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暗くて内向的なオタクのススメ。群れず、つながらず、「孤独力」を磨こう。
2015-07-15 05:0851ptあるいはニコニコ動画の登場以来ということになるのかもしれない、「オタク」という言葉のイメージはずいぶんと変わった。
それまでは「暗い/内向的な」イメージだったものが、いまでは「明るい/社交的な」イメージが強い。
それはじっさいにオタク青少年たちの実像が変わっているからであるだろう。
LINEやTwitterなどの発達にともなって「つながること」が重視されるようになり、アニメやゲームは体験をシェアして楽しむメディアへと変質した。
それ自体は一概に良いこととも悪いことともいえない。ただ、そういう事実があるというだけのことだ。
ひとついえることがあるとすれば、変化があったからには失われたものもあるということだろう。
ぼくは基本的にこの変化を肯定的に受け止めているが、それでも時々、その失われたものが恋しくなる。
みんなでわいわい騒いでひとつのコンテンツを共有し、明るく楽しむのは良い -
かよわさ、儚さ、脆さ、いじらしさ、健気さ、清潔感、透明感――フラジャイルでピティな感覚に惹かれる。
2015-06-09 03:2751pt
きょうは前回の記事の続きを書く予定だったのですが、そこを変更して思いつき記事をお送りします。
まだ全然煮詰まっていない生煮えのアイディアなのですが、LINEで話していたら個人的に盛り上がってきたのでそのままメモしておこうかと。
どういえばいいのか、ぼくが昔から好きなある「感性」、あるいは「表現の傾向」の話なのですが。
うーん、これでは漠然としていますね。
ぼくは昔からずっと「ある種の作品」や「キャラクター」が好きなのですが、具体的にそれをどう表現したらいいのかわからずにいました。
いまでもわからないのだけれど、最近、時代がずいぶんぼく好みの方向に進展していると思うのです。
それで目につくところで起こっている現象をメモしておこうというわけです。
どこから話したらいいのか――そう、まずは「Future Bass」という音楽ジャンルについて話したいと思います。
「Future Bass」とはどんな音楽なのか? 実はよくわかりません(笑)。
この記事(http://www.edmbanana.com/entry/future-bass)によると、「キラキラ系かわいい感じのテイストや、ゴージャスなシンセが特徴で、ときにはゲームサウンドっぽいものが入ったりするElectronic Music」ということのようです。
じっさいにどんな音楽なのかは、リンク先に飛んで聴いてみてください。ちょっと新しい感じがするものを聴けると思います。
具体的にどのくらい影響を与えあっているのかちょっとぼくにはわかりませんが、ボカロなんかを聴き慣れている人にとっては耳障りのいい音なのではないでしょうか。
ボカロのあの現実から浮遊した感じ、生々しさがない感じが共通しているかな、と。
上記したように具体的にどういうジャンルなのかもよくわからない音楽なのですが、Youtubeなんかで続けて聴いていると、ぼくは非常に自分の好みに合うものを感じます。
そうそう、これこれ、こういうのが好きなんだよね、という感じ。
この、音の「軽さ」みたいなものにぼくは非常に惹かれるわけです。
ぼくがアニメを好きなのも、結局はその「軽さ」が好きなのだと思う。
ここでいう「軽さ」とは、「生々しさ」の対局にある概念だと理解してほしいところです。
ちょっとチープな、リアリティのない、ニセモノっぽい、なめらかでプラスティックめいた感じ、といえばわかってもらえるでしょうか。
アニメのキャラクターが持っているその非現実感が好きなのです。
とても綺麗で花やかだけれど、現実的から何センチか浮遊している感じ。
最近、ぼくはゲームをプレイするようになったのですが、欧米のゲーム企業が作る大作はいずれも大金を投じてリアリティを突き詰めているように思えます。
息を呑むような生々しさ、まるで現実であるかのような実在感。それはそれですごいものではあるのですが、ぼくはそういう方向性にあまり興味がないのですね。
ぼくはやっぱり非実在の存在であることをそのままに主張しているキャラクターが好きなのだと思います。
これはぼくだけではなく、日本で生まれ育ち、かつては「オタク」と呼ばれていた人たちにはある程度共通する感性なのではないでしょうか。
アニメキャラクターが持つ「過剰なまでの清潔さ」をこそ愛するセンス。
そして、ぼくがその「リアリティから浮遊するほどのクリーンさ」と合わせて重視しているのは「フラジャイル」の感覚です。
「壊れやすい」を意味する英語ですが、そこには「儚い、脆い、かよわい、虚ろな」というイメージが重なります。
この「軽さ」と「壊れやすさ」を併せ持つ表現がぼくは好きでならないのです。
つまり、「非現実的なほどに清潔で、儚く、かよわく、壊れやすい」ものを愛でる感覚。
わかってもらえるでしょうか?
おそらく -
初音ミクは新時代のメディアミックスを導く天使となるか。
2015-03-31 01:2251pt
しばらく前に初音ミクのジグソーパズル(300ピース)を買ったのだけれど、なかなかやる機会がありません。
まずはケースを買わないと始められないな、と思うのですが。
ぼくは以前から初音ミクが象徴するボカロ(ボーカロイド)文化に興味を抱いていて、ちょっとふれてみたいな、という気はあるのですが、どこから手を出したらいいのかわからなくて放置しています。
ニコニコ動画でミクさんの動画をいくつか見てみたのだけれど、それだけではボカロ王国の門のなかに入ったともいえないのではないでしょうか。
じっさいにいくつか聞いてみた感想といえば、センチメンタルな歌詞が多いかな、という程度。
もちろん、それもボカロの表面をさらっと撫ぜたような評価に過ぎないのでしょう。
なぜいまさらボカロに興味を持つのか?
それはやはりボカロが若い世代を象徴するカルチャーであるように思われるからです。
ぼくがしっている文化とはまた違うテン年代の若者たちの文化。
おお何か面白そう、わけわからなさそう、変な人がいっぱいいそう、ということでわくわくするのですが、でも、どこから手をつけたらいいかわからないんですよね。
まずは読みさしの『初音ミクはなぜ世界を変えたのか?』を読み終えなくてはならないのかもしれません。
それとも、もっとニコニコにアップされている動画を見て行くか――ぼくは初期のボカロはあまり受け付けなかったひとなのですが、最近上がっている曲の数々は素直に「ええなー」と思います。
技術が向上しているのか、こなれてきているのか? いや、ぼくがボカロに慣れただけかもしれません。
それにしても、ボカロ文化はいま、若者層において非常にメジャーなものなのでしょう。
ただ単にボカロそのものだけではなく、その周辺文化もすごい勢いで拡大していっているようです。
先日書店の店頭でぶらぶらしていたところ、ボカロ小説として有名な『カゲロウデイズ』がたくさん平積みされていて、780万部と書かれていました。
は?
既刊わずか6巻で780万部?
それがほんとうならいまのライトノベルで最も売れている『ソードアート・オンライン』を大きく上回る数字ですし、おそらくライトノベル史上でもここまで売れた作品はないはず。
『ロードス島戦記』の全盛期でも敵わないんじゃないかな。
うーん、ちょっと信じられないような数字なのですが、でも、まさか出版社がウソをつくはずはないから、事実なのでしょう。
ことほどさようにボカロ文化は若者層にとってメジャーだということなのでしょうね。凄いなあ。
年長の世代から見れば時にイミフとも思える作品なり文化が、若者の熱い支持を得てメジャーになっていく。
いつの時代もくり返されて来たことではありますが、ボカロ小説もまたそういうもののひとつなのかもしれません。
いや、もちろん、ボカロを支持する「大人」はたくさんいるけれど、それにしたってボカロ小説はやはり若者文化でしょう。
ぼくはいままでボカロこそある程度しっていても、ボカロ小説については???な状態でした。
いわばまったくのノーマーク。その上でただ遠巻きに眺めているだけだったのですが、これくらいはっきり数字になって出て来ると興味が湧いてきます。
うーむ、とりあえず「カゲロウプロジェクト」から入ってみるとするか。
実は『カゲロウデイズ』は2年近くまえにKindleで買ってあったりするのですが――買っただけで、読んでいなかったのですね。
ちなみに、ボカロ小説とその背景についてはこの記事がわかりやすいです。
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1308/02/news007.html
こういう内容を読むと、「オタク」という括りは、ほんとうに何の意味もなくなってしまったんだなあ、と感慨深い。
おそらくはご存知かと思いますが、初音ミクは一見してそう見えるようなオタクのアイドルでも何でもないのですね。もっと普遍的な存在だと捉えるべきなのでしょう。
この先、「ゆるいオタク」が増えていくことを見越して「ゆるオタ残念教養講座」と題したこのチャンネルのコンセプトも、どうやらもう古くなりすぎているようです。
だからといって、「次」の世代を指すネーミングはまだ存在しないので、どうしようもないのだけれど。
現時点でおぼろげに感じるのは、
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