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タイトルの通り「自分を愛する力」、すなわち「自己肯定感」がテーマ。生まれつき両手両足がないという重度の障害者として生まれながら毎日を明るく生きている乙武さんが、どうしてそんなに明るい性格なのか?を語ってくれています。
ぼくは最近「光属性」「闇属性」という言葉をよく使うのですが、この属性を分ける際には「無条件の自己肯定感を家族から与えられて育っているかどうか」がひとつのポイントになります。
その文脈でいうと、乙武さんは完全に光属性のひとです。もう、なんというか光り輝いています。というのも、かれの両親は実に素晴らしいひとたちなのです。乙武さんの母親の深い愛情の偉大さは『五体不満足』で有名になったようですが、この本では父親のほうもクローズアップされている。
これが実に泣かせる話で、乙武さんはほんとうに立派なご両親に育てられてあそこまでになったんだな、と実感が湧きます。かれのすべての成功の背景には圧倒的な自己肯定感の高さがあるのです。
「自己肯定感」とは何でしょう? それはつまり、「無条件で自分の存在を肯定できる力」のことです。この「無条件」というところが大切。「無根拠」といってもいい。ぼくはよく「根拠のない自信が大切」といったりしますが、これはほんとうは「根拠のいらない自信が大切」といったほうがわかりやすい。
周囲の評価や社会的成功といった条件、根拠に依存した自信はそれが失われればたやすく壊れてしまいますが、根拠のない自信は何がどうなっても失くなることはありません。だから根拠のない自信=絶対的な自己肯定感があるひとは、乙武さんのように重いハンディキャップを背負っていてなお、幸福な人生を手に入れることができるということが、この本を読んでいるとよくわかります。
ただ、現代日本では乙武さんのように無条件で自分を肯定できるひとは少数派でしょう。それはかれの両親のように子供をどこまでも肯定して育てることができるひとが少数であるということを意味しています。家族こそひとが健全な自己愛を育む場なのです。
しかし、それでは、そういう充実した家族環境に恵まれず、あるいは生まれつき健全な自己愛が欠損している人間はどうすればいいのか? そういうひとは努力するしかない。クンフーを積んで幸福のジェネレーターを回すのだ、ということを過去の記事では書いてきました。
そのためには「好き」という特異点が必要なのだが、「好きなものが何もないひと」が「好き」を見つけることはきわめて困難なのだとも。とにかく「健全な家庭」というものに恵まれなかったひとは人生のスタート地点で大きなハンディを負うことになるのです。つまりは「ピングドラム」が欠けているわけだ。
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見知らぬ人を幸せにしたいと思う事は特別な事ですね。成し遂げられたら『何者』ですね。
そうやって差別なく生きる事ができるのだろうか。
みんなが幸せになるには、みんなが幸せだと錯覚するものが必要。
それを提示する事も、継続させることも難しい。
生きる事は続いていくし、人は飽きるから、人を幸せにし続けることはとても難しい。
闇がなければ光の価値はない。なんて思いました