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ほんとうに自分の本心をわかっていますか?
2017-12-19 07:0051pt岸見一郎『アドラーをじっくり読む』を読んでいます。
岸見さんはいわずと知れたアドラー心理学の第一人者で、日本を初めとする各国でベストセラーになっている『嫌われる勇気』の著者(の片割れ)でもあります。
この本はアドラーの原著にさかのぼってその真意を探るという内容だけに、きわめて平易ですらすら読めた『嫌われる勇気』あたりと比べると、難解というほどではないにしてもいささか読むのに力がいる印象です。
しかし、まさにそうであるからこそ、『嫌われる勇気』を補完する一冊として大きな価値があるといえるでしょう。
ぼくがこの本を読んであらためて思ったのは、人は「自分がほんとうは何がしたいのか」について知る必要があるということです。
アドラーによれば、人はみな、どこかしら神経症的なところを持っているものであり、一見すると矛盾するような行動を取ることがあります。
たとえば、やりたいことをやらず、や -
熱論再び! 『幸せになる勇気』があなたを啓発する。
2016-03-06 00:2051pt
日本と韓国の双方でミリオンセラーを記録した名著『嫌われる勇気』の続編『幸せになる勇気』を読みました。
前作はぼくにとって十年に一度ともいうべき傑作だったわけですが、それに続く本作の出来はどうか?
よくあるベストセラーの二番煎じに過ぎないのか? ありふれた商業主義の果実でしかないのでは?
否、否、否。本作も前作に引き続いてきわめて刺激的な議論が続き、まさに「勇気の二部作」完結編の風格を示しています。
というより、前作と合わせて二冊で一冊の作品と考えたほうがいいでしょう。
前作を読んで消化不良だった人も、本作を読む価値はあります。
なぜなら、この本では『嫌われる勇気』を読んだひとが疑問に思うかもしれないところが逐一解説されているからです。
前作で友情を誓って別れた「青年」と「哲人」はこの本で再開し、再び議論を開始します。
はたして目くるめくロジックのたどり着くところはどこなのか? 前作を味わえた人なら本書も楽しめること間違いなしです。
そもそも『嫌われる勇気』には、日本ではもうひとつ知名度が低いアドラー心理学の入門書という側面がありました。
時代に100年先んじているという「自己啓発の源流・アドラーの教え」を、アドラー研究者である「哲人」とかれの思想に疑問を抱く「青年」の対決という形で描くという卓抜なアイディアは、いま考えても素晴らしい。
結果としてはアドラーの常識を超越した思想を伝えるためにこれ以上の形式はなかったといっていいでしょう。
「結果としては」と書くのは、いままでの出版の常識ではこのような形式は想定されていないから。
小説でもなく、物語でも、実録でもなく、「対話篇」ともいうべきこの独特のスタイルは、一切の出版上の思い込みを排したところで生まれたのだと思います。まさにアドラーの思想そのもののように。
それでは、『嫌われる勇気』と『幸せになる勇気』全二冊を通じて語られたアドラーの教えとはどんなものなのか。
それは「心理学」と名付けられているものの、ギリシャ哲学の正嫡ともいうべき剛健な思想です。
常識を疑い、あたりまえのことに逆らうきわめてオリジナリティの高い考え方。
世界的にはフロイトやユングと並び称されているというアドラーの哲学は、『嫌われる勇気』のなかできわめて明快に解説されていました。
ひとは他者から嫌われる勇気を持つことによって自立することができるということ。
自分と他人の「課題」は分離しなければならないということ。
そして、人間は過去のトラウマに縛られるような弱い存在ではないということ。
いずれも現代の一般知識からすれば非常識ともいうべき発想です。
しかし、それらすべては「哲人」その人によってとてもわかりやすく解説されたのでした。
そして、「哲人」を論破するべくかれの家を訪れた「青年」も納得して去って行ったのです。
ところが、 -
十年に一度の一冊。『嫌われる勇気』は人生を変えてしまう本だ。
2014-03-12 22:2453pt
岸見一郎、古賀史健『嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え』読了。
書店でこの本を手にとったのは、伊坂幸太郎の帯に惹かれたからだった。曰く、伊坂が小説を書くなかで考えてきたことが、本書のなかにも記されていると。
興味が湧いて、一読した。感動した。すばらしい。すばらしい。すばらしい。この十年間で読んだ本のなかでも、ベストといえる一冊だ。
「自己啓発の源流」というサブタイトルから、いくらか胡散臭い内容を想像するひともいるかもしれない。しかし、本書に胡散臭いところはまったくない。どこまでも単純にして明瞭。これ以上なくわかりやすい「自己啓発」の一冊なのだ。
少なくとも凡庸な自己啓発書を何冊読むよりも、本書一冊を読んだほうが良いだろう。それくらい知的かつ刺激的な一冊である。
そう云っても、まだ怪しく感じられる人もいるかもしれない。たしかに、本書の内容は世間の常識に反している。たとえば本書は語る。世界はシンプルなところだ。そして人生もまた同じなのだ、と。
信じられるだろうか? 世界は不条理にして混沌、どこまでも複雑で見通せない。それが「大人の認識」というものだろうに。
しかし、読み進めていくほどに、その内容にも納得がいくことになる。本書一巻を通して語られているのは「アドラー心理学」「個人心理学」と呼ばれる「哲学」だ。それは場合によってはあなたの人生そのものを変えてしまうほどに激烈な毒を含んでいる。
毒。そのように掲揚することはいささか心苦しい。じっさい、ぼくはこの本を読むことによって巨大な影響を受けた。いままでの人生で、小説を除けば、これほど影響された本はないと云ってもいいかもしれない。
だが、それは既存の価値観を崩壊させ、新たな人生へ向かわせるという意味で、やはり、「毒」と形容したいようなものだ。
本書で語られている「心理学者アドラーの教え」はあまりにも厳しい。一歩間違えれば、すべてを自己責任に帰すだけの単純な精神論にすり替わるような気がしてならない。
しかし、それでもなお、本書の教えはぼくの心を強く惹きつける。なぜなら、ぼくがいままで個人的に考えてきたことが、さらに明瞭に、さらにわかりやすくそこに綴られているからだ。まさに伊坂のように、ぼくもまたこの本のなかに自分を見たのである。
地上の真理を会得した「哲人」と、かれを論難しようとする「青年」の対話の形式で本は進んでいく。「哲人」が語るアドラーの教えは劇薬のように苛烈なもので、「すべての人は幸福に生ることができる」と説くものである。
哲人の、アドラーの教えはこうである。あなたの幸福はあなたが決めて良いのだ、否、あなたが決めるよりほかないのだ、と。あたかも、ひとの幸不幸とはだれも踏み込めないサンクチュアリであるというように。
幸福は外部の条件によってではなく、ひとの心持ちひとつによって決まる。云ってしまえば、陳腐な理想論と思えるかもしれない。しかし、それは真実なのだとぼくは思う。
アドラー心理学が学問的にどのように評価されているのかわからないが、それはともかく、ぼくはこの「教え」に実に感銘を受けた。なぜなら、それは常々ぼくが考えてきたことを遥かに洗練させたものにほかならないからだ。
そうだ、ひとはいつでも幸福になれるし、そうなってかまわないのだ。そのために必要なものは何か? 富か? 名声か? 洗練された容姿か? 否――何もいらない。ただひとつ、
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