• このエントリーをはてなブックマークに追加

記事 13件
  • 『タイタニア』のアリアバートとジュスランは田中芳樹によるキャラクター造形の最高傑作である。

    2020-09-18 14:12  
    50pt



     文芸業界でよく使用され、最近はだいぶシニカルに語られるようになったクリシェ(決まり文句)に「人間が描けている」というものがある。
     反対に「人間が描けていない」という形で使われることも多くあり、これはミステリ界隈などで批判的に使用されてはさまざまな議論を巻き起こして来た。
     おそらくまあ、「人物がリアルな人間のように迫力と実感をともなって浮かび上がって来る/来ない」という程度の意味だと思う。
     で、それと近く微妙に異なる意味の言葉に「キャラクター」がある。Wikipediaによるとこんな意味だ。

    「キャラクター(語源:character)は、小説、漫画、映画、アニメ、コンピュータゲーム、 広告などのフィクションに登場する人物や動物など、あるいはそれら登場人物の性格や性質のこと。また、その特徴を通じて、読者、視聴者、消費者に一定のイメージを与え、かつ、商品や企業などに対する誘引効果
  • 批評の言葉が足りない!

    2019-10-03 08:22  
    51pt
     てれびんが観に行くということで、いっしょに付いていって『銀河英雄伝説』の劇場版「星乱」の第一章を観て来ました。内容は、まあ、ようするにただの『銀英伝』です(笑)。良くも悪くも。
     テレビシリーズ全12話の続編なんですよね。ぼくはテレビシリーズは途中までしか観ていなかったのでいまさらながらあらためてびっくりしたんだけれど、テレビシリーズでは1クールかけて原作の第1巻が終わっていないんですね。
     第1巻のクライマックスであるアムリッツァ星域会戦にすら至っていない。劇場版で初めてアムリッツァが描写されるんですよ。
     これはまた、このご時世で悠長というか、非常に気の長い話で、この調子で行くといったいこの先はどうなるのかよくわからない。たぶん劇場版三部作のラストで第2巻のラストまで行くのかなと思いますが、それすらたしかではありません。
     こんなスピードではたして原作をすべて消化できるのか、それとも初めからそのつもりはなくて、途中で終わる予定なのか、微妙な感じですね。
     まあ、物語そのものはすでにマンガやアニメで何度となく語られているものをそのままなぞっているに過ぎないから、途中で終わるならそれはそれでまたまったくかまわない話であるとも思います。
     劇場で見ると戦闘シーンなどは映像的に非常に迫力があって、なおかつやはりものすごく情報量の多い完成されたシナリオなのだなということを再確認できるのですが、あえて悪く見るなら特に斬新さもない「いつもの『銀英伝』」でしかないともいうことができるので、影響的には好きな人が観に行くくらいに留まるでしょう。
     非常に出来は良いんですけれどね。もし原作を未読という人がいたらぜひ観てほしいのですが、でも、いまから新たに『銀英伝』の世界に飛び込むという人も少ないでしょうね。
     原作は戦後エンターテインメントの世界に屹立する超大傑作なので、ぜひ読んでほしいのですが。まあ、そうはいっても読まないよなあ。べつに時代の最先端にある作品でもありませんしね。
     とはいえ、やはり何といってもぼくの読書人生でも圧倒的に面白かった作品のひとつなので、オススメはするんですけれど。
     原作はいうまでもなく非常に高い評価を得ている作品ではありますが、ある意味では過小評価されているのではないかとすら思います。
     数百人もの人物が絡む大群像劇を全10巻できれいに完結させてのけたという意味で、実に日本のエンターテインメントの歴史のなかでもまったく類を見ない虚構の大伽藍であるといってさしつかえないでしょう。
     じっさい、この種の架空の設定で群像劇を描くタイプの小説でここまで容赦なく完璧に完結しているものって、ほかにはほとんど思いあたらないですね。同じ作者の『アルスラーン戦記』がこのあいだ完結したのがあるくらいです。
     『グイン・サーガ』も『十二国記』も未完だし、これほど人気のある、広げようと思えばいくらでも広げられる作品をわずか3年か4年ほどで完結させてその世界を閉じてしまったことはほんとうにすごい偉業としかいいようがありません。
     つまり、圧倒的に独創性のある仕事なんですよ。それにもかかわらず、過小評価されているというのは、この作品を批評的な観点から分析した文章をほとんど見たことがないからです。
     栗本薫の『グイン・サーガ』もそうなのだけれど、エンターテインメントとしての純度が高ければ高いほど、「ただのエンターテインメント」として処理されて終わってしまう傾向があると思うのですね。
     田中芳樹にしても栗本薫にしても、ものすごく優れた物語作家であって、特にその全盛期の作品の影響力は、はっきりいうならそこらへんの直木賞受賞作などよりはるかに大きいものがあるはずなのですが、批評家は取り上げない。
     というのは、これらの作品がまさに王道の「物語」であって、特定のジャンルに収まり切らないということが大きいのではないかと思います。
     『銀英伝』はSF、あるいはスペースオペラ、『グイン・サーガ』はヒロイック・ファンタジーといわれていますが、いずれもその企画に収まり切る作品ではありませんよね。
     あえていうなら群像劇というジャンルなのであって、戦後エンターテインメントのなかで仲間を探すなら宮崎駿の漫画版『風の谷のナウシカ』あたりになるのではないか、と思ったりします。
     いや、『ナウシカ』は批評家ウケするんですけれどね。『銀英伝』や『グイン・サーガ』は批評家ウケしないんだよなあ。
     ひとつには批評家はどうしても作品のテーマの同時代性を見るんですよね。だから、その結果として大きなものを取りこぼす危険がつねにある。
     たとえば、一時期、ライトノベル批評やエロゲ批評は非常にさかんでしたが、それらはそのジャンルのなかのごく一部の作品を集中的に語っていた印象があります。
     具体的には、『ブギーポップ』シリーズとか、西尾維新とか、葉鍵系とか、セカイ系の作品だとかね。どうしてもそういう「わかりやすく、語りやすい」作品ばかりを取り上げることになってしまうんですよ。
     その一方で、それらの作品よりさらに広く流通している、つまりはっきりいってしまえばずっと売れている『スレイヤーズ!』だとか、『魔術師オーフェン』あたりは看過されてしまう。エロゲでいえば『ランス』シリーズとかね。
     みんな読んではいるしやってはいるんだけれど、それらの作品を語る言葉が確立されていないのでスルーされてしまうんですね。それで、批評的な意味で語りやすい作品ばかりが高く評価されることになる。
     これはじつにいびつな構造だと思います。アニメの歴史を語るときも、やたら宮崎駿とか押井守とか、いまだと新海誠あたりがクローズアップされるでしょう。
     もちろんこれらの人たちが偉大な巨匠であることは論を俟たないのですが、ほかにも面白い作品は山のようにあるのに、そしてじっさいにヒットしているのに、あまりスポットライトがあたりません。
     いや、もちろん、そういうメジャーな作品こそが重要なんだと考えてそう発言する人たちは大勢います。でも、そういう人たちはそういう人たちで明確な「批評の言葉」を持っていないんですね。
     つまり、少なくとも現代日本では、エンターテインメントのエンターテインメント的な側面を批評的に語りつくす方法論が確立されていないということがいえるんじゃないか。
     ぼくが求めているのはそれこそ『銀英伝』のような「ただただ面白い」作品を、その面白さに対するリスペクトを持って「なぜ面白いのか」、「どう見たらより面白くなるのか」、分析した批評なのですが、なかなかそういうものは見ないですね。
     で、その結果、どういうことになるかというと、「この作品の良さはそこじゃないんだけれどな……」みたいな、何かがずれた批評ばかりが乱立する結果になる。
     これは良くないと思うんだけれど、あまり問題視されている気がしません。ただ、やっぱり問題は問題で、たとえば最近、Twitterで繰り広げられた『彼方のアストラ』をSFとして評価するべきかどうか、という議論も、そこら辺から来ているものであるように思います。
     これについてはまたあらためて書くべきですね。というわけで、この話、続きます。次回はその話です。 
  • 『銀英伝』は短編でできている。

    2018-05-11 03:04  
    51pt
     小説を書きたい。物語を綴りたい。そう思うのですが、まともに成功した試しがありません。
     まあ、才能がないのはしかたないにしろ、なぜここまでうまくいかないのだろう?とずっと考えていたのですが、ある本を読んだところ、「物語を「あらすじ」ではなく、キャラクターやイメージから作ろうとしているからだ」と書いてあり、あ、これだな、と感じました。
     動物が骨と肉でできているように、一般に物語は「あらすじ」と「細部」からできあがっています。
     もちろん、どこまでを「あらすじ」とし、どこからを「細部」とするかは恣意的な区分に過ぎませんが、この「あらすじ」から始める姿勢と努力がぼくには欠けていたようなのです。
     「あらすじ」にも色々と程度があるでしょうが、最もシンプルなものは一、二行程度にまとまります。
     たとえば、『ロミオとジュリエット』のいちばんシンプルな「あらすじ」は、「敵対しあう名家にうまれたロミオ
  • 新しいアニメ版『銀河英雄伝説』は構成に工夫を凝らしてきている。

    2018-04-23 02:46  
    51pt
     新しくなったアニメ版の『銀河英雄伝説』を見ています。これが面白い。原作とも以前のアニメとも構成を変更してきていて、原作ファンの目から見ても相当に工夫が凝らされていることがわかります。
     原作はぼくの読書人生でも屈指の大傑作だけに、最後までこの調子で行ってほしいものですね。
     『銀英伝』の傑作たる所以はいくつもありますが、まずひとつは完結していることです。
     そもそも大長編群像劇って基本的に完結できないものんですよ。一定以上に大規模な群像劇はあるキャラクターの行動がべつの行動を生み、また、登場人物が増えれば増えるほどその行動を描くために紙幅を要するため、際限なく長くのびていき、最後には未完に終わることがほとんどなのです。
     だから『グイン・サーガ』も未完だし、『十二国記』も未完、海外だと『氷と炎の歌』も未完ですよね。
     その意味で、600名以上もの名前のあるキャラクターを抱えた『銀英伝』が
  • 大晦日だよ。好きなキャラクターランキング男女別ベスト20。

    2017-12-31 01:39  
    51pt
     質問箱で「好きなキャラクターランキングを教えてください。」(https://peing.net/q/8acd316f-e553-4950-8c0b-b082c571a50d)という質問をいただいたので、作ってみました。
     けっこう苦労しました。当然、好きなキャラクターは枚挙にいとまがないほどいるわけですが、ランキングをつけるのって大変だよね。ぼくが好きなキャラクターは男女を問わず、何らかの形で「戦っている」という特徴があります。与えられた運命に対し、果敢に抵抗しているキャラクターが好きですね。下のほうにくわしい解説をつけておきます。
    〇男性編
    1位 ヤン・ウェンリー(『銀河英雄伝説』)
    2位 イシュトヴァーン(『グイン・サーガ』)
    3位 ダグラス・カイエン(『ファイブスター物語』)
    4位 尼子司(『SWAN SONG』)
    5位 土方歳三(『燃えよ剣』)
    6位 令狐冲(『秘曲笑傲江湖』)
    7位 オスカー・フォン・ロイエンタール(『銀河英雄伝説』)
    8位 森田透(『翼あるもの』)
    9位 ジークフリード・キルヒアイス(『銀河英雄伝説』)
    10位 伊集院大介(『伊集院大介の冒険』)
    11位 ルルーシュ(『コードギアス』)
    12位 沖田総司(『燃えよ剣』)
    13位 田島久義(『恋愛』)
    14位 上杉達也(『タッチ』)
    15位 ジュスラン・タイタニア(『タイタニア』)
    16位 グリフィス(『ベルセルク』)
    17位 衛宮士郎(『Fate/stay night』)
    18位 グイン(『グイン・サーガ』)
    19位 碇シンジ(『新世紀エヴァンゲリオン』)
    20位 ジョン・スノウ(『氷と炎の歌』)
    〇女性編
    1位 比良坂初音(『アトラク=ナクア』)
    2位 沢渡真琴(『Kanon』)
    3位 ヴィアンカ(『OZ』)
    4位 黒猫(『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』)
    5位 ラキシス(『ファイブスター物語』)
    6位 姫川亜弓(『ガラスの仮面』)
    7位 シルヴィア(『グイン・サーガ』)
    8位 躯(『幽☆遊☆白書』)
    9位 白鐘直斗(『ペルソナ4』)
    10位 美樹さやか(『魔法少女まどか☆マギカ』)
    11位 アトロポス(『ファイブスター物語』)
    12位 久慈川りせ(『ペルソナ4』)
    13位 綾波レイ(『新世紀エヴァンゲリオン』)
    14位 ユーフェミア・リ・ブリタニア(『コードギアス』)
    15位 真賀田四季(『四季』)
    16位 長谷川千雨(『魔法少女ネギま!』)
    17位 アウクソー(『ファイブスター物語』)
    18位 鹿目まどか(『魔法少女まどか☆マギカ』)
    19位 川瀬雲雀(『SWAN SONG』)
    20位 サーバル(『けものフレンズ』)
     男性版1位のヤン・ウェンリーはもうしかたないというか、30年近くファンやっているもので、どうしようもないですね。歳を取ってから見てみると、驚くほど繊細なバランスでできているキャラだと気づきます。この頃の田中芳樹のすごみですね。
     2位のイシュトヴァーンは若き日の野生、たけだけしさ、行動力、与えられた運命に果敢に抵抗していくところもさることながら、後半の殺人王へと堕ちていくくだりも好きです。人生で最も心配して眺めたキャラクターといっても過言ではないかも。
     3位のカイエンは、まあ自分のハンドルネームのもとにするくらいで、それはもう大好きです。非常に男性的な、「男」という生きものの長所と短所というものがもしありえるとすれば、それを凝縮させたようなキャラクターですよね。ひたすら男のロマンを追求したようなというか。かっこいい。
     第4位は『SWAN SONG』の司。やっぱりあまりにも過酷な運命に抵抗しつづけるところが好きですね。人間として強い。強すぎる。ランキングには入っていないけれど、鍬形も好きです。リアリティありすぎ。
     第5位、土方歳三。まあ、ぼくの読書人生でいちばんといっていいくらいかっこいいキャラクターですね。切ないほどの男らしさ。そしてやっぱり行動力が好きです。アクティヴなキャラクターが好きだということですね。
     第6位、令狐冲。いい奴(笑)。とにかくいい奴。あまりにもいい奴すぎてヒーローというより被害者じゃないかという気もするのですが、とにかく気のいい兄ちゃんです。大好き。金庸のキャラクターは他にも魅力的な人がたくさんいます。
     第7位、『銀英伝』からふたり目。ロイエンタール。こいつもかっこいいよなあ。破滅的に生きて、結局破滅する悲劇性が好きですね。女嫌いのくせに女にはモテるところとか、矛盾した性格に惹かれます。
     第8位、栗本薫の初期の名作『翼あるもの』より森田透。この人はね、とても優しい人ですね。9位のキルヒアイスもそうなのだけれど、優しい人が好きです。自分も優しい人間でありたいと思っています。少しは優しくあれているといいのですが、どうだろうなあ。
     で、第10位、伊集院大介。はい、この人も優しい人ですね。栗本薫の作品全作を通じての最大の名探偵であり、弱い人々の守護者のような存在です。意外にも、名探偵キャラクターからはこの人しか入っていませんね。金田一耕助とかも好きは好きなんですけれど。
     第11位は『コードギアス』からルルーシュ。「反逆の」ルルーシュというくらいで、やっぱり運命に抵抗する系統のキャラクターですね。ぼくはとことんこの手の反逆者キャラクターが好きなようです。
     第12位は『燃えよ剣』の沖田総司。土方歳三の相棒ともいうべきキャラクターですが、そのあまりの透明さ、哀切さは強く印象にのこっています。こんなキャラクターをさらっと生み出してしまうのだから、司馬遼太郎という人もたいがい天才ですね。
     第13位、ぼくの最も好きな漫画のひとつ、『恋愛』から主人公の田島久義。狂気のような情熱の持ち主で、一歩間違えばストーカー以外の何ものでもありませんが、そういうところが好きです。
     第14位のキャラクターは『タッチ』の上杉達也。まあ、この人に関してもあまりいうことはないですね。とても辛い、重い運命を背負って、それをだれのせいにもせず、ひとりで孤独に戦い抜いたところが好きです。
     第15位、ジュスラン・タイタニア。いやー、すごいキャラですよね。「中途半端な美形」といういちばんダメになりそうなキャラを、ここまで魅力的に描いてしまう全盛期田中芳樹の凄まじさよ。キャラクターの造形に関してはほんとにものすごい作家だと思います。
     で、第16位なのですが、ガッツではなくグリフィスを持ってくるところがぼくらしいと思ってほしいですね。イシュトヴァーンを好きなのとほぼ同じ理由で好きです。運命に対する抵抗。
     第17位は『Fate』から士郎。まあ、奈須きのこユニバースからひとり持ってくるなら、やっぱり士郎になるのかなあと。凛も桜もセイバーも好きですが、士郎の狂気はすごく好きです。ぼくは狂的なパッションを持っているキャラクターが好きらしい。
     第18位、グイン。まあ、みんなのお父さん的な存在ということで、出てくると安心感がありますよね。あまりにも無敵すぎるのでかれが活躍するとあっというまに問題が片付いてしまうのですが。やっぱり好きは好き。
     第19位はシンジくん。ぼくはかれのことはかなり評価しています。だって頑張っているじゃないか! そりゃ弱音は吐くけれど、それでも戦っているわけで、もう少し評価されてもいいはず。まあ、状況が過酷なんだよね……。
     そして第20位はジョージ・R・R・マーティンの『氷と炎の歌』からジョン・スノウ。非常に人気があるキャラクターですね。ティリオン・ラニスターとどっちにしようか迷ったのだけれど、ジョンのほうにしておきました。ティリオンも好きです。
     女性編の第1位は『アトラク=ナクア』の初音お姉さま。もうダントツで好きですね。邪悪さと可憐さ、攻撃性と被害者性が一身に両立しているところが好きです。これは、男性キャラクターでもそういうキャラクターが好きですね。ぼくの好みなのだと思う。
     で、第2位の真琴。この子はね、純粋にいたいけな無垢の象徴みたいなキャラクターですよね。これは異性として好きというより完全に子供として好きなんですね。ぼくの子供好き(怪しい意味じゃない)が端的に表れているキャラクターだと思います。
     第3位、ヴィアンカ。妹のフィリシアも好きですが、この子の浮かばれなさが好きです。チョロイン属性というか、作者にもあまり愛されていないっぽいところが好き。不遇萌えの窮みみたいなところありますね。
     第4位、黒猫。可愛い。以上。いや、可愛いよね、黒猫。ぼくはフィクションのキャラクターに萌えても恋愛感情は感じないんだけれど、この子だけはちょっとべつで、普通に付き合いたい(笑)。年齢差何十歳あるんだって感じですが……。好きですね。
     第5位はラキシス。まあ、天真爛漫のプリンセスですね。アトロポスやエストも好きなのだけれど、この子のまったくファティマらしくない自由奔放さが好きです。好き勝手にやっているキャラクターが好きなのかも。
     第6位、姫川亜弓。努力の人ですよね。やっぱり「運命に対する抵抗」が好きなんだと思う。マヤのような傑出した天才を持ち合わせていないことを、懸命な努力でどうにしかしようとするその姿勢に強く強く惹かれます。マヤも好きですが。
     第7位、シルヴィア。非常に悲惨な目に遭っている少女ですが、それでもなお、愛を求め、幸福を求め、地獄のような環境のなかであがき、もがいているところが好きですね。『グイン・サーガ』におけるジョーカーのようなキャラクターなのだと思います。
     第8位は躯(『幽☆遊☆白書』)。彼女も被害者性と加害者性を両立させているキャラクターですよね。非常に好きです。ただ、キャラクターとしてあまりに完結してしまっているので、ランキングとしてはそこまで上にはなりません。いいキャラクターですけれど。
     第9位、白鐘直斗。大好きなゲームである『ペルソナ4』からひとり選んでおきたいということで、彼女にしました。非常に知的でそつがなく、女性的なところを抑圧していて、しかしそれがしだいに解放されていくというところが好きです。
     第10位、美樹さやか。『まどマギ』のなかではこの子がいちばん好きです。ぼくはだいたい酷い目に遭っているキャラクターを好きになる傾向が強いようですね。もちろん、それ自体ではなく、その状況に対する抵抗にこそ共感するわけです。
     第11位にはアトロポス。これも不遇萌えに近いかもしれない。妹のラキシスに比べ不幸な人生を送っているように見えますが、そういうところが魅力的です。でも、ドラゴンに惑星を亡ぼさせようとするのはやめろ。ものすごく迷惑だぞ。
     で、すいません、『ペルソナ4』からひとりといいましたが、第12位にりせちーも選んでしまいました。本来、ぼくの好みではないはずのキャラクターなのですが、不思議と好きですね。たぶん、あのグループのなかでこそ輝くキャラクターなのだと思います。
     第13位、ぼくたちの綾波。まあ、あの儚そうなところに惹かれるわけですね。彼女については既に山ほど論考があるのでいまさら語りませんが、やはり加害と被害、サディズムとマゾヒズムが同居したキャラクターだと思います。そこに惹かれます。
     第14位、『コードギアス』のユーフェミア・リ・ブリタニア。非常に「女の子らしい」ままであのルルーシュを敗北に追い込んだというところに凄みを感じます。男性的にならないままで運命と戦っているところが好きですね。
     第15位は真賀田四季。これは『四季』の少女四季に一票、ということにしておいてください。まあ、いろいろな意味で非常に画期的なキャラクターなのですが、ぼくは完璧になる前のわずかに欠けたところがある幼い四季が好きです。
     お次は第16位。えーと、長谷川千雨(『魔法少女ネギま!』)。みごとネギと結ばれてしまった勝ち組キャラクターなのですが、あの劣等感を抱えたまま戦っているところに共感します。ぼくも似たようなものなので。オタクキャラですね。
     第17位、アウクソー。ラキシスとアトロポスは女神なので例外と考えるとして、ほぼファティマ代表ですね。あのダメ男に仕えて幸せそうにしているけなげなところが気に入っています。エストとどっちにしようか迷ったけれど、まあ、アウクソーかな、と。
     第18位、まどか。ヒーロー。ザ・ヒーローというイメージです、ぼくのなかでは。この人を「普通の女の子」として捉える人もいるだろうけれど、ぼくのなかでは普通じゃない異常な人ですね。その異常さに惹かれます。でもさやかより順位は下。
     第19位。川瀬雲雀。ひばりん、かわいいよなあ。強いし。田能村のプロポーズに対し即座に「いいよ」と答えるところに惚れました。いい女だぜ! 
     第20位、サーバルちゃん(『けものフレンズ』)。この子はもっと順位が上でもいいかもしれませんね。このラインナップのなかで今年のキャラクターはこの子だけじゃないかな。やっぱり優しさ、懐の広さ、包容力というところが好きなのだと思います。
     以上、好きなキャラクターランキングでした。まあ、暫定版というか、いまの気分に多分に影響されているランキングですが、だいたいこんな感じだと思います。うーん、参考になるかな? 質問者さんに届いていれば幸いです。 
  • 並行世界ものと一回性の物語はどちらがどう優れているのか?

    2017-11-24 14:41  
    51pt
     オタク界隈で「並行世界」とか「世界線」という言葉をひんぱんに目にするようになってしばらく経ちます。もともとはSFの概念なのだけれど、ライトノベルやアニメでこれらの言葉が使用されるようになったのは、あきらかにエロゲの影響ですね。
     (シナリオ重視系の)エロゲでは各ヒロインごとにルートがあり、異なる世界が展開するわけなので、多くのエロゲはパラレルワールドものであるといってもいいかもしれません。
     「世界線」というのは『シュタインズ・ゲート』あたりで有名になった言葉でしょうか。もともとはロバート・シルヴァーバーグの『時間線をさかのぼって』が元ネタなのではないかと思うのですが、まあ、よくわかりません。
     この種のそれぞれの並行世界でルートが分かれる展開はゲームの専売特許で、ライトノベルやアニメでは再現しようがない――はずだったのですが、最近はコミカライズなどに際して本編とは別ヒロインのルートを描
  • 世の中ってむつかしいね。

    2016-05-27 23:55  
    51pt

     どもです。ここ2日間、エネルギーが尽き果てて休んでいました。
     原因はたぶんその前の3日間で20冊くらい続けざまに本を読んだこと。
     せっかく早起きできたんだから本を読むぜっ!とばかりに読みまくっていたらあっというまに気力が尽きてしまいました。
     つくづく思うのですが、この世には面白いものがたくさんある。お金もそこそこある。時間すらぼくの場合は余っている。ただ、エネルギーだけが足りない。エネルギーをなんとかしないと人生を楽しみつくすことはできないなあ、と。
     いままではわりと時間のある限りコンテンツを消化しつくそうと思っていたのだけれど、たび重なる失敗にさすがのぼくも学習しました。
     いくらたくさんの作品があり、それを消化する時間があっても、エネルギーがないとすぐ倒れますね!
     やっぱり一日中ひたすら本を読みつづけるとか、映画を見つづけるとかは無理があるんだろうなあ。少なくともぼくの場合、3日ともたないようです。
     ぼくの人生テーマとして「どうすれば人生を最大限に楽しんで死ねるか」があるわけですが、とりあえずひたすら猪突猛進するビッテンフェルト的なやり方は問題があることがわかりました。
     というか、精神力と体力の限界を考えずに突き進むって『銀英伝』的には愚か者だよね。申し訳ありません、わが皇帝(マインカイザー)。
     まあ、1日に起きている時間がたとえば16時間くらいあるとして、その16時間を休まずコンテンツ消化しつづけることは無理だとわかったわけだから、次善は毎日適度な量を消化しつづけることかな、と。
     たとえば1日1冊は読むようにするとか。体力と精神力がもつギリギリまでスケジューリングして、あとは休む、と。
     ほんとうはそっちのほうが長期的に見ればたくさん消化できるような気もする。
     でも、そうすると必然的に時間が余るのですよね。その余った時間を何に充てるか。
     まあ休むことに充てればいいのだろうけれど、それはもったいないような気がしてならないんですよね。
     いや、そういって倒れていたらなんにもならないわけだけれど……。
     この、「時間を有用に使っていないともったいなくてならない」というけち臭い考え方、実に 
  • 『封神演義』の藤崎竜、『銀英伝』を再度漫画化!

    2015-09-28 23:44  
    51pt

     田中芳樹『銀河英雄伝説』が藤崎竜の手で漫画化されるそうですね。
     日本を代表するスペースオペラの名作を『封神演義』の作家が手がける。
     期待は高まるばかりですが、さて、どんな出来になることやら。
     ぼくは25年来の田中芳樹読者にして、『PSYCHO+』からのフジリューファンなので、どういった仕上がりでも受け止める覚悟はできています。どんと来い。
     それにしても、『アルスラーン戦記』の漫画化&アニメ化といい、往年の田中芳樹作品の再ブームがいままさに来ていますねー。
     30年前の作品がいま最先端のエンターテインメントとして堂々と通用してしまうその普遍性の高さには驚かされるばかり。
     『アルスラーン』にしろ『銀英伝』にしろ、ちょっと意匠(キャラクターデザインとか)を変えただけで十分に現代の作品として読まれてしまうんだよなあ。
     ここらへん、5年も経つと時代遅れになってしまう傾向がある一般のライトノベルとは格が違うかも。
     まあ、『アルスラーン』はともかく、『銀英伝』はさすがにSF設定等々が古びてしまっていると思うので、そこらへん、適当にリファインして「いままで見たことがない『銀英伝』」を見せてほしいところです。
     この小説はすでに再来年にふたたびアニメ化することも決まっていて、そちらのほうも気になります。うーん、凄いなあ。
     いまさらいうまでもないことですが、『銀英伝』は一度、道原かつみさんの手で漫画化されています。
     こちらも出来は良いのですが、何しろ遅筆寡作の方なので、『銀英伝』のような大長編を手掛けることに無理がありました。
     その点、フジリューさんには『封神演義』や『屍鬼』を完結させてきた実績があるので、最後まで描き切れるのではないでしょうか。
     SF的なセンスもちゃんと持ち合わせている作家さんだしなあ。
     意外な組み合わせながらけっこういけるんじゃないかと推測。
     だれがマッチングしたのか知らないけれど、偉い偉い。
     あとは思想的なところをどう演出しなおすかですね。
     30年前とはやっぱり政治状況が異なっているわけで、そのままの展開をすると古びて見えると思う。
     少なくとも民主主義のシステムを至上視し、そのために血を流すヤン・ウェンリーはより悪役っぽく見えて来るのではないか。
     まあ、それはそれで一興ですし、原作にたびたびの再解釈を許す奥深さがあるからこそいまなお極上のエンターテインメントとして通用しているということもいえるでしょうが。
     いや、なんといっても 
  • 『アルスラーン戦記』と「同性愛的な二次創作」の微妙で複雑な関係。

    2015-04-15 05:54  
    51pt

     作家の田中芳樹さんが所属している有限会社らいとすたっふの「らいとすたっふ所属作家の著作物の二次利用に関する規定」が改定されたことが話題を呼んでいる。
    http://www.wrightstaff.co.jp/
     「露骨な性描写や同性愛表現が含まれる」二次創作を禁止した項目を廃し、新たに「過激な性描写(異性間、同性間を問わず)を含まないこと」とする項目を加えたようだ。
     いままでの書き方ではことさらに同性愛描写を禁止するように受け取られかねないから、これは適切な変更だと思う。
     もちろん、らいとすたっふ側にそのような意図はなく、ただ「いわゆるカップリング」を抑制したいというだけの目的だったのだろうが、誤解や曲解を招きかねない表現であることに違いはない。変更されて良かった。
     しかし、この規定には微妙な含みがある。
     「過激な性描写(異性間、同性間を問わず)を含まない」なら、「いわゆるカップリング」的な同性愛描写そのものは「お咎めなし」にあたるのだろうか。
     判断はむずかしいところだと思うが、Twitterで検索してみたところ、いわゆる腐女子界隈の人たちはこれを「18禁でなければカップリングも問題なし」と受け止めている人も多いようだ。
     ただ、これで全面的にカップリング描写が認められたと見ることはいかにも早計には思える。
     原作者がそういう描写を好ましいと思っていないことはたしかだろうから、何かのきっかけで再度規定が変更ということもありえる。注意するべきではないだろうか。
     というか、あきらかに原作者が嫌がっているような二次創作を展開しても後ろめたさがありそうなものだが、そういうものでもないのだろうか。
     人それぞれだろうが、自分が気分良ければいいと思う人もいるのかもしれない。
     もともとが人気があり、これからさらに人気に火がつく可能性が高い作品だけに、今後、どういう展開をたどるのか注目してみたいと思う。
     それにしても、「同性愛のカップリング」一般を禁止することは、意外に色々な問題を抱えているようだ。
     シンプルに「同性愛のカップリングを禁じる」と書けば、それなら異性愛のカップリングは良いのか、それは同性愛差別ではないか、と受け取られる。
     しかし、作者の心理として自分のキャラクターがかってに同性愛者化されたところは見たくないという人がいても、それほどおかしいなこととはいえないのではないか(田中芳樹がそうだというのではないが)。
     じっさい、ぼくにしても、「同性愛的なカップリング」の禁止が同性愛差別化というと――やはり、それは違うんじゃないか?と思える。
     まず、なんといってもそれらの二次創作が原作作中の登場人物の性的指向をねじ曲げているようには思えるわけで、異性愛とか同性愛という以前に、それこそが問題なのだ、と考えると話はシンプルになると思う。
     つまり、「作中で異性愛者として描かれている人物を同性愛者であるかのように描くこと」はやはり不快である、そういうふうに表明しても同性愛差別にはあたらないのではないだろうか。
     当然、この理屈で行くと 
  • 『タイタニア』に、矛盾の作家・田中芳樹の真骨頂を見る。

    2015-02-07 22:42  
    51pt


     田中芳樹『タイタニア』最終巻を読了した。小学生の頃から読んでいる作品を、四半世紀もの時を越え読み上げたことになるわけで、さすがに感慨深い。
     思えば25年前、当時流行していた『ファイナルファンタジー3』の主人公たちの名前を、タイタニアの四公爵から拝借した記憶がある。
     アリアバート、ジュスラン、ザーリッシュ、イドリス。いずれ劣らぬ豊かな才能を持ち、20代にして全宇宙を睥睨する立場にある若者たち。
     『タイタニア』はこの俊英ぞろいの四公爵と、かれらの上に立つ藩王アジュマーン、そして期せずして「反タイタニア」の象徴になってしまった天才戦術家ファン・ヒューリックを中心に語られていく。
     およそ200年にわたってタイタニア一族の専横が続く「パックス・タイタニア」の時代を舞台に繰りひろげられる支配と叛逆、戦乱と謀略の物語。
     はるかな未来を舞台にしているにもかかわらず、ほとんどSF的な意匠が登場しないことも含めて、まさに『銀河英雄伝説』に続く「田中スペースオペラ」の典型かと思わせる。
     『タイタニア』の前作にあたり、いまなお傑作として歴史にその名をとどろかす『銀英雄伝』は、対等なふたつの巨大勢力、そしてふたりの主人公の戦いを描いていた。
     『タイタニア』も一見するとその規範を踏襲しているかに見える。しかし、全5巻の物語が中盤に至ると、しだいに『タイタニア』独自の個性が見えて来る。
     つまり、これはあくまでタイタニアと呼ばれる人々を中核に据え、「タイタニアとは何か?」をテーマに据えた小説なのだ。その意味で『タイタニア』は決して『銀英伝』の亜流ではない。
     いや、ほんとうはもっと決定的なポイントで『銀英伝』と『タイタニア』は異なっているのだが、それについては後にしよう。
     個人的な見解だが、田中芳樹のすべての作品は権力志向的な人物を中心に置いた作品と、そうではない人物を主人公にした作品に分かれる。
     まさにその両者の対立と対決を描いているのが『銀英伝』であるわけだが、『タイタニア』はほぼ前者に属する作品だといえる。
     ほぼ、と書くのは一向に権力に目覚めないファン・ヒューリックという人物が主役級の活躍を見せるからだが、全編が完結したいま考えてみると、やはりヒューリックはこの物語の主人公とはいいがたく思える。
     むしろ、この長編にただひとり主人公というべき人物がいるとすれば、それはジュスラン・タイタニア公爵だろう。
     宇宙を支配するタイタニア一族の血統に生まれながら、タイタニアとして生きる自分に疑問を抱くこの青年は、そのきわめて思索的な性格で強い印象を残す。
     かれ自身は権力にそこまでの価値を見いだしていないものの、権力の中枢に生まれ、また激しい権力闘争のなかで生きのこる才覚に恵まれたために否応なく宇宙屈指の地位を得ることとなったジュスランや、かれと同格の実力を持つアリアバートを主役に据えたことで、『タイタニア』は権力をめぐる物語となった。
     もっとも、この小説にただひとりで全宇宙を統一できるような「天才」は登場しない。タイタニアの藩王アジュマーンにしろ、かれの下の四公爵にしろ、傑出した才能のもち主ではあるものの、人類史に冠絶する天才とはいいがたい。
     作中、唯一「天才」と称されるファン・ヒューリックの才能は限定的なものである。その意味で『タイタニア』とは、いわば二流の役者たちが演じるオペラであり、ここにはラインハルト・フォン・ローエングラムも、ヤン・ウェンリーも不在なのだ。
     しかし、だからといって即座に『タイタニア』が『銀英伝』に劣るということにはならない。むしろ、不世出の英雄たちの「伝説」を綴った『銀英伝』の後に、かれらより才能的に劣る人物たちを主役にした物語を書こうと考えた田中芳樹の発想は一驚に値する。
     この人は、『銀英伝』を書き終えた後に、『銀英伝』と同趣向で、それよりもっと壮大なスケールの物語を書こうというふうには考えなかったわけだ。
     それでは、『銀英伝』に続く『タイタニア』で田中芳樹が描こうとしたものは何だったのか。そこを正確に捉えられなければ『タイタニア』を的確に評価することはできないだろう。
     それに対するぼくなりの解答をいわせてもらうなら、『タイタニア』とは権力を巡る無数の矛盾を描いた小説である、ということになる。
     『銀英伝』は「戦争」を主題に置き、戦争の天才同士のやり取りを綴った作品だった。しかし、『タイタニア』のテーマはむしろ「権力」にあり、だからこそ戦争の天才であるところのファン・ヒューリックは脇役に留まることになった。
     それなら、田中芳樹はこの作品のなかで、権力に取り憑かれた者の愚かさを描いているのか、それとも権力を目指す野心家たちの競演を肯定的に綴っているのだろうか。これが、実は単純ではない。
    (ここまで1971文字/ここから2621文字)