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記事 2件
  • 特別な1%だけではなく、凡庸な99%が愛おしくてたまらないオタクの心理。

    2016-04-09 11:52  
    51pt
     1%と99%。
     いいえ、べつに「ウォール街を占拠せよ」といいだしたいわけではありません。
     この数字は社会における富裕層とそれ以外の割合ではなく、創作における大傑作とそれ以外の割合を指しています。
     つまり、どんなジャンルであれ、真の傑作と呼ぶべき作品は全体の1%あればいいほうだということ。
     基本的にアマチュアが多くを占めるウェブ小説や同人漫画では、もっと少ないかもしれません。
     しかし、数は少ないとはいえ、その1%こそがジャンルを代表するものであり、残りの99%を合わせた以上に大きなバリューを秘めた存在なのです――と、ぼくのような人間は考えがちであるわけですが、ほんとうにそうなのでしょうか。
     99%の作品の価値は全部合わせても1%に及ばないものなのでしょうか。
     そう考えていくと、どうやら必ずしもそうではないという結論が出そうです。
     たしかに、99%に属する作品はかがやかしい天才による1%ほどの圧倒的存在感を示しているわけではないかもしれない。
     それらはどこかしら平凡であったり、ありふれていたりするでしょう。
     ですが、それでも、なお、ジャンルの大多数を占めているのはそういった作品のほうなのです。
     そして、ジャンルフィクションのファンというものは、大方、そういう99%の作品をこよなく愛しているものなのです。
     シオドア・スタージョンはぼくの敬愛する天才作家ですが、「どんなものも90%はクズである」といういわゆる「スタージョンの法則」を残したとされています(じっさいにはちょっとニュアンスが違うらしいですが、まあ、こういうふうに伝わっている)。
     スタージョン自身は1%に属する作家であったにもかかわらず、99%の作家と作品を擁護したのです。
     スタージョンの法則は、さまざまな局面にあてはまります。
     たとえば、エロゲの代表作というと、ぼくなどは『SWAN SONG』みたいな奇跡的傑作を挙げたくなりますが、その一方でぼくは『To Heart』とか『Piaキャロットへようこそ!』とか『夜が来る!』なんかも大好きなんですよね。
     それらは天才的想像力の産物とはいえないかもしれないけれど、穏やかに心を癒やす作品です。
     やっぱりそういう作品も必要だと思うのですよ。
     SFとかミステリといったジャンルフィクションでも、99%の作品群には愛着があります。
     ロケットと美少女と宇宙海賊! レムやイーガンの傑作だけではなく、そういうありふれたガジェットの小説にも心惹かれるわけです。
     そういうものが好きだということが意外にジャンルフィクションを愛好するということの本質を成している気がします。
     もちろん、1%と99%は明確に分かれているわけではなく、99%の作品のなかでもさまざまなグラデーションが存在しているということもほんとうです。
     しかし、 
  • 『冴えない彼女の育てかた』に刻の涙を見た。

    2015-10-01 19:16  
    51pt

     最近、どういうわけか積読していたライトノベルを読もうという気になっていて、きょうは丸戸史明『冴えない彼女の育てかた』第2巻を読み終えました。
     第1巻を読んだのはずいぶん前のことで、それからテレビアニメが放送されたりもしたのだけれど、なんとなく止まったままだった本をようやく読むことができ、感慨無量です。
     さっそく第3巻にも取り掛かったから、こうなったら既刊全巻を読了する日も近いでしょう。たぶんね。きっとね。
     で、感想なのですが、大変面白かったです。
     第1巻も面白かった記憶がありますが、この手のシリーズものは読み進めれば進めるほどにキャラクターに愛着が沸き、よりいっそう楽しめるようになるもの。
     この作品もご多聞に漏れず第1巻以上に楽しく読めたと思います。
     しかし、いまさらながらに思い知りましたが、内容が古いですねー。
     「主人公が小さなサークルを作って同人ギャルゲーを制作する」という突端からしてとても時代を感じさせるわけですが(いまどきギャルゲーて)、それ以上に「オタク」をことさらに強調する感性そのものが古い。
     ここらへんのオタク自己言及テーマのカッティング・エッジはやはり『妹さえいればいい。』だと思うのだけれど、それと比べると二世代くらい前の作品に感じます。
     まあ、これはあとがきで作者自ら語っていることでもあるし、特に欠点といえるようなことでもないとは思うのですが、それにしても古めかしい。
     思わず「そうそう、昔はこうだったよね!」とうなずきながら読みましたとさ。じっさいにはさして昔のことでもないはずなのに……。
     刊行されたのは数年前のことだからかもしれませんが、それを考慮にいれてもちょっと時代とずれている感じ。
     逆にいえば、ここ何年かの「オタク」を巡る状況の変化には驚かされます。
     新井輝さんの『俺の教室にハルヒはいない』あたりもそんな感じでしたが、もはやこの手の自虐的なひとり語りは通用しなくなっているのかもしれません。
     時代は変わったなあ(しみじみ)。
     具体的に何が変わったのかといえば、「オタク」という言葉を巡る自意識のあり方でしょう。
     『冴えない彼女の育てかた』の主人公はかなり意識的に「オタク」と「リア充」を対比し、時に劣等感に浸ったりしているのですが、こういう形の自意識は最新のライトノベルでは解体されています。
     オタクがどうこう、リア充がどうこうということをあえて意識する必要がなくなったのですね。
     これはリアルに世相を反映していると思うのだけれど、そういう意味ではこの主人公は前世代的なキャラクターといってもいいのではないでしょうか。