• このエントリーをはてなブックマークに追加

今なら、継続入会で月額会員費が1ヶ月分無料!

記事 2件
  • 勇気のレッスン。自意識が生み出すモンスターを制圧せよ。

    2015-06-18 01:46  
    50pt

     さて、自意識を巡る一連の記事の最終回です。
     前回の記事では「結局、ささやかな勇気を振り絞って現実と向き合うしかないよね」というところまで書きました。
     一部に異様に面の皮の厚い人はいますが、一般にひとはみな繊細な自意識を抱えていて、なかなかチャレンジングに生きることができません。
     それでは、どうすればその殻を破って、自分の世界を拡張することができるのか?
     なけなしの勇気を振り絞るための秘策とは?
     そんな方法がわかっていたら苦労しないよといいたいところですが、ぼくが自分の経験から導き出した答えとは「徹底的に現実と向き合う」ことです。
     ひとはだれもみな何かしら偏見を抱えていて、事実とはずれた世界を現実として認識しているものです。
     たとえば、ある人物に対して「どうにもいやな奴だ」、「あいつは四六時中ひとの悪口ばかり考えているのだろう」などと思い込んだりする。
     しかし、現実にはどんな人間でも「悪」の結晶ではなく、雑多な思考を行いながら生きているのです。
     ある人間を「いやな奴」という認識でカテゴライズすることは現実を「単純化」することです。
     もちろん、人間は限られた脳の能力で超複雑な現実を把握しようとしているわけですから、「単純化」はだれもが避けられないことです。
     せいぜいが偏見に振り回されないように努力することができるくらいで、一切偏見なく生きることはできないでしょう。
     しかし、この偏見がひとを苦しめるのです。偏見は恐怖を肥大化させるから。
     たとえば、ある人に「おはよう」と話しかける、それだけのことでも、偏見を抱えていると途方もなく恐ろしいことになってしまいます。
     もし相手が自分に悪意を抱いていたらどうしよう、そうでなくても話しかけることで変な奴だと思われるかもしれない、あるいは突然殴りかかってくるかも、といった想像が連鎖的に暴走することで、ひとは一切行動することができなくなります。
     その時、かれは「ほんとうの現実」ではなく、バケモノのように肥大化した現実を認識し、それと向き合うことで勇気をくじかれてしまっているのです。
     いわば、「現実のモンスター化」。
     ある意味では、自ら現実世界を強大な敵にしてしまっている。簡単なことを困難にしてしまってもいる。
     こうやって認識を肥大化させつづけ、世界をモンスター化しつづけると、ひとはついには一歩部屋から外へ出ることもできなくなってしまいます。
     とはいえ、 
  • 最高に面白い人生を生きるために。何が「自意識の牢獄」を開くのか?

    2015-06-10 04:27  
    50pt

     『人生ドラクエ化マニュアル 覚醒せよ! 人生は命がけのドラゴンクエストだ!』という本を読みました。
     いまどき「覚醒せよ!」ってすごいなと思うわけですが、ようするに『ドラクエ』をネタにした一種の自己啓発書ですね。
     つまり、退屈な(あるいは苦しみに満ちた)人生を『ドラクエ』に見立てて考えることによって面白いものにしようという発想です。
     著者によると、面白いゲームには三つの要素があり、それらの要素を現実に叩き込むと自然と人生はゲームらしくなってくるといいます。
     その要素とは、「目的」であり、「ルール」であり、「敵」。
     つまり、面白い人生を楽しむためにまず必要なのは「目的」ということになります。
     もちろん、現実世界はゲームと違っていて、「あらかじめ設定された目的」がありません。
     したがって、面白い人生を歩みたいと望むなら、自分の意志で「目的」を決める必要があります。
     著者によると、その「目的」はとにかくワクワクすることでなければならない。
     あたりまえといえばあたりまえでしょう。特に面白くもない「目的」を定めたところで、そこに努力し邁進しようという気にはなれないでしょうから。
     まずは何かワクワクするような「目的」を決めること!
     そこからしかすべてはスタートしない。それはほんとうにそうだと思うのですよね。
     いま、ぼくの人生は非常に退屈であるわけですが、それは「目的」がないからなんだよなあ、とつくづく思います。
     そう、自分の人生がつまらないのはどこまでも自分のせいなのであって、だれの責任にするわけにもいかないんですよね。
     うーん、現実はきびしい。
     しかしまあ、ぼくが人生に独創的な「目的」を設定できずにいることにも理由があります。
     やはりとても叶いそうもない「目的」を設定することには躊躇があるわけです。
     それはそうですよね。どんな「目的」でも設定するだけなら自由とはいえ、あまりにも高望みをすることは気恥ずかしい。
     また、人生ゲームの「ルール」や「敵」は「目的」をさだめた瞬間に自動決定されるので、あまり高い「目的」を設けてしまうと必然的に過酷な「ルール」のもと、強大な「敵」と戦わなくてはならないことになります。それはいかにもしんどい。
     つまり、人生ゲームを面白くするためには、まずは「適度にむずかしい」、「それでいてワクワクする」目標をさだめることが必要であるわけです。むずかしいですよね。
     それだけではありません。何かしら「目的」を決定したなら、そこへ向かって努力しなければならないので、「新しい世界」を切り開いていく必要があります。
     これが怖い。ひとは一般に「きびしいチャレンジ」には怯むものです。
     失敗したらどうしよう。間違えたらどうすればいい? 恥をかいてしまうんじゃないか……。そんな雑念が心をよぎるからこそ、「新しい挑戦」に怯えてしまうのですね。
     結局、ここでも問題になるものは「自意識」です。