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働かなくても食っていける人生はほんとうに幸せなのか。悠々自適にひそむ罠。(2039文字)
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働かなくても食っていける人生はほんとうに幸せなのか。悠々自適にひそむ罠。(2039文字)

2013-05-09 10:00
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親より稼ぐネオニート―「脱・雇用」時代の若者たち (扶桑社新書)

 はてなの「アフィとかアプリとかで食えるようになった結果www」と題する記事(http://anond.hatelabo.jp/20130507210844)が面白かった。アフィリエイトやアプリ制作で月収数十万円を稼ぎ出せるようになったものの、毎日がつまらなくてしょうがない、という内容。

 結果1年目は月30万円、2年目は月40万円、3年目には月60万円くらいの収入を得られるようになって、とりあえずはまぁ食える状態にはなったわけです。最初の頃は昼も夜もなくコンテンツを作り続けるような状態だったけど、軌道に乗ってからは年数回のメンテナンスくらいしかやることがない。こういう生活をするための本や情報商材(笑)が売られてるくらいだから、人によってはまぁ憧れる生活なんでしょう。
 でもねー、実際にやってみるとねー、これがまたすげぇ退屈なんですよねー。

 リンク先では記事の内容を疑う声も出ているが、これが事実であるかどうかは、この際、問題ではない。ただ「いかにもありそうな話」だと思うのだ。じっさいにこういうことはありえるのではないか? こういうひとがいてもおかしくないのでは? ぼくはそう考える。

 宝くじをあてたひとの人生が高い確率で破綻することはよく知られている。ひとは一度に大金を手にすると結局、そのお金の魔性に抗えなくなってしまうらしい。しかし、このようにして自分の実力で「悠々自適」を手に入れたなら、自ら「楽隠居」を決め込むこともできなくはないだろう。

 とはいえ、それが恐ろしく退屈だということは理解できる。ぼくも、ここまで恵まれた境遇でこそないが、似たような生活をしているからだ。たとえ収入源が確保できても、やはりひきこもり暮らしは楽ではないということ。

 陳腐な言い草かもしれないが、やはりひとは社会と接点を持っていてこそ活き活きと暮らせるのかもしれない。結局、会社に努めていなければ社会との接点を維持することはできないのだろうか?

 
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ノートパソコン片手に全国を旅するって夢の生活ですね!

No.1 140ヶ月前
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