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「絶対に負けられない戦い」といういい方がある。聞き飽きて少々うんざりしているフレーズだ。何か少しでも重要な試合があると、テレビは「絶対に負けられない」と騒ぎたてる。
それでは、その負けられない戦いに負けてしまったらどうするのか、関係者全員が切腹でもして果てるのか、といえばそうではない。「絶対に負けられない戦い」に負けても、その後も関係者の人生はあたりまえに続いていくのである。
「絶対に負けられない戦い」とは、ある意味、思い込みの産物に過ぎない。「絶対に負けたくない試合」とか「叶うならどうしても勝ちたい試合」といった表現のほうが適切かもしれない。
メディアが報道するわけではないが、ぼくたちの人生にも「絶対に負けられない戦い」的シチュエーションは時おり訪れる。受験だとか、就職活動だとか、その成否によって人生そのものが左右されるような試練だ。
そういう「戦い」に望むとき、ひとは「失敗は許されない」と考えがちだ。しかし、じっさいには「絶対に負けられない」とか「失敗は決して許されない」と考えれば考えるほど思考は硬直し、視野は狭くなり、良いことはあまりない。
むしろうまくいかなかった場合のことも計算しておくのがベターだと思う。テレビを見ていると「絶対に負けられない戦い」に負けてしまったひとたちのその後の人生も、必ずしも悪いものではないように見える。
ワールドカップに出場できなかったサッカー選手たち、オリンピックでメダルを取れなかったアスリートたち、かれらはたしかに敗北者ではあるが、だからといって無価値な人間になったわけではない。その後の人生で素晴らしい活躍を見せてくれることもある。
同様に、受験や面接に失敗しても人生は終わらないのだ。「決して失敗できない」とカチコチになってしまうのではなく「失敗したら失敗したでなんとかなるさ」とリラックスして望むほうが結果として成功率も上がるのではないだろうか。
そこまで重要ではない状況ならなおさらリラックスが大切だ。「失敗してもいいさ」と思っているほうが自然と視野は広くなり、たくさんの選択肢が見えてくるはずだ。何より失敗は成功より多くの教訓を生む。ひとはトライアル&エラーをくり返して前進していくのである。それでは、些細な失敗をも嫌うひとがいるのはなぜなのか。
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