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殺人鬼は問い、化け物は答える。「人間らしさ」とは何か?
2015-04-11 02:5451pt
『寄生獣 セイの格率』が最終回を迎えました。
いくらかアレンジされているところはあるとはいえ、原作漫画とほぼ同じ結末で――そしてやはり感動的です。
原作で初めてこの結末を見たときはそれはそれは震えたもの。いまから20年も前のことですね。
今月は劇場映画版の『寄生獣』も公開されることになるので、この『寄生獣』という伝説的傑作にとって記念すべき月といえそうです。
さて、この比類ない物語にはひとりの殺人鬼が登場します。
かれは人間でありながら人間を殺しつづける「バケモノ以上のバケモノ」という存在です。
最終的にはおそらく死刑になったものと思われますが、そのかれが主人公に向かっていいます。
「自分こそが人間らしい人間だ」と。
ほかの大半の人間は自分を偽っているに過ぎないと。
その演説は結局はヒロインの「警察を呼んで」という実にまっとうなひと言によって中断されるのですが、ぼくはこの殺人鬼のいうことには一理があると思うのです。
なぜ、ひとを殺してはいけないのか? その問いに明確な答えがない以上、「どこまでも自分の欲望に忠実に生きる」こともまたセイのひとつの答えなのではないか、そう考えます。
そういう姿を「非人間的」と呼び、「バケモノ」とののしることは何かが間違えている。
もちろん、この種の反社会的な存在は社会のルールに抵触しますから、社会はその存在を抹殺しようとするでしょう。
具体的には、捕まえて一生檻のなかに閉じ込めるか、さもなければ死刑にする。それが社会の「絶対反社会存在」に対する対処です。
いい換えるなら、そのくらいしか「どうしても社会と相容れない存在」を処理する方法は存在しないということでもある。
社会はそこで社会自身が生み出した倫理を持ち出すわけなのですが――どうでしょう? そういう真に反社会的な存在に対して、社会のモラルがどれほどの意味を持つでしょうか?
倫理とはつまり社会に生きる人々同士の「約束事」であるに過ぎないわけで、その「約束事」の外にいる存在に対しては何ら意味を持ちません。
ライオンに法を説いたところで意味はない。寄生獣にも、また。殺人鬼もそれと同列の存在なのでは?
それなら、非情な殺人鬼に対して我々はどう行動するべきなのか? それはやはり「社会のルール」に則って処断するよりほかない。つまり、「警察を呼ぶ」しかない。
それがどれほどエゴイスティックなことに過ぎないとしても、やはりそれだけしかできないわけなのです。
しかし、だからといって犯罪者を「人間ではない」とすることは間違えている。
それはつまり、人間の範囲を狭めて理解できないものを排除するだけの理屈に過ぎない。
ぼくはそういうふうに思います。
この世には、社会の常識から見れば「バケモノ」としか思えない存在がある。社会はその「バケモノ」を説得する論理を持たない。ただ、捕まえて処理するだけ。
それは「社会にとっては」正しい理屈です。社会にとっての最優先課題は社会の存続なのですから。
しばらく前に「『黒子のバスケ』脅迫事件」と呼ばれる事件があって、その犯人は、凶悪犯罪者である自分は死刑になるべきだと主張していました。
しかし、社会は決してかれの主張を採用しないし、またそうするべきでもないでしょう。
法律はべつにかれの自意識を満足させるためにあるわけではないからです。それはただ社会が自衛するために存在している。
かれはその欺瞞を問うことはできるかもしれません。ですが、ほんとうは何も矛盾してはいないのです。
社会は社会のことを再優先に考える――それだけのこと。きわめて合理的な理屈だと思います。
ただ、そこに「善悪」とか「倫理」を持ち出すと、話がややこしくなって来るだけのことです。
そう――人間は(人間社会も)しょせん自分のことを第一に考えるしかない。
だから、ほんとうは何が「人間的」で、何がそうでないのか問うことそのものが間違えているのでしょう。
そこまでは当然といえば当然の理屈です。だけれど、 -
ファンタジー男子はノーマル男子を駆逐しつくすか。
2013-09-02 21:4053pt
樹なつみ『花咲ける青少年 特別編』がおもしろいです。
20年以上前に連載されて好評を博した名作の続編ですが、大抵の続編ものがそうであるような前作の焼き直しに留まってはいません。
前作の設定を踏襲しながら、より美しくなった絵柄、より力強さを増した物語で魅せます。いやあ、ほんと、素晴らしいとしかいいようがない。
なんと美しいユージィン! やっぱり少女漫画はこうだよな、と。少年漫画にはまずここまで極端な美形キャラクターは出てきませんからね。
20年前のキャラクターをいま、より美しく描けるなんてほんとうに凄い。
『ヴァムピール』を読んだときは「樹なつみも変わってしまったなあ」と思っていたんですが、まったく筋違いの意見でした。
描こうと思えばいまでもこういう絵柄を描けるんですね。おみそれしました。
いま、物語は最終エピソードの立人(リーレン)編に入っています。数々の「花咲ける青少年」たちを描くこの物語の最大のヒーローであるところの立人さんはもともと魅力的なキャラクターだったのですが、ここに来ていっそう迫力を増しています。
もうかっこいいこと、かっこいいこと。本編の連載当時には読者の大半が立人ファンだったと聞いたことがあるけれど、それもよくわかる凛々しさ、聡明さ。
長身の美青年にして名家の御曹司にして世界有数の事業家という、こんな男いるわけねえよ、なウルトラファンタジー男子ではあるわけなのですが、ここまで描かれると、もう全部赦すしかありません。
ここ10年くらいの少女漫画で見たキャラクターでいちばんかっこいいかもしれない。
ただ、まあ、『花咲ける青少年』はこれでいいとして、ちょっとノーマル男子とノーマル女子の恋愛物語も見てみたいよな、という気もします。
いつのまにかノーマル男子がほぼ駆逐され、ファンタジー男子ばかりが跳梁跋扈するようになった印象がつよい少女漫画業界なのですが、ここ最近、ノーマル男子×ノーマル女子の恋愛漫画でヒット作ってどれくらいあるのでしょうか。
『君に届け』とかそうなのかな(読んでいない)。まあぼくの知らないところでノーマル×ノーマルものも残っているのでしょう。そうだと思いたい。
ノーマル恋愛もの、好きなんですよ。いいじゃないですか、平凡な男の子と普通の -
このベテラン少女漫画家が凄すぎる。(2119文字)
2013-05-01 17:3453pt
雑誌『メロディ』がおもしろい。ぼくのなかでは少年漫画雑誌のベストが『月刊少年マガジン』で、少女漫画雑誌のベストがこの『メロディ』だったりする。
樹なつみ、清水玲子、よしながふみ、種村有菜、高橋しん、成田美名子、川原泉などなど、キャリア10年から30年程度のベテラン作家ばかりをそろえた雑誌で、決して少女漫画の最前線とはいえないはずなのだが、どうしてどうして、圧倒的に面白い。
今月号で圧巻だったのは清水玲子『秘密』の番外編。本編が終わったあと、主人公の隠された過去を振り返るエピソードの完結編なのだが、いやあ、凄まじい。ここまでいい話をきちんと築き上げた上でそこに繋げますか。あなたは鬼ですか鬼なんですか。さすが『竜の眠る星』の、『月の子』の、『輝夜姫』の清水玲子である。素晴らしい。
でもまあちょっと、やっぱりそうですか、結局、男同士の友情ですか、という気がしなくもない。ちょうど樹なつみの『花咲ける青少年特別編』がまたそういう話だっただけに、なおさらそんな感じがする。いや、それが悪いわけではまったくないのだが、一応は少女漫画なんだからもう少し女性キャラクターにスポットライトがあたっても、と思うのだ。
この雑誌の女性読者はそういうことを考えないのかな。みんながみんな腐女子じゃあるまいし。それともみんながみんな腐女子なのだろうか。まさかね。
清水玲子さんはともかく、樹なつみさんというひとは徹底して女性人物に興味がないように見えるひとである。ほとんど嫌悪しているのではないかと思うくらい。やはり世代的な問題があるのだと思うが、このひとの漫画で女性キャラクターを「可愛いなあ」とか思って読んでいると大抵ひどい目に遭う。それはもういつものことだ。
ぼくは繰り返し書いているのだが、『OZ』におけるエプスタイン姉妹の扱いはもう少しなんとかならなかったのだろうか。ヴィアンカはまだしも仮にもフィリシアはメインヒロインだぞ。少女漫画なんだぞ。ボーイズラブじゃないんだぞ。
あきらかに作者の愛情が主人公ムトーと、性別不詳のアンドロイド19(ナインティーン)に偏っていて、ヒロインたちにはないことがわかるだけに、何となく悔しいような思いがする。お願いですから女の子たちにももう少しいい役を与えてやってください。まあ、無理なんだろうけれど。
『花咲ける青少年』の場合、メインヒロインの花鹿・バーンズワースにはたしかに光が集中している。しかし、逆にいうと「花鹿みたいな子じゃないとダメなのか」ということがわかってしまう絶望がある。あそこまでスペック高くないと赦されないんですかねえ。いやはや。
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