-
エロティシズムは「禁止」されてこそ輝く!
2020-12-28 22:5850pt
バタイユの『エロティシズム』を読んでいるので、それに関連した本をリストアップして集めています。こんな感じ。
・代々木忠、二村ヒトシ
・サド
・マゾッホ
・澁澤龍彦
・三島由紀夫
・江戸川乱歩
・歌舞伎
・ハンス・ベルメールと球体関節人形
・クリムトと「頽廃芸術」
・オスカー・ワイルドと『サロメ』
・エロティックアート
・ポルノグラフィ
・詩歌
・フェミニズム
・『どうすれば愛しあえるの』
・『感じない男』
・『性のタブーのない日本』
・『性と文化の源氏物語』
・『官能教育』
・『エロティック美術の読み方』
・『セックス依存症』
・『吉原と日本人のセックス四〇〇年史』
・『性依存者のリアル』
・『孤独とセックス』
・『恋愛依存症』
・『エロティシズム』
・『ソドムの百二十冊』
・『文学と悪』
・『血と薔薇』
・『エロティック・ジャポン』
・『源氏物語』
・『美学文芸誌エステティーク』
-
北村薫が描きだす、弱者たちの「悪意」や「暴力」との戦い。
2020-12-25 17:5350pt
北村薫『中野のお父さん』を読みました。じつはこの本は自分で読むために買ったわけではなく、退職して暇を持て余している母への贈り物だったのですが、せっかく買ったのだからと一頁目を読み始めたところ、すらすらと読み耽ってついに読み終えてしまったしだい。
はっきり云ってこの作品自体はあまりどうということはないごく軽い小説なのだけれど、それでも北村薫という人の「凄み」は十分に感じさせられます。とにかく文章が巧い。いっそばかばかしいくらい巧い。
どう云えばいいのか、読み始めてから読み終えるまで一切つっかえるところがないのですね。かれの書く文章はただ清らな小川のようにさらさらと流れていくばかりで、決して濁ることがない。読み終えた後は、「ああ、もう読み終えてしまったか」という意外さばかりが残ります。
特に気を衒ったところがない、あたりまえの日本語のようではあるのだけれど、どういうわけか際立った清冽 -
淫靡と背徳のグラフィックノベル版『エルリック・サーガ』について語ってみたよ。
2020-12-17 22:0550ptそういうわけで、とりあえず動画の「台本」を一本書いて、動画を配信してみました。むむー。なんかつまらないな。まあ、それは追々改善していくとして、その「台本」をここに上げておきます。以前書いたグラフィックノベル版『エルリック』の話です。
良ければじっさいの動画と比べてみてください。細かいところがいろいろと違っているかと思います。
https://www.nicovideo.jp/watch/so37977204
◆
こんにちは、オタクライターの海燕です。今回はグラフィックノベル版の『エルリック・サーガ(1) ルビーの玉座/ストームブリンガー』の話をしたいと思います。
この動画をYouTubeで見ておられる方は「チャンネル登録」を、ニコニコ動画で見ておられる方はニコニコチャンネルのチェックをお願いします。
さて、『エルリック』は世界的に有名なヒロイック・ファンタジーの名作です。主人公は一万年も続いている半人類の帝国メルニボネの皇帝エルリック。
生まれつき白子(アルビノ)で虚弱な体質のかれは、薬物と魔術によってその躰を長らえ、人の背丈よりも巨大なルビーをそのままに象嵌した「ルビーの玉座」に君臨しています。
しかし、かれは残虐冷酷なメルニボネ人の性に馴染めず、つねに倫理的な葛藤を抱えているのでした。しかも、この物語の序盤でかれは〈黒の剣〉と呼ばれる魔剣ストームブリンガー、嵐を呼ぶもの、ですね、これを手に入れます。
人の魂を啜る剣であるストームブリンガーはエルリックに立ち上がり戦うための力を与えてくれますが、しかしときにエルリックの意思に反してかれの愛する人々を殺戮していくのです。
このパラドックスに満ちた設定、そしてその昏い悲劇性、それが半世紀以上も昔、『エルリック・サーガ』をまったく新しいヒロイック・ファンタジーの傑作に仕立て上げたものなのです。
さらにいうと、『エルリック』の世界では、善と悪、白と黒ではなく、〈法〉と〈混沌〉というふたつの勢力の神々が覇権を競い合っています。
エルリックたちメルニボネ人は〈混沌〉の神アリオック、古いファンにとってはアリオッチという読みのほうが合うのですが、そのアリオックに忠誠を誓い、しばしばかれにイケニエとして奴隷の身を奉げたりしているようです。
いいですねえ、この洗練された野蛮さ。メルニボネとか〈夢みる都〉イルムイルという響きそのものが何ともいえないダークなロマンを湛えていますが、絵の形で魅せられるとさらにいっそう魅惑的に見えるようです。
リベラルな『アルスラーン戦記』あたりにはないこの淫靡さ。陰鬱さ。そう、『エルリック・サーガ』はいまはやっているダーク・ファンタジーの先駆けであるといえるかもしれません。で、このグラフィックノベル版はその世界観をさらに昏く研ぎ澄ましています。
『エルリック』の原作は、たとえばクラーク・アシュトン・スミスあたりに比べると、意外にあっさりしているというか、もうひとつ頽廃具合がすっきりしているところがあるのですが、このグラフィックノベル版はガチです。
それはもう、デカダンスとエロティシズム、その窮みといっても表現が為されています。好き。もう、大好き。こういうのが見たくてオタクやっているんだという感じですね。
見てください、この禍々しい美しさ。メルニボネの邪悪で残酷な人々の生活がじつに耽美にエロティックに描き出されています。ぼくはこの手の雰囲気がほんとうに好きでねえ。邪悪とか暗黒とか聞くとわくわくしてしまう、そういう性格なのです。 -
いまが旬の百合ライトノベルを紹介するよ。
2020-12-14 18:5050pt
平坂読さんの新シリーズ『〆切前には百合が捗る』の第一巻が発売されたので、さっそく購入、読んでみました。しばらくまえから小説投稿サイト「カクヨム」で連載されていることは知っていたのだけれど、本になるのを待っていたのです。
ドストレートなタイトルからわかる通り、「ライトノベル作家×百合」もの。田舎の高校にかようある女の子が、ついつい自分がレズビアンであることをカミングアウトした結果、そこに居づらくなって家出、東京に飛び出して美貌の女性作家の家に居候することになるところから始まるストーリー。
いやー、さすが平坂読、今回も安定して面白い。よくできている。冒頭からすらすら読めてひっかかるポイントがない。これね、ラノベならあたりまえであるように思えるかもしれないけれど、なかなかできることじゃないのですよ。
ぼくは自分の文章力をどうにか鍛えた結果、最近は一定水準以下の拙劣な文章を受けつけない哀しいカラダになってしまったのですが、平坂さんの文章には拒否感が出ません。乱暴に書いているように見えて、きちんと基本を押さえているということだと思う。
平坂作品のフォントいじりのページなどを取り上げて「これだからラノベは」とかいい出すダメなアンチもいるようですが、それはまったく無意味な意見だと思いますね。
だって、平坂さん、ふつうに文章が巧いもの。わからないんですかね。わからないんだろうなあ。
まあ、シロウトに文章の良し悪しがわからないのはしかたないとしても、そのレベルで他人の文章力を語らないでほしいのはありますね。それがインターネット、といえばそれまでですが。
で、この『〆切前には百合が捗る』で面白いのは、先述したように主人公がはっきりと「レズビアン」としての性自認を持っていることです。
わりと百合作品では自分が同性愛者なのかどうかあいまいな認識のキャラクターが多くて、それはそれで良いのだけれど、この作品では主人公ははっきりと「わたしは同性愛者だ」と認識していて、それが物語に関わってきます。
ある意味では当然のことながら、同性愛者に対する差別や偏見も登場する。通常の百合作品ではわりと避けられがちな生々しいところに踏み込んでくるあたり、いかにも平坂さんらしいな、という気がしますね。
平坂さんはぼくが新作が出るたびにかならず買って読んでいる数少ないライトノベル作家のひとりなのですが、ライトノベルの常道からは少しずれたところがあるかもしれません。
もう話が「大人の世界」に足を踏み入れていて、そこら辺の生々しさが避けられなくなっているのですよね。
ちなみに『〆切前には百合が捗る』は前作『妹さえいればいい。』と共通する世界が舞台で、同じキャラクターも少しだけ出て来ます。あまり大きな関係はないかもしれませんが。
さて、この作品もそうなのですが、この頃、ライトノベル界隈における百合ものの躍進は目覚ましいものがあります。少しまえには「女性主人公のライトノベルは売れない」とかいわれていたのがウソのよう。
まあ、すでに『スレイヤーズ』とかあったわけで、この手の「定説」とか「常識」って、ほんとうにまったくあてにならないなあと思ってしまうわけですが……。
さて、いま、百合はラノベのなかのワンジャンルとして完全に定着した感があります。アニメ化された『安達としまむら』などもそのひとつですが、やはり何といってもみかみてれんさんの活躍が目立つところでしょう。
いままで -
『天使』と『小鳥たち』を併せて読む贅沢。
2020-12-13 17:3450ptいま、緩やかに読み進めている『リテラリー・ゴシック・イン・ジャパン』に収録されていた「就眠儀式」が途方もなく素晴らしい吸血鬼ものの掌編であったので、須永朝彦の傑作選『天使』を手に取ってみることにしました。
二十編の掌編が収録された一冊で、いずれも美貌の吸血鬼や天使といったモティーフをもちいたいわゆる「耽美」な幻想文学なのですが、その完成度は異常に高い。
たった一冊の本が、どのようにしてその美の達成によって猥雑な現実世界と拮抗するのか、典型を見せられている想いがします。
もし一手を誤れば他愛ない冗談に堕ちかねない耽美と闇黒の世界を、本当にこの上なくうつくしい言葉で綿々と描き出しているのです。
いわゆるショートショートとは異なり、別段、物語として何が面白いというものでもないのですが、その昏い美の趣きの深さはくり返し読み返すに値すると感じました。三島由紀夫や中井英夫の跡を追う作家の一 -
なぜ『赤毛のアン』はいまなおたくさんの人々を魅了するのか?
2020-12-12 17:0250pt
Netflixで『アンという名の少女』を見ています。原作はあの『赤毛のアン』。いわずと知れた少女小説の永遠の名作です。 ただし、この場合の「少女小説」とは、「少女を主人公とした小説」のことであって、「少女向けの小説」というわけでは必ずしもありません。というのも、『赤毛のアン』の原作小説はあくまで大人向けに書かれたものだからです。
それが日本では「少女向けの小説」として定着したのは、あの高畑勲監督による非常に出来の良いアニメーションの影響があると思うのですが、とにかく原作は狭い意味での「少女小説」に収まるものではないのです。
それ故に本文には聖書やシェイクスピア作品の膨大な引用が含まれ、それはいまでも研究されているほどです。
しかし、もちろん、『赤毛のアン』がそのような学術的なことを一切知らなくても問題なく楽しめるきわめてすばらしい作品であることは論を俟ちません。
世界的に人気を集める『赤毛のアン』シリーズではありますが、殊に日本ではものすごく熱狂的なファンがたくさんいる状況で、いまも新訳のシリーズが出版中です。
おそらく日本でいちばん有名なカナダ人は、トルドー首相ではなく、このアン・シャーリーという名の架空の女の子なのでしょうね。
ドラマ版はきわめて斬新な解釈を散りばめつつ、一方で -
『サイバーパンク2077』のまえにサイバーパンクSFの歴史を振り返ろう。
2020-12-08 05:4550pt
あさっての12月10日、プレイステーション4/XBOX ONE/PC用のオープンワールドアクションRPG『サイバーパンク2077』が発売されるようです。
デカダンなサイバーパンクを愛してやまないぼくとしてはすぐにでもプレイしたいのは山々なのですが、例によってお金がないので「どうしようかなあ」と悩むところ。迷うなあ。
サイバーパンクというジャンルはリドリー・スコット監督の『ブレードランナー』、小説ならウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』(より正確にはそれに先行する短編「クローム襲撃」)あたりから始まります。
『2001年宇宙の旅』に象徴されるようなそれまでの「あかるくクリーンな未来」を一変させ「頽廃と汚濁に満ちたダーティーな未来」を描き出したそのショッキングな世界観は80年代を席巻し、さまざまなフォロワー作品を生み出します。
じっさい、いまとなってはあたりまえの表現も、当時のSFファンにとっては衝撃的に新しかったらしく、「これからはサイバーパンクだ!」といわんばかりのファンたちが暴走し、旧来のSFを軽んじる発言をしていたと大森望さんの何かの本で読んだ記憶がある。
まあ、それもわからない話ではありません。ウィリアム・ギブスンの文章はおそらくはSF小説の長い歴史のなかでも突出して「かっこいい」。
『ニューロマンサー』の「港の空の色は、空きチャンネルに合わせたTVの色だった。」という超有名な書き出しはご存知の方も多いと思いますが、「灰色だった」と書けば良いところをわざわざこのように書いてしまうところがギブスン独自の文体。
おそろしく読みづらく、一行一行意味を頭のなかで考える必要があるものの、めちゃくちゃに「かっこいい」。なんと2020年になったいまでもかっこいいのだから、当時の衝撃たるや思うべし。
しかし、 -
背徳のアンソロジー『リテラリー・ゴシック・イン・ジャパン』で暗黒文学の精髄を味わおう!
2020-12-07 16:2350pt
何年もまえから欲しいと思っていたアンソロジー『リテラリー・ゴシック・イン・ジャパン』をついに購入しました。
もし電子書籍版があったらもっと早く買っていたとは思うけれど、とにかく入手できたことは嬉しい。珠玉のアンソロジーというウワサなので、これから舐めるように耽読するつもり。
もう、目次を見ているだけでたまらないですね。わずかに既読の作品もある一方でいくつか知らない名前もあって、ここからさらに「暗黒系」の鉱脈を掘っていける予感がしています。収録作はこんな感じ。
「夜」 北原白秋
「絵本の春」 泉鏡花
「毒もみのすきな署長さん」 宮沢賢治
「残虐への郷愁」 江戸川乱歩
「かいやぐら物語」 横溝正史
「失楽園殺人事件」 小栗虫太郎
「月澹荘綺譚」 三島由紀夫
「醜魔たち」 倉橋由美子
「僧帽筋」 塚本邦雄
「塚本邦雄三十三種」
「第九の欠落を含む十の詩編」 高橋睦郎
「僧侶」 吉岡実
「薔薇の縛め」 中井英夫
「幼児殺戮者」 澁澤龍彦
「就眠儀式 Einschlaf-Zauber」 須永朝彦
「兎」 金井美恵子
「葛原妙子三十三首」
「高柳重信十一句」
「大広間」 吉田知子
「紫色の丘」 竹内健
「花曝れ首」 赤江瀑
「藤原月彦三十三句」
「傳説」 山尾悠子
「眉雨」 古井由吉
「暗黒系 Goth」 乙一
「セカイ、蛮族、ぼく。」 伊藤計劃
「ジャングリン・パパの愛撫の手」 桜庭一樹
「逃げよう」 京極夏彦
「老婆J」 小川洋子
「ステーシー異聞 再殺部隊隊長の回想」 大槻ケンヂ
「老年」 倉坂鬼一郎
「ミンク」 金原ひとみ
「デーモン日和」 木下古栗
「今日の心霊」 藤野香織
「人魚の肉」 中里友香
「壁」 川口晴美
「グレー・グレー」 高原英理
津原泰水の作品がないことがちょっと気になるくらいで、まさに圧倒的な布陣。白秋や鏡花の古典から現代の乙一、桜庭一樹といったライトノベル出身作家までカバーした日本の「リテラリー・ゴシック(文学的ゴシック作品)」の一覧表といえるのではないかと。
いやあ、よくここまで集めましたね! 凄すぎ。
何しろまだ読んでいないので感想も何もないのだけれど、じつに七百ページ近いボリュームは簡単に読み通せるものでもなく、いまのところ、ただ匣のような本の形から「不穏の文学」の気配を感じ取るだけです。
表紙はあたりまえのように球体関節人形であるわけですが、いやあ、良いよね、人形。押井守の『イノセンス』もまあ、映画として客観的な出来不出来はともかく、好みの世界ではあった。
まあ、ぼくは球体関節人形といっても、元祖のハンス・ベルメールくらいしか知らないのですけれどね。何か良い解説書はないものかな。
ところで、 -
耽美文学の昏い森へおいでよ。
2020-12-06 18:2550pt「耽美 文学」で検索して「文学マニアック」というサイトを見つけた。このようなことが書かれている。
耽美文学に慣れ親しんでいる皆さんならわかると思うのですが…
耽美文学は有名作を一通り読むと、その後なかなか見つかりません。
それもそのはずまず、「耽美主義」自体ニッチです。
更に耽美文学と調べるとあまりにも紹介されている作品が被りすぎています。
どこを見ても溢れる谷崎潤一郎とその代表作達。
https://decadence666.com/tannbi-novel-5-2/#outline__2_2
そう! そうなんだよ! と、思わず全力でうなずいてしまうくらい同感。ぼくも耽美、頽廃の「反世界文学」を好んでやまないほうなのだけれど、耽美文学の作家、作品って日本文学史上にほんとうに少ないんですよねー。
まあ、ぼくが不勉強だということもあるだろうけれど、耽美文学と云われてぼくがパッと思いつくのは泉鏡花、谷崎潤一郎、澁澤龍彦、三島由紀夫、江戸川乱歩、北原白秋、山尾悠子、連城三紀彦、赤江獏、皆川博子、山白朝子といったあたり。
少ない! 少なすぎる。海外作品もあるし、いわゆるエンターテインメントの系統も加えればもっとラインナップは充実するのだが、それにしても探し出すのは大変である。
それもそのはず、耽美主義は三島由紀夫という異形の巨星があるが故にあたかも主流の印象を受けはするが、日本文学の正統からすると異端も異端、「はみだしっ子」も良いところなのだ。
泉鏡花の「外科室」、谷崎潤一郎の「刺青」、「天鵞絨の夢」、三島由紀夫の「花ざかりの森」、「憂国」、連城三紀彦の「花葬シリーズ」といった名品をひと通り読んでしまうと、もう新たな供給はほとんどない。
いまは赤江獏の傑作選を読んで飢えを凌いでいるけれど、もう少しどうにかならないのだろうかと思ってしまう。ところがどうもならないようなのですね、これが。
ただ、ぼくも何も昏い魂を凝らせたようなど耽美ばかりを望んでいるわけではない。耽美文学の周辺的な小説も好きである。
たとえば綾辻行人や小野不由美のホラー小説を読んでいても心ときめくものがあるし、津原泰水のサイバーパンクSFには胸躍りもする。
乙一のいわゆる「黒乙一」作品も素晴らしいと思うし、古川日出男の初期作品、『13』や『アラビアの夜の種族』はほんとうに陶酔して読ませてもらった。
ほんらいなら耽美とは正反対にあるはずのライトノベルではあるが、古川秀之の『ブラックロッド』三部作には耽溺しまくったものである。
ようするにぼくは何か日常を超えて「濃密」なものが好きなのだ。「軽い」作品の良さもわかってはいるが、ぼくはどうにも「濃い」文学が好きでならないようである。
小昏いヒロイック・ファンタジィ、『コナン』とか『ジレル・オブ・ジョイリー』とか『エルリック』とかクラーク・アシュトン・スミスの諸作品も好きだ。タニス・リーの『死の王』とか、『パラディスの秘録』とか、『悪魔の薔薇』とか、もう最高でしたね。
どうやらぼくは「耽美、頽廃、濃密」と三拍子そろうともうたまらない、そういう属性の人間であるらしい。 -
『俺ガイル』は分裂と対立の時代における最先端のテーマを扱った文学的傑作(!)だったという話。
2020-12-03 17:5750pt
賛否両論のNIKEのCMについて、この記事が面白かった。
https://this.kiji.is/706779517293429857
賛成、反対、両方の意見が載っているのだけれど、ぼくが興味深かったのは、やはり批判的な意見です。
他方で、幼少時にイタリアでいじめられた経験があるという元経産官僚の宇佐美典也氏は、「ものすごく嫌な気分になった。嫌いだ」と切って捨てる。
「吐くほどいじめられた。今でも夢に出るくらいだ。だからアングロサクソンに対しても、ずっと不信感を抱いてきた。しかし東日本大震災のときに米軍が日本人を助けてくれている姿を見て、自分の中のモヤモヤしたものが抜けていった。一方で、僕もいじめる側になったこともある。差別というのは、する側とされる側がいる。そのお互いがいかに理解し合い、問題を解決していくのか。そういう姿を描いてほしかったのに、今回の動画では差別される側だけが取り上げられているし、しかもスポーツによって一人で克服していくヒーローのように描かれていると感じた。逆に言えば、克服できなかった奴、スポーツができない奴は弱い奴になってしまわないか。僕がイタリア人にいじめられていた時にほしかったのは、“一緒にスポーツしようぜ”と手を差し伸べてくれる存在だった。いま、現実にイジメられている人たちが何を求めているかということも考えないといけなかったのではないか」。
これ、すごく面白い意見だなあと思うんですね。つまり、このCMで「弱者」、「被差別者」、「マイノリティ」として描かれている人物たちが、じつは他方では「スポーツによって一人で克服していくヒーロー」としての属性も持っているという指摘であるわけです。
人種的には「マイノリティ」だけれど、能力的には「ヒーロー」なんだよ、という描写のCMになっているということ。これはほんとにそうで、このCMは「選ばれしヒーローとしてのマイノリティ」を描き出したものなんですね。
じゃあ、ヒーローになれない人間はどうすれば良いんだということにはまったく答えていない。もちろん、たかが一本のCMにそこまでの内実を求めることは必須ではないけれど、単純なヒーロー礼賛に留まってしまっているという評価にはならざるを得ない。
で、なぜこのCMが反発を受けるかというと、ようするに「上から目線の説教」になっているからですよね。おまえらは気づいていないだろうけれど、この国にはこんなに人種差別があるんだよ、だから反省して注意しなさい、というめちゃくちゃ偉そうな説教。
これが左派が嫌われる理由を端的に示していると思う。自分たちの正義を疑わず、それをウエメセで押しつけてくるという尊大さ。
でも、左派のほうはその傲慢に気づかず、ひたすら「あいつらはあまりに正しいことをズバッと指摘されたから受け入れられずに困っているんだろ」としか考えない。そのことを象徴する発言が、たとえば、これ。
また、動画への批判についても、「“自分の周りにはなかった”とか、“大したことないと言える人が、この社会のマジョリティなんだろうと思うし、このような社会問題を気にしなくても済んでいる状況にたまたま位置づけられている人々が反発しているのだと思う。だからこそ、自分たちが知らない間に差別に加担したと指摘され、すごく動揺しているのだと思う」と分析。「マイノリティが何かを言うことによって分断が生まれているわけではなく、そもそも人種差別などの不平等と不公正が存在し、そのことによって楽しい学生生活や、アスリートとして活躍するチャンスそのものを与えられない人たちがいるということ可視化・認識するところから始めていかなければいけないのではないか」と話した。
おそらく無意識だと思うけれど、批判者を非常に下に見て、「自分たちが知らない間に差別に加担したと指摘され、すごく動揺しているのだと思う」と決めつけている。
ぼくにいわせれば、じっさいに差別していないのに「差別に加担したと指摘」されたら怒って当然だと思うのですが、この方はその「告発」をまっすぐ受け入れて反省するのが「正しい態度」だと考えているのでしょうか。
しかし、この記事のあとのほうで佐々木俊尚さんも書いている通り、もはやシンプルな「弱者/強者」、「マイノリティ/マジョリティ」という図式を固定的に考えることは無理があるのだと思います。
あるひとりの人のことを単純に「あいつは弱者だ」とか、「こいつはマジョリティだ」などと決めつけることはできないのです。
なぜなら、ひとりの人間には複数の「属性」があり、見方によっていくらでも「マイノリティ」とか「マジョリティ」といった位置づけは逆転するから。
たとえば「黒人」の「レズビアン」の「女性」はいつも「被害者」で「被差別者」かといえば、かならずしもそうではない、世界はそんなに単純に出来ていないのです。
しかし、だからといって、そこに「差別」なんてものはないのだと開き直ることもまた間違えている。「差別」は厳然としてあるし、それは認めなければならない。ただ、だれが「加害者」でだれが「被害者」なのかは、かならずしも自明ではないのです。
これ、あきらかにテン年代のライトノベルが「非リア(オタク)」対「リア充」という硬直した図式を壊していったプロセスと重なる話ですよね。ペトロニウスさんがこのように書いている通りです。
2 / 31