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「幸せになりたければフライパンを振れ」とてれびんはいった(かもしれない)。
2015-05-02 03:2551pt先ほどまでてれびんとLINEで宗教心の話をしていたのですが、彼奴がちょっと面白いことをいっていたので紹介します。
欲望の追求による幸福の実現に行き詰まったら、フライパンを振ればいいというのですね。
うん、わけがわからないですよね。
ぼくは、ああまた頭に宇宙からの電波が飛び込んだんだな可哀想に、と思って見ていたのですが、どうやらそうではなく、彼奴なりの意図がある発言であるらしい。
つまり、「合目的的な方向で行き詰まったら意味のないことをやるべき」ということのようなんですね。
ここでいう合目的的とは、言葉にして表せる目的を実現することを目ざすということ。
つまり、「女の子と付き合いたい」とか「美味しい食事が食べたい」とかいう言語化可能な目的を果たすことを望むことです。
一見すると、これらの目的を果たせればより幸せになれるように思えます。
しかし、じっさいには幸せとは言葉で表しきれるものではないわけで、言葉で表せることを実現するだけでは完全に幸せにはなれない。
言葉で表せる部分をどんなに追求しても、どうしたって言葉では表しきれない部分が残るわけです。
その部分を埋める行為が意味がないことをやってみること、つまり、たとえばフライパンを振ってみることということらしい。
ちょっと見にはフライパンと幸せにはなんの関係もないように思えます。
しかし、そもそも幸せとは「こうであれば幸せ」というようにロジカルに定義できるものではない抽象概念であるわけで、「こうであれば幸せ」とは結局、ある種の思い込み、言葉遊び的な幻想であるに過ぎない。
そうであるからには、その幻想を打ち破るために意味がないことをやってみることが有効である――と、そういう理屈だとぼくは理解しました。
突然、頭に電波が飛び込んだわけじゃなかったんですね。
うん、まあ、そういうこともあるでしょう。
てれびんだっていつも意味がないことを語っているわけじゃない。ときにはまともな発言をすることもある。
ただ、それを傍から見て区別することがむずかしいだけで。
さて、それはともかくこの「幸せとは言葉と言葉にもとづく論理では捉えきれない抽象概念である」という示唆は非常に面白いと思います。
ひとは「こうすれば幸せになれる」、「あれを手に入れさえすればもっと幸せになれる」と考えがちなものだけれど、それはしょせん幻想であるにすぎないということ。
そもそも幸せは計量不可能な概念だから、この幸せとその幸せをくらべてこちらのほうがより幸せ、というふうに語ることはできないものなんですよね。
つまり、 -
センス・オブ・ワンダー――世界に「畏れ」を感じる感性。
2015-05-02 02:3151ptペトロニウスさんがリンクしていたこの記事が面白かった。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/interview/20150422/280276/?rt=nocnt&utm_content=bufferd978a&utm_medium=social&utm_source=twitter.com&utm_campaign=buffer
「アメリカを動かす「反知性主義」の正体」。
反知性主義という言葉だけはしっていましたが、具体的にこのような意味であることは理解していませんでした。
まさにインタビューしている方と同じように一面的な印象を持っていたわけですね。何ごとも偏見で判断してはいけないなあ、とあらためて思います。
非常に興味深い記事なので、ちょっと日経IDにログインする必要はありますが、ぜひ読んでみてください。
反知性主義がここで書かれて
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