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新井輝の最新作『俺の教室にハルヒはいない』はジャンル自己言及ライトノベルの嚆矢となるか。
2013-09-06 14:2453pt
『ROOM NO.1301』で一部から非常に高い評価を受けた新井輝さんの新作が出ました。その名も『俺の教室にハルヒはいない』。
この場合の「ハルヒ」とはいうまでもなく『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズのメインヒロイン、涼宮ハルヒのこと。
ハルヒはあたりまえの日常に非日常的な出来事が起こるタイプのライトノベルの象徴的ヒロインであるということでしょう。
そういう派手で物語的な出来事が起こらない日常を「ハルヒはいない」と表現しているわけですね。
この手のジャンル自己言及オマージュ(ないしパロディ)タイトルはSFやミステリだと腐るほどあって、たとえば本格ミステリの作家が自分のシリーズ探偵の第一短篇集に『××の冒険』というタイトルを付けるのはすべて『シャーロック・ホームズの冒険』を意識しているわけです。
『エラリー・クイーンの冒険』とか『法月綸太郎の冒険』とかですね。赤川次郎の『三毛猫ホームズの推理』もほんとうは『冒険』としたかったところを権利関係の問題で断念したらしい。
この場合、いちばん近いのは漫画『ブラックジャックによろしく』でしょうか。先行する作品のキャラクターをある時代的価値観の象徴的存在として引用する方法論です。
まあそういうわけで決して先例がないわけではないのですが、それにしても印象的なタイトルといえるでしょう。ライトノベルとしては画期的と云っていいかもしれない。
ライトノベルでもついにこの手の自己言及が行われるほど「歴史」ができたんだなあ、と思うと感慨深いものがあります。角川スニーカー文庫25周年だもんね。
一部に「ひどいタイトル」だとして叩いているひともいるようですが、「おれはなんとなくそう思う」というレベルの話でしょうから、放置しておきましょう。どうせ本編を読んでもいないんだろうし。
ちなみにこのタイトルが出た時点ではぼくはハルヒネタのアンソロジーか何かだと思い込んでいたんだけれど、純新作長編でした。
当然ながら物語にハルヒは登場せず、「ハルヒがいない」少年の日常がひたすらに淡々と綴られます。
もう少し地味だったらライトノベルとして成立しないのではないかと思うくらいの淡々さなのですが、それではまったく何の事件も起こらないかというとそうでもなく、偶然にアニメ系のお仕事と知り合ったり、ちょっとかわいい幼なじみといい仲になったり、小さな事件は頻発します。
それこそ『ハルヒ』のように「絶対にこんなことありえない!」というほどの事件ではないあたりがこの作家の個性。
ぼく、途中まで、クラスで「涼宮ハルヒ」とあだ名されている少女がなかなか登場しないので、ひょっとしたらこれは『ゴドーを待ちながら』とか『霧島、部活やめるってよ』のように「涼宮ハルヒ」が最後まで登場しないパターンか、と思ったんですが、終盤でふつうに出てきました、「涼宮ハルヒ」。
だから、特に「事件が起こらない」ということを売りにした作品でもない。
それなら、この作品のセールスポイントはどこなのかというと、これが案外むずかしい。
表紙を見てわかる通りダブルヒロイン体制で、このふたりが絡む三角関係の話になりそうなのですが、そこらへんは特に盛り上がるわけではない。
この手の三角関係の話なら、作中にも名前が出てくる『ホワイトアルバム2』あたりをプレイしたほうがよほどおもしろいでしょう。
また、作中にはオタク系作品が大量に出てくるのだけれど、それも『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』を初めとして先例はたくさんある。
途中で主人公がまわりの大人達といっしょに『機動戦士ガンダムU.C.』を見ているシーンでは、コンテンツをシェアしながら楽しむことが常態化した「現代のオタクライフ」を描くのかとも思いましたが、物語の舞台は数年前、取り上げられる作品もわりと古い。
つまり、ひとつひとつの要素を取り出していったら特段のオリジナリティはないのです。
しかし、それにもかかわらずこの小説は十分におもしろい。というか、なんかやたらおもしろいぞ、この作品。
たぶん感じないひとは何も感じないのだろうけれど、ぼくはこの日常から半歩だけずれた世界に奇妙なカタルシスを感じます。
「絶対にありえないというほどではない、しかしあえりるわけでもない」世界。「過剰な刺激にあふれているわけでもない、けれど死にたいほど退屈なだけでもない」日常。
これが新井輝のカラーなのだといえばそれまでなのだけれど、実にふしぎな読後感というしかありません。
平凡で退屈な日常にそれを逆転させるSF的アイディアとガジェットを叩き込んだ『ハルヒ』に比べて、この作品は地味で小粒だとは思う。
でも、そういうわかりやすいエンターテインメント性がないぶん、なんとも
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