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記事 3件
  • 『HUNTER×HUNTER』における新世界とは「物語破壊の装置」である。

    2016-06-03 15:07  
    51pt

     全読者待望の『HUNTER×HUNTER』最新刊が出ました。
     さっそく電子書籍で落として読む、読む。もちろん雑誌で追いかけてはいたけれど、あらためてまとめて読むとあらためて面白いですね。
     前巻で、長かった「キメラアント篇」に続く「会長選挙篇」が完全に終わって、この巻から「暗黒大陸篇」が始まります。
     いままでの物語世界全体が広大な「暗黒大陸」に取り囲まれていたことがあきらかとなり(な、なんだってー)、一気にスケールアップするわけなんだけれど、あまりに突然の展開に、当初は正直、「大丈夫なのか?」という思いもありました。
     しかし、その後の展開を追いかけていくと、どうやら大丈夫であるらしい。
     なんといっても一向に物語のテンションが落ちない。第33巻にしてこの情報量とハイテンションは驚異的です。
     もちろん、実質的に週刊連載のスタイルを捨てたからこその高密度ではあるんだろうけれど、そういうことは関係ないですからね。面白さが正義。
     いったいこの先、「暗黒大陸」を舞台にどのような冒険が繰り広げられるのか、ほとんど想像を絶していますが、だからこそ楽しみでなりません。
     さて、このブログを長いあいだ追いかけている人ならご存知かと思いますが、「暗黒大陸」や『進撃の巨人』の「城壁の外の世界」から発想して、LDさんは「新世界系」という概念を生み出しました。
     『ONE PIECE』の「新世界」から採った名称です。『HUNTER×HUNTER』でも「新世界」という呼称が使われていますね。
     「新世界系」とは何か? 説明するのが面倒なので自分の記事から引用すると、こんな感じです。

     さて、ここで『HUNTER×HUNTER』の話に繋がるのですが、最近、ペトロニウスさんとかLDさんが「新世界」、あるいは「外の世界」といわれるヴィジョンについて話しています。
     これは、『ONE PIECE』や『HUNTER×HUNTER』などの作品で、いままでの世界よりも遥かに大きい「新しい世界」が存在する、という展開が描かれているという話です。
     『ONE PIECE』ではまさに新世界、『HUNTER×HUNTER』では暗黒大陸などと呼ばれている場所のことですが――これが、「現実」を意味しているのではないか、という指摘をLDさんがしているのですね。
     非常に興味深い話だと思うのですが、ここでいう「現実」とは、「努力や成長が意味を持つ少年漫画的な原理」が通用しない世界のことだと思うのです。
     通常、少年漫画のような物語は、四天王キャラが最弱の者から順番に襲いかかってくるように、主人公の成長に合わせて少しずつ進展する傾向があります。
     『ドラクエ』でもレベル1のところにいきなりギガンテスがやって来るというようなことはないわけです。しかし、いま述べたように、現実はそうではない。
     そこでは、判断を誤れば待つものは死であるのみか、最も正しい判断をしてなお、死しか待っていないかもしれない。そういう原理があるわけです。まさに、日本代表が最善の努力をしたかもしれないにもかかわらず、無残な敗北を喫したように。
     努力が正しく報われる世界、正義が必ず勝つ世界、そういう少年漫画的な原理が通用する世界を「正しい」とするならば、この世は正しくできていないし、まさに「クソゲー」としかいいようがないシステムで動いています。
     でも、その不条理さを受け入れること、そういう世界を折り合いをつけることが、「大人になる」ということでもあると思うんですよね。「いかにして成熟するか」という問題がそこにあります。
     そして、成熟した上で、さらに過酷な現実に立ち向かう覚悟を維持することができるか? おそらくその強靭な精神を持った者のみに、絶望的な難易度のクソゲーであるところの「外の世界」は扉を開くのでしょう。
     そこは努力とか、成長とか、誠意とか、愛情といったものが何の役にも立たないかもしれない世界。かたくななナルシシズムなど一顧だにされない世界。人間中心主義(ヒューマニズム)がまったく通じない世界です。
    http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar563640

     そう、「レベル1から敵が出て来るとは限らない、いきなりレベル99のラスボスが登場するかもしれない世界」、それが「新世界」です。
     こう書くとわかるかと思いますが、「新世界」においては通常の物語は成立しません。
     だって、 
  • 『HUNTER×HUNTER』と強さのインフレ、デフレ、そしてランダムウォーク。

    2016-04-27 12:05  
    51pt

     『HUNTER×HUNTER』が連載再開してしばらく経ちます。
     いまさらいうことではないかもしれませんが、めちゃくちゃ面白いですね!
     今週号はなつかしの「天空闘技場」を舞台とした、ヒソカとクロロの死闘。
     最初に「どちらかが死ぬまでやる」と宣言され、いったいふたりのうちどちらが勝者となり、敗者となるのか、目が離せません。
     普通に考えれば、両者とも物語にとっての重要人物であるわけで、ゴンやクラピカと無関係のところであっさり死んでしまうはずはないと思えるのですが、そこは『HUNTER×HUNTER』、予断を許しません。
     おそらく、この戦いが終わったとき、どちらか片方は闘技場に斃れることになるのでしょう。あるいは、両者ともが闘技場の土となる運命化も。
     この、先の予想をまったく許さない展開こそが『HUNTER×HUNTER』の本領です。
     ああ、戻ってきたのだな、という気がしますね。おかえりなさい。
     ただ、クロロにしろ、ヒソカにしろ、いままでの物語のなかでは最強の存在であった「キメラアントの王」メルエムと比べれば、実力的には劣るはずです。
     いかに「念能力に強弱という概念はない」とはいっても、メルエムはあまりに強すぎた。
     だから、いまさらクロロ対ヒソカ戦をやってみたところで、盛り上がりに欠けることになる――はずなのですが、じっさいにはそうはなっていません。
     この上なく緊張感のある死闘がくり広げられています。
     結局のところ、「もっと強く、もっともっと強く」という方向性だけが面白いわけではない、ということなのですね。
     たしかに、読者は一般に「もっと強いやつ」を求める傾向がある。
     しかし、その読者の声に応えつづけていると、はてしなく強さは数的に上がっていくことになってしまう。
     その「強さのインフレ」をまさに極限までやったのが『ドラゴンボール』であるわけですが、そこには「同一パターンのくり返し」でしかないという問題点があった。
     で、『ドラゴンボール』以降の漫画はそこから何かしら学んで、同じことをくり返さないようにしているわけです。
     その端的な例が『HUNTER×HUNTER』ということになる。
     この世界では、いったん極限まで行った強さの表現が、ふたたび下のレベルに戻ることがありえるのです。
     これについては、ペトロニウスさんが昔、『BASTARD!!』を例に「強さのデフレ」という言葉で説明していました。

     「強さのインフレ」ならよく聞きますが、「強さのデフレ」とはなんでしょうか?

     こういう表現を考える時に、視点の落差、、、、具体的に言うと、萩原一至さんの『BASTARD!!』を思い出すんですよね。ぼくこの第2部が、とても好きで、、、第2部って主人公が眠りについた後の、魔戦将軍とかサムライとの戦いの話ですね。何がよかったかって言うと、落差、なんです。『BASTARD!!』は、最初に出てきた四天王であるニンジャマスターガラや雷帝アーシェスネイなど、強さのインフレを起こしていたんですね。普通、それ以上の!!!ってどんどん強さがインフレを起こすのですが、いったん第2部からは、彼らが出てこなくなって、その下っ端だった部下たちの話になるんですよね。対するサムライたちも、いってみれば第1部では雑魚キャラレベルだったはずです。しかし、同レベルの戦いになると、彼らがいかにすごい個性的で強い連中かが、ものすごくよくわかるんですね。
     強さがいったんデフレを起こすと僕は呼んでいます。
     これ、ものすごい効果的な手法なんですよね。何より物語世界の豊饒さが、ぐっと引き立つんです、要は今まで雑魚キャラとか言われてたやつらの人生がこれだけすごくて、そして世界が多様性に満ちていて、下のレベルでもこれほどダイナミックなことが起きているんだ!ということを再発見できるからです。なんというか、世界が有機的になって、強さのインフレという階層が、役割の違いには違いないという感じになって、、、世界がそこに「ある」ような感じになるんですよ。強者だけが主人公で世界は成り立つわけではない!というような。
    http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20131228/p2

     世界は、絶対的強者だけで成り立っているわけではないということ。
     「頂点」の戦いがすべてで、そのほかの戦いには価値がないというわけではないということです。
     「底辺」は「底辺」で、きわめて熱いバトルをくりひろげているわけで、その「底辺」を描き出すこと(=強さをデフレさせること)は、「世界の豊饒さ」を描き出すという一点において、大きな意味を持ちます。
     つまり、ひたすら「強い奴」にフォーカスしている世界より、強い奴もいる、弱い奴もいる、それぞれがそれぞれのレベルで懸命に生きているということがわかる世界のほうが、より豊かに感じられるということだと思います。
     『HUNTER×HUNTER』の場合、ヒソカにしろクロロにしろ、「底辺」には程遠い最強の一角を争うひとりであるわけですが、メルエムのレベルには及ばないであろうことは間違いありません。
     しかし、そのふたりが、これほどの実力を持っているのだ、ということを示すことによって、世界はあらためて豊饒さを取り戻すのです。
     ところで、「レベル1のときにレベル99の敵が現れるかもしれないリアルな世界」のことを、ぼくたちはLDさんに倣って「新世界系」と呼んでいました。
     新世界系の物語は、「突然、異常に強い敵が現れるかもしれない物語」であるわけですが、いい換えるなら、「強い敵と弱い敵があらわれる可能性がランダムに設定されている物語」ということもできそうです。
     つまり、そこではひたすら「もっと強く、もっともっと強く」という方向には物語は進まない。
     「レベル1のときにレベル99の敵が現れるかもしれない」ともいえる一方で、その逆、「レベル99のときにレベル1の敵が現れるかもしれない」ということもできるわけです。
     これは、一見するとつまらないようにも思える。レベル99のときにはレベル1の敵なんて相手になるはずがありませんからね。
     しかし、「強さのデフレが豊饒な世界をもたらす」という視点で見ると、意味があることであるように思えてきます。
     ようするに、新世界の物語とは、強さが単純にインフレしたり、デフレしたりするのではなく、その時々で乱高下する「強さのランダムウォーク」の物語であるということです。
     『HUNTER×HUNTER』はだんだん 
  • 『魔法少女まどか☆マギカ』の魅力はどこにあったのか。

    2015-10-24 17:16  
    51pt

     つい先ほどまでラジオで話していた内容が興味深いので、ちょっとぼくなりにまとめてみたいと思います。
     端的にいうと、『魔法少女まどか☆マギカ』の魅力とはなんだったのか、なぜあの作品はウケたのか、という話ですね。
     ご存知の通り、『まどマギ』はここ最近の深夜アニメのなかではトップクラスといっていいくらいにヒットしたわけなのですが、では、なぜヒットしたのか? どこが特別だったのか? と考えるとよくわからないところがあるわけです。
     一見すると、『まどマギ』の特徴は「可愛らしい絵柄の女の子(萌え美少女)を徹底的にひどい目に遭わせていること」であるように見えるし、その点に影響を受けたと思しいフォロワー作品がいくつかある。
     まあ、じっさいに直接的な影響があるかどうかは知りようもないわけですが、『まどマギ』の後、ぼくたちが「女の子をひどい目に遭わせる系」とそのままのネーミングで呼んでいる系譜の作品がいくつか出て来たことは事実です。
     しかし、ほんとうに『まどマギ』のヒット要因がそこにあったのかというと疑問なんですよね。
     というのも、いま述べたようなフォロワー作品はそこまでウケているようには見えないからです。
     どうやら女の子をひどい目に遭わせればそれでいいというものではないらしい。
     むしろ、女の子たちがひどい目に遭うことがありえる世界でどのように生きていけばいいのかというところにフォーカスするべきなのかもしれない。
     と、ここまではいままで語ってきた通りです。
     で、今回、LDさんが仰っていたのが、つまり『まどマギ』とは「女の子(萌え美少女)と一見それと関係なさそうなジャンルを接続するという方法論の作品」のひとつだったのだ、ということです。
     この場合、女の子が何に接続されたのかといえば、ぼくたちがいうところの新世界系(突然ひとが死ぬような過酷な世界を描いた物語)ということになります。
     『まどマギ』とは、萌え美少女と新世界を接続した作品だったわけです。
     そして、その結果、副次的に女の子がひどい目に遭うことになった、ということです。
     つまり、『まどマギ』は女の子を趣味的にひどい目に遭わせたところに魅力がある作品ではなかったし、そこにウケた理由があるわけでもない、ということですね。
     いい換えるなら、『まどマギ』が「女の子をひどい目に遭わせる系」に見えるのは一種の錯覚ということになります。
     もちろん、じっさいに女の子はひどい目に遭っているのだけれど、そこを目的とした作品ではないのです。
     女の子をひどい目に遭わせようという趣味自体は、いうまでもなくはるか昔からあったものと思われます。
     表面に出て来ることは少ないにしても、エロゲやエロマンガといったアンダーグラウンドカルチャーでは、凌辱系と呼ばれるジャンルは昔から人気があったわけですから。
     だから、『まどマギ』はその意味では特に画期的ではない。
     それならどうしてウケたのかといえば、