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  • 「生ける屍」がたどり着いたところ。『黒子のバスケ』脅迫事件犯人の独白がちょっと面白い。

    2014-10-10 13:26  
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     ジュンク堂の店頭に並んでいたので、手に取って読んでみた。「『黒子のバスケ』脅迫事件」と呼ばれている「あの事件」の犯人による独白録である。
     事件に至るまでどうやって生きて来たか、事件の動機は何なのか、どう思っているのかなどについて、詳細に記されている。
     以前、この人物の供述について、「凡庸だ」と切って捨てたことがあるが、まあ、今回も特別感動するほどの内容ではない。プロが書いた文章ではないから読みにくく退屈な箇所もある。
     ただ、一方でなかなかに読ませるところもあり、示唆に富むとすらいえる部分すら存在している。犯罪者心理について知りたい人にとってはわりと良い本なのではないかと思う。
     結論としては「さっぱり理解できん」というところに落ち着くかもしれないけれどね。少なくともぼくはそうだった。いやー、さっぱり理解できん。
     まあ、著者自身が「きっと理解できないだろう」という意味のことを書いているから、ぼくが特別理解力がないわけではないのだろう。やはり相当に屈折した心理なのだと思われる。いろんな人がいるものです。
     個人的な感想をいわせてもらうなら、全般的には良くある恨み節の域を出ていないとは思うが、まあたしかにそりゃ周りを恨みたくもなるよな、と思えるような人生なのでこれは仕方ないだろう。
     特異な才能を感じさせるというほではないにしろ、たしかに平均以上のインテリジェンスを感じさせる文章ではある。ぼくの場合、主張していることの七割か八割くらいは納得がいく。
     納得が行かない二割とか三割はだいたい著者の社会システム批判の部分である。ぼくは現行の社会システムはおおむね問題なく作動していると考えているのだ(だからこそこの著者が捕まったわけだ)。
     たしかに何も持たないが故に犯罪を犯す心理的な障壁が低い「無敵の人」に対する対策は必要かもしれないが、現状でそれほど大きな問題にはなっていないし、将来的にもそこまでにはならないのではないか、と考えている。楽観的すぎるだろうか……。
     著者は事件の背景に幼少期からの虐待があり、事件に至るまでその影響によって認知の歪みを起こしていたと主張している。そしてそれはどうやら事実らしい。
     これに関しては、ちょっと同情しないこともない。運が悪かったねえ、と肩でもぽんと叩いてやりたいような気がする。
     もちろん、ぼくは幸運に恵まれ幸福に育った側の人間なので何もいう資格はないかもしれないが。いや、当然、ぼくの主観としてはいろいろな苦労もあり、辛い出来事も多かったわけだが、客観的に見てこの著者ほど壮絶な苦しみは負って来ていないと思う。
     ぼくと著者との間にある差は何かといえば、これはもう「運」としかいいようがないわけで、「ほんとに運が悪かったね。気の毒に」くらいのことはいってあげたくなるわけだ。
     しかし、著者はその手の安っぽい同情を求めているわけではないだろうから、ぼくはこの時点で特にいうべきことがなくなってしまう。
     いえるとしたら、まあ、恨み節が多少きついところはあるがわりと読ませる本なので、ちょっと読んでみてもいいかもしれませんよ、というくらいだ。
     著者は出所後に自殺することを希望しているという。絵に描いたような悲惨な人生を生きて最後は自殺で幕をとじるのかと思えば、実に気の毒に思えるが、本人がそうしたいなら仕方がない。死後の冥福を祈りたいところではある。
     というわけで、特に感想らしい感想も浮かばないという、わりとめずらしい本なのであった。しかしまあ、こういう本を読むと、つくづく自分は恵まれた人間だと思いますね。
     主観的には相当辛いこともあったのだけれど、あらためて外から自分を見てみると、もう、幸せの見本のような人生かもしれない。いやー、いやな奴です。
     まず、オタクになれたという時点で幸福だ(この著者は典型的なオタクになることに挫折した人物である)。友人がたくさんいるという点も幸せ。家族も、まあ、おおむね仲は良い。もちろん虐待など受けていない。経済的にもそこまで困ってはいない。というか、最近、仕事が増えてそこそこ裕福である。
     いやー、何だ、幸せのストレートフラッシュくらいは作れそうじゃないですか? まあ、不幸でもフラッシュくらいは作れるような手札もあるのだが、それについては書いても仕方ないので割愛する。
     あと、これで愛する恋人がいればロイヤルストレートフラッシュも狙えるかもしれないんだけれどなあ。まあ、贅沢いっちゃいけないか。これからは幸せの伝道師海燕を名のることにしよう。
     そういうわけで、幸運と幸福とに恵まれてしまったぼくとしては特に感想らしいものも浮かばない本ではある。
     ただ、解説で斎藤環が語っていることがなかなか面白くて、現代の若者の七割くらいはLINEなどのツールで接続されることによって、貧しくはあってもそこそこの幸せは手に入れているというのである。
     そして、ただし、そこから排除された三割の若者は、これはもうかつてないくらい不幸だというのだ。どうも、七割ですいません、といいたくなるような話なのだが、これはけっこう的確な数字かもしれないな、と直感的に思う。
     もちろん、 
  • いまでも『東のエデン』はやっぱり傑作だと思う派閥は集まれ。

    2014-10-10 05:22  
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     どもっす。海燕です。
     ただいま深夜というか早朝の04時30分、病身を抱え、こんな時間まで何をしていたかというと、仕事をしていました――というのは半分くらいほんとうで、ぼくの場合、てれびんと電話で無駄話をしながらだらだらと原稿を仕上げてゆく作業が仕事にあたるのです。
     ウェブログ・イズ・マイビジネス! いやー、この気楽きわまりない作業でともかくも月額何十万円かの収入が発生してしまうのだからネット社会は恐ろしい。
     まあ、ぼくが日々、わりととんでもない分量を書きつづけているからという事情もあるでしょうが。
     そう、ぼくはけっこう書くのが速い人なのです。赤川次郎とか栗本薫とか、昔は人間離れした速筆の人たちだと思っていたけれど、たぶんいまのぼくは全盛期のかれらと大して変わらないスピードで書いていると思います。
     もちろんぼくの場合、その速度で小説を書きつづけることはできないので、能力的に赤川さんたちに比肩しうるとはかけらも思いはしませんけれどね。
     それにしても、純粋に速度だけを取るならば、たぶん相当速いほうに分類されるだろうと思うんですよ。
     このブログの記事一本に、まず30分とはかかりません。ちゃんと集中していると15分程度で仕上がります。えーと、秒速にして2、3文字程度でしょうか。我ながら速いなーと思いますね。
     たぶん、ペトロニウスさんあたりはぼくよりもっと速いんじゃないかと思うんだけれど。よくもまあ激務の合間を縫ってあれだけ長い記事を書くものだといつも感心します。
     ぼくはまあ、いくらか仕事が増えたとはいえ、文句なしの暇人なので、書きたくなったら書けばいいだけであるわけなんですが。
     書くのは楽しいですね。考えようによってはこの夜更けまでマジメに仕事を続けているという見方もできるわけで、そういうふうに考えると、ぼくのナルシシズムはわりと満たされます。ぼくって仕事熱心!みたいな。
     しかしまあ、そういう見方はどうにも無理がありますよね。だって、どう考えても好きなことを好きなだけ好きなように書いているわけですから。
     書くことはほんとうに好きです。歳を取るほどにどんどん好きになっていく。たぶん、経験を積んだことによってより自分の理想に近い文章をすらすらと書くことができるようになっているからでしょう。
     昔は自分のスキルを5点とか評価していたのだけれど、いまは20点くらい上げてもいいと思っています。あと100年くらい生きて修行しつづけると60点か70点には届くかも。届かないかも。
     ちなみに、いうまでもなく100点満点ではありません。芸の世界に上限は存在しないのです。120点とか300点を取ってしまう才能が現実に存在するのがこの業界。
     上には上がいるわけで、何というか、ホッとするものがありますね。一生このおもちゃで遊べるな、という感じ。
     そこらへん、天才は可哀想なもので、若くして自分の芸術を究めてしまう人が現実にいるわけなんですよ。そうすると、その後が大変になってくるわけで、まあ凡人に生まれて良かったな、と思うしだいです。
     というのが、きょうの話の枕。すいませんね、だらだらと長くて。ちゃんと集中力をもって書いているときはコンパクトにまとめようという意志が働くのですが、何しろ早朝05時なので、もう半分眠くなっていて、きちんと構成しようと思えません。いやー、申し訳ない。
     というわけで、何ゆえこの夜中に閉じかけた目をこすりながら記事を書いているかと、ペトロニウスさんの久々の長文記事を読んだからです。
    http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20141009/p1
     しかもテーマはぼくの大好きな『東のエデン』。これはアンサー記事を書かないといけないにゃーということでいまこの記事を書いているんだにゃ。
     いかんいかん、眠すぎて語尾がネコるにゃ。――眠すぎて色々おかしなことになっているけれど、まあいいや。とにかく『東のエデン』の話なのです。
     この作品は皆さん、もちろんご覧になっていると思いますが、神山健治監督の傑作オリジナルアニメーションです。どのくらい傑作かというと、神山さんのキャリアのなかでも『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』に次ぐくらい。
     『攻殻SAC』はまあ、ゼロ年代日本におけるエンターテインメントアニメーションの最高傑作ともいうべき別格の超絶名作なので、その次というと、いかに高い評価になるかわかると思います。
     で、ペトロニウスさんはこの素晴らしき『東のエデン』を取り上げ、テレビシリーズは傑作だけれど劇場版はイマイチ、といったことを書いています。

     まず結論から言うと、テレビシリーズを一つのまとまりとすると、凄いレベルの傑作だと思います。★5つ文句なし。特に演出のレベルが群を抜いている。超一流ですねさすがの神山さん。しかし劇場版は、まったく面白くなかったし、エンターテイメントの敷居を少し超えてしまって、テレビ版で設定した「問い」に対して答えようとしているんだけれども、物語の次元で答えることができなくて、哲学問答のような形式で答える形になってしまっているので、これはエンターテイメントとは言い難いなということで★3を割り込む(=僕にとっては物語失格の線引き)★2つのラインでした。

     神山ファンのぼくとしてはこの意見にガツン!と反論してやりたいところなのですが、ぐ、ぐぬぬぬぬ、できないにゃーと、屈辱のあまり再度ネコ化。
     いや、だって、この劇場版、だれがどう見てもあきらかに問題に的確な答えを出せていないんですよね。この点に関しては、まったく弁護の余地がない。 
  • キュリオシティ・キルド・ザ・キャット。

    2014-10-09 21:50  
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     わりと真剣にひどかった季節替わりの風邪から生還した海燕です。この4日間、ちょっと仕事をしたほかは、ひたすら薬を呑んで寝ていました。人間って、こんなにも眠れるものなんだな、と感心するくらい。
     やっぱりそこは動物なので、病気になると寝て回復を待つもののようです。いや、ほんと、たかが風邪とあなどってはいけませんね。油断すると奴らは命を殺りに来ますから。
     まあ、その風邪も抗生物質の霊験あらたかを得て、八割五分くらいは回復したので、こうして記事を書いているわけですが、さて、きょうは何を書こう?
     さすがに映画も観ていないし本も読んでいないので、特に書くことがありません。
     ちなみに今月は観たい映画がたくさんあって、ざっと並べてみるだけでも、

    ・『イン・ザ・ヒーロー』
    ・『グレース・オブ・モナコ 王妃の切り札』
    ・『リアリティのダンス』
    ・『ぶどうのなみだ』
    ・『るろうに剣心 京都大火編』
  • お休みのお知らせ。

    2014-10-08 20:32  
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     どうも。風邪ひきでふらふらの海燕です。というわけで、申し訳ありませんが、もう1日だけ更新をお休みさせていただきたいと思います。
     いやー、今回の風邪はひどかった。今年の風邪の特徴なのかぼくの体力が衰えているのか、39・3度まで熱が出てふらふらになりました。インフルエンザではなかったのが不幸中の幸いですが、行動の自由が効かないのは辛いですね。
     そういうわけで、もういちど寝て体力の回復に努めます。まだ正常ではない感じですねー。視界がぼんやりしているというか。まあ、ほんとうは更新してできなくはないと思いますが……。
     ではでは、おやすみなさいです。
  • 病。

    2014-10-06 19:11  
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     風邪ひきましたー。げほげほ。
  • すべては過ぎゆく時のままに。映画『アバウト・タイム』は愛と人生の意味を教えてくれる秀作だ。

    2014-10-05 21:26  
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     あなたは過ぎ去ってゆく一日一日を大切にして生きていますか? 何もかもあたりまえのことと、失われてゆく時間の価値をあなどっていませんか?
     映画『アバウト・タイム 愛おしい時間について』を観て来ました。タイトルからわかる通り、時間テーマのSF作品。タイムトラベル能力を持つ一族に生まれた主人公が、その力を使って恋に仕事にと活躍してゆく様子を追いかけたロマンティックラブコメディです。
     もっとも、これをSFといっていいのかどうか。時間テーマとしては気になる点も多く、作品全体の論理的整合性が取れていないように思われる点も少なくありません。しかし、それにもかかわらず、これは傑作です。最高。とにかく最高。
     監督は名作ラブコメ『ラブ・アクチュアリー』のリチャード・カーティスで、『ラブ・アクチュアリー』大好き男子のぼくとしてはそれだけでも観に行かなくてはいけないと思うところなのですが、いや、『ラブ・ア
  • 知性の定義。

    2014-10-04 21:13  
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     10月26日に東京は吉祥寺でひらく予定のオフ会、まだ参加者を募集しています。ただ畳に座ってだべるだけですが、それでも良いという方はぜひご参加くださいませ。参加希望の連絡はkenseimaxi@mail.goo.ne.jpまで。もしくは記事のコメント欄でも可。 さて、きのう、どういうわけか新潟にいるてれびんといっしょにご飯を食べに行ったんですが、その際にこんなやり取りがありました。

    海燕「何食べる?」
    てれびん「なんでもいいですよ」
    海燕「監獄レストランとかどう?」
    てれびん「韓国レストラン? いいですよ」
    海燕「違う違う、「監獄」レストラン」
    てれびん「……やめましょう」
    海燕「やめようか」

     新潟駅前には監獄ふうの内装をほどこしたレストランがあるんですねー。結局、そこはやめて無難そうなイタリアンに入りました。とても美味しかったです。
     いや、それだけなんですけれど、ぼく的にちょっと面白かったのでメモしておこうかと。
     しかし、てれびんがうちに泊まりに来るの、今週、これで2回目ですよ。山梨に住んでいるはずの男が周2回も遊びに来るか? 普通? まあいいけれど。
     で、そのてれびんがうちに置いていった医学書がとても興味深いので、きょうはちょっとその話をしようかと。その名も「神戸大学感染症内科版TBL」。
     TBLとはTeam Based Learningの略称で、つまり神戸大学で5日間に渡って行われたライブ講義をまとめた本なのです。
     まあ、本来、ぼくは医学に関しては門外漢もいいところ、医学書を読むことなんてありません。読んでも理解できるとは思えません。ところが、この本はそんなぼくが読んでもわかるばかりか、めちゃくちゃ面白い。
     講義内容は相当高度なものなので、ほんとうは難解な話が展開されているのだと思うのですが、それでもわりとすらすら読めてしまう。平明なのではありません。明晰なのです。
     ロジックの展開がきわめて理路整然としているために、まったく知識がないぼくのような人間でも読めてしまうわけですね。素晴らしい。そうとしかいいようがありません。 
  • 人生はすべて見方しだい。事実はひとつ、解釈は無数。

    2014-10-02 20:38  
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     自己存在の耐えがたい空虚、自分は空っぽの人形であるということを正面から見つめ、それを語ろうとする時、どうしても突き当たるひとつの事実があります。そうはいっても自分は恵まれているということです。
     己の人生を振り返った時、無数の辛かったこと、苦しかったことが思い浮かぶのですが、同時にいまの自分はかなりの程度、そこから脱しつつあるということもわかります。
     じっさい、自分のライフスタイルを考えていると、ほんとうに恵まれていると思わざるを得ません。いやまったく、何という気楽な生活なのだろうか、と。
     ヤン・ウェンリーが見たら理想の生活だと思うのではないかと思うくらい、それはもう怠惰な暮らしをしているわけです。しかも苦労らしい苦労というものはありません。
     まず、ぼくは毎日ひきこもって暮らしていますから、基本的には対人面での苦痛はありません。あたりまえですが、通勤の労力も一切かかりませんし、およそ「仕事」といえることをやっているという実感は、実はほとんどありません。
     その代わり職場で女の子と知り合ったり合コンに行ったりということもまったくないわけで、もうちょっとどうにかならないと思わなくもないんですけれどね。それは余談。
     一応、毎日更新を標榜している以上、締め切りのプレッシャーは毎日襲ってきますが、まあ、これは基本的には破ってしまっても大きな問題はないわけです。
     また、じっさいに破りまくっていることは御存知の通り。読者の皆さんには申し訳ない限りではありますし、われながらもうちょっとどうにかしなければいけないとは思うのですが……。うう、ごめんよう。この手が、この手が悪いんだよう。ごほん。
     まあ、とにかく考えられる限り楽な暮らしをしているとは思うわけです。「自分には誇れるものは何もない」とはいってみても、現実に暮らしが立っていることは事実で、そういう意味では、ほんとうにありがたい状況なのだと思います。
     会員の皆さんにはほんとうに感謝しています。ここだけの話、毎日、感謝の舞いを踊っているくらいです。ほんとうです(嘘です)。
     まあ、とにかくこんな楽な仕事は他にないでしょう。あるとしたらぼくもやりますので、ぜひ紹介してください。
     さらに、実をいえば収入的にもそろそろ軌道に乗りそうで、うまく行けば来年はだいたいサラリーマン正社員の平均月給くらいは稼げるんじゃないか、と思います。
     この場合の平均とは50代とか60代の人も含めた平均ですから、36歳のひきこもり野郎としてはまあそれなりの収入といえるのかもしれません。
     しかも親もとで暮らしていて生活費はほとんどかかりませんから、可処分所得はそれなりの額にのぼります。だから、上京すると南青山のイタリアンレストランとか行ったりするわけです。あそこは美味しかった。それなりの値段はするけれど。
     まあ、とにかくぼくはある意味ではたしかに「何も持っていない」わけだけれど、それにしても何と気楽な人生なのか、とも思います。いや、ほんと、ラッキーとしかいいようがない。激務で苦労している方々には申し訳ない限り。
     ただ、ぼく以外の人がこういう暮らしをしたとして、楽だと思うかというと――まあ、微妙なところなんじゃないかなあ、というのもほんとうのこと。
     何しろ、いつ破綻するかまったくわかったものではありませんから。数百人の有料会員がいるとはいっても、あしたにはだれひとりとしていなくなっているかもしれないわけで、何の保障もありません。
     いまの御時世、サラリーマンだってわかったものではないというのもほんとうかもしれませんが、それでもやはりぼくに比べれば「安定したご職業」といえるのではないかと思うのです。
     じっさい、ぼくは普通の人生を送ろうとして挫折して、こういうろくでもない人生を歩んでいるわけで、初めはもっと安定した職業に就こうと志していたんですよ。
     ええ、色々あってひきこもりになってしまったわけなのですが。それに、何が普通かなんてわかったものではないし、ある意味ではぼくの人生もごく凡庸であるわけですけれど。
     とにかくぼくの人生は不安定ではあるもののきわめて楽なぬるゲーといえるかと思います。桂木桂馬ならあっというまに攻略してしまいそうな楽勝さ。
     で、そこまで考えると、いままでまったく思い至らなかったひとつの発想に至ります。きっとぼくのこういう生き方をうらやましいとか妬ましいと思う人もいるんだろうな、と。
     じっさい、もし、お前は運が良かったとか恵まれているといわれたら、「はい、さようでございます」としかいえないので、自分が不運だとは思わないのですが、しかし、そういうふうに考えるとちょっと不思議な気分になりますね。
     いや、ぼくの人生なんて、そんなにいいものじゃないよね、と。いやまあ、じっさいにはだれもが「ああいうふうにだけはなりたくない」と考えているという可能性もあるわけですけれどね……。
     でもきっと 
  • 『3月のライオン』に見る「魂の格差」を生み出すもの。

    2014-10-01 12:56  
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     羽海野チカ『3月のライオン』初のファンブックとなる『3月のライオンおさらい読本初級編』が出ました。
     各地で第10巻と間違えて買ってしまうという被害が続出しているようですが、お前ら、帯に「初のオフィシャルファンブック 「3月のライオン」をたのしく、くわしく、おさらい」って書いてあるんだから、気付けよ! 気付こうよ!
     初級編ということは、このあと、中級編、上級編と出るのかな、という気もしますが、まあ、とにかく購入、ざっと読んでみました。
     初級編というわりにはなかなかディープな本ですね。作者インタビューはもちろん、三浦建太郎、森恒二、吠士隆の『アニマル』男性漫画家トリオによる鼎談なども収録されていて、実に盛りだくさん。
     この鼎談がまた面白いんだ。自身、最前線で疾走する漫画家たちによる羽海野チカがいかに怪物であるかという話は、実に興味深いものがあります。同じ漫画家の人から見てもやっぱりとんでもない存在なんだなあ、と。
     で、この座談会のなかで「ヒョードル」とか「フリーザ様」とか好き勝手にいわれている羽海野先生なのですが、まあ、ある種の天才だよな、どう見ても。
     もちろん、尋常ではない努力をしていることは発言の端々から伺われるんだけれど、それはもともと凄まじい才能を磨いているからこそ輝いている、という印象があります。
     特別な才能もなければ、生まれてからこの方、およそ努力といえることをしたことがないぼくとしては戦慄するばかりです。
     そういう文脈で考えると面白いのが「ニコ・ニコルソンのマンガ道場破り 羽海野チカ道場編」。そこでとんでもない名ゼリフが出てきていまして、つまり、「才能は物量で越えられる!!」と。
     一本の漫画を描き上げるための羽海野さんの作業量はそれはもう途方もないものがあるらしく、それはやはり「才能」のひと言では片付けられないものなのですね。
     しかも中学の頃から延々とネタ帳を溜めているのだとか。『ハチクロ』に出て来るようなポエムもそのなかに入っているらしいんですね。ああ、努力家の羽海野先生……!
     まあ、そこまでできるのもやはり「漫画が好きだから」ではあるのでしょう。でも、その「好き」が並大抵ではないんでしょうね。
     「努力を続けられることこそ才能」とはよくいいますが、大半の人は先が見えない努力を延々と続けることはできません。どこかで心折れて逃避してしまうことが普通。
     しかし、どの業界であれ、トップクラスの人間は延々と努力をしつづける。ひとが「あんな高みに立ってしまったんだから、もういいだろう」と思うような境地に立っても、「さらに、さらに上へ」とがんばりつづける。
     その「継続」の力は最後にはものすごい差を生み出してしまいます。そして、そう、『3月のライオン』では、「努力しようとしない人々」もまた端々で描かれています。
     羽海野チカは決して声高にかれらを責めるわけではありませんが、しかし、その人生がそれなりのものに落ち着いていくことを冷静に見つめています。
     その残酷さもまた、現実。そう、「どんなに弱い人、愚かな人でも救われるべき」と口先でいう人はいますが、じっさいには、自分の人生を自分でダメにしようとする人を救い出す手立てはないのだと思う。
     ただの逃避、単なる怠惰なら、「だれの心のなかにもあるあたりまえの心理」ということもできるでしょう。ですが、それが度重なり、「心のくせ」となり、またそのことを正当化しはじめると、転落は早いものです。
     「いや、そういう人だって同じ人間、救われなければならないのだ」とあくまでいう人もいますが、しょせん口先だけのことです。自分自身の意志で坂道を転がって行く時、だれも助けてくれないのが普通です。
     それが人生。正しいかどうかではなく、じっさいに世界はそういうふうになっているということなのです。
     以前、ぼくは『3月のライオン』を取り上げて、ここでは「魂の格差」が描かれている、といったことがあります。この社会では、どんなふうに生きることもその人の主体性に任されていて、だからこそ、意志の弱い人間は自ら転落していくものなのです。
     それを他者が救い出す手立ては、あるとしても、ものすごい犠牲を覚悟しなければならないものです。つまり、「救われない奴は救われない」のです。
     べつだん、自己責任だとかいいだすまでもなく、