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幸福学が教える幸せになれるライフスタイルとは?
2019-04-21 14:1651pt幸せになりたい、だれもがそう考えていることでしょう。あるいは、いまはもう充分に幸せだという人もいるかもしれませんが、やはりそういう方は少数派だと思われます。
可能ならいまよりもっと幸せになりたい、あるいは幸せでいたい、それは人類共通の望みといって良いのではないでしょうか。
じつはその「幸せ(well-being)」について研究する幸福学という学問があります。名前からして怪しい響き、と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、れっきとした科学的研究です。
で、日本でその幸福学について多数の著書を出しているのが前野隆司さんという人で、もともとはロボットのエンジニアをやっていたという異色の経歴の持ち主なんですね。
以前、この人の『幸せのメカニズム』という本を読んだのですが、これが面白かったので、ここで紹介したいと思います。
どういう本かというと、端的に「幸せのなり方」について説明した -
岡田斗司夫『ユーチューバーの消滅する未来』を読み、感傷に耽る。
2019-01-10 22:1651pt岡田斗司夫さんの『ユーチューバーが消滅する未来 2028年の世界を見抜く』という新書を読みました。
タイトル通り、2028年の未来を予測し、場合によっては予言した一冊。何となく面白そうというあいまいな理由で購入したのですが、うーん、まあまあの出来かな?
手放しで絶賛できるほど素晴らしい内容とはいえないものの、色々な意味で示唆に富む本でした。
この本では、さまざまなテクノロジーによって未来社会が想像を絶するかたちへ変貌していくことが詳細に綴られているのですが、はっきりいって論拠は強くありません。
いや、そもそも未来を予測すること自体が不可能に近いわけだから、どんなにロジカルに想像しても外れるものは外れるといえばそうなのだけれど、それにしてももう少しどうにかならないものなのか。
どこまで本気なのか冗談なのかよくわからない与太話のレベルで、あまりマジメに読む気になれなかったのがほんと -
『欲望会議』。エロティシズムの根源を問う。
2019-01-04 12:5751pt『欲望会議』を読みあげました。
アダルトビデオ監督の二村ヒトシ、哲学者の千葉雅也、フェミニストで現代美術家の柴田英里が集まって話しあった内容をまとめた対談集で、これがめっぽう面白い。
テーマは「欲望」。そして、しばしば人間の欲望を抑圧しようとしているように見えるフェミニズムやポリティカル・コレクトネスといった思想です。
人間にはさまざまな欲望があるわけですが、ここで俎上に載せられているのは性的な欲望。そこで、性的な欲望とポリティカル・コレクトネス(「政治的正しさ」と訳されるが、これがほんとうに的確な訳語なのかどうかは微妙なところ。以下「PC」と略す。)の衝突が話題に挙がります。
そもそも人の性的欲望とは、表立って語ることをためらってしまうような性質をもつものです。ありとあらゆるものにスポットライトをあて分析している現代においてもなお、寝室の出来事はあまり表立っては語れない。
も -
百田尚樹『日本国紀』の感想に、固定観念の恐ろしさを見る。
2018-11-14 10:2151pt百田尚樹さんの『日本国紀』という本が出た、らしい。
あいまいな書き方をするのは実際にその本を手に取って読んでいないからです。ちなみに買うつもりもなければ読む予定もないので、ぼくにこの本について語る資格はありません。
今回、話したいのはべつのこと。つまり、この本について読まずに批判したり、あるいはその逆に賞賛したりする人のことです。ぼくはこういうこと人たちが不思議でならりません。読まずに本の内容がわかるはずがないではありませんか。
もちろん、あらかじめ本の外の情報からある程度、本の内容を「推測」することはできるでしょう。ですが、少なくともその中身について語るなら、ぱらぱらとでも本を読んでおくことは最低限の常識でしょう。
それにもかかわらず、本を読まずに内容を批判したり、その逆に賞賛したりできるその心理はどこから来ているのでしょうか。
いや、べつだん、ぼくは本を批評する際のマナーに -
いまにも切れそうな弱いつながりを大切に生きていく。
2018-03-29 22:5851pt佐々木俊尚さんの新刊『広く弱くつながって生きる』を読み終えました。
現代的な人間関係についての本で、いわゆる「弱いつながり(ウィークタイズ)」のことが書かれています。
弱いつながりとは、人間同士の浅く遠い関係のこと。現代社会を楽しく生きるためには、この弱いつながりを積極的に作っていくことが大切だという内容でした。
いままで、日本では会社でも家庭でも「強いつながり」を作り、そこに頼って生きていくことが大切だと考えられていたでしょう。
しかし、まさに時代は変わり、いまは「ちょっとした友達」とか「何かの知りあい」といった弱いつながりが人生を左右するようになってきているのです。
佐々木さんの主張には説得力があり、非常に共感できます。
ひとつ前の記事で書いた「モバイルボヘミアン」といった生き方も、弱いつながりのネットワークを前提としているところがありますね。
この本の内容に共感が持て -
モバイルボヘミアン。好きな場所と職業で生きていく。
2018-03-29 02:5351pt本田直之&四角大輔『モバイルボヘミアン 旅するように働き、生きるには』を読みました。
何年か前に「ノマドワーカー」という言葉を流行らせたふたりが、「ノマド」のさらに先にあるライフスタイルを提唱する一冊です。
いま、著者ふたりはハワイやニュージーランドを中心に世界中を飛び回る生活を送っているそうで、そういう時間にも場所にも特定の仕事にも捕らわれない生き方を「モバイルボヘミアン」と名付けているわけです。
いやー、羨ましい。いままで日本を出たことはおろか、沖縄や北海道に行ったことすらないひきこもりニート野郎のぼくとしては、何かキラキラするものを見るような目で眺めてしまうしかない人たちです。
しかし、そんなぼくを含む読者全員に向かって、彼らは明言します。モバイルボヘミアンはだれにでもなれるのだと。
本書のなかにはその具体的な方法論も記されています。それを読んで自分にもできると思うかどう -
ほんとうに自分の本心をわかっていますか?
2017-12-19 07:0051pt岸見一郎『アドラーをじっくり読む』を読んでいます。
岸見さんはいわずと知れたアドラー心理学の第一人者で、日本を初めとする各国でベストセラーになっている『嫌われる勇気』の著者(の片割れ)でもあります。
この本はアドラーの原著にさかのぼってその真意を探るという内容だけに、きわめて平易ですらすら読めた『嫌われる勇気』あたりと比べると、難解というほどではないにしてもいささか読むのに力がいる印象です。
しかし、まさにそうであるからこそ、『嫌われる勇気』を補完する一冊として大きな価値があるといえるでしょう。
ぼくがこの本を読んであらためて思ったのは、人は「自分がほんとうは何がしたいのか」について知る必要があるということです。
アドラーによれば、人はみな、どこかしら神経症的なところを持っているものであり、一見すると矛盾するような行動を取ることがあります。
たとえば、やりたいことをやらず、や -
「フェミニズム対オタク」を不毛の構図にするな。
2017-12-16 15:1651ptどうもミスが続いて申し訳ありません。このようなことがないよう、書きあがっていない記事の予約更新については見直すことにしたいと思います。
さて、きょうの話。まずはこの記事をご覧ください。
「フェミニスト」であり、最近PAPS(ポルノ被害と性暴力を考える会)の理事となった北原みのり氏と、反差別運動にのめり込んで、別の方向に対する差別発言をくりかえし問題になってきた香山リカ氏の対談本が、その事実誤認の酷さや差別的な発言のオンパレードで、問題になり始めてるのです。
これ、非常に困った話で、さんざん指摘されてる中では「反差別や人権を主張してる人達が、自分たちの都合で『敵』を決め、罵詈雑言や差別に満ちた言葉をぶつけるだけでなく、隙きあらば法制度の形でその差別を合法化しようとしてる」ということに対して、そのスケープゴートに長年上げられることが多かった、主に男性の「オタク」が苦言を呈したり怒りを表明するのに対して、更に逆ギレしたり、自分たちの差別的な部分を正当化することをくりかえして揉めてる。ということの一エピソードなんですよね。
http://rebuild.hateblo.jp/entry/2017/11/20/143227
そうなんです。揉めているんです。と、他人ごとのように書きましたが、わざわざ発売日にその本を買ってTwitterに引用し、この問題に火をつけたのは、何を隠そうこのわたくし。なので、まったく他人事ではありません。
あえてこんないかにもアレそうな本を買うオタクが少ない以上、ぼくが指摘しなければ、たぶんそのままスルーされていた問題でしょうからね。
この記事、昨今、フェミニストを名のる人たちが起こしているさまざまな問題と、これも最近問題になっている「フェミニスト」対「(主に男性の)オタク」という対立の構図の背景にあるものを指摘していて面白いです。
まとめると、このような本が出てくる背景には「フェミニズム」の運動としての頽廃が背景にあるのではないか、ということです。
もちろん、世の中にはまっとうなフェミニストもたくさんいる。そういう人たちはまじめに活動を続けている。しかし、その一方でミサンドリー(男性嫌悪)やそれにもとづく差別発言、歴史修正主義に傾く「フェミニスト」が大勢いて、むしろそれが「フェミニズム」の主流であるようにすら見える。
そして、そのなかで「フェミニズム」を見放して「ネオリブ」を名のる人たちが出て来ている。これはやはりフェミニズムの危機なのではないかと思うのですね。
で、この記事の著者さんは、くだんの北原さんと香山さんの本はそのような状況に対応しての「内部のひき締め」を狙ったものだと見るわけです。
たしかに、そのような側面はあるのではないか、とぼくも思います。ただ、これはTwitterで議論したのですが、はたしてほんとうに「フェミニズム」全体が頽廃しているのか、という議論はあっていいと思います。
「フェミニズム」は多様で多彩な運動であり、ひと言で「フェミニズム」といって済ませられないくらいのバリエーションがある。それなら、一部の勢力が暴走しているからといって、「フェミニズム」全体に問題があるとはいえないのではないか。
こういう反論があっても当然でしょう。たしかに一理ある。しかし、ぼくはやはり事を「フェミニズム」全体の問題として捉えたい。少なくとも日本の「フェミニズム」の歴史においては、以下のような思想を十分に批判してきたとはいえないのではないかと思うからです。
最近の、日本で主流派と主張するフェミニズム運動の人たちは、長年、「男性は男性であるだけで性暴力の加害者である」「わたしたち女が性暴力と思うものは、絵や写真であっても性暴力だ」と言う世界認識を深めていったと同時に、「女性とは唯一の性暴力の被害者であり、男性と違う弱者なんだ」と言う論理を、一緒に深めてきた訳です。
これ、これ。フェミの思想的リーダーたちのほとんどは、このような思想を肯定はしないまでも、黙認してきたのではないか。
その結果として、「フェミニズム」はたしかにこのような「世界認識」と「論理」を深め、広めたのではないか。それは「フェミニズム」全体の問題だといっていいのではないか。そう思うわけです。
いや、このような思想に対しては内部からこのような批判があるよ、という事例があったら教えてほしいと思いますが、ぼくの認識では、そういう批判はないわけではないにしても非常に少ないのではないか、と見ています。
海外にはあるんですよ。有名なのはアメリカ自由人権協会の会長を務めたナディーン・ストロッセンによる批判ですが、はたしてこれに相当するものが日本にあるかというと――うーん、あるのかな。あったら教えてほしいですね。なくはないと思うけれど。
こういった「フェミニズムの頽廃」に対する批判は、単に「バックラッシュ」といって済ませていいものではないと、ぼくは思います。
ただ、むずかしいのは、じっさいにバックラッシュとしかいいようがない性差別的な人たちもたくさんいて、そういう人たちが「フェミニズムの頽廃」を口実に女性の人権を攻撃しているという事実です。
そのなかには「オタク」を自任する人もたくさん含まれています。だから最悪なのは、「フェミニストのなかの男性差別主義者」と「オタクのなかの女性差別主義者」が互いに正義を掲げ、フェミニストとオタクを代表する形で争い合うという構図でしょう。
これを避けるためには、少なくとも「オタク」のほうは「オタク」内部の女性差別的な言説を批判していく一方で、「フェミニスト」のなかにも男性差別的な言動への批判を求めていく必要があります。
北原みのりや香山リカのような人が批判されることは当然でもあり、どうしようもありません。ただ、それを「だからフェミニストはダメなんだ!」的に盛り上げていくと、単なる感情的ののしり合い以上の構図にはならないでしょう。
で、「オタク」の特に「萌え文化」に対してはかねてより「女性差別的である」という批判があるわけで、「オタク」としてはこれを検証しなければなりません。
ぼくはその検証のために本一冊分の原稿をほぼ書きあげているのですが、どこからも出すあてはありません(笑)。電子書籍にしても売れないだろうし、ブログに載せるには長文すぎるし、どうしようかな、これ。考えちうです。はい。 -
非モテはほんとうに辛いのか? 宮台真司の本を読んで考える。
2017-12-14 14:0851pt誤って未完成の記事を配信してしまいました。ごめんなさい。
さてさて、宮台真司『君がモテれば、社会が変わる。』という本を読みました。ミヤダイさんの本は良くも悪くもとにかくクセが強くて、くどいところがあるので普段はあまり読まないのだけれど、たまに読むとやはり面白い。
この本のテーマはタイトルにもある「モテ」。といってもモテるための態度とか小噺とかそういうことではなく、「ひとがモテるということはどういうことなのか」を巡る話が展開しています。
いわばモテ哲学。中二少年のごとくモテにあこがれる(しかしモテない)海燕さんとしては興味津々なテーマです。
男と犬と子供にはモテるんですけれどねえ。女子にはモテないなあ。なぜだろうなあ。まあ、女性を怖がって近寄らないようにしているということもひとつの理由ですよね。
恋人とか伴侶はともかくとして、女性の友人はもう少し欲しいところ。ウソです。恋人も欲し -
「エッチなお仕事」に対する偏見と差別という「悪」。
2017-12-11 07:0051pt中村うさぎさんの対談集『エッチなお仕事なぜ悪いの?』を読んでいます。
タイトルからわかるように、対談のテーマはいわゆる「性風俗産業(セックスワーク)」。セックスワークの非犯罪化を希望する中村さんが、各界の著名人たちを向こうに回して、「ほんとうに「エッチなお仕事」は悪いことなのか?」と問い質していきます。
まあ、ぼくも「べつに悪いことじゃないんじゃね?」というポジションなので、「だよねー」と思いながら読んでいきました。
なかでも面白いのが冒頭のセックスワーカーさんたちのリアルなお仕事話。どの業界であってもお仕事の苦労話は面白いものですが、セックスワークの生な苦労話を楽しく(!)語っている対談はめずらしいので、とても興味深いものがあります。
ほかの話もどれも面白いですよ。ちなみにかの北原みのりさんにも出演のオファーを出したそうですが、出てもらえなかったとか。まあ、そりゃそうだろうな。
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