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「他人の作品が、いかにつまらなかったかをドヤ顔で長広舌するようになったらおしまいさ」。
2016-05-18 13:0151pt
野村美月『下読み男子と投稿女子 ~優しい空が見た、内気な海の話。』を読みあげました。
面白かった! 最近、どうにも小説を読む機会が減ってきているのだけれど、これは素晴らしかった。
「読む」ことの喜びをひさしぶりに思い出せました。
野村美月さんは、典型的な物語作家(ストーリーテラー)タイプの人だと思います。
物語作家の最大の特徴は「いくらでも新しい物語を思いつく」こと。
こういうタイプの作家さんは、一様に一生かけても書ききれないほどの物語のストックを抱えているものです。
野村さんも、その多作ぶりを見る限り、相当の数の作品を構想しているのでしょう。
この『下読み男子と投稿女子』もそのひとつなのだと思います。
この作品には野村美月お得意のファンタジー設定はありません。ほぼ純粋なラブコメディです。
主人公はライトノベル新人賞の下読みの仕事をしている少年。
あるとき、かれはちょっとした偶然からクラスで孤高の地位を保つ美少女が新人賞に応募していることを知ってしまいます。
彼女から、新人賞に受かるための技術的指南を頼まれたかれは、できるかぎりの協力を行おうとするのですが――というお話。
なんといっても際立っているのは主人公の設定でしょう。
かれは「どんな作品でもいいところを発見できる」能力のもち主で、新人賞の下読みという、本来なら辛いような仕事を喜々として行うのです。
どれほど未熟な原稿も、かれにとっては宝の山。そこになんらかの長所なり挑戦の跡を読み取っては楽しみます。
読書オタクのひとつの理想形みたいなやつだな……。
ぼくもそういうふうでありたいとは思うけれど、なかなかむずかしいのが現実。
でも、理念としては理解できる。その作品が「よくできているか、どうか」ということと「面白いか、どうか」は、本来、あまり関係がない概念なんですよね。
まあ、よく混同されるわけだけれど、ほんとうは両者は違う概念だと考えるべきなんだと思う。
だって、よくできた作品だからって面白いと感じるとは限らないし、出来の悪い作品だって気に入ることはありえるのだから。
Amazonのレビュー欄とか見ていると、どんな大傑作でも必ず気に入らない、面白くなかったという人がいることがわかります。
それはもはやどうしようもないことなのだと思う。結局のところ、ひとの感じ方までは作品は介入することができないのだから。
もし「強制的に面白いと感じさせる」作品があるとしたら、それは芸術というよりは洗脳に近いでしょう。
しかし、逆にいえば、 -
『コードギアス』がうつ病の壁を乗り越えるとき。
2016-05-18 02:5251pt
漫画家の田中圭一さんとブロガーのずんずんさんによる「うつ対談」を読みました。田中さんがうつ病の最中ですら楽しめたあるアニメについて語る下りが印象的です。
田中圭一(以下、田中) 感受性が鈍ってしまううつ期間は、コンテンツが好きな人にとってとてもつらい期間ですよね。
ずんずん ええ、それまであんなに毎日を充実させてくれていた映画やアニメを観ても、漫画や小説を読んでも、全然心を動かされなくて、本当に退屈でした。
田中 僕は、うつがひどい時期でも、かろうじて自分が一番好きなジャンルのものだけは、接していました。
ずんずん どのジャンルですか?
田中 僕の場合はアニメです。深夜アニメだけは、うつの時期も継続して観ていました。それも「観てる」っていうよりは、「頭に入れる」っていう感覚でしたけど。
でもそんな精神状態だったのに、「これは面白いな!」ってアニメが一つだけあって。
ずんずん それ、気になります! なんていうアニメですか?
田中 『コードギアス 反逆のルルーシュ』!
https://cakes.mu/posts/12946
おお、『コードギアス』すげえ!
たしかにテレビシリーズは一期、二期ともとんでもない面白さだったものなあ。
テーマ性の深さとかは置いておくとしても、その純粋な展開の面白さは、過去に見たアニメのなかでも一、二を争うかも。
『亡国のアキト』も序盤は素晴らしかったのだけれど、ラストで失速しましたねえ。いやまあ、その話はいいのだけれど。
その一方で、ずんずんさんもうつの時期に自分を支えていたコンテンツについて語っています。
田中 ずんずんさんは、何か心の支えにしていたコンテンツはありました?
ずんずん うつの時期は、「商業BLマンガ」を読むことだけが楽しみでした。BLはとても優しい世界なので、うつの自分を支えるために、週に2冊ずつ行きつけの書店で買っていたのですが、そうしたらなんと、その書店の商業BLコーナーが拡大したんですよ!
田中 なんと!(笑)
ずんずん 引っ越してからその書店には行けなくなってしまったんですが、その後しばらくして、友達から「あの書店のBLコーナー、縮小したよ」っていう報告が入って(笑)。そのとき、自分が買い支えていたことに気づきました。
最後は笑い話になっていますが、なるほどなあ、とも思います。
ぼくにはBL作品が具体的にどう「優しい」のか分析する能力はないけれど、ここでいう「優しさ」とは、『コードギアス』のような「面白さ」とはまた違う概念だと思うのですね。
『コードギアス』は素晴らしく「面白い」作品だけれど、狭い意味で「優しい」かというとそうではないと思う。
ひとは次々と死ぬし。裏切りと謀略と野心の物語だし。
一般的にいって、「面白い」物語って、必ずしもココロに優しくないと思うのですよ。
その一方でただキャラクターがいちゃいちゃしているだけみたいな物語の脚本としてはどうなんだ?といった作品は、とてもココロに優しいところがある。それはわかる。
ほんとうにココロが疲れているときは、そういう「優しい」作品しか受けつけないということもほんとうかもしれない。
疲弊した胃がおかゆしか受けつけないようなものですね。
おそらく、BL作品の「優しさ」はそれに留まらないものがあるのだろうけれど。
まあ、もちろんそうかといって「優しい」作品ばかりになって、「面白い」作品がなくなっても困るところではあるでしょう。
やっぱり「優しい」作品と「面白い」作品、両方が必要だと思うのですよね。
現代は、非常にまったりと「優しい」作品が増えた時代だという印象があります。
それだけ疲れている人が増えたということなのかもしれませんが、萌え四コマの単行本を読むことだけが人生の楽しみ、といったサラリーマンはいまどきめずらしくもないでしょう。
そういう人たちは、より一般的な意味で「面白い」作品をもう受けつけなくなっているのかもしれません。波乱万丈は現実だけで十分だ、と思っている可能性もある。
そういう人たちにとって、ドラマティックな意味で「面白い」作品は「救い」にはならないのでしょう。
しかし、その一方で、突き抜けた「面白さ」は、ある種の「癒やし」になりえることもほんとうなんですよね。
作家の夢枕獏さんが、ただ -
能力を最大限に発揮できる習慣を身につけたい!
2016-05-18 02:0051pt
なるべく多くのコンテンツを消化しようと決心した1週間も最後の日になりました。ちょっと早いですが、結果発表!と行きたいと思います。
えー、全然ダメダメでした(笑)。
「(笑)」じゃねえよ、もっとマジメにやれよ、とお思いの方もいらっしゃるかと思いますが、すいません、その通りですね。
でも、仕方ない。全然継続しようという気力が沸かなかったんだもん。
まあ、〈マーベル・シネマティック・ユニバース〉の12本をひと通り見て、本を3冊読んで、アニメをいくらか見たから、そこそこはコンテンツ消化しているんだけれど、逆にいうと一念発起したわりにはそこそこでしかなかったということになる。
その失敗の理由はどこにあったのか? 振り返ってみると大きいのは、「初日に集中して消化しようとしすぎたこと」だと思います。
初日だけで実に円盤7枚という映画及びアニメを見てしまったわけですが、これがど失敗でしたね。
この日でいきなり疲れ切ってしまい、また映画を見ることがいやになってしまって、その後に続かなかった。
これが最大の「敗因」だと思います。あきらかに力の配分を間違えていますね。ええ。
あと、もうひとつ、マーベル系の映画ばかり集中して見ようとしたことも無理があった。
やっぱりいくら面白くても続けて見ていると飽きてくるんですよ。まあ、続けて見たからこその楽しさというものもなくはないんだけれど、その一方で途中から見る気が失せてきたのもほんとう。
まだこのあと『キャプテン・アメリカ/シビル・ウォー』を見ないといけないのですが、もうちょっと間を空けて見ればよかったとちょっと後悔しています。
そういうわけで、あまりたくさんの量のコンテンツを消化することはできませんでした。
これが自分の限界なのか、それともやり方を工夫すればもっと消化することができるのか、微妙なところです。
たぶん、映像作品をこれ以上たくさん見るのは無理そうなので、映画は1日1本くらいに絞って、そのぶんアニメを見たり、漫画を読んだりするのが効率的かなあと思うのですが、さらなる試行錯誤が必要なようです。
そのトライアル&エラーの一環として、生活の「ルーティン化」を試みたいところです。
最近、『プロフェッショナルの習慣力』という本を読みました。
この本では、 -
人工知能が天使になるとき、悪魔と化すとき。
2016-05-17 20:5451pt淡々とマーベル映画を見ています。
あとは『ガーディアンズ・オブ・ザ・ギャラクシー』と『キャプテン・アメリカ/シビル・ウォー』を見れば完全制覇。
ぜいぜい。はあはあ。さすがに短期間で10作続けて見ると疲れる。全部見終わったらまとめて記事を書こうと思います。
ほんとうはこうやって極端に集中して見るんじゃなくて、毎日1本ずつくらい見て行くのがいいんだろうなあ。結果的にはそっちのほうがたくさん見れるはずだし。
ぼくはどうも長距離走を短距離的に走り抜こうとして失敗する傾向がある。いいかげん自分のリミットを把握しなければ……。
さて、NHKの「天使か悪魔か 羽生善治人 工知能を探る」という番組を見ました。
タイトルからわかるように、世界各地で急速な進歩を遂げている人工知能(AI)に関する番組です。
ついにさまざまな領域に進出しつつある人工知能について、将棋というゲームに関する「人類最高の知性」であるところの羽生善治が探求するという内容。
非常に興味深い番組だったのですが、最終的に出てきたのは人工知能の倫理問題でした。
人間の理解を超える領域にまで進歩していこうとしている人工知能に対し、どうすれば倫理的な制約をもうけることができるかという問題です。
ぼくたちは多数の映画や小説で「危険な人工知能」というヴィジョンを見せられてきています。
そういう作品では、人工知能はなんらかの目的のために「暴走」し、人類滅亡といったプロジェクトを開始するのです。
しかし、現実的に考えればそういう「邪悪な」人工知能は生まれづらいでしょう。
人工知能をそういうふうに捉えることはいわば人工知能の擬人化であるに過ぎません。
だから、『ターミネーター』に出てきたような「邪悪な支配欲に駆られた人工知能」といったものを想定することはばかばかしい。
しかし、その一方で「人類の利益に対して一切無関心な人工知能」は考えられるでしょう。
そういう人工知能は、ある目的のために「結果として」人間の目から見ると邪悪ともとれる行動を取るかもしれない。
人工知能のそういう「結果としての暴走」をどう阻止すればいいのか。あきらかに人工知能に倫理を学ばせる必要があるという結論が出そうです。
しかも、その「学習」は、人間が「これは良いことだ。これは悪いことだ」と教え込むという形ではなく、人工知能自身に考えさせ、結論を出させる必要がある。
つまりモラル面のディープ・ラーニングです。
ぼくは思うのですが、たとえば「住宅街に向かってミサイルを発射せよ」とだれかが命令したとき、命令通りに発射する人工知能と命令に背く人工知能、人類にとって安全といえるのはどちらでしょうか?
あるいは、もしその住宅街にテロリストがひそんでいて、そのテロリストを殺害することによって何万の人を救えるかもしれないとしたら?
こういった問題は人類が現段階で明確な答えを持っていないものです。何が正しいのか、だれにもわからない。
いまのところ人工知能は「成か、否か」明確に分けることができる領域で活躍していますが、その能力の劇的な進歩に連れて、やがて必ずこういった「答えのない問い」の領域にまで進出していくでしょう。
そのときには、どれほど高度な知性を持つ人工知能といえども、完全に正しい答えを出すことはできないはず。
問いそのものにパラドックスが設定されている問題だからです。
そういうパラドキシカルな状況設定に対して超高度な人工知能がどのような答えを出していくのか、ぼくは興味があります。
そしてまた、 -
全身性円形脱毛症だけれど何か質問ある?
2016-05-17 02:1151ptども。なかなか早起きの習慣が身につかない海燕です。
絶対に早起きしたほうが効率がいいとはわかっているんだけれど、ついつこうして夜更かししてしまう。これじゃ朝起きられないわけだよ。
それでも一応、きのうは早起きして大学病院へ行ってきました。汎発型(はんぱつがた)円形脱毛症という奇病の治療のためです。
ネットで調べたところ接触免疫療法という治療法らしい。
ストレスのせいなのかどうなのか脱毛症になり、全身の毛という毛がすべて抜け落ちてしまってからすでに半年以上が過ぎました。
そのあいだずっと治療を受けているのですが、どうやら完治には(完治するとしても)数年単位の時間がかかるらしく、いやー、どうしたものかなーと思っています。
どうしたものかなも何も、どうしようもないのですが。
当然のこと、まつ毛もまゆ毛も抜けたので、顔がヤクザっぽい面相になってしまいました。神さま、そんなにぼくがお嫌いですか、と初期の桜木花道みたいなことを思う日々。しくしく。
まあ、とはいえ、これが女性だと非常に辛いでしょうが、男の場合は、案外なんてことないですね。
それなりに異様な面相になっているのかもしれないけれど、特に注目を浴びることもなく、ふつーに毎日を過ごしています。
ファッションスキンヘッドの人がいっぱいいるので、特に目立たないというのもある。ハゲにとってはいい時代です。
もしこれがナンパ男だったら困ったのかもしれないけれど、ぼくはハゲていようがいまいがぼくでしかないからなー。
もともとのステータスが低いと状態異常にかかっても大して数値が下がらないからいいよね(自虐ネタ)。
まあ、同じ状態でも相当に苦しむ人もいるらしいけれど(検索すると色々出てくる)、ぼくはわりと平気かな。
いや、治ってほしいのは間違いないのですが。治らないものはしかたないですよね。自分の能力でどうこうできない運命はただ受け入れるしかない。
いや、ぼくはほぼ社会参加していない孤独なひきこもり野郎なのでそういうことをいえるのかもしれませんが。
円形脱毛症は「社会的に抹殺される病気」ともいわれるそうです。同病の皆さんに対しては「大変ですよねー」といいたくなります。
ちなみに大学病院の治療費はきわめて安く、服薬の必要もないので助かってはいます。さすが大学。
それにしても、 -
さらにさらにマーベル映画を見たよ。
2016-05-16 22:4951pt「1週間耐久コンテンツ消費計画」、早くも5日目です。どうも予定通り進んでいませんねー。
やっぱり初日に作品を集中しすぎてその後に疲労が溜まったことが痛い。
あまりに休みなく根を詰めてコンテンツを消化しようとすると逆効果だというあたりまえといえばあたりまえの教訓が得られました。
また、コンテンツ消化に時間を取られて記事を書いている時間がありません。
まあ、それでも〈マーベル・シネマティック・ユニバース〉くらいは制覇したいと思います。そこで続けて見たぜ。
シリーズ5本目は『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』。シリーズのなかでも最高傑作との呼び声も高い作品です。じっさい見てみると、噂に聞いた通り傑作でした。終わり。
シリーズ6本目は『アイアンマン3』で、シリーズ7本目は『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』。さすがにここまで来ると登場人物に親しみが沸きますね。終わ -
生放送。
2016-05-15 20:1451pt -
ネトゲの廃人は社会人失格だと思った?
2016-05-14 22:2251pt
ども。ダメ人間1号です。生まれてきてすいません。
深く落ち込むことに、きょうはまだ1本も作品を消化していません。
きのうの疲れが出たのかなんなのか、ベッドに横たわってへろへろしていたりしました。
まさか映画を何本か続けて見たくらいでここまで疲れた上に翌日に持ち越すとは。
結論としては、毎日たくさんのコンテンツを消化するためには、まず体力を付けないといけないということですね。
うーん、まあ、やってみて良かった気もする。自分の限界が良くわかった。
まあ、ほぼ休みなく十数時間映像を見ていたら疲れるのもあたりまえかもしれないけれど。
でも、テレビ番組をながら見するだけならそんなに疲れないから、やっぱり映画は疲れるコンテンツなんだろうなあ。たぶん。
とりあえず〈マーベル・シネマティック・ユニバース〉だけでもこなさいといけないので、あした、『キャプテン・アメリカ/ウィンター・ソルジャー』と『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』を見たいと思います。
きょうはもういいや。へろっているから。
そんな状態でも軽い本くらいは読めるわけで、西村本気『僕の見たネトゲ廃神』を読みました。
大量のエッチな漫画とともにダンボールで届いた本ですが、エッチな漫画を差し置いて読みました。偉い、ぼく(そうか?)。
結論から書くと、なかなか面白かったです。「僕の見た」というタイトルからはネトゲ廃人の著者がゲーム内で知り合った人物たちについて書いているような印象を受けるけれど、じっさいにはゲーム廃人から脱出した後にインタビューしてまわった人たちについてまとめた本です。
著者は自分自身、過去に「廃人」だった17歳(当時)で、この本の内容をほぼひとりで執筆しまとめきったそうです。
読んでいる限り、文章を書くセンスは悪くないし、ユーモアもある。自分を突き放す視点もちゃんと持っている。
これで食っていけるだけの資質を持っている人なのではないかと思います。
高校時代には生徒会にも入っていたということで、実はなかなか行動力のあるタイプなんじゃないかと思う。
ネトゲ廃人とひと言でいっても、色々な人がいるよな、とあらためて実感。
ちなみにぼくは『ネトゲの嫁は女の子じゃないと思った?』のおかげでネトゲをやると可愛い女の子と知り合いになれるという間違えた知識を手に入れたのですが、本書にも可愛い女の子は出てきます。
実際にネトゲやっている可愛い女の子もいるんだなーということがこの本を読んでわかりました。
まあ、もしそういう子と知り合いになりたかったらもっと効率的な手段があるだろうけれど。
それにしてもリアルとネトゲを両立させている人たちがたくさん出てくる一方で、「ネトゲ以外に何もない」廃神の「安藤さん」の姿は衝撃的。
私生活が完全に崩壊していて、ネトゲに依存するしかない状況なのだとか。
もしネトゲを取り上げたらアイデンティティが崩壊するだろうし、こういう人はいったいどうしたらいいのだろうなあ。
一度地獄を見て「底つき」を経験するしかないというのはほんとうなのだろうけれど、「底」を見たら回復するかというとそうとは限らないわけで、きわめてむずかしい問題だと思います。
ネトゲのほかに何か救いになるものがあればいいのだろうけれど。
こういう人を見ていると、ぼくはあらためて幸運だったなあと感じます。
運だけで生きているといってもいいくらい。もし運が悪かったらいまごろもう死んでいたでしょう。
ブログもネトゲの一種みたいなところあるから、ぼくも依存する危険性はあると思うんですよね。
幸いにもいうか、ブログはネトゲみたいに気持ちよくレベルアップできないようになっているので、そこまで依存してはいないのだけれど。
でも、 -
尺度は愛? それとも避妊具? 安全で正常なセックスとは何か。
2016-05-14 16:2451ptども。「1週間耐久コンテンツ消費計画」3日目にしてだいぶへろへろしている海燕です。
さすがに映画を見るのは飽きたので、きょうは小説を読む日にしようと思ったんだけれど、まだ1冊目を読み終わっていません。
ダメだなー。せめて1,2冊くらいはきょうじゅうに読み終えたいけれど。
さて、この記事では各所で賛否を呼んでいる映画『青春100キロ』について考えてみたいと思います。
この映画、内容のばかばかしい爽やかさに共感を寄せる人もいる一方で、批判的に語っている人も少なくありません。
それ自体はあたりまえのことに過ぎませんが、何しろ映画そのものが単館上映でだれでも見ることができるというものではないために、意見が錯綜している様子が見られます。
そこで、ぼくはもういちど自分の意見を確認するとともに、もうちょっと深いところまで行けないか試みてみたいと思います。れっつ、ちゃれんじ。
当然ですが、ぼく自身は映画を見ています。チケットは売り切れ寸前だったみたいだけれど。
ちなみに、会場には女性も何人かいました。カップルで来ているらしい人たちもいた。だからどうだというつもりはないけれどね。
この映画に対する批判点として最も注目するべきなのは、あきらかに「中だしセックス(コンドームを使わないセックス)にこだわっている」というところです。
AV女優の中だしセックスは、是か、非か。そこにひとつの焦点がある。たとえば、このように書く人がいます。
著名なはてなブロガーが仕事を辞めるにあたって「愛されたくてブロガーになりました。引退記念に100キロ完走した私のファンとゴムなしでセックスします!」と宣言したらどうだろう。まず大騒ぎになる。はてなもホッテントリ入りさせないだろうし、ブログを強制非公開されてもおかしくない。
「大丈夫、ピルを服薬しています」「信頼できる人が面接してくれましたし、性病検査も受けたと聞きました」と書いたら安心するか。しないだろう。「走ってるところとセックスは後ほど有料公開します」と書いたら歓迎されるか。大問題になるだろう。さらに問題なのは「赤の他人とゴムなしでセックス」を言い出したのは関係する本人ではなく、それを撮影して有料で公開しようという人間だということだ。「あのはてなブロガーさんに引退記念としてゴムなしセックスを了承してもらいました!孕ませたい人を募集します!」これを「観た方がいいやつです!」と宣伝するだろうか。
ところがひとたび「AV」の枠に入ると基準が変わる。ハンガーゲームの世界でバトルフィールドでの殺人が罪に問われず、そこでの死が予期されたものであるように、AVと名がついたとたんに視聴者の感覚は鈍る。そうか、AVか。AVタレントがゴムなしでセックスするのか。それなら大丈夫だろう。精神的にも遺恨が残らず、心理的ダメージも受けないし、肉体的にも安全だ。なにしろAVタレントなんだから。
もしかしたら精神的にも心理的にも肉体的にもダメージを受けるかもしれない。100%の避妊はありえないのだから、性病検査も完璧ではないのだから、取り返しのつかないことがおきるかもしれない。でも自己責任だ。AVタレントなんだから。そんなのやる方が悪い。
http://kutabirehateko.hateblo.jp/entry/2016/04/30/000000
この意見の一部には賛成です。しかし、べつの部分は納得が行かない。
たしかに著名なブロガーがこの映画と同じことをしたら「まず大騒ぎになる」。そこまではわかる。
しかし、「大騒ぎになるほどのことだから、良くないことである」といえるのか。
問題は「なぜ大騒ぎになるのか」なのではないでしょうか。
それは「コンドームを使わない中だしセックスは危険である」と一般的に思われているからでしょう。
しかし、そもそもコンドームは複数ありえる避妊&性病予防法のひとつにしか過ぎないわけです。
つまり、「コンドームの使用」は「適切な避妊予防&性病予防」とイコールではない。
「コンドームをしているから安全」でもないし「コンドームをしていないから危険」とも限らない。
『青春100キロ』はたしかに「中だし=コンドームを使わないセックス」を売り物にしているわけですが、登場人物の全員が性病検査を受けているであろうことは本編の内容からわかります(業界のルールとして性病検査なしでは出演できないらしい)。
また、当然、なんらかの方法で妊娠を防いでいるであろうことも想像できる。
その意味で「コンドームを使っていないこと」から「危険なセックスをしている」と批判することはできないと思う。
それは「AVタレントがゴムなしでセックスするのか。それなら大丈夫だろう」と考えることでしょうか。
いいえ、微妙に違います。AV女優個人に中だしセックスへの耐性があるから大丈夫だと思っているわけではなく、AV業界という社会的に成立した業界の実態を信用している、ということですから。
もちろん、どのような避妊法なり性病予防法を多重的に試みたところで、妊娠&性病の危険性を100パーセント排除することはできません。
その意味で、複数の異性と中だしセックスすることは一定の危険性を孕むでしょう。
しかしそれは「愛するパートナーとの一対一のセックス」でも同じことです。
むしろ「愛するパートナーとの一対一のセックス」こそ、「この人が性病にかかっていたりするはずがない」と考えるから危険性が高いかもしれない。
結局、この映画のセックスだけが危険なのではなく、すべてのセックスが程度の差はあれ危険性を孕んでいると考えるべきでしょう。
もちろん、「程度の差」はきわめて重要です。
ですが、「コンドームの有無」がその危険性の尺度ではありえない以上、この映画のなかのセックスがそのほかのセックスより相対的に危険であると考えるべき根拠はないように思います。
むしろ、プロフェッショナルなスタッフによる検査と管理が行われている以上、通常のアマチュアの男女(もしくは同性同士)によるセックスより相対的に安全であるとすらいえるかもしれない。
ぼくはそういうふうに考えます。
また、これは批判とはいえませんが、「この映画のなかには男女の心の触れ合いがない」と語っているブログもあります。
つまり、そういうことなのだ。
この作品には、挿入や射精はたくさん存在するが、男女の心の触れ合いとしてのセックスは、ひとつも存在しないのだ。
中出ししてようがなんだろうが、すべてが女体を使ったオナニーなのだ。
上原亜衣の周囲を幾重にも囲んだ素人男優が「亜衣ちゃん好きだ!」と叫びながらオナニーをし、上原亜衣の股間に次々とぶっかけをする。
上原亜衣は、精液を自らの体で受け止めて、「こんなに愛してもらって幸せだ」という。
100キロ走ったケイ君は、望み通り上原亜衣に中出しを決める。
上原亜衣は、泣きながら、「彼が最後の人で良かった、いちばんしっかり目を見てくれた」という。
ケイ君の感想は一言、笑顔で「最高です!」これだけ。
普通に考えて、そこに愛はない。
こんなものが愛であるわけがない。
けれどAV女優にとって愛とは人気であり、人気AV女優であるとはオナニーをたくさんしてもらうということだ。
だから、上原亜衣は間違っていない。
上原亜衣は、自分の置かれた環境で、精一杯の情熱を燃やしているだけなのだ。
間違っているのは、セックスをオナニーにしてしまっているのは、行きつくところまで行ってしまった、AVという狂った世界だ。
http://bronson69.hatenablog.com/entry/2016/05/07/035253
そうでしょうか。
ぼくは -
プロブロガーは気楽な稼業ときたもんだ。
2016-05-14 11:5651pt「「会社をやめて、ブログで食べていこう」と思っている若い人たちへ」という記事を読みました。「プロブロガーとか目指す前にちょっと考えてみてみ」という内容です。
「自分というキャラクターを売り物にしたブログ飯」を職業にしてしまうと、収入的な天井って、イケダハヤトさんとかはあちゅうさんのような「年収数千万レベル」が「天井」なんですよ。世界的には、もっと稼いでいるユーチューバーとか、いるみたいだけど。
そして、稼ぎ続けるためには、炎上するような発言を繰り返す「鋼鉄のメンタル」が必要だし、セミナーとか情報商材的なものを売る「ライフスタイルネズミ講」に手を染める人もたくさんいます。
それでも、10年、20年と食べていくのは難しい。
だからこそ、先駆者たちは、「芸能人化」して、タレント活動や著書の出版、講演で安定収入を目指しています。
そういう枠は、そんなにたくさんはありません。
先駆者たちはまだ若いし、メディアも「イケダハヤトの劣化コピー」なんて要らないはず。
http://fujipon.hatenablog.com/entry/2016/05/13/133901
うなずける話です。
ぼくも、一応は「プロブロガー」を名のれるラインの底辺をさまよっている人間なので、こういう記事には思うところがあります。
いや、この記事の内容そのものにはまったく異論がないのですが、ぼく自身はそれでもブロガーやっているわけで、やっぱり「そうなった理由」があるわけです。
なぜ、ぼくは医者や公務員や芸能人やサラリーマンではなく、ブロガーを選んだのか?
すいません、実は選んだわけではありません。「気づいたらこうなっていただけ」なのです。
ぼく、本質的にはただのニートなので、「これしかできない」のですよね。
ほかにできることがあったらそっちをやっていたと思うのだけれど、ほんとにこれしかできないのだからしかたない。
それはまあ、医者のほうが平均収入がいいのは間違いありませんが、ぼくは医者なんてなれないもん。
一応は医学部生であるてれびんとか見ていると、「ひょっとして、医者なんてだれでもなれるのでは……?」と思えてくることもほんとうではありますが、それは錯覚。
ぼくの頭ではどうあがいても医学部なんて受からなかったことでしょう。
また、致命的に集団生活に向いていないぼくにはまともな公務員やサラリーマンもできそうにありません。そもそも無能だし。
まして芸能人とかできるわけがないから、結局はブロガーしかなかったわけです。
そのブロガーになれたのもたまたまで、もしここでブログ書いていなかったらほんとのひきこもりになっていたと思います。
そういう意味では、ドワンゴさんには頭があがりません。いつもしょうもない記事ばかり書いていてごめんなさい。
まあ、そういうわけで「気づいたらなっていた」ブロガーというお仕事ですが、この仕事には上記の記事には書かれていないひとつの大きなメリットがあります。
それは「楽なこと」。
ブロガーとは寝ころんでポテトチップスをコーラで流し込みながらアニメを見てネットに感想を書き込むとお金がもらえるお仕事。
一見すると楽そうに見えるかもしれませんが、じっさいには想像以上に楽です。もう、なんの苦労もない。ちょー気楽。
だって、ブロガーなんて、何書いてもいいんだもん。好きなことを好きなように書いていればいいのだから、こんなに楽な作業はないと思う。
作家さんみたいに編集者がいて逐一チェックされるということもないし、書くことがないときはライトノベルかエッチな漫画でも買いに行って感想を書けばいい。
こんな仕事がこの世にあっていいのだろうかと思うくらい。
まあ、たしかにアフィリエイトで稼ごうと思うとそれは大変だと思います。
ぼくも昔、ちょこっと手を出したことがありますが、ぼくにはアフィリエイトは合っていませんでした。
その昔、はてなダイアリーで書いていた頃、ぼくは最大で月に40万PVくらいアクセスがあったのですが、それでも月額7万円程度しか稼いだことがありません。
お小遣いとしてはそこそこですが、食べていける収入ではないですよね。
アフィリエイトで食べていくのはやはり相当大変だと思います。
それに比べると、いまの収入は諸々全部合わせるとその何倍かあります。
しかも(その月で極端な人数が会員を辞めなければ)毎月確実に入ってくる。
ちなみに過去半月(15日間)で会員を辞めた人はひとりだけですから、この収入は今後少しずつ増えていくであろうことが見通せます。
仮に毎日ひとりずつ会員が増えていくと1年間で100万円くらい収入が増す計算になります。ふたりずつなら200万円ですね。
ぼくとしてはこのくらいのペースで増やしたいのだけれど、なかなかそうはいかないというのが実情。
が、まあ、増えることは増える。あくまで、マジメにいまのペースを守っていればの話ですが……。
まあ、とにかく結果としては、ぼくには会員制のブログのほうが合っていたということのようです。
もちろん、神のように偉大なニコニコ動画さまの恩恵を受けて初めて成立する話であるわけですけれどね。ありがたやありがたや。
とにかく、会員制ブロガーはいいお仕事だと思うわけです。
楽だし、定期的にお金が入るし、しだいに収入は増えていくし、いいことずくめ。
いや、いまのところたいしたお金になっているわけではないし、ぼくはそうとう運がよかったほうなので、ひとにやってみることを奨めたりはしませんが。
でも、
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