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記事 21件
  • 『風立ちぬ』再考。堀越二郎はほんとうに冷血の天才なのか。

    2016-06-09 21:21  
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     瀬名秀明の『瀬名秀明ロボット学論集』と並行して、杉田俊作『宮崎駿論』を読んでいる。何度目かの再読である。
     宮崎駿の漫画や映画を題材にした批評書は何冊も出ているが、この本は際立って面白い。
     宮崎駿の過去の全作品を素材に、表現論、自然論、さらには宮崎駿その人の人物論に至るまで、縦横に語りつくしている。
     興味深いのが、宮崎監督の(いまのところの)最新/最終作である『風立ちぬ』への評価だ。この本にはこう記されている。

     ひたすら戦闘機を作っては失敗し、作っては墜ち、炎上した。そして夢の飛行機の制作にようやく成功しても、何の達成感も喜びもなかった。目の前には、あたり一面、夢の残骸と廃墟が広がっている。人生を賭した夢は、ついに誰をも生かさなかった。国民も、家族も、愛する人も、そして自分すらも。
     『風立ちぬ』は、そんな映画に思えた。
     
     (中略)
     堀越二郎の、あの、無表情な顔。あれ
  • ひきこもりが面白い人生を送るには?

    2016-06-08 04:13  
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     さて、エーちゃんは「目指すべき目標」が明確になり、過酷な練習を経て成長しているわけですが、かれの生き方に学ぶぼくはそこから何を汲み取るべきでしょうか?
     まあ、やっぱり何かしら「目標」が定まっていないと努力もできないよ、ってことでしょうね。
     ぼくの人生の究極の目標は「面白く生きる」だから、「面白く生きる」ための中間目標を設定しなければならないわけだ。
     でも、ブロガーとして目指すべき「目標」ってなんだろうなあ。数千人の会員? 数千万円の年収?
     いやいや、そういうことじゃないでしょう。それはそれで充分に「遠い」目標ではあるけれど、べつにたくさんお金を稼いだって面白いことにはなりそうにない。
     特別に「面白くお金を使う才能」をもっている人なら違うかもしれないけれど、ぼくはそういうタイプでもないしなあ。
     まあ、いまはあまりに行動の自由が利かないので、もう少しお金は欲しいけれど、あまりたく
  • 天才ではない者が勝利を勝ち取る条件とは。

    2016-06-08 02:43  
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     いつもいっている気がしますが、今週の『ベイビーステップ』が面白いです。
     自分の目と身体で直接ウィンブルドンを体験し、「世界の頂上(トップ)」を肌身で感じたエーちゃんが、いよいよ「世界の頂上」を目指して戦い始めます。
     いままであいまいだった目標が具体的に定まった意味は大きく、エーちゃんはふたたび爆発的な成長を開始します。
     しばらくの間、「プロのきびしさを思い知らされるターン」が続いていただけに、今後の展開には期待です。
     それにしても、あらためてわかるエーちゃんのメンタルの強靭さ。
     普通、この手の漫画だと、「目標へのあまりにも遠い距離」を思い知られた主人公は絶望し、そのあと初めてそこから這い上がろうとするものなのですが、エーちゃんはそのプロセスをカットしてしまう(笑)。
     全然絶望しないんだもん! この人。
     それどころか、

    世界の頂上(トップ)を目標に定めた練習は突き詰めるほ
  • 『HUNTER×HUNTER』は「人間的な共感」の境界を示す。

    2016-06-07 20:27  
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     『HUNTER×HUNTER』最新刊をくり返し読み込んでいます。
     一度読んだだけでは理解し切れないレベルの複雑さと情報量。
     「グリードアイランド篇」もそうだったけれど、端から端まで完全に把握して読んでいる人は少数派なんじゃないかなあ。
     ということは100パーセントわからなくても読めるシンプルな構造があるということで、なんというかもうほとんど天才の仕業。
     いち凡人としてはただただ「すげえなあ」と感嘆するしかありません。
     この巻から物語は人跡未踏の「暗黒大陸」に渡航するための準備に入ったわけだけれど、少し前まで死闘をくり広げたキメラアントを凌ぐという未知の脅威が複数登場し、物語のスケールは一気に広がりました。
     さらには「デカすぎる」モンスターたちがあたりまえのように登場し、いったい人間の力は通用するのやら、しないのやら。
     あまりに極端なスケールアップを「インフレ」と見て批判す
  • 学校なんて行かなくていい、とはいうものの。

    2016-06-06 11:43  
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     有名ブロガーのちきりんさんと格闘ゲーム界の「神」梅原大悟さんの対談本を読みました。
     なんでも3年にわたり、100時間以上対談しているそうで、本になったのはそのなかの精髄といえる部分なのでしょう。
     話のテーマは「学校」。
     本来、プロゲーマーのウメハラは「学校の授業はみんな寝ていた」という学校嫌いで知られた人、その人物に学校ネタを振るとは、さすがちきりん、恐ろしい子!
     まあ、こういう無茶ぶりは話が空中分解して木っ端みじんになって終わるリスクもあるわけですが、結果としてはこの本はとても面白い内容になっています。
     何が面白いかといって、冒頭から最後までちきりんさんと梅原さんの意見がまったく合わないことが素晴らしい。
     普通、対談って、相手の意見を受けて「ですよね」、「そういうことですよね」みたいな形で意見を交換していくものだと思うのですが、この対談ではふたりとも真っ向から意見を衝突さ
  • 「障碍者」までのディスタンス。

    2016-06-05 01:38  
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     たむらあやこ『ふんばれ、がんばれ、ギランバレー!』を読みました。
     タイトルからわかるように(わからないかな?)、10万人につきひとり、ふたりという難病「ギランバレー症候群」にかかった著者の漫画形式での闘病記です。
     はっきりいってプロレベルの画力や構成力があるとはいいがたく、読んで面白いものとはいえないかもしれませんが、事実だけがもつ圧倒的な迫力がすべての問題点を帳消しにしています。
     ギラン・バレー症候群とはどんな病気なのか? なんだかガンダムのモビルスーツみたいな名前ですが、この本によると「全身を切り裂かれねじられ骨から身を剥がれ爪は剥がれ内臓はちぎれという痛みが24時間営業で続く」という超絶恐ろしい病。
     それだけでなく呼吸もできなくなったりするそうで、著者は「死にたい」と思うほどの地獄に叩き込まれます。
     いやー、この漫画を読むと、この病気にだけはなりたくないな、と心底思いま
  • 頑張って生きるのが嫌な人が自由になる方法。

    2016-06-04 21:53  
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     「頑張って生きるのが嫌な人のための本」。おお、ぼくのことだ、と思って読んでみました。
     タイトルはこんなですが、中身は「自由」を巡る真面目でまっとうな思索です。
     著者は若くして亡くなった友人「K」に対し語りかけるかのように文章を綴っていきます。
     自由を追求したあげく、死を選んでしまった「K」。その選択は必然だったのか、それとも避けられるものだったのか。さまざまに志向を巡らせていくのです。
     自由。
     思うに、ぼくも結局、自由になりたいのだと思います。
     しょせんヒトである限り一定の制約は受けるかもしれないけれど、べつにそこまで「極限的な自由」を求めているわけじゃない。
     ただ、いまよりもう少し「不可能」を「可能」にしたい。それだけ。
     たとえばいくらかお金があればそれだけでできることはたくさんあるし、身体が思ったように動くというそれだけのことも大きな自由を保障している。
     あらゆる
  • 映画『同級生』はキラキラ系青春ボーイズ・ラブ。男子も見てみるといいよ!

    2016-06-04 16:00  
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     アニメ『同級生』をレンタルして見ました。
     ボーイズ・ラブ漫画の名作として名高い『同級生』の劇場映画版です。
     原作も読みましたが、いやー、このアニメ版は素晴らしい出来。
     それはもう胸キュンものの作品となっております。
     BL好きの女子はもちろん、男子もバイアス抜きで見てみるといいんじゃないかな。
     とにかく一本のアニメとしての出来がずば抜けているので、アニメファンなら見ておいて損はないはずです。
     それにしても、いってしまえば「知る人ぞ知る」作品の企画でこの出来。つくづく時代はいいほうに変わったんだなあと思いますね。
     原作ファンもきっと満足していることでしょう。ちなみにこの映画の公開時、てれびんは『ずっと前から好きでした。~告白実行委員会』と間違えて男ひとりで見に行ったそうです。
     「あれ? こんな話だったかな?」と思って見ていたらそのうち男同士のラブシーンになって唖然としたの
  • 『HUNTER×HUNTER』における新世界とは「物語破壊の装置」である。

    2016-06-03 15:07  
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     全読者待望の『HUNTER×HUNTER』最新刊が出ました。
     さっそく電子書籍で落として読む、読む。もちろん雑誌で追いかけてはいたけれど、あらためてまとめて読むとあらためて面白いですね。
     前巻で、長かった「キメラアント篇」に続く「会長選挙篇」が完全に終わって、この巻から「暗黒大陸篇」が始まります。
     いままでの物語世界全体が広大な「暗黒大陸」に取り囲まれていたことがあきらかとなり(な、なんだってー)、一気にスケールアップするわけなんだけれど、あまりに突然の展開に、当初は正直、「大丈夫なのか?」という思いもありました。
     しかし、その後の展開を追いかけていくと、どうやら大丈夫であるらしい。
     なんといっても一向に物語のテンションが落ちない。第33巻にしてこの情報量とハイテンションは驚異的です。
     もちろん、実質的に週刊連載のスタイルを捨てたからこその高密度ではあるんだろうけれど、そういうことは関係ないですからね。面白さが正義。
     いったいこの先、「暗黒大陸」を舞台にどのような冒険が繰り広げられるのか、ほとんど想像を絶していますが、だからこそ楽しみでなりません。
     さて、このブログを長いあいだ追いかけている人ならご存知かと思いますが、「暗黒大陸」や『進撃の巨人』の「城壁の外の世界」から発想して、LDさんは「新世界系」という概念を生み出しました。
     『ONE PIECE』の「新世界」から採った名称です。『HUNTER×HUNTER』でも「新世界」という呼称が使われていますね。
     「新世界系」とは何か? 説明するのが面倒なので自分の記事から引用すると、こんな感じです。

     さて、ここで『HUNTER×HUNTER』の話に繋がるのですが、最近、ペトロニウスさんとかLDさんが「新世界」、あるいは「外の世界」といわれるヴィジョンについて話しています。
     これは、『ONE PIECE』や『HUNTER×HUNTER』などの作品で、いままでの世界よりも遥かに大きい「新しい世界」が存在する、という展開が描かれているという話です。
     『ONE PIECE』ではまさに新世界、『HUNTER×HUNTER』では暗黒大陸などと呼ばれている場所のことですが――これが、「現実」を意味しているのではないか、という指摘をLDさんがしているのですね。
     非常に興味深い話だと思うのですが、ここでいう「現実」とは、「努力や成長が意味を持つ少年漫画的な原理」が通用しない世界のことだと思うのです。
     通常、少年漫画のような物語は、四天王キャラが最弱の者から順番に襲いかかってくるように、主人公の成長に合わせて少しずつ進展する傾向があります。
     『ドラクエ』でもレベル1のところにいきなりギガンテスがやって来るというようなことはないわけです。しかし、いま述べたように、現実はそうではない。
     そこでは、判断を誤れば待つものは死であるのみか、最も正しい判断をしてなお、死しか待っていないかもしれない。そういう原理があるわけです。まさに、日本代表が最善の努力をしたかもしれないにもかかわらず、無残な敗北を喫したように。
     努力が正しく報われる世界、正義が必ず勝つ世界、そういう少年漫画的な原理が通用する世界を「正しい」とするならば、この世は正しくできていないし、まさに「クソゲー」としかいいようがないシステムで動いています。
     でも、その不条理さを受け入れること、そういう世界を折り合いをつけることが、「大人になる」ということでもあると思うんですよね。「いかにして成熟するか」という問題がそこにあります。
     そして、成熟した上で、さらに過酷な現実に立ち向かう覚悟を維持することができるか? おそらくその強靭な精神を持った者のみに、絶望的な難易度のクソゲーであるところの「外の世界」は扉を開くのでしょう。
     そこは努力とか、成長とか、誠意とか、愛情といったものが何の役にも立たないかもしれない世界。かたくななナルシシズムなど一顧だにされない世界。人間中心主義(ヒューマニズム)がまったく通じない世界です。
    http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar563640

     そう、「レベル1から敵が出て来るとは限らない、いきなりレベル99のラスボスが登場するかもしれない世界」、それが「新世界」です。
     こう書くとわかるかと思いますが、「新世界」においては通常の物語は成立しません。
     だって、 
  • 「友達探し系」ライトノベルをリアルに実践してみたら?

    2016-06-02 17:36  
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     こんな記事を読みました。

     もちろん現実社会のつながりが1番大切だけれど、SNS上のお友達も当たり前になってきた世の中。
     スマホやゲームに夢中になりすぎるのは問題だけれど、ゲームみたいに自分の周りにたくさんワールドがあることを知るのは、子供の生きやすさにつながる気がしている。
     私自身友達がいなかった中学時代にスマホやゲームやTwitterがあったらどれだけ救われただろうと思うから。
    http://yutoma233.hatenablog.com/entry/2016/06/01/073000

     うーむ、どうなんでしょうね。
     たしかに「スマホやゲームやTwitter」は友達がいない孤独を癒やしてくれるかもしれないけれど、「LINE疲れ」とか「バカッター」みたいな話を聞くと、SNSがないほうがよほど楽だったのではないかと思わないこともありません。
     まあ、そういいながらもぼくはもうLINEなしでは生きられない身体になってしまったので、自分より若い層にSNSをやるなとはとてもいえないのですが。
     でも、リアルとネットで同じ人間関係を維持しないといけないのって疲れるよね。
     SNSも過去のメディアと同じく、プラスの面とマイナスの面を備えているようです。と、ここまでは話の枕。
     ぼくはいまとなってはそれなりに友達もできて、その意味ではわりに充実した生活を送っているわけですけれど、そうかといって友達がいない生活が良くないと思っているかというと、そうでもないのです。
     もしぼくに友達がいなかったら、それはそれで、ひとりで本を読んでブログを更新していたでしょう。それもまた悪くない人生だったかもしれないとも思う。
     ぼくはインターネットに出逢うまで20年くらい理解者ゼロのままひたすら本を読む生活をしていたわけで、本質的にはそんなに孤独はいやだと思っていないのです。
     何より、読書とはそもそも孤独な行為です。
     電子書籍や感想サイトの充実でいくらかソーシャル化が進んではいるにしても、基本的にはひとりで本を向かい合わないといけないことに変わりはない。
     その孤独に耐えられる者だけが読書の豊穣を知ることになる。
     それはあるいはFacebookで友達が何百人いるとかいうことを誇っている「リア充」には理解できない楽しさであるのかもしれません。
     でも、いまなお、ぼくは読書以上の歓びを知らないのです。
     本を読み始めてから30年以上経って何千冊読んだか知れないけれど、一向に飽きない。たぶん1000年くらいは余裕で読みつづけられるだろうと思う。孤独には孤独なりの歓びがあるのです。
     ペトロニウスさんがよく「お前のいうことはわからないとずっといわれつづけてきた」と話しているけれど、べつにペトロニウスさんに限らず、一定以上個性的な人間は周囲に理解者など見つけられないのが普通なのですね。
     本なんて読めば読むほど周囲の人にわかってもらえなくなるものですから。
     SNSの発達によってひとは孤独から逃れやすくなったかもしれませんが、そのぶん、「ひとり孤独に自分の内圧を高める」訓練をしづらくなったのかもしれないとも感じます。
     しかし、まあ、そうはいっても自分が考えたことをだれかと「共有」できることはやっぱり嬉しいものです。
     ここ何年かのライトノベルで流行った、ぼくが「友達さがし系」と呼んでいるパターンの物語は、大抵が趣味を共有できる仲間を探してグループを作るという形を採ります。
     それは「SOS団」であったり、「隣人部」であったり、あるいは『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』のオタク仲間集団であったりするわけですが、ああいうものを作りたくなる気持ちはぼくはリアルにわかります。
     というか、