を共存させた視聴者たちの心をひとりの美少女の形に結晶させたキャラクターだということもできるかもしれない。
     だからこそ、夜空色のゴシックドレスや暗号めいた中二病言葉といった「鎧」なくしては生きていけない彼女の儚さは、画面の向こうの同類たちの共感を集めるのだろう。
     あるいはそれは健康なことではないかもしれないが、そもそも、べつだん健康でなければならない理由など存在しないのである。現実より夢のなかを好む人間がいて何が悪いというのか?
     それは生物としての正常なありようではないだろうが、あるいはそれこそが人間の人間らしさの証明だといえるのではないだろうか。少なくともぼくは不健康なもの、夜の夢の文化のすべてを追放した社会になど住みたくない。
     蘭子はたしかにかよわい少女だが、そのフラジャイルな儚さはなまじの強さよりはるかに強烈な印象を残す。彼女はすべての心弱き者たちのアイドルであり、天使にして堕天使、数いるシンデレラたちのなかでもいちばん繊細な心理を持っているかもしれない少女なのだ。かわゆす。
     ちなみに、蘭子が好むGOTHICという文化はもともとローマ帝国を滅ぼした蛮人ゴート族に由来し、その言葉は「ゴート族ふうの」を意味しているという。
     元々は過去、ヨーロッパにおいて文学、建築、美術の各分野において数世紀にわたって発展しつづけたある種の様式を指す言葉である。
     しかし、おそらく日本でいちばんくわしいゴス解説書である『ゴシックハート』の著者・高原英理はこれを具体的な文藝作品や芸術作品にとどまらず、ある種の精神であり様式であると定義している。
     
  • このベテラン少女漫画家が凄すぎる。(2119文字)

    2013-05-01 17:34  
    53pt




     雑誌『メロディ』がおもしろい。ぼくのなかでは少年漫画雑誌のベストが『月刊少年マガジン』で、少女漫画雑誌のベストがこの『メロディ』だったりする。
     樹なつみ、清水玲子、よしながふみ、種村有菜、高橋しん、成田美名子、川原泉などなど、キャリア10年から30年程度のベテラン作家ばかりをそろえた雑誌で、決して少女漫画の最前線とはいえないはずなのだが、どうしてどうして、圧倒的に面白い。
     今月号で圧巻だったのは清水玲子『秘密』の番外編。本編が終わったあと、主人公の隠された過去を振り返るエピソードの完結編なのだが、いやあ、凄まじい。ここまでいい話をきちんと築き上げた上でそこに繋げますか。あなたは鬼ですか鬼なんですか。さすが『竜の眠る星』の、『月の子』の、『輝夜姫』の清水玲子である。素晴らしい。
     でもまあちょっと、やっぱりそうですか、結局、男同士の友情ですか、という気がしなくもない。ちょうど樹なつみの『花咲ける青少年特別編』がまたそういう話だっただけに、なおさらそんな感じがする。いや、それが悪いわけではまったくないのだが、一応は少女漫画なんだからもう少し女性キャラクターにスポットライトがあたっても、と思うのだ。
     この雑誌の女性読者はそういうことを考えないのかな。みんながみんな腐女子じゃあるまいし。それともみんながみんな腐女子なのだろうか。まさかね。
     清水玲子さんはともかく、樹なつみさんというひとは徹底して女性人物に興味がないように見えるひとである。ほとんど嫌悪しているのではないかと思うくらい。やはり世代的な問題があるのだと思うが、このひとの漫画で女性キャラクターを「可愛いなあ」とか思って読んでいると大抵ひどい目に遭う。それはもういつものことだ。
     ぼくは繰り返し書いているのだが、『OZ』におけるエプスタイン姉妹の扱いはもう少しなんとかならなかったのだろうか。ヴィアンカはまだしも仮にもフィリシアはメインヒロインだぞ。少女漫画なんだぞ。ボーイズラブじゃないんだぞ。
     あきらかに作者の愛情が主人公ムトーと、性別不詳のアンドロイド19(ナインティーン)に偏っていて、ヒロインたちにはないことがわかるだけに、何となく悔しいような思いがする。お願いですから女の子たちにももう少しいい役を与えてやってください。まあ、無理なんだろうけれど。
     『花咲ける青少年』の場合、メインヒロインの花鹿・バーンズワースにはたしかに光が集中している。しかし、逆にいうと「花鹿みたいな子じゃないとダメなのか」ということがわかってしまう絶望がある。あそこまでスペック高くないと赦されないんですかねえ。いやはや。
     
  • 【無料記事】アルビノ萌えは差別につながるのか。(1804文字)

    2012-11-06 08:53  
    いまの日本のオタク文化圏において白髪と赤い瞳のアルビノ・キャラクターはその耽美的イメージとあいまって人気を博しているように思えます。それでは、そもそもそういったキャラクターはどこから来ているのでしょう? また、差別問題は存在しないのでしょうか? そこらのことを考えてみた記事です。まあ、差別問題はむずかしいですよね。簡単に答えは出ません。