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記事 16件
  • フェミニストが腐敗したように、このままではいずれ表現の自由戦士も腐敗する。

    2020-05-11 02:42  
    50pt
     まあ、タイトル通りの話であるわけですが、ネットで活動しているフェミニスト、いわゆるツイフェミってほんとうに腐敗し堕落している人が多いよね、そして、このままだといわゆる「表現の自由戦士」もその道を追随することになるよね、という話です。
     あるいは、ツイフェミと表現の自由戦士の両方を敵に回す記事になるかもしれませんが、ぼくはあえていまのうちに書いておこうと思います。それはぼくが現状にきわめて危機感を抱いているからです。このままではまずいと思っていますし、可能であれば方向転換を促したいと考えているのです。
     まず、「ツイフェミ」について書いていきましょう。ツイフェミ、あるいはTwitterフェミニストが大きな話題になるようになったのはここ数年のことだと思います。
     それまでもフェミニストを敵視する人はいたでしょうが、一部の限られた存在だったと思えます。それが、このわずか数年で「全オタク共通の敵」という感じにまでなってしまった。とりあえずは、そのように見て間違いないのではないでしょうか。
     なぜそうなったのかといえば、フェミニストを自称、あるいは僭称する人たちが、表現規制の議論を持ち出したからです。このことについては、おそらくこの記事を読まれている皆さんもくわしくご存知でしょう。
     キズナアイやら、宇崎ちゃんやら、膨大な例があるわけですが、ツイフェミの人たちはいわゆる「萌え系」(この言葉自体が最近はもうあまり使われなくなっていますが)のイラストやキャラクターのなかに「悪い表現」を見い出しては規制しようと数の猛威を振るったのでした。
     もちろん、それぞれの問題は個別に丁寧に見ていかなければなりませんが、ぼくはその活動全般がはっきりと不当だったと思っています。
     まあ、そうですよね。いちいち表現の自由を持ち出すまでもなく、ちょっと足が出ているだの、胸が大きいだのという、性的と見えなくもないといったレベルのキャラクター表現を規制していては、まともな表現は何もできなくなってしまう。
     ツイフェミの方々はしばしば「これくらい規制しても表現はできるだろう。むしろ、規制のなかで良い表現を模索することが良いクリエイターだ」といいますが、それはダンサーに向かって「ちょっと鎖で縛られても踊ることはできるだろう。むしろ、不自由のなかで良い踊りを模索することが良いダンサーだ」というに等しいことだと思います。
     自由であることは表現の本質なのです。ちょっとくらいなら規制を受け入れるのが大人というものだ、といった意見は論外だと考えます。それは自由人に奴隷になれといっているのと変わらないのではないでしょうか。
     いうまでもなく、この表現と規制の戦いは過去数十年にわたって延々と続いて来たものであるわけですが、ネットが発達したいま、そこが主戦場になった印象があります。
     特にTwitterは、いまでは毎日のように、いや、毎日、必ずツイフェミと自由戦士の争いが続いている印象です。そこで露わになったのは、フェミニストを名乗る人たちの驚くべき腐敗ぶりでした。
     まあ、最初からおかしかったのだという人もいるでしょうが、ぼくはそうは考えていません。少なくとも、ここまでの状況になったのはわりと近頃のことなのではないかと思います。
     また、あるいはこのようにいうと、仮に一部のフェミニストが腐っているとしても、全員がそうではない、フェミニストは一人一派なのだから、というお約束の反論が返って来るかもしれません。
     しかし、これはどうにも都合の良い意見です。Twitterを見ているとわかることに、ツイフェミの意見は驚くほど多様性がありません。一人一派どころか、ほとんど集合意識か何かのように共通の意見を持っているようにしか見えない。
     ひとりが何らかの表現を持ち出して「けしからん!」と叫ぶと、他の人たちもわらわらと集まってきて「まったくけしからん!」と叫ぶ、ということがあたりまえのように見受けられます。
     ほとんどの場合、「これに関しては見逃がしても良いのではないか」というような意見を述べる人は見あたりません。仮にいたとしても仲間のはずのツイフェミから集中攻撃を受けて意見を変えざるを得ないところにまで追い込まれることがほとんどです。
     いったい、そのどこが一人一派なのでしょうか。まあ、あえて強弁するならたまたま意見が合っているだけだともいえるかもしれませんが、それはやはり無理がある考えであるように思えます。
     そうなった理由は色々とあるでしょうが、とにかくフェミニストなりツイフェミは驚くほど身勝手に腐敗していて、専横の限りを尽くしているというのが、ぼくの私見です。
     ここまでは、まあ、ツイフェミを嫌う多くの人に理解してもらえるでしょう。しかし、ぼくはここからそのツイフェミに対抗している表現の自由戦士だって、いずれ腐敗していくだろう、という話をします。
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  • 女性差別批判者に対する批判に混ざる差別主義者の話(よくわからん)。

    2019-03-22 13:54  
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     いまさらながらOculus goを入手しました。いわずとしれたFacebookのスタンドアローン型VRデバイスですが、すでに各所で語られている通り、NetflixやAmazonプライムビデオの動画を見るためのビューワーとしても抜群に使い勝手が良い。
     画質はそこそこで、バッテリーが少なめなのは難点だけれど、寝ころんだままで大画面の動画を観れることはちょっと感動的、ほとんど映画館いらないんじゃね?というところまで飛躍してしまいそうになる。
     すげー。テクノロジーすげー。人類の未来バンザイ。GoogleのSTADIAも期待しています。
     で、そのOculus goで色々と映画を観ているのですが、ちょっと気になっていて「次の一本」にしようかと思っているのが『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』です。この映画に対してはペトロニウスさんが記事を書いていて、これが面白い。
     女性差別の問題は日本でもいまホ
  • トランスジェンダー当事者の女子トイレ使用を認めるべきか?

    2019-03-18 10:23  
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     Twitterで議論が巻き起こっているトランスジェンダーの問題について考えている。
     ことの発端はフェミニストの小宮友根准教授らが「トランス女性に対する差別と排除とに反対するフェミニストおよびジェンダー/セクシュアリティ研究者の声明」(https://wan.or.jp/article/show/8254)を発表したこと。
     これに関連して、「トランスジェンダー女性の女性トイレへの入室を許可するべきか否か」という議論が勃発したのだ。
     これは非常に悩ましい問題だ。仮にトランスジェンダー女性(女性という性自認をもちながら男性的な肉体を持って生まれた人物)の女性トイレ利用を認めるとすると、肉体的な性差で女子トイレの利用者を限定することは「差別」だということになる。
     しかし、それをあくまで差別と捉え、「悪いこと」だとみなすとすると、極論するならすべての男性が女子トイレを利用することを認めなけ
  • 男らしさから降りろといわれても。

    2019-01-19 04:26  
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     現在の男性学においておそらく最も有名な人物に、田中俊之がいる。
     『不自由な男たち』、『男が働かない、いいじゃないか!』など複数の著書で知られる人なのだが、そのなかに『男がつらいよ』という本がある。
     例によって「男らしさ」や「競争」を相対化して生きることを薦めている本なのだが、その一節で「目立たず、積極的でもない男性が女性に好かれるためにはどうすればいいのか」が語られている。
     で、そこで紹介されるのがかの名作『スラムダンク』の小暮くん(メガネくん)なのである。読んでもらえば男性学の恋愛に関するスタンダードな論旨がどのようなものなのかわかると思うので紹介したい。

     地味です。確かに地味ではあります。しかし、魅力的だなと思った女性もいるのではないでしょうか。そうした判断をもっと信じてください。世間でいわれている理想の男性像がどのようなものであっても、自分と相性があうかどうかは全く別問題
  • エマ・ワトスン問題の解決は可能か。

    2019-01-18 04:41  
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     前の記事の続き。
     さて、前回は「男性一般を取りあげて女性一般より「つねに」社会的優位にあるとは定義ではない。話はそれほど単純ではない」という意味のことを語ったが、もちろん、だからといって男性たちが享受する「上げ底」をまったく否定してしまうこともまたできない。
     じっさい、話を日本に限るなら、男性の平均収入は女性よりも高いし、平均的に見ればその社会的地位もいまなお女性より高いだろう。
     だから、ぼくがいいたいのは、そういう一律に均した結果としてならたしかに確認できる「上げ底」を、すべての男性が享受しているわけではないという、あたりまえといえばあたりまえのことである。
     すべての男が楽をして生きていて、すべての女が苦しみの底にあるかといえば、そんなことはありえない。だから、男性が男性であるというだけのことに対して負い目を感じる必要はない。
     たしかに自分自身が性差別をしてきたという自覚があ
  • 男性の自己嫌悪はどこから来るのか。

    2019-01-18 03:56  
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     電子書籍『あいされたい。』を書くために非モテ関連の本を読んでいるのだけれど、どうもぼくは非モテに対して共感がないなあとあらためて感じる。その理屈はともかく、感情的なところにまったくシンパシーを覚えないのだ。
     もっというなら、日本の男性学、男性論がまるで納得できない。男性学の本は何冊か(たぶん日本で出ているものはほとんど)読んだが、ほとんど共感できた覚えがない。
     まあ、それなりに良い本もあるとは思うのだけれど、結局はフェミニズムを下敷きにするというより鵜呑みにしていて、それゆえに歪んでいる印象が強い。
     たとえば『非モテの品格』という本がある。この本の著者は優れた宮崎駿論を書いた人で、書き手として一定以上に信頼しているのだが、この本一冊に限っていうなら、やはりまったくうなずくことができない。
     序盤のほうに、女性から男性への想いを表すこんな一節がある。

     男たちには、たくさんの社会的
  • 男性フェミニストのパラドックス。

    2019-01-11 02:34  
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     ども。年末にコミケまで行ってさんざん散在してきたのでお金がない海燕です。行かなかったらもう少しお金が残っていたかな? まあ、『ワンナイト人狼』が面白かったからいいか。
     さてさて、それはともかく、「女子学生が抱いた“ある嫌悪感”から考える「女子のフェミ嫌い」問題」と題する記事を読んで、これがちょっと興味深かったので、きょうはこの話題について書くことにしたいと思います。
    https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59206?media=gs
     記事の具体的な内容はリンクから飛んで読んでいただきたいところですが、あえて無理に要約すると、筆者がゼミで提示したあるフェミニズム系の論文が、ふたりの女子大生から「嫌い」といわれた、それは「女性が感情的であること」に対する反発であると思われる、といった内容です。
     その論文の内容はこうで、

    「美容整形というのは本人の自
  • 『欲望会議』。エロティシズムの根源を問う。

    2019-01-04 12:57  
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     『欲望会議』を読みあげました。
     アダルトビデオ監督の二村ヒトシ、哲学者の千葉雅也、フェミニストで現代美術家の柴田英里が集まって話しあった内容をまとめた対談集で、これがめっぽう面白い。
     テーマは「欲望」。そして、しばしば人間の欲望を抑圧しようとしているように見えるフェミニズムやポリティカル・コレクトネスといった思想です。
     人間にはさまざまな欲望があるわけですが、ここで俎上に載せられているのは性的な欲望。そこで、性的な欲望とポリティカル・コレクトネス(「政治的正しさ」と訳されるが、これがほんとうに的確な訳語なのかどうかは微妙なところ。以下「PC」と略す。)の衝突が話題に挙がります。
     そもそも人の性的欲望とは、表立って語ることをためらってしまうような性質をもつものです。ありとあらゆるものにスポットライトをあて分析している現代においてもなお、寝室の出来事はあまり表立っては語れない。
     も
  • Vtuberの「自我」はVtuberのものです! フェミニストのものではありません!

    2018-10-09 22:56  
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    以前、このブログでも取り上げた少年ブレンダさんが、一昨日、ブログ記事を更新していました。これ(↓)です。
    http://rainbowflag.hatenablog.com/entry/2018/10/07/232520
    Twitterでの主張は正直、荒唐無稽の印象が強いものの、この記事はなかなか読ませます。以下、この記事について語っていくので、未読の方はまずはリンク先に飛んで読んでおいてください。
    ――読みましたね? この先は読んでいることを前提として語っていきます。
    さて、皆さん、この記事についてどう思われたでしょうか? Twitterを見る限りかなり好評のようだし、じっさいかなり良く書けていると思うのですが、同時に、ちょっと読んだだけでは気づかないくらい巧妙に、複数の、それぞれ異なる事情を持つ事例が混同されています。
    どういうことか。見て行きましょう。その前に、まずこの記事で気になる
  • 「フェミニズム対オタク」を不毛の構図にするな。

    2017-12-16 15:16  
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     どうもミスが続いて申し訳ありません。このようなことがないよう、書きあがっていない記事の予約更新については見直すことにしたいと思います。
     さて、きょうの話。まずはこの記事をご覧ください。

     「フェミニスト」であり、最近PAPS(ポルノ被害と性暴力を考える会)の理事となった北原みのり氏と、反差別運動にのめり込んで、別の方向に対する差別発言をくりかえし問題になってきた香山リカ氏の対談本が、その事実誤認の酷さや差別的な発言のオンパレードで、問題になり始めてるのです。
     これ、非常に困った話で、さんざん指摘されてる中では「反差別や人権を主張してる人達が、自分たちの都合で『敵』を決め、罵詈雑言や差別に満ちた言葉をぶつけるだけでなく、隙きあらば法制度の形でその差別を合法化しようとしてる」ということに対して、そのスケープゴートに長年上げられることが多かった、主に男性の「オタク」が苦言を呈したり怒りを表明するのに対して、更に逆ギレしたり、自分たちの差別的な部分を正当化することをくりかえして揉めてる。ということの一エピソードなんですよね。
    http://rebuild.hateblo.jp/entry/2017/11/20/143227

     そうなんです。揉めているんです。と、他人ごとのように書きましたが、わざわざ発売日にその本を買ってTwitterに引用し、この問題に火をつけたのは、何を隠そうこのわたくし。なので、まったく他人事ではありません。
     あえてこんないかにもアレそうな本を買うオタクが少ない以上、ぼくが指摘しなければ、たぶんそのままスルーされていた問題でしょうからね。
     この記事、昨今、フェミニストを名のる人たちが起こしているさまざまな問題と、これも最近問題になっている「フェミニスト」対「(主に男性の)オタク」という対立の構図の背景にあるものを指摘していて面白いです。
     まとめると、このような本が出てくる背景には「フェミニズム」の運動としての頽廃が背景にあるのではないか、ということです。
     もちろん、世の中にはまっとうなフェミニストもたくさんいる。そういう人たちはまじめに活動を続けている。しかし、その一方でミサンドリー(男性嫌悪)やそれにもとづく差別発言、歴史修正主義に傾く「フェミニスト」が大勢いて、むしろそれが「フェミニズム」の主流であるようにすら見える。
     そして、そのなかで「フェミニズム」を見放して「ネオリブ」を名のる人たちが出て来ている。これはやはりフェミニズムの危機なのではないかと思うのですね。
     で、この記事の著者さんは、くだんの北原さんと香山さんの本はそのような状況に対応しての「内部のひき締め」を狙ったものだと見るわけです。
     たしかに、そのような側面はあるのではないか、とぼくも思います。ただ、これはTwitterで議論したのですが、はたしてほんとうに「フェミニズム」全体が頽廃しているのか、という議論はあっていいと思います。
     「フェミニズム」は多様で多彩な運動であり、ひと言で「フェミニズム」といって済ませられないくらいのバリエーションがある。それなら、一部の勢力が暴走しているからといって、「フェミニズム」全体に問題があるとはいえないのではないか。
     こういう反論があっても当然でしょう。たしかに一理ある。しかし、ぼくはやはり事を「フェミニズム」全体の問題として捉えたい。少なくとも日本の「フェミニズム」の歴史においては、以下のような思想を十分に批判してきたとはいえないのではないかと思うからです。

     最近の、日本で主流派と主張するフェミニズム運動の人たちは、長年、「男性は男性であるだけで性暴力の加害者である」「わたしたち女が性暴力と思うものは、絵や写真であっても性暴力だ」と言う世界認識を深めていったと同時に、「女性とは唯一の性暴力の被害者であり、男性と違う弱者なんだ」と言う論理を、一緒に深めてきた訳です。

     これ、これ。フェミの思想的リーダーたちのほとんどは、このような思想を肯定はしないまでも、黙認してきたのではないか。
     その結果として、「フェミニズム」はたしかにこのような「世界認識」と「論理」を深め、広めたのではないか。それは「フェミニズム」全体の問題だといっていいのではないか。そう思うわけです。
     いや、このような思想に対しては内部からこのような批判があるよ、という事例があったら教えてほしいと思いますが、ぼくの認識では、そういう批判はないわけではないにしても非常に少ないのではないか、と見ています。
     海外にはあるんですよ。有名なのはアメリカ自由人権協会の会長を務めたナディーン・ストロッセンによる批判ですが、はたしてこれに相当するものが日本にあるかというと――うーん、あるのかな。あったら教えてほしいですね。なくはないと思うけれど。
     こういった「フェミニズムの頽廃」に対する批判は、単に「バックラッシュ」といって済ませていいものではないと、ぼくは思います。
     ただ、むずかしいのは、じっさいにバックラッシュとしかいいようがない性差別的な人たちもたくさんいて、そういう人たちが「フェミニズムの頽廃」を口実に女性の人権を攻撃しているという事実です。
     そのなかには「オタク」を自任する人もたくさん含まれています。だから最悪なのは、「フェミニストのなかの男性差別主義者」と「オタクのなかの女性差別主義者」が互いに正義を掲げ、フェミニストとオタクを代表する形で争い合うという構図でしょう。
     これを避けるためには、少なくとも「オタク」のほうは「オタク」内部の女性差別的な言説を批判していく一方で、「フェミニスト」のなかにも男性差別的な言動への批判を求めていく必要があります。
     北原みのりや香山リカのような人が批判されることは当然でもあり、どうしようもありません。ただ、それを「だからフェミニストはダメなんだ!」的に盛り上げていくと、単なる感情的ののしり合い以上の構図にはならないでしょう。
     で、「オタク」の特に「萌え文化」に対してはかねてより「女性差別的である」という批判があるわけで、「オタク」としてはこれを検証しなければなりません。
     ぼくはその検証のために本一冊分の原稿をほぼ書きあげているのですが、どこからも出すあてはありません(笑)。電子書籍にしても売れないだろうし、ブログに載せるには長文すぎるし、どうしようかな、これ。考えちうです。はい。