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  • 勝負漫画にリアリズムの時代がやって来た。(1826文字)

    2013-04-04 09:28  
    52pt




     あいも変わらず漫画の話ばかりで申し訳ありませんが、一色まこと『ピアノの森』がようやくクライマックスを迎えている。きわめて遅々としてしか進まない作品なので、ここに来るまで実に長かったのだが、ついにショパンコンクールも大詰め、主人公一之瀬海の演奏が披露されているのだ。
     この作品はいわゆる「天才漫画」に属するだろう。海は各国屈指の才能たちが集まるショパンコンクールのなかでもずば抜けた天才で、その演奏はライバルたちに脅威と驚異を感じさせる。
     おもしろいのは、海が格別のバックグラウンドストーリーを持っていないこと。いや、ほんとうは「手を怪我していて、このコンクールで優勝しないと治療してもらえない」という設定があったのだが、いまではそれもどこかへ吹き飛んでしまった。
     海は「幼い頃不幸な経験をしてそれをバネにして才能を開花させた」といった物語を背負っていない、いわば「純粋天才」なのだ。一方、あきらかにそういったドラマツルギーを背負っていたのが海の最大のライバル、パン・ウェイである。
     かれは幼少期、みじめで絶望的な生活を送っていたところをある大富豪に買われてピアノをひかせられるという壮絶な過去を持っている。ほんとうならかれが主人公であってもおかしくないくらい濃密な物語がパン・ウェイには設定されているわけだ。
     しかし、その負の情念は演奏直前、心の師である阿字野に出逢ったことで解消される。パン・ウェイは阿字野と出会えた喜びをそのまま演奏に託し、いままでのパン・ウェイを乗り越えるピアノをひいて観客と審査員たちを驚かせるのだ。
     長い物語の感動のフィナーレ。「物語力学」からいえば、このままパン・ウェイの優勝でもおかしくない展開といえるだろう。だれよりも凄絶な過去を背負っている人間が、その過去を乗り越えて演奏する、という最高の物語が繰り広げられたのだから。
     しかし、どうも『ピアノの森』はそういう作品じゃないようなのだ。パン・ウェイはたしかに最高のドラマを演じはしたけれど、そのパン・ウェイの演奏ですも至純の天才である海のピアノには及ばないという描写になっている気がする。
     何となく「ピアノの演奏に、どんな過去を背負っているとかは関係ない。すべてはそれまで積みあげてきた才能と努力が決する」といわれているような気がする展開である。
     これだと、しょせん圧倒的な才能にはどうあがいても敵わないといわれているようなものなので、格別の才能に恵まれていない凡人としては「ぐぬぬ」と思ってしまうのだけれど、同時に「まあ、現実はそんなものかもしれないな……」という気もする。
     本番の前に何かしらのドラマを積み上げて積み上げて、そのドラマが濃密なほうが勝つ、という展開はスポーツ漫画なんかでもよくあるものだ。ペトロニウスさんがたまに名前を挙げる塀内夏子さんの作品なんかがそうだ。
     しかし、現代のスポーツ漫画はそういう「物語力学重視」の内容からまたちょっと変わっているようにも思える。たとえば『ベイビーステップ』や、先日も名前を挙げた『BE BLUES』なんかを読んでいると、いくら濃密なドラマを背負っていても、負ける時は負けるものだ、という描写なのである。