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究極のスローライフとはどんな生き方か。

 以前にも書いたかと思いますが、ぼくの生涯の目標は「人生を楽しみつくす」ことです。  いままでのところ必ずしもうまくいっているとはいえませんが、短い一生で可能な限りこの世を楽しみつくして死にたいと思っています。  人生を楽しむには大きく分けてふたつの方法論があると思います。  自分自身で直接に体験することと、本や映画などによって間接に体験することです。  ぼくは35歳を過ぎるまで主に後者の楽しみ方を実践してきたわけですが、最近はそれだけの生き方に限界を感じ、直接に体験することも大切だな、と思っています。  これは「いくらフィクションを味わったところで現実の体験には及ばない」という意味ではありません。  ただ、直接体験と間接体験は補完関係になっていて、ある程度直接体験を進めないと間接体験を十全に味わえないようになっていると思うのです。  逆にいえば、色々体験すればそのぶんフィクションも面白くなるということ。  だから、いまのぼくの目標は「直接的、また間接的に可能な限り人生を楽しむ」ということになります。  これはつまり、同時に自分の人生とフィクションで同じテーマを追いかけることになることでもあります。  あるテーマを、自分の人生で実践しながら本の世界でも追いかけていくということ。  そして、ここ数年のぼくのテーマとして「スローライフ」があります。  日頃からニート生活をしているので、どうしたってスローな暮らしになるのですが、それだけではなく、正しくゆったりとした暮らしを楽しむにはどうすればいいのかとずっと考えていたのです。  以前はこのテーマに関しては禅がひとつの「ゴール」かな、と思っていたのですが、じっさいに禅について調べ始めたところ、さらにさかのぼってその源流である老荘思想にたどり着いてしまいました。  老荘思想とは、中国の古代哲学者である老子と荘子の思想のこと。本来、老子と荘子には直接の関係はないようなのですが、後世、ひとまとめにして老荘思想と呼んでいるようです。  その教えは「無為自然」という言葉に象徴されるように、心の拘りを良しとせず、まさにスローに過ごすことを薦めるもので、孔子に始まる儒教とは対照的なところがあります。  その思想をどう生活のなかに活かすか、いまぼくは考えているところです。  というか、老荘とか禅宗の教えに従って生きようとすると、必然的にシンプルライフとかスローライフといった生き方に至るようです。  モノに拘らず、ナチュラルに、自分の生きたいように生きる。あるいはそれが最も尊い生き方なのかもしれません。  『荘子』のなかの「胡蝶の夢」というエピソードはあまりに有名ですが、じっさい、人生はひと夜の夢のようなものに過ぎないとすれば、肩の力を抜くことも大切なのでしょう。  時には頑張ることもたしかに必要ですが、それと同じくらいリラックスすることも重要なのだと思います。ひとの努力など、巨大な運命、あるいは老子がいうところの「道(タオ)」には逆らえないものなのですから……。  否、おそらく 

究極のスローライフとはどんな生き方か。

丁寧に生きるということ。「生」のキラメキを捉えたい。

 ども。あまりこのブログに書くことではないかもしれませんが、最近、なんとか自分の「生活」をより良くしたいなあと思っています。  日々の「暮らし」を洗練させることはぼくの数年来のテーマで、つまりより生き活きと暮らしたいわけです。  森浩二の『自殺島』は、人生に絶望した自殺志願者たちがなぞの「自殺島」へ送り込まれサバイバルしながら「生」の輝きを取り戻す物語でした。  しかし、ぼくとしては平穏な都市生活を送りながらなんとかその「生」のキラメキを実感したいと思うのです。  そのためにはたぶんいまよりもっと丁寧に生きることが必要でしょう。  「生きている意味が全て噛み合うその瞬間を味わいたいのなら丁寧に生きろ」とは漫画『少女ファイト』の名台詞ですが、ぼくとしては「瞬間」ではなく長期間にわたって「生きている意味」を実感しつづけたいのです。  可能なら死ぬとき、「ああ、いい人生だった」といって死ねるような、そんな人生を送りたい。  そのために、自分のすべてを燃やし尽くすように烈しく生きるという手段もあるでしょう。  『あしたのジョー』とか『昴』のような人生ですね。どこまでも高みを目指して自己を燃焼させるスタイル。  そういう目的志向な人生も悪くはない。でも、ぼくとしては日々のあたりまえの「暮らし」のなかにこそ「生」を実感したいと思うのです。  たとえば、一冊の本、一曲の歌、あるいはひとすくいのそぼろあんかけ豆腐に「生」は感じ取れると思う。  目的は都市生活のなかで麻痺している「いま、生きている」というあたりまえの感覚を取り戻すこと。生き活きと暮らすこと。刻々と過ぎてゆく一瞬一瞬を噛み締めること。  それでは、そのためには具体的にどうすればいいのか。そう考えていくと、まずは早寝早起きして――という、きわめて平凡な地点にたどり着きます。  丁寧な生活はそういうところからしか始まらない。まあ、そういいつつもこうして夜更かししているわけですが、ほんとうは良くないと思うのですよ。  朝起き、夜眠る。太陽のリズムとともに生きていく。そんな当然のことの大切さを思います。  全然実践できていませんが、ほんとうは朝早く起き、前日のうちに準備しておいた仕事を早めに終わらせ、その後はゆっくりと翌日の仕事のために本を読んだり映画を見たりする、という暮らしを送りたいのです。  こう書くと、もうひとりのぼくが「じゃあ、送ればいいじゃん」とささやくし、まったくその通りなのですが、現実にはなかなか生活のリズムが整わない。  まるで丁寧に生きられていないなあ、と反省するばかりです。  生活に関するぼくの興味は、たとえば料理や、入浴や、睡眠、読書、音楽、映画、インテリア、菜園、狩猟といった方向へ向かいます。  狩猟はちょっとべつとするにしても、こういった生活のディティールをより良いものに変えていければ、もっと良い人生を送れるのではないかと思うのです。  最近、ぼくはわりと自炊しているのですが、生活リズムが整っていないせいで毎日同じタイミングで料理することができていません。  やっぱりまずは生活リズムからだよなあ、と思います。それが人生の「基本のき」だよな、と。  まあ、それでも自分で料理していくらかでも美味しいものができあがるととても嬉しいです。  それもまた「生活の喜び」のひとつでしょう。そういうささやかな喜びを丁寧に積み重ねていけば、いつかは「いま、生きている」という実感にたどり着けるのではないか、と漠然と思っています。  「いつか」なんてあいまいなことではいけないのかもしれないけれど……。  そういう文脈でいうと、映画『リトル・フォレスト』は田舎暮らしのなかでさまざまに自炊して暮らす様子を綴った物語で、「生」の実感が山盛りの素晴らしい作品した。  一種の「スローライフもの」なのですが、流行りの言葉で終わらない生々しさを捉えた傑作です。  「スローライフ」とか「シンプルライフ」とか「ミニマリズム」とか「断捨離」とか、綺麗な言葉に惑わされないよう気をつけたいものです。  そう、生活の魔法は一 

丁寧に生きるということ。「生」のキラメキを捉えたい。

ひとはなぜこうも正義に酔い、極論に走るのか。

 『減速して生きる ダウンシフターズ』という本を読む。  人生のギアを下げ、「減速」して生きる人々・ダウンシフターズについて書かれた本だ。  といっても、インタビュー集のようなものではなく、ほぼ著者の生き方が淡々と綴られているだけである。  否応なくダウンシフトして生きているぼくは非常に共感するところもあるのだが、一方で著者の主張が素朴すぎるように思えて苛立つところもあった。  戦争反対、環境優先、無農薬の美味しい野菜を、といった主張のひとつひとつはたしかに正論なのだが、それが全部合わさるとどうにも胡散くさく感じられてしまう。  あまりにもきれいすぎる理屈であるため、現実を無視しているように感じられてしまうのだ。  人生のダウンシフトは悪くない考えだと思うが、それを経済とか政治の問題とダイレクトに結びつけてしまうと、どうにも違和を覚えずにはいられなくなる。  ダウンシフトのほかにも、シンプルライフとか、スローライフとか、ロハスとか、清貧とか、プア充とか、貧乏道とか、「お金を使い過ぎない生活」を称揚した言葉は多い。  それらは往々にして「物質文明からの解放」や「持続的でない資本主義サイクルからの脱出」をうたっている。  しかし、ぼくはそこにどうしようもなく欺瞞を感じ取ってしまう。  それは人間のきれいな一面だけを切り取ってそこだけを称える思想であるように思えてならないのである。  ダウンシフト、シンプルライフ、プア充、いずれも大いにけっこうだとは思うが、行き過ぎると巨大な欺瞞を抱え込むことになるのではないか。  昔から思っていた。どうしてひとはこう極端に走るのだろう、と。  以前、タバコについて記事を書いたことがある。  どうして愛煙家と嫌煙家はああも不毛な議論を続けるのだろうかという疑問について書いたつもりだった。  愛煙家は嫌煙家を「禁煙ファシスト」と呼び、嫌煙家は愛煙家を「ニコチン漬けの哀れな病人」と決めつける、その構図にぼくは深刻な疑問があったのである。  その記事はどうやら愛煙家を擁護するものと受け取られたらしく、その文脈で賛否両論があったが、ぼくがいいたいのはそういうことではなかった。  ある人が愛煙家でも嫌煙家でもべつにかまわない。それぞれの人にそれぞれの立場があることだろう。  ただ、それならなぜ、少しでも相手の立場に立って相手寄りの姿勢で考えることができないのか。  なぜ、これほどまでに相手を軽蔑し、憎悪し、レッテルを貼り、一方的に攻撃しなければならないのか。  そうぼくは問いたかったのである。  タバコに限らず、憲法問題でも原発問題でも環境問題でもそうだ。  それらはそもそも 

ひとはなぜこうも正義に酔い、極論に走るのか。

そろそろ皆さん、飽きて来ているとは思いますが……。

 そろそろ読むほうも飽きて来ていると思うが、もうふたつだけ生活の記事を書いておきたい。これはぼくの関心がそこにあるからだ。退屈かもしれないが、どうかご容赦を。  さて、先日購入したばかりのアジアンタムの葉が早くも枯れそうになっている。どうやら水をやりすぎて根腐れしたらしい。  しかたがないので、外に出して陽を浴びせることにした。これで少しでも回復してくれると良いのだけれど。園芸初心者としてはただ晴天が続くことを祈るばかりだ。  植物を育てるということはどこか自分を育てるようなところがある。  己の心が乱れていて、水をやりすぎたり、あるいは水やりを怠ったりすれば花や葉は自然と枯れる。  そうなると、その不手際を悔やみつつ、その頃の生活を省みることとなる。まさに「自分育て」だ。  どうやら、ぼくの心はまだまだ未熟もいいところのようだ。あたりまえといえば、あたりまえのこと。  それにしても、「生活」とはすごい言葉だ。  それは「生」きると「活」きるというふたつの文字から成り立っている。  生き、また、活きる。それが「生活」なのである。  この頃、ぼくはまさにその意味での生活に興味を持つようになった。つまり、どうすればより良く、より幸せに生きることができるのか、というテーマ。  ひとつには、怠惰や贅沢に流されることなく生活を「管理」することが大切だと思う。  なぜなら、怠惰や贅沢は何より大切な「感性」を鈍らせるからである。  どんなにたくさんの電波が飛び交っていてもアンテナがなければ受け止められないように、どれほどたくさんの幸福があっても感性が鈍ければ感じ取れない。  世界を感受するアンテナとしての感性をいつもぴかぴかに磨いておくこと。まずはそれが大切なのではないか。  そのために自分をきびしく管理する。それはひどく大変なように思えて、その実、最も効率的な「道」なのかもしれない。  そういうふうに考えて行くと、自然と「修行」という言葉が思い浮かんでくる。  生き、また活きることとしての「生活」は、それ自体が「修行」という一面を持つのではないか。  もちろん、ぼくは僧侶や修験者のような過酷な日常を過ごしたいとは思わないし、そもそもそんなあり方には耐えられない。  ただ、毎日、あたりまえのことをあたりまえにこなす、その日々がささやかな精神修行になっていればいいと思うだけである。  真に感性を研ぎ澄まし、世界を飛び交う「電波」を感受するアンテナを張り巡らせていれば、べつだん贅沢を究めなくても、一杯のスープ、一冊の本、路傍に咲く一輪の花にも深い喜びを感じることができるはずだ。ぼくはそういう「生活」を目指したい。  もっとも、ぼくには一切の欲望を断つことは無理である。どうしたって「欲」はあとからあとから滾々と湧き出てくる。  ただ、ぼくはその「欲」をより精密に満たしたいと思うのだ。  「ただなんとなく」生きるのではなく、自分の望みを正確に洞察しながら活きる。それができて、初めて「幸福」という言葉に近づけるように思う。  膨大な情報があふれ、金しだいであらゆる欲望が満たされるようにも思われる現代社会で、その奔流に流されることなく、どこまでもしずかに自分自身の内面を見つめつづけること。それが「生活」であり、「修行」なのではないか。  ただ、社会からのがれ、その情報や快楽を捨て去り、ただ「心のしずけさ」だけを求めることも、何か違うと感じられる。  それは自分のなかで「聖」と「俗」を分かつことになる。  ぼくにはひたすら「聖」を目ざすことも、「俗」に溺れることも、「ほんとうの幸せ」からかけ離れた「道」であるように思える。  本来、自然世界に「聖」も「俗」もなく、ただ人間だけがそれを区別してやまないのだから。  ナチュラルな心に従うのなら、「聖」であれ、「俗」であれ、この世のあらゆるものが福音となるはずだ。  泥の海も。  空の星も。  スティーヴ・ジョブズは 

そろそろ皆さん、飽きて来ているとは思いますが……。
弱いなら弱いままで。

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海燕

1978年生。男性。プロライター。記事執筆のお仕事依頼は〈kaien2990@gmail.com〉まで。

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