• このエントリーをはてなブックマークに追加

今なら、継続入会で月額会員費が1ヶ月分無料!

記事 4件
  • 作家は読者の奴隷ではないし、そうなってはいけない。

    2016-07-25 02:59  
    50pt

     『妹さえいればいい。』最新刊を読み終えました。
     前巻はほぼギャグ一辺倒で、面白いことは面白かったのですが、お話そのものは何も進んでいない印象がありました。
     しかし、この巻では劇的に物語が進行します。いやー、面白いですね。ぼくはこういうものをこそ読みたいのだと思う。
     物語が進むとは、ただ状況が変化することではありません。状況が「二度と元には戻らない形で」変化すること、それを物語が進むというのです。
     この巻で、主人公たちの恋愛状況はドラマティックに変わり、そしてこの先、もう決して元に戻ることはありません。
     それは幸せなことではないかもしれないけれど、しかしとても印象的なことです。
     こういうものを読むとぼくはやはり「物語」が好きなんだなあと思いますね。
     平和で幸福で、どれだけ読み進めても何ひとつ変化がないようなお話もいいけれど、でも次の瞬間何が起こるのかわからないようなサスペン
  • なぜ『落第騎士の英雄譚』と『学園都市アスタリスク』の初回内容は似通ってしまったのか。

    2015-10-07 03:37  
    50pt

     ぼくはエンターテインメント小説が好きで、いろいろ読んでいるわけですが、エンターテインメントというものはある種、矛盾した条件を抱えているよな、と思うことがあります。
     つまり、普遍性と独創性の双方を兼ね備えていなければならないのですね。
     理想的なエンターテインメントとは「だれも見たことがないほど独創的で、しかもだれもが楽しめるほど親しみやすい作品」ということになるでしょう。
     ここにはあからさまなパラドックスがあります。
     「だれも見たことがないほど独創的な表現」を求めるととっつきづらいものができるし、「だもが楽しめるほど親しみやすい展開」を求めるとどこかで見たようなものが仕上がるわけです。
     このふたつの条件を同時に満たすことは、不可能ではないにしても、恐ろしく困難でしょう。どちらか片方だけならできないことはないだろうけれど。
     エンターテインメントの究極の目標は「だれが読んでも面白いと感じる」作品であるわけで、その点を追い求めていくとどうしてもどこか似通ったものになるのだと思います。
     その意味でエンターテインメント作品のオリジナリティにはある種の限界があるといえるかもしれません。
     一般的なライトノベルを先鋭的な実験文学を比べたらどうしたって実験文学のほうが独創的になることでしょう。それはそうだと思います。
     それにもかかわらずぼくがエンターテインメントを好むのは、「型」に対する「ズレ」に面白みを感じるから。
     ある種の固定されたスタイルを前提とした逸脱的表現は、完全に自由な状態での表現よりも面白く感じるということです。
     ただ、その「ズレ」はジャンルが洗練されていくにつれて修正され、消滅していく傾向があるように思います。
     ジャンルのターゲットがはっきりすると、カテゴリエラーな作品は追放されてしまうわけです。
     そうなってくると、ぼくとしてはもうひとつ面白くなくなる。
     ぼくはやっぱりカテゴリの常識からちょっとズレたものを読みたいのです。酔狂ではありますが。
     ――というようなことを、この記事を読んで考えました。
    http://seagull.hateblo.jp/entry/%E5%AD%A6%E6%88%A6%E9%83%BD%E5%B8%82%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%AF-vs-%E8%90%BD%E7%AC%AC%E9%A8%8E%E5%A3%AB%E3%81%AE%E8%8B%B1%E9%9B%84%E8%AD%9A
     『落第騎士の英雄譚』と『学園都市アスタリスク』というふたつのアニメの初回の内容がきわめて似通っていたという話ですが、これは偶然ではないと思います。
     そうかといって「「アニメ化されるラノベの書き方」みたいなマニュアルの存在を信じたくなる」というのもちょっと違う気がする。
     エンターテインメントが 
  • 『冴えない彼女の育てかた』に刻の涙を見た。

    2015-10-01 19:16  
    50pt

     最近、どういうわけか積読していたライトノベルを読もうという気になっていて、きょうは丸戸史明『冴えない彼女の育てかた』第2巻を読み終えました。
     第1巻を読んだのはずいぶん前のことで、それからテレビアニメが放送されたりもしたのだけれど、なんとなく止まったままだった本をようやく読むことができ、感慨無量です。
     さっそく第3巻にも取り掛かったから、こうなったら既刊全巻を読了する日も近いでしょう。たぶんね。きっとね。
     で、感想なのですが、大変面白かったです。
     第1巻も面白かった記憶がありますが、この手のシリーズものは読み進めれば進めるほどにキャラクターに愛着が沸き、よりいっそう楽しめるようになるもの。
     この作品もご多聞に漏れず第1巻以上に楽しく読めたと思います。
     しかし、いまさらながらに思い知りましたが、内容が古いですねー。
     「主人公が小さなサークルを作って同人ギャルゲーを制作する」という突端からしてとても時代を感じさせるわけですが(いまどきギャルゲーて)、それ以上に「オタク」をことさらに強調する感性そのものが古い。
     ここらへんのオタク自己言及テーマのカッティング・エッジはやはり『妹さえいればいい。』だと思うのだけれど、それと比べると二世代くらい前の作品に感じます。
     まあ、これはあとがきで作者自ら語っていることでもあるし、特に欠点といえるようなことでもないとは思うのですが、それにしても古めかしい。
     思わず「そうそう、昔はこうだったよね!」とうなずきながら読みましたとさ。じっさいにはさして昔のことでもないはずなのに……。
     刊行されたのは数年前のことだからかもしれませんが、それを考慮にいれてもちょっと時代とずれている感じ。
     逆にいえば、ここ何年かの「オタク」を巡る状況の変化には驚かされます。
     新井輝さんの『俺の教室にハルヒはいない』あたりもそんな感じでしたが、もはやこの手の自虐的なひとり語りは通用しなくなっているのかもしれません。
     時代は変わったなあ(しみじみ)。
     具体的に何が変わったのかといえば、「オタク」という言葉を巡る自意識のあり方でしょう。
     『冴えない彼女の育てかた』の主人公はかなり意識的に「オタク」と「リア充」を対比し、時に劣等感に浸ったりしているのですが、こういう形の自意識は最新のライトノベルでは解体されています。
     オタクがどうこう、リア充がどうこうということをあえて意識する必要がなくなったのですね。
     これはリアルに世相を反映していると思うのだけれど、そういう意味ではこの主人公は前世代的なキャラクターといってもいいのではないでしょうか。 
  • 「好き」を仕事にするむずかしさをロリ萌えライトノベルで学んだよ。

    2015-03-15 01:32  
    50pt


    「これ、今日の売り上げ……です」 それから、用意しておいた巾着袋の中身を全て差し出した。
     ――合計、千円。たった二枚しか売れなかった本日のチケット代を。


     ふと、何かライトノベルを読んでみたいと感じたので、蒼山サグのロリータロックバンドラブコメディ『天使の3P!』を読んでみた。
     ――いや? 違いますよ? ぼくはロリコンじゃないですよ? でも、ほら、あれじゃないですか。小学生とか可愛いじゃないですか。ロックバンドとか格好いいじゃないですか。そのふたつが合わされば無敵じゃないですか。だから読んでいるだけで、決してロリコンじゃないのです。はい。
     と、不毛なイイワケは良いとして、作品について書こう。このシリーズ、3年くらい前に第1巻を読んだあと放置していたんだけれど、いつのまにか第5巻まで出ていた。第1巻は面白かった記憶があったので、粛々とKindleで続刊を購入したしだい。
     で、第2巻の冒頭からいきなりすごい。ある朝、主人公が目覚めると、妹(10歳)が自分の写真を拡大したポスターを壁やら天井に貼ってまわっているところから始まる。彼女がいうには、「ガス抜き」らしい。

    「お兄ちゃん、ここのところ小学生まみれの生活を送っているでしょ。しかもみんなかわいい子たちだから、いつかうっかりヤマシイ気持ちが生まれちゃうかも。そうなったら大変だから、タイホされるまえに私の写真で小学生欲を満たしなさい」

     ――すげえセリフだ。そんな超絶理論は初めて目にしたよ。センス・オブ・ワンダー。目からうろこ。人類には小学生欲という欲望があったのか。べつにロリコンじゃないけれど、ちょっと感心した。感銘すら受けた。 で、さらにこの会話はこう続く。

    「生まれないよ……」
    「だからそれは、私と一緒に暮らしているおかげでしょ。でなきゃ今ごろお兄ちゃんなんて見慣れない小学生の魅力にデレデレのメロメロだったに決まってるわ。感謝しなさい!」

     すげえロジックだ。圧巻の展開だ。感動せざるを得ない。ちなみにこの主人公、現在中学生なのだが、毎日、小学五年生の妹といっしょにお風呂に入っている。
     うむ。家族だからね、それくらいはあるよね。合法、合法。さすがにウケている(と思う)作品は冒頭からして平凡ではないなあ。色々と間違えている気もするけれど……。
     でもまあ、こういう「やりすぎている」感じは嫌いじゃない。おそらく一部の読者の拒否反応を生み出すくらいディープな描写なのだけれど、ぼくは「そういうもの」が好きなんだなあ、とあらためて思う。いや、ロリコン描写のことじゃなくてね……。救けて、ナボコフ先生!
     ともあれ、前作で些細な偶然からとある小学生ガールズバンドに関わり、彼女たちをプロデュースしていくことになった主人公は、今回、「小学生まみれ」になりつつも、現実の重く厚い壁を前に苦闘することになる。
     いままさに失われようとしているある教会を救うためには、このガールズバンドで一定額のお金を稼ぎ出さなければならないのだ。だが、その何とむずかしいことか。
     「音楽で食っていく」ことは、しばしば青くさい夢の代表のようにいわれるが、まして小学生のバンドで多額のマネーを生み出そうと思ったらことは簡単ではない。殊にいまは音楽がカネにならないといわれるご時世でもあることだし。
     いったいどうしたものかと思い悩む主人公たちは、それでも何とか行動を開始する。しかし――。うーむ、一見するとただの甘ったるいロリコンラノベのように見えて、意外にシビアな話である。
     というか、ロリコンにウケそうな甘ったるい「天使」たちの描写と、現実的にシビアな展開がマッチしてバランスを取っているのだろう。売れるエンターテインメントは甘いだけでも、シビアなだけでも成り立たないわけで、ここらへんの秀抜なバランス感覚はさすが。
     ここには「好きなこと」をお金に換えようとするときにひとが直面する普遍的な問題が描かれている。
     「好き」は、ただ好きなだけでいるうちは、楽しくて、面白くて、愉快で、痛快で、人生を実り豊かにしてくれるのだけれど、一転、それを「ビジネス」に変えようとすると、そこにはある種の困難が待ちかまえているのだ。
     ぼくも一応は「好き」を「お仕事」にしているひとりなので、その問題はよくわかる。まあ、このブログなんて、いいかげんかつ好き勝手に書いているように見えるかもしれないし、じっさい半分はその通りなのだが、残り半分で色々と試行錯誤しているのもたしかなんだよね。
     たぶん、読んでいるひとが想像するよりは色々なことを考えている。それはもう、この半月だけでも色々と試して、失敗をくり返して、それでも「その先」へ行こうと試みていたりするのである。
     基本的に「無理ゲー」である有料ブログに、「こうすればいい」という方法論はない。成功した先人のサンプルもない。だから、一から自分で考えて、自分なりの方法論を組み立てて行くよりほかないのだけれど、それって攻略法が見つかっていないゲームをひとりでクリアしようとするようなもので、まあ、無茶なのである。
     ロックバンドでお金を稼ぐ。ブログを書いてお金を儲ける。どちらも簡単なことではない。いや、あるいはじっさいにやっていないひとからすれば、「何であの程度のものがカネになるのか」と思うかもしれないし、じっさい、プロの作品でも大したことがないものはたくさんあるだろう。
     しかし、そうはいっても、「「好き」でお金を稼ぎつづける」ということは、じっさい、生半可なことではない。一時、偶然にウケてお金が転がり込んでくることはあるかもしれないが、それを続けるとなると、やはり一定以上の才覚や実力が必要となってくる。
     「ただたまたまウケているだけ」などということはありえないのだ。「ひとに受け入れられてお金をもらう」ということは、多くの人が思う以上に大変なことなのである。なぜなら、それは「自分以外の世界」という本来どうにもならないものを動かすことなのだから。
     ぼくにしても、ただ好きなものを好きなように書くだけでは成り立たない。ニコニコチャンネルで書く以上、はっきりとウケるネタとウケないネタというものがあって、ウケないネタをいくら書いたところで、会員は増えない。
     それなら、ウケるネタを集中的に書いていけばいいのか? そうすれば簡単にお金を稼ぎ出せるのか? というと、実は案外そうでもない。