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記事 2件
  • はぐれ者たちの楽園としてのオタク界隈は失われたのか?

    2016-05-18 13:46  
    50pt

     マツダ靖&ゆとりの『ちいさい奥さま』を読んでいます。
     ゲームオタク漫画の秀作『ちいさいお姉さん』の続編というか、姉妹編ですね。
     作中の問題らしい問題はほぼ前作で解決してしまっていて、今回はただひたすら主人公たちが、いちゃいちゃ、いちゃいちゃ、いちゃいちゃするだけの漫画になっているのだけれど、これが面白い。
     いったい何が面白いのだろう。たぶん、主人公たちにオタクらしいルサンチマンが一切見られないあたりが良いのだろうな、と思います。
     これは『ヲタクに恋は難しい』と一脈通じるところでもあるのだろうけれど、オタク特有のわけのわからない選民意識とか、その反対の激しい劣等感とか、そういう余計なものがまるで見あたらないあたりが素晴らしい。
     ただひたすらに幸せなオタク新婚ライフ。じっさいにこういう生活を送っている人もたくさんいるんだろうなあ。
     めちゃくちゃうらやましい。ぼくも結婚したい。もう無理かな……。とりあえず収入を増やさないとな……。
     いや、そういう生々しい話はいいのだけれど、とにかくよい漫画です。
     こういう作品を読むと、ほんとうにオタクも変わったのだなあと思いますね。
     辺境の民だったはずがいつのまにか中央からひとが流入していたというか。
     「選ばれなかった者の恨みつらみ」みたいなものはもうまったくなくなってしまった。
     ぼくはそういう変化を基本的には「良いこと」であると思っています。
     昔のオタクは知的だったけれどいまはただの凡人になってしまった、みたいな言説はあきらかに幻想を拠り所にしています。
     昔の知的なオタクってだれのことでしょう。思い浮かぶ名前は、だれもかれもそんなにインテリジェントには思えません。
     だから、「オタクのライト化」という現象は、基本的には「良いこと」であって、歓迎すべきものである、ぼくはそういうふうに考えているのです。
     ただ、すべてが完全に良い方向へ進むということはありえないので、その変化のなかで「失われていくもの」もまたあるはずではあります。
     その「失われたもの」とは、おそらく「世間に適応できなかった人たちの居場所」みたいなものでしょう。
     そういえば、コミケの昔といまに関する、こんな記事を読みました。

     今の同人誌即売会しか知らない人には信じられないかもしれませんが、昔は島中(サークルの壁ではなく零細~中堅が配置される中央部分)でどこの誰が焼いたのかも判然としないクッキーが回ってきて、それを皆で食べたりとか、大手の本が買えなくてガッカリしている所を、前に並んでいて買えた人が「良かったら読みますか?」なんて言ってくれて、その場で読ませてもらったりとか、一般参加で並んでいる時に全然知らない人同士で話し込んでお互いの水筒に淹れてきた紅茶やスープを交換したりしてたんですよ。
     そういう「同じ世間から爪弾きにされたもの同士」みたいな妙な連帯感があって、誰かが困っていたらすぐに助け合う(でも、ベタベタと余計な干渉はしない。その場限り)みたいな空気、自分はここにいていいんだという安心感を返してほしいと思っているだけなんです。(それが無理な願いであることは、重々承知しています)
     売り上げ云々ではないんですよ。
    http://kurumi47.hatenablog.com/entry/2016/01/24/180412

     それはたしかにそうだろうなあ、と思うのです。
     いまのコミケは、というかオタク界隈は、もう「世間から爪弾きにされた者」の居場所ではありえないことでしょう。
     まあ、オタクが 
  • カーストシステムは強者をもさいなむ。

    2015-11-09 02:13  
    50pt

     寒くなって来ましたね。
     こういう寒い日々は家でストーブの前に陣取って萌え四コマを読むに限る、ということで、この頃、漫画『ちいさいお姉さん』を読んでいます。
     ゲームが大好きな「ちいさいお姉さん」と弟の他愛ない日常を描いた四コマ漫画。
     本来、ぼくが手を出すような作品ではなく、特に序盤の辺りはそこまで傑出して面白いというわけでもないので、薦められなかったら読んでいなかったかも。
     ところが、この作品、第3巻できょうだいの日常を離れ、群像劇的にほかのキャラクターも描くようになってから急速にぼく好みになってくるんですね。
     群像ゲームオタク四コマというか、とにかくゲームが好きな人たちがいっぱい出て来る漫画です。
     そのなかのひとりとして、自分はロリコンじゃないかと思い悩むエリートサラリーマンオタクの人が出て来るんですけれど、この人の造形が実にいい感じ。
     ある意味、作中でも極端にリアリティがない設定のキャラクターなんですけれど、妙に親近感が湧きます。
     この人は典型的な「持っているもの」と「ほんとうに欲しいもの」がずれている人なんですね。
     エリートで、仕事もできて、モテモテで、と三拍子そろった人生を送っているわけなのですが、ほんとうはそんなもの欲しくないんですよ。
     ただちいさくて可愛い女の子が好きでならないだけのエロゲオタだったりするわけなのです。
     この人を見ていると、ああ、人間ってやっぱりそうだよなあと思えて来るのです。
     「すでに持っているもの」がいつも「ほんとうに欲しいもの」と一致していればひとは幸せでいられるのだろうけれど、じっさいにはそういうことはめったにないですからね。
     だから、手に入れても、手に入れてもなかなか幸せになれない。それが現実。
     この人の場合、「ほんとうの自分」を認めてしまって、周囲からも認められれば幸せになれるのだろうけれど、イメージが邪魔をするわけです。
     あんなにイケメンで格好良くて颯爽としている人が二次オタなんてありえない的なイメージ。
     ひとは社会のなかでかくも自由ではありえないということ。むずかしいですね。
     ちょっと話を広げると、カーストとかヒエラルキーとかいう制度は、その下のほうにいる人間を苦しめるだけでなく、じっさいには上のほうにいる人間をもさいなむものだと思うのです。
     だって、べつにカーストの上位にいるからって、それに適応した人格だとは限らないのですから。
     カーストの上位にいることに誇りを抱き、それに満足できるような性格の人ならいいだろうけれど、必ずしもそうとは限らないわけですからね。
     これは