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記事 14件
  • 恋愛工学はニヒリズムへと人を導く。

    2016-09-17 18:13  
    51pt

     あいかわらず恋愛工学のことを考えています。じっさい、調べれば調べるほど面白い。このネタをまとめて電子書籍を出したいなあと思っているのですけれど、はたして実現するでしょうか。うーん。
     ぼくが考えるに、恋愛工学の最大の特徴は、人と人の「コミュニケーション」を否定するところにあります。ふつう、コミュニケーションとは相手に何らかの「内面」が存在していることを想定し、その「内面」に向けて行うものなのですが、恋愛工学においてはそれは「非効率的」と却下されます。
     たとえば藤沢さんは恋愛工学の教典『ぼくは愛を証明しようと思う。』の刊行にあたって、既存の恋愛物語を否定しています。

    「文学もそうですし、ドラマや映画などを含めても、これまでの恋愛に関する作品は本当の恋愛を描いていなかったのではないでしょうか。恋愛がメインテーマでない作品にも、ほとんど必ずと言っていいほどサイドストーリーに恋愛が入ります
  • 恋愛工学とは非モテを「妄想加害男子」にパワーアップさせる理論である。

    2016-09-15 09:19  
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     トイアンナさんの『恋愛障害 どうして「普通」に愛されないのか?』という本を読みました。恋愛に関して色々なトラブルを抱え込みがちな性格が、「恋愛障害」として整理されていて、非常に面白かったです。
     この本では男性と女性それぞれの恋愛障害を扱っているのですが、ぼくは男なのでまず男性に絞って見てみると、恋愛障害男子には、大別して「妄想男子」と「加害男子」があるとされています。
     妄想男子とは恋愛に関してネガティヴな妄想を抱いていて、そのために恋愛に積極的になれずにいる男性の事。そして、加害男子とは女性をモラハラ(モラルハラスメント)で傷つけたりセックスの道具として利用しつくす男性の事です。
     まあ、前者は非モテで後者はヤリチンかな、と思うのですが、ここではそのいずれもが「障害」として定義されています。
     ときに女性を傷つけるこのような男性たちもまた、自ら望んでそうしているのではなく、心に負った何らかの傷や認知の歪みのためにそう行動せざるを得ないのだという理屈です。
     ぼくはこの本を読んですぐに藤沢数希さんの「恋愛工学」のことを思い出しました。というのも、恋愛工学のロジックとはここでいう加害男子が女性を落とす方法論なのだと感じたからです。
     もっというなら、恋愛工学とは、妄想男子(非モテ)を加害男子(ヤリチン)に「成長」させるための理論であるといえるかもしれません。
     ただし、妄想男子の妄想を解決してくれる類のものではまったくないので、より正確には妄想男子を「妄想加害男子」にパワーアップさせる理論であるといったほうがいいでしょう。
     それでは、その「妄想」とは具体的にどんなものなのか? とりあえず、前回引用した藤沢さんのインタビューにおける発言を再度掲載しておきましょう。

    藤沢:女性が、自分のことに夢中になっている男性を嫌うのは、生物学的な理由があります。動物のメスは、優秀なモテるオスの子を生み、その子がさらにモテることによって、自分の子孫が繫栄することを本能的に求めます。だから、非モテコミットに陥っている男性は、他の女性に相手にされない非モテ遺伝子を持った劣等オスにしか見えないのです。劣等オスの子を産んだら、子も非モテになって、子孫が繁栄しなくなるかもしれません。それは、メスにとって、なんとしても避けたいことなのです。

     これです、これ。まさに妄想。この思想は世の妄想男子が抱え込んでいる妄想のなかでもかなりメジャーなものではないかと思います(ひょっとしたら藤沢さんのおかげでメジャーになったのかもしれませんが)。
     藤沢さんは「生物学的な理由」といっていますが、まあ、ある種の疑似科学ですね。信じちゃう人は信じちゃう類の意見です。
     ようするに「女に知性や理性なんてものはない。あるように見えるのは見せかけだけだ。女はより強い男とつがって子孫を残すことしか考えられない。なぜならそれが遺伝子の命令だからだ」という意見であるわけで、これは女性に対する徹底した不信と蔑視であるといっていいでしょう。
     いや、恋愛工学理論においては男性もまた遺伝子の欲求に従ってより多くの子孫を残そうと動いているに過ぎないことになっているのですから、恋愛工学の根底には女性というより人間存在そのものに対する不信があるといえるかもしれません。
     この種の「妄想」はじっさい非モテ界隈ではよく見かけるもので、恋愛工学のキー概念は本田透さんの著書でも同様のものを見ることができます。
     ただ、本田さんはそこで「オタクになること」を選び、自分の萌え妄想のなかで生きていくことを選んだのに対し、藤沢さんはあくまで女性に対してアプローチしていくことを選んだ。その差があります。
     それにしても、こうして並べてみると『電波男』と『ぼくは愛を証明しようと思う』の表紙デザイン、そっくりだな。妄想男子の妄想の中身は共通項があるということですかね。
     さて、以下に恋愛障害と恋愛工学の関係について書いていこうと思ったのですが、検索してみたらすでにまったく同じことを書いている人がいたので、まずはその記事から引用させてもらいます(ちなみに見出しは再現できないので、省略してあります)。

     恋愛工学では、決して、相手方女性の気持ちを考えてはいけない。真剣に考えれば考えるほど、相手が可哀想になって、ためらってしまい、その結果、何も手出しができなくなるからである。したがって恋愛工学の実践者は、自らの心をマシーンにして、ことをなさなくてはならない。
     まずはじめにすることは、 「目の前にいる女性をけなすこと」、これである。
     見た目、容姿、振舞い、話し方、仕事、趣味、なんでもいいので女性をけなす。けなすことによってまず、自分が相手方に対して優位な立場にあることを植え付ける。相手方女性がそこで傷つくのも、恋愛工学の手続きの一環である。
     傷つけることによって女性を動揺させる。
     動揺させることによって女性に、「この人は何か普通の男と違う♡」と思わせるのである。
     これは、普段けなされる機会の少ない女性、男から「かわいい」「きれいだね」と褒めてもらうことの多い女性、すなわち恋愛偏差値の高い女性に対して、絶大な効果を発揮すると言われている。
     けなした後、その次には、ちょっとした褒め言葉を与える。これは本心でなくともよい。あくまで工学的マシーンと化し、適当な点をでっちあげ、相手に心の報酬を与えるのである。
     ここで、恋愛工学士は、決して相手に媚びてはいけない。なぜなら女性をつけあがらせるからである。あくまで相手方が男性である自分より下位の存在であり、自分に対して抵抗できない存在であり、人間的に価値の低い人物であることを前提として女性に接する。
     すなわち相手方に、人間としての尊厳がないことを前提としたうえで温情主義的に褒める、という点にポイントがある。
     傷つけられた後、褒められる、これによって女性は、心が動揺し、ドキドキする。そしてこのドキドキを、男性への恋愛感情であると思い込むのである。
     いやむしろ、恋愛工学が説くのは、けなされ、雑に扱われ、傷つけられ、精神的に振り回されることによって生じる感情こそが、真の恋愛感情であるということ、これである。
     自分をけなすような権限のある男性が、自分を温情主義的に賞賛してくれる。
     これこそ、女性の快楽であり、恋愛感情が芽生える瞬間であり、恋愛工学の肝である。
    http://books.nekotool.com/entry/love-affair-disorder

     そうなんですよ。どうも恋愛工学では「女性をけなすこと」が重要な戦術とみなされているんですね。けなした上で、褒める。そうすると女性はドキドキして相手を好きになってしまうと。
     うん、それモラハラですよね、と思うわけですが、恋愛工学が「妄想加害男子」を生み出すための理論である以上、こういう戦術を用いることは必然です。
     ええ、まともなプライドがある女性だったら初対面の男からいきなりけなされたら「ふざけるなバカ野郎!」としか思わないでしょうが、その一方でこの戦術が通用する女性たちはたしかに一定数いると思います。
     そうじゃなかったら少女漫画や少女漫画原作の映画でドS男子だの壁ドンだのが流行ったりするわけないもん。最近やたらに見かけるドS男子は典型的な加害男子の一類型であるわけですが、そういう男性に惹かれる女性はたしかにたくさんいるわけです。
     で、なぜ、こんなめちゃくちゃな理論が時として通用してしまうのか? それは『恋愛障害』を読めばあきらかなように、女性側もまた恋愛障害を抱えているからです。
     『恋愛障害』では、「愛されない女性はパターン化できる」として、「愛されない女性」の特徴をいくつも挙げています。
     それは「いつも複数の男性と同時に付き合う」であったり、「恋愛したいが、異常な奥手」であったり、「自分を殺す「尽くし系女子」」であったりするのですが、共通しているのは強烈な「寂しさ」を抱えていることです。
     ひとりでいると寂しいから、手近な恋愛を求めてしまう。「愛されているという確信」が欲しくて、それを歪んだ形で叶えてしまう。そういうアダルトチルドレン的な「障害」を抱えた女性が(たぶんたくさん)いるのです。
     「寂しさ」というキーワードから、ぼくは例の『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』を思い出します。
      この本の著者の場合は「さびしすぎ」たときにレズ風俗に行って抱きしめてもらうというなかなかユニークな方法を選ぶのですが、より多くの「寂しい系女子」は異性との恋愛に救いを求めることでしょう。 簡単にセックスをさせてあげる代わりに「愛している」とささやいてもらったり、プレゼントを贈りまくる代わりに力強く抱きしめてもらったりという「取り引き」を恋愛の本質と考える女性はいま、相当数いるのではないでしょうか?
     愛されたい――切なる想い。しかし、加害男子たちはそこにつけ入ります。もちろん、妄想加害男子である恋愛工学の信徒たちも。
     かれらはそもそも女性と対等な付き合いをしようという気が最初からありませんから(女とは遺伝子情報の命じるままイケメンや金持ちを狙う下等な生き物だということをお忘れなく)、恋愛障害女子はかれらと付き合ってもほんとうに幸せになることはできません。利用されて、いずれ捨てられる運命です。
     こういう「不幸な恋愛」をしている女性は枚挙にいとまがないものと思われます。そして、恋愛障害を抱える「寂しい系女子」は何度、だれと付き合っても、同じパターンをくり返すことでしょう。
     彼女たちがその不幸な恋愛パターンから抜け出すためには一人前の愛され女子として成長するの「ではなく」、「健全な自己愛」を育て、ひとりでいても寂しくないようになるしかないのですが、なかなかそれはむずかしい。
     多くの人は「愛」と「依存」をはき違えたまま、いつまでも「不幸な恋愛」をくり返します。いわゆる「だめんず・うぉーかー」というやつですね。

     実はこういう人はたとえ自分に好意を向けてくれるまともな男性と出逢ったとしても、自分を傷つける男性のほうに向かって行ったりします。
     妄想男子からすると「不条理だ!」とか「これだから女は!」といいたくなるところかもしれませんが、これも恋愛障害の症状の一種と考えると事態はシンプルです。
     「自分を好きになる男なんて気持ち悪い」とかいう女性は、ようするに自分のことが嫌いなんですよ。心の底で自分にはなんの価値もないと思っているから、そんな自分を好きだという人を気持ち悪いと感じる。そして、自分に対して冷たい加害男子に惹かれてしまう。
     ここで、加害男子と寂しい系女子の間では、一種の「負のマッチング」が起こっています。無意識に「冷たくしてほしい」と願っている女性と内心で女性を憎んでいる男性は、ある意味、相性がいいわけです。
     まあ、世にいう「共依存」というやつですね。恋愛工学が考える「恋愛」とは、この共依存が成立した状態の事だといっていいと思います。
     しかし、ぼくはそれを恋愛とは考えません。この場合、「愛してやるよ」と思っている男性も「愛されている自分を確認したい」と考えている女性も、自分のことしか考えていないからです。
     ほんとうの恋愛が、自分とは全く考え方の違う「他者」との出逢いに始まる「複雑なコミュニケーション」であるとしたら、恋愛工学における恋愛とは歪んだ自己愛、ペトロニウスさんふうにいうなら、ナルシシズムなんです。
     そのことについて、こんなことを書いた記事もあります。

    冒頭で、なぜ「ドS彼氏」が人気なのだろうか、と書いた。逆説的ではあるが、凡俗さや迷い、逡巡といった普通の人間としての内面を見せず、相手を支配する強さのみ見せる男に少女たちが心惹かれるのは、彼の中に被支配という形で愛されている自分をうっとりと見つめるためなのではないだろうか。自分を特別な男に愛されるに値する存在だと考えるためには男の凡庸な内面などむしろ邪魔でしかない。
    http://mess-y.com/archives/32592/3

     まさにその通り。つまりは恋愛障害状態にある男性も女性も、相手の内面など見ていないのです。男性は「いい女とセックスできる強いオスの自分」という自画像を、女性は「格好いい恋人に愛されている自分」というアイデンティティを必要としているだけで、ここに「愛」はありません。双方とも自分しか愛していないわけです。
     それでは、双方がいかにしてこの「孤独な牢獄」を抜け出し、「他者」と、「世界」と出逢うのか、その具体的な方法論については『恋愛障害』に記されていますので、そちらを参照してください。
     ちなみに、 
  • 作家は読者の奴隷ではないし、そうなってはいけない。

    2016-07-25 02:59  
    51pt

     『妹さえいればいい。』最新刊を読み終えました。
     前巻はほぼギャグ一辺倒で、面白いことは面白かったのですが、お話そのものは何も進んでいない印象がありました。
     しかし、この巻では劇的に物語が進行します。いやー、面白いですね。ぼくはこういうものをこそ読みたいのだと思う。
     物語が進むとは、ただ状況が変化することではありません。状況が「二度と元には戻らない形で」変化すること、それを物語が進むというのです。
     この巻で、主人公たちの恋愛状況はドラマティックに変わり、そしてこの先、もう決して元に戻ることはありません。
     それは幸せなことではないかもしれないけれど、しかしとても印象的なことです。
     こういうものを読むとぼくはやはり「物語」が好きなんだなあと思いますね。
     平和で幸福で、どれだけ読み進めても何ひとつ変化がないようなお話もいいけれど、でも次の瞬間何が起こるのかわからないようなサスペン
  • 漫画を真に受けなくて何を真に受けるのだ!

    2016-07-11 17:26  
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     茜田千『さらば、佳き日』を読みました。
     てれびんが例の動物的直感(一応は動物の範疇だろう)でどこからか見つけ出してきた作品なんですけれど、これは素晴らしかったです。
     ひさびさに漫画読んでいてぞくぞくした。
     おそらく好みが分かれる作品ではあるだろうけれど、ぼくとしては非常にオススメの漫画なので、ぜひ、この先のネタバレは読まずに買って読んでほしいところ。
     まあ、ネタバレしても作品の素晴らしさが色あせることはないにしても、可能ならネタバレなしで読んだほうがいい。
     そういうわけで、以下、ネタバレありです。いいですか、ネタバレしますよ?
     この物語は、ある男女が新婚夫婦と偽ってひっこしてくるところから始まります。
     お似合いの夫婦に見えるふたりは、実は兄と妹。親に黙ってふたりで暮らしているのです。
     いったいこの兄妹はどうしてふたりで暮らすことを選んだのか? 恋人のようにも夫婦のように
  • 恋愛不感症なぼく。

    2016-06-30 22:46  
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    もしも正しいねがひに燃えて
    じぶんとひとと万象といつしよに
    至上福祉にいたらうとする
    それをある宗教情操とするならば
    そのねがひから砕けまたは疲れ
    じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと
    完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする
    この変態を恋愛といふ

     ども。きょうは高尚に宮沢賢治『春と修羅』から始めてみました。
     ここでそれに絡めてどうでもいい告白をすると、ぼくは生まれてからこの方、同性であれ異性であれ、だれかに恋愛感情を抱いたことがありません。
     もちろん人間的に好きな人はいるけれど、それはやっぱり「友情」の範疇だと思う。
     あるいは性的欲求を伴う友情を恋愛と呼ぶということなのかもしれませんが、その意味ですら恋愛経験はないですね。
     特定の人に性欲と友情の両方を感じたことは一度もありません。
     ちなみにぼくはいわゆる2次元キャラに対しても恋愛感情を抱いたことはないですね
  • 非モテを「属性」のせいにはできない。

    2016-06-18 05:53  
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     皆さん、お元気でしょうか。ぼくは趣味で大学受験をするべく地道に勉強しています。
     世界史とかいまやり直すと非常に面白い。人類の歴史は戦争に次ぐ戦争で、そのたびに善悪とか文明対野蛮という二項対立的なフィクションが作られるんだなと実感しますね。
     人間はどうしたって自分を中心に考えるわけで、ちょっと文化が栄えると自分の国がオンリーワンな文明だと思い込む。
     それは大局的に見れば滑稽でしかないのですが、なかなかその幻想から覚めることはむずかしいようです。
     人ってそういうものなのだろうなあと思います。
     さて、最近色々と漫画を買いあさって読んだのですが、そのなかでも面白かったのがちぃ『花嫁は元男子』。
     ちぃというのは作者さんのお名前です。念のため。
     まあ、タイトル通り男性から女性へと性別適合手術を受けた人物の自伝ふう漫画なのですが、途中、主人公のちぃさんの恋愛遍歴を綴った部分があります。
  • 百合漫画の至宝『やがて君になる』を読んで恋愛の必要条件を考える。

    2016-05-08 12:38  
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     仲谷鳰『やがて君になる』最新刊を読みあげました。
     最近の百合漫画では傑出して出来がいいように思える一作です。
     Amazonでは14件のレビューが付いていて、評価はすべて五つ星。非常な高評価といっていいでしょう。
     あまり百合漫画らしくないシャープな線が魅力的ですね。
     百合漫画は内容的にどうしても甘ったるいしろものになりがちですが、この作品は一風変わっていて、糖分控えめの内容になっています。
     いや、十分甘いんですけれど、少なくとも甘いだけじゃない。独特の雰囲気の作品に仕上がっている。
     この漫画の特徴は、主人公の女の子がひとを好きになれない性格であるという設定です。
     彼女はべつに恋愛ごとに興味がないわけじゃない。むしろ、ちゃんと関心を抱いていて、まわりが恋に落ちるのを見て、自分もだれかを好きになってみたいと思っている。
     しかし、できない。そこで、彼女はどうしても他人を好きになれない自分について悩むのですが、そこに彼女を好きだという年上の少女があらわれて、という展開になっている。い
     まのところ、キスされたりしても主人公の少女は相手を好きになっていません。
     さて、はたしてこの先、彼女が恋情を自覚することはあるのか? それとも最後までこのままで行くのか? なかなかにサスペンスフルなラブストーリーです。
     それにしても、主人公のこの苦悩、ぼくには理解できるなあと思ってしまいますね。
     まあ、ぼくみたいな非モテ(非マッチング?)男性が理解できるというのもおこがましいかもしれないけれど、でも、わかる気がするんですよ。
     ぼくもやっぱり恋愛感情を抱くことがなかなかできない人だから。
     もっと女性と逢う機会を増やしていけばそのうち抱くことになるのかもしれないけれど、どうなんだろうな、よくわからない。
     もちろん、まったく人に好意を抱くことがないということではありません。そこまで非人情ではない。好きだといえば、好きな人はいっぱいいますよね。
     家族も好きだ。友人も好きだ。でも、恋愛の「好き」はそういう「好き」とは別ものだとされている。
     ほんとうか?と思うんだけれど、ほんとうだと証言している人がたくさんいる。
     恋愛には何か「過剰なもの」があって、それがないと恋愛として成立しないらしい。
     でも、 
  • 恋愛弱者は死なず、ただ消え去るのみ。

    2016-05-07 17:31  
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     その昔、孫子さんはいいました。「彼を知り己を知れば百戦殆うからず」と。
     「敵のことと自分のことがよくわかっていればいくら戦っても負け知らずになれるかもよ?」という意味だと思います。
     異性愛者の場合、恋愛における男性にとっての「彼」とは女性。
     じっさいのところ、女性たちは恋愛についてどう考えているのか? そこを知りたくて、アルテイシアさんの『オクテ女子のための恋愛基礎講座』を読んでみました。
     結論から書くと、とても面白かったです。
     この本が恋愛指南本として画期的なのは、恋愛のいろはについてくわしくない恋愛初心者、「オクテ女子」にターゲットを絞り、不特定多数の異性に好かれる「モテ」よりも特定の異性と建設的な関係を築く「マッチング」を重視していること。
     色々あって「モテ」の不毛さに絶望したらしい著者は、幸せになるためには「モテ」より「マッチング」が重要だと力説します。
     そのために必要なのは、受け身になって王子さまが訪れるのを待つのではなく、「みずから選ぶ」という姿勢。
     結婚さえできればいいなら、男受けのみを追求して、男の望む理想像を演じればそれで済む。
     しかし、結婚したあとも人生は続く。死ぬまでガラスの仮面を被って別人を演じ切るつもりでないかぎり、率直に自分自身を出してみずから伴侶を選んでいったほうがいい。
     また、「どういう男を選ぶべきか?」を突き詰めると「自分にとっての幸せは何か?」に突きあたる、と著者は語ります。
     そして、それでは、あなたにとっての幸せは? あなたがほんとうに欲しいものは何? 何を捨てられて何を捨てられない? その優先順位は? と、矢継ぎ早に問いかける。
     この問いに答えられるようになることが、まずは「自分にとっての幸せ」を自覚するということらしい。
     自分にとっての結婚の条件をあいまいにしないということ。すべてをきちんと言語化して、認識しておくということ。それが大切だという話のようです。
     まったくその通りだなあ、とぼくも思います。
     その後も色々と的確な(適格だと思われる)アドバイスが続くのですが、どれも非常に面白いです。
     いや、女性の側も悩みやら劣等感を抱えて必死になっていたりするんだなあというあたりまえのことがわかります。
     いや、読んでよかった。読んでよかったのですが―― 
  • シンデレラの魔法が解けないように。滑稽なまでの真剣さだけがひとの心を打つ。

    2015-09-09 00:08  
    51pt

     高河ゆん『REN-AI』の文庫版が発売されました。
     否、しばらく前に発売されていたことにいまようやく気づきました。
     愚かにもいままで気づかなかったということですね。
     ともかくなんとか気づいたので即座に購入しました。
     ぼくはこの漫画が好きで好きで好きで――ほかのどの漫画よりも好きだといっても過言ではないくらいです。
     単に高河ゆん全盛期の最高傑作のひとつというだけではなく、個人的にものすごく相性がいい作品なのですね。
     あえて順位を付けることにどれほどの意味があるかはわかりませんが、もしランキングするならぼくの漫画人生における堂々の首位ということになります。
     それほどまでにぼくはこの作品を高く評価しているわけです。
     ところが、どこがそんなに良いのか? 面白いのか? というと、これがよくわからない。
     じっさい、ぼくがこの漫画を薦めた人たちは大抵、微妙そうな態度を見せます。
     それほど面白いと感じないらしいのですね。
     とはいえ、ぼくは直感的に「これはすごい」と感じましたし、自分の感覚には確信があります。
     ぼくがすごいと思った以上、すごい漫画であるはずなのです。
     しかし、初めて読んでから十数年経って、最近ようやくこの作品のすごさを言語化できるようになって来ました。
     『REN-AI』という作品の魅力、それは一にも二にもその「圧倒的な真剣さ」にあるのだと。
     この漫画の物語は主人公の少年があるアイドルの少女に恋をするところから始まります。
     それも、どこかで偶然出逢って恋をするとかではない。テレビ画面のなかの彼女を見て、それだけで熱烈な恋に落ちてしまうのですね。
     そして、かれは彼女の心を射止めるために自分もひとりのアイドルとして芸能界に入っていきます。ほんとうは芸能界にもアイドルにもなんの興味もないのに。
     常識で考えたらありえないというか、異常な展開ですよね。
     もちろん、テレビ画面のなかのアイドルに恋をする男はいまも昔も大勢いるけれど、だからといって本気でアイドルと恋愛できるなどと考える奴はいない。
     もしいたとしたら「痛い奴」でしょう。
     しかし、この主人公、田島久美は不可能な恋を実らせるためにあくまで真剣に行動するのです。
     フィクションの筋書きとはいえ、あまりにあまりの話といえばそうなのですが、これが面白い。
     なぜ面白いのか。結局、「本人が真剣だから」としかいいようがありません。そしてきわめて大切なことに、作家も真剣なのです。
     ぼくはそういう真剣な話が好きです。というか、真剣な話しか読みたくない。
     どれだけばかばかしく見えようとも、真剣な作品にはすごみがあります。
     もちろん、的を外していればただ滑稽でしかないのですが……。
     そう、真剣な作品を書くということはある種のリスクを引き受けることでもある。
     真剣な作品を書くとき、ひとは「言い訳が利かない」のですね。
     わかってもらえるでしょうか。「こんな恥ずかしい作品をあえて書いてみました」という逃げの態度を取るなら、そこにはいくらでも「言い訳の余地がある」わけです。
     たとえほんとうに失敗したのだとしても、「わざとそういうふうに見えるようやったのだ」といいこしらえることが可能なわけですね。
     ですが、何もかも真剣な作品ではそういうわけにはいきません。
     「こんなのが恰好いいと思っているのかよ」といわれたら、作家は「そうだよ。これを格好いいと真剣に思っているよ」と答えることしかできないでしょう。
     真剣な作品を書くとは、揶揄や嘲弄や、そういったものに晒されたときも、真剣に受け止めなければならないということなのです。
     それを避けるためには、ほんの小さじいっぱい、知的な素振りを入れてみせればいい。
     「わかっているよ」、「ほんとうは何もかも自覚していて、その欠点も恥ずかしさも了解していて、その上でやっているのだよ」というインテリジェントな批評性を作品に盛り込めばいい。
     ただそれだけで、その作品の「防御力」は各段に上がることでしょう。
     いつの頃からか、そういう作品がとても増えたように思います。 
  • 『ファイアーエムブレム』への同性婚システムの導入にまずは大きな拍手を送ろう。

    2015-06-25 02:20  
    51pt


     任天堂は6月24日、ニンテンドー3DS向けソフト「ファイアーエムブレムif」(25日発売)で、主人公キャラクターの同性婚が可能になっていることを明らかにした。同社が昨年発売した「トモダチコレクション」欧米版では同性婚ができないことで批判を受け、「次作では努力する」としていた。同社は今回の対応について「ゲーム体験は、当社が事業活動を行う地域社会における多様性を反映させたものであるべき」とコメントしている。http://news.nicovideo.jp/watch/nw1659408

     というわけで、『ファイアーエムブレム』の最新作で同性婚が可能になったようだ。
     『ファイアーエムブレム』の結婚システムはスーパーファミコンの『聖戦の系譜』以来のものであるわけですが、ついにそこに同性同士の関係が導入されたわけで、長年のファンとしてはなかなかに感慨深い。
     より保守的であることも可能であろう局面で、革新を選んだ任天堂の判断にひとまずは拍手を送りたい。
     じっさいにゲーム内でどのような描写になるのかはやってみないとわからないところだが、プレイしてみたいという意欲は増した。
     ただ、「ゲーム体験は、当社が事業活動を行う地域社会における多様性を反映させたものであるべき」といわれると、一抹の違和感を覚えないこともない。
     いや、文言としてはもちろん正しいのだが、多様性を反映させる方法が「主人公を異性、同性ともに結婚させることができるシステムを導入する」ことであるのかどうか、ぼくとしては微妙に迷うところだ。
     というか、『ファイアーエムブレム』一作がその手法を導入することは問題ないのだが、それがスタンダードとして今後のゲームにおいても活かされるべきかというと、そうとは思えない。
     あくまで『ファイアーエムブレム』一作の手法としては高く評価するというのがぼくの判断になる。
     とはいえ、任天堂のテレビゲームに同性愛の描写が導入されることはやはり画期的であり、その判断は偉大な英断であるといえる。
     ぼくとしては、それがなんらかの政治的な強制力を持たない限り、コンピューターゲームに同性愛の描写を増やしていくことには無条件で賛成だ。
     なんといっても、現在の状態が社会の実情を反映していないことは明白だからである。
     敵、味方の双方に一定の割合でLGBTがいることを前提としてシナリオが組まれてもいい。
     というか、そうなることが自然ではないだろうか。
     ただ、そういった配慮をシステムに落としこむときに、同性結婚を許容するという形が唯一の正しいあり方かというと、ぼくはそうは考えないということだ。
     ほかにもいろいろな方法論が考えられるだろうし、「恋愛/結婚描写が存在するゲームの主人公はバイセクシュアルであるべき」といえるかというとそうではないだろう。
     『ファイアーエムブレム』の方法論はひとつのやり方として尊重されてしかるべきだが、ほかのゲームはほかのやり方を考えてもいいと思う。
     LGBTを含む多様性の描写が「唯一の正しいあり方」に収斂していくのではなく、「無数の多様なあり方」に拡散していくことこそが、最も重要だと考える。
     ただ、いままでの国産ゲームでは「異性愛を前提とした異性婚に限定したシステム」以外がほとんどない状況だったのだから、それに比べれば一歩進んだとはいえるだろう。
     まあ、じっさいにプレイしてみないとその革新性についてはなんともいえないということも事実だが。
     いまの時点でああでもないこうでもないということは早計であるかもしれない。
     しかし、