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ニートアイドル双葉杏は「働かなかったら負けだと思っている」人々の限界をあぶり出す。
2015-03-15 01:2251pt
『アイドルマスターシンデレラガールズ』最新話を見ました。前回に続いて個別のキャラクターにフォーカスした一話完結のエピソード。
うーむ、中だるみというわけではないけれど、ちょっとテンションが落ちたかな。決して文句をつけるわけではないのですが、とにかく「いい人」しか出て来ない良質なファンタジーは前作で既に見ているので、今回は何かいままでにないことに挑戦してほしいということはあるかも。
ただ、何かしらシビアな設定を持って来てもだれも喜ばないという気もするので、あるいはこのくらいでちょうど良いのだとも考えられる。
とはいえ、このまま終わるようだとぼく的には既視感を感じてしまうことは否めない。ひと通り各キャラクターのエピソードが終わった後にどういう話を持って来るかで評価が決まるかな。
まあ、もちろん、ぼくが評価しなくてもほかに評価する人がたくさんいるので、何の問題もないのですが。
でも、前作『アイドルマスター』のファンとしては、何かしらの形で前作を乗り越えてほしい、あるいは少なくともひと味違うものを見せてほしいと望まずにはいられません。前作が素晴らしかっただけにいっそうそう思うわけです。
ちなみに最新話は「働いたら負けだと思っている」ぼくたちのニートアイドル双葉杏の大活躍の巻でした。
最後まで見ても「この子、どういうふうに騙されてアイドルになったんだろ?」という大宇宙の謎は解けないわけですが、杏のキュートさは堪能できます。こやつ、可愛いな! ダメ人間だけれど、ダメ生物だけれど、とにかく可愛い。
最近、この種のダメ人間キャラクターは色々な作品に出てくるようになりましたが、じっさいには「徹底してだらける」ってそう簡単なことじゃないと思います。
もちろん、一生懸命動いているときには何もしないで済んだらどんなに楽だろうと思うわけですが、それが現実になると苦痛を感じる。
どうにもパラドキシカルな話ではありますが、「一切何もしてはならない」と命令されたら、「頼むから何かさせてくれ」といいだす人が多数派なんじゃないかと思う。
一生何ひとつ成し遂げずにおわるというのもやっぱりちょっとむなしいですしね。そうじゃなかったら、だれも必死になってお金を稼いだりしないでしょう。
ほんとうに何もしないつもりなら、ただ生きていくために必要なお金なんてたかが知れているわけで、そこまであくせく働く必要はない。やはり人間は何もしない生活にほのかにあこがれながら、じっさいそうなってみると苦しむものなのだと思う。
ぼくは普段、水とパンと図書館(とネット)があれば生きていけると公言しているのだけれど、より充実した人生を送るためにはやはりどうしたって「生き甲斐」みたいなものが必要になってくるのかもしれません。
だからこそ、ハイパーニートのぼくですらちゃんと確定申告して税金払わないといけないくらいには働いているわけです。まあ、ぼくの「働く」って、健全な社会人の皆さまの「働く」とは、次元が違うかもしれないけれど。
いやー、しんどいわー、日夜じゃがりこ食べながらアニメを見たりするのしんどいわー。新作のカップヌードルを啜りながらネットで落とした映画を見たりするのもしんどいわー。ふー、楽な人生ってないものだなー。
――殺意の波動を感じるのでこれくらいにしておきますが、とにかく気楽な人生を絵に描いて灰色に塗りたくったような生活をしているぼくですらそれなりの「労働意欲」みたいなものはあるわけです。
それはようするに -
神崎蘭子が硝子の靴を履くとき。『アイドルマスターシンデレラガールズ』は愛と救済の聖なるアニメ!
2015-03-09 04:4151pt
優れて面白い物語はひとを救う。特に高尚な芸術に限らない。ときにごくあたりまえの娯楽作品にも救済は宿る。
その秘密は真摯さであり切実さ。それはコメディであれホラーであれラブロマンスであれ変わりないだろう。一冊の本がひとを導くこともあるということ。すべてクリエイターはそういう魔術的な一作を目ざし作品を作っているのではないだろうか。
さて、アニメ『アイドルマスター シンデレラガールズ』最新話を見た。特に衒ったところのない軽いコメディだが、それでもそこにはある種の救いがあるように感じた。
いまの生活がどんなに惨めでも、苦しくても、物語を見ている時は救われる。そう思わせる作品には価値があるに違いない。
萩尾望都の傑作「青い鳥」の一節を思い出す。
なにもかもなくして
希望がなくても
世界が不条理でも
舞台だけは美しかった
あそこには幸福があった
舞台にだけは青い鳥が住んでた
それがほんとうにすばらしいものならば、アニメーションのなかにも「青い鳥」は宿る。だからこそ、きょうに至るまで無数のアニメが作られつづけているのだろう。
『デレマス』もまた、ある種のひとにとっては、そんな「青い鳥」を内に住まわせた作品のひとつである。ようするに非常に面白い。
今回の主人公は「中二病キャラ」の神崎蘭子。いつも漆黒のゴシックファッションをまとい、同じ色の日傘を差して、奇妙な中二病言葉で話すこの少女は、原作ゲームの膨大なキャラクターのなかでも指折りの人気だという。
今回の話は卯月たちに続いてデビューすることになった蘭子が、その企画の是非に関してプロデューサーと対話するまでを描く。
いつからそんなふうになってしまったのか、彼女以外にはよく意味がわからない中二病言葉でしか話せない蘭子は、プロデューサーとうまく意思の疎通を図ることができない。
かれのちょっとした誤解を正すこともできず、ただただ困惑するばかり。そんな蘭子がなけなしの勇気を振り絞り、プロデューサーに自分の意志を伝える場面が今回の見どころだ。
前回と同じくコミュニケーション不全がコミュニケーション成立によって解決するパターン。誤解に基づく問題と理解による解決は、今後も『デレマス』のシナリオのゴールデンパターンとして定着するかもしれない。
そもそも蘭子がわずらう中二病とは自意識の病である。自分の正確なポジションを把握することができず、ただひたすら自意識を空転させ肥大化させる病理。
その結果が過剰に尊大な態度や言葉遣いとなって現れるわけだが、話がコメディになるとそれはキャラクターの可愛げに見えて来る。
じっさい、蘭子もそのほんとうの素顔はごく素直で内気な少女なのだ。不可思議な言葉遣いや白い肌を覆う黒服は彼女の「鎧」。ほんとうは繊細で脆弱な心を持っているからこそ、それとはうらはらに傲慢な態度を取ってしまうわけである。そのギャップが蘭子というキャラクターのチャームポイントなのだと思う。
視聴者のなかにも何らかの形で中二病をわずらった経験がある者は多いだろうから、とても共感しやすいキャラクターなのかもしれない。
思えば、アニメファンなどという人種は、大抵は硝子細工めいた繊細な心を持っているもの。生まれつきワイヤーロープみたいな豪胆な神経を持っているひとはなかなかこの種の作品を理解しないだろうからそれも当然のことだ。
蘭子は、そういう繊細な精神と放埒な態度を共存させた視聴者たちの心をひとりの美少女の形に結晶させたキャラクターだということもできるかもしれない。
だからこそ、夜空色のゴシックドレスや暗号めいた中二病言葉といった「鎧」なくしては生きていけない彼女の儚さは、画面の向こうの同類たちの共感を集めるのだろう。
あるいはそれは健康なことではないかもしれないが、そもそも、べつだん健康でなければならない理由など存在しないのである。現実より夢のなかを好む人間がいて何が悪いというのか?
それは生物としての正常なありようではないだろうが、あるいはそれこそが人間の人間らしさの証明だといえるのではないだろうか。少なくともぼくは不健康なもの、夜の夢の文化のすべてを追放した社会になど住みたくない。
蘭子はたしかにかよわい少女だが、そのフラジャイルな儚さはなまじの強さよりはるかに強烈な印象を残す。彼女はすべての心弱き者たちのアイドルであり、天使にして堕天使、数いるシンデレラたちのなかでもいちばん繊細な心理を持っているかもしれない少女なのだ。かわゆす。
ちなみに、蘭子が好むGOTHICという文化はもともとローマ帝国を滅ぼした蛮人ゴート族に由来し、その言葉は「ゴート族ふうの」を意味しているという。
元々は過去、ヨーロッパにおいて文学、建築、美術の各分野において数世紀にわたって発展しつづけたある種の様式を指す言葉である。
しかし、おそらく日本でいちばんくわしいゴス解説書である『ゴシックハート』の著者・高原英理はこれを具体的な文藝作品や芸術作品にとどまらず、ある種の精神であり様式であると定義している。
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ポップでキュートなアトモスフィア。『ローリング☆ガールズ』が楽しい!
2015-03-03 05:1151pt
ども。最近、わりとアクティヴな海燕です。本も読んでいるし、映画も見ているし、ゲームもやっている。すべて、一般的な社会人にとっては「遊び」でしかないわけですが、ぼくにとっては「仕事」。どうも遊びでメシを食っているようで申し訳ない限りですね。
しかし、そうはいっても読書や映画にはお金がかかるわけで、今月はテレビアニメを集中的に見ようと決心しました。手初めに敷居さん(@sikii_j)が取り上げていた『ローリング☆ガールズ』を見てみることに。
タイトル以外一切情報を仕入れていないのでどういう作品なのかさっぱり。とりあえず初回から見てみるか。――えーと、何だこれ(笑)。ちゃんと初めから見ても何が何なのかよくわからん。
何かの事情で全国の都道府県とか市町村が独立していて、その主権の代理人として「猛者(もさ)」と呼ばれる者たちがバトルを繰り広げている世界、というのはわかる。
しかし、そのアリスソフトみたいな設定から何が飛び出てくるかといえば、何なのだろう、この気の抜けた世界は。キャラクターデザインから何からポップかつキッチュでとてもぼく好みなのだけれど、初回を見ただけではまだ評価できないかな。
このだるだるなアトモスフィアを楽しむ作品なのでしょうか。音楽はすべてブルーハーツのカバーらしいけれど、歌っているのが女の子なのでキュートなガールズバンドの曲にきこえます。
設定だけ取るとニール・スティーヴンソンの『スノウ・クラッシュ』みたいだけれど、どこまでもポップでキュートな路線で行くつもりなのかも。
このあとのストーリーは特に気になりませんが、双葉杏リスペクト民としてこの種のだるだるな空気は嫌いじゃないので、継続して視聴したいところ。
ヒロインの女の子たちも可愛く描けているし、こだわりがあるのかないのかよくわからないあたりもGood。録画はしていおいたものの全然見る気がなかった作品なんだけれど、かなり楽しめる予感がします。やっぱり見てみないとわからないものですね。
何だろうな、よくわからないという意味では『ユリ熊嵐』もそうなのだけれど、あちらはジョークみたいな設定にもかかわらず、中身はほんとうにシリアス。一方、こちらはどう転んでもそこまでシリアスにはならないと思われ、気楽に見られます。
やっぱり寝ころんで楽しむのに適しているかと。幾度めかのダイエット中なので禁断のポテトチップスには手を出さないものの、本来はジャンクフードでもぱくつきながら楽しむのが似合うような作品ですね。
こういうお気楽系が一本あるといいよな。って、最近はむしろそういう作品のほうがマジョリティかもしれないけれど。ただ、ぼくはやっぱりどこまでもマジメなひとなので、本質的にはマジメな話が好きなんですよね。
この場合のマジメとは「思考の硬直」とニアな表現なんだけれど、ようするに融通が効かないということです。気楽な話もそれはそれでいいのだけれど、やっぱりほんとうはどシリアスな話を見たいと思っているのです。いや――この表現だと誤解を招くな。そういうことではない。
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