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個人の立場が平等になればなるほど、幸福になる才能の格差があきらかになる。
2016-07-02 18:3651pt
いまさらながら永田カビ『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』を読みました。
すでに各所で話題のこの本、人気のあまり品切れが続き、電子書籍刊行の予定が早まったそうです。
読んでみると、じっさい面白い。30歳を目前にして「さびすぎ」る日常を送る著者が、一念発起して「レズ風俗」へ行きちょっとだけ人生を前進するようすがセキララに描かれています。
セールスポイントは物事を綺麗ごとに落とし込まない点にあるといっていいでしょう。
自虐と自傷でズタボロになっている自分を分析するところから始めて、それならどうすればいいか? どうすれば「人生の甘い蜜」を啜れるのか? と著者が思索を進めていくようすは事実だけがもつ迫力に充ちています。
「レズ風俗」という言葉を見て購入をやめる人もいるかもしれませんが、少しでも気になる方はぜひ読んでほしいですね。
これは歳をとってもまったく大人になれない人間の実 -
なぜ一部の男性たちはボーイズ・ラブを嫌悪し非難するのか。
2016-06-30 13:0151pt
溝口彰子『BL進化論 ボーイズラブが社会を動かす』を読んだ。非常に面白い一冊だ。
ぼくにボーイズラブ作品一般の知識がないために完全に理解したとはいい切れないが、それにしてもセンス・オブ・ワンダーを感じさせるような素晴らしい読書体験だった。
この本はBL(ボーイズ・ラブ)小説ないし漫画の「進化」を語っている。
そう、BLはいま「進化」しているのである。
それはBLのヘテロノーマティヴ(異性愛規範的)で、ホモフォビック(同性愛嫌悪的)で、ミソジナス(女性嫌悪的)な一面の超克である。
BLに対して、それらの作品はミソジナスでありホモフォビックであると、あるいはもっと直接に女性差別であり同性愛者差別であるのだという批判がある。
その種の批判はどの程度的確なものだろうか。
個人的には「一理はある」と認めないわけではない。
ミソジナスだったりホモフォビックだったりするBL作品は過去に存在したし、いまも存在するだろう。
『BL進化論』はBL作品における以下のような「ノンケ宣言」を引用する。
「オレは男色やないっ、好きになったんがたまたま男の人だっただけや‼」
「(……)あいつは冗談でも、オカマやゲイと遊ぶような男じゃないから」/(……)/「あいつ、ノンケなのよ。一度なんか迫ってきたゲイボーイ、蹴り殺しそうになっちゃってさ」
「オレあ基本的にノーマルなんだよ」
これらの「ノンケ宣言」は、素直に読む限りやはりホモフォビックな言説といわざるを得ないだろう。
したがって、少なくないBL作品にホモフォビアを見て取ることは誤ってはいない。
しかし、ここで注意するべきは、同時にそれはBLそのものの可能性がミソジニーやホモフォビアによって閉ざされていることを意味しているわけではないということである。
ミソジナスではないBL、ホモフォビックではないBLは理論上は存在しえるし、現実に増えて来てもいる。それが『BL進化論』で語られている事実だ。
つまり、ホモフォビックなBLやミソジナスなBLは単体として個別に批判されるべきなのであって、BL全体がホモフォビックでありミソジナスな表象であるという批判は成り立たないのである。
それならば、なぜこうも「BLは同性愛者差別だ」という批判がくり返しくり返し語られるのだろうか。
そこにはやはり批判者たちの「BLフォボア」ともいうべき心理が介在していると考えるしかない。
ようするに -
非モテを「属性」のせいにはできない。
2016-06-18 05:5351pt
皆さん、お元気でしょうか。ぼくは趣味で大学受験をするべく地道に勉強しています。
世界史とかいまやり直すと非常に面白い。人類の歴史は戦争に次ぐ戦争で、そのたびに善悪とか文明対野蛮という二項対立的なフィクションが作られるんだなと実感しますね。
人間はどうしたって自分を中心に考えるわけで、ちょっと文化が栄えると自分の国がオンリーワンな文明だと思い込む。
それは大局的に見れば滑稽でしかないのですが、なかなかその幻想から覚めることはむずかしいようです。
人ってそういうものなのだろうなあと思います。
さて、最近色々と漫画を買いあさって読んだのですが、そのなかでも面白かったのがちぃ『花嫁は元男子』。
ちぃというのは作者さんのお名前です。念のため。
まあ、タイトル通り男性から女性へと性別適合手術を受けた人物の自伝ふう漫画なのですが、途中、主人公のちぃさんの恋愛遍歴を綴った部分があります。 -
「何もない自分」を競争市場で売るにはどうすればいいか。
2016-06-13 04:4051pt
ちきりんさんの『マーケット感覚を身につけよう』を読み終えました。
どうしても読みやすい本から読んでいくことになってしまいますね。
積読のなかには以前述べた『権力の終焉』や、コリン・ウィルソンの『至高体験』といった、難解とはいわないまでもかなり読みづらい本も混ざっているのですが、そういう本は必然的に後回しになります。
堅くて厚い本を読むのは、どうしたって一日がかりですからね……。
まあ、そういうわけで、『マーケット感覚を身につけよう』の話。うん、なかなか面白い本でした。
ちきりんさんは、まず、インターネットの発達などによってさまざまな分野で「市場化(マーケット化)」が進んでいることを指摘します。
そもそも市場とは何でしょうか? この本によれば、それは以下のような簡潔な定義で説明できます。
・不特定多数の買い手(需要者)と不特定多数の売り手(供給者)が、
・お互いのニーズを充た -
教養主義が崩壊した時代における教養とは。
2016-06-13 01:2851pt
積読の夏です。
いやー、目の前に読みたい本が溜まって溜まって、くらくらします。
少なく数えても十数冊は積読していて、しかもそのほとんどがお堅いハードカバーと来る。
いったいどこから崩したらいいものだと迷いますが、『フルーツバスケット』でこういうときは目の前の作業に集中することと語られていたので、とりあえず一冊ずつ消化していくことにしましょう。
並行して消化するべき映画やアニメや漫画やゲームもたくさんあり、また基礎勉強もしたいし、色々大変です。
この状況はひょっとしたら「忙しい」といってもいいのではないかと思いますが、まあ、ほんとうに忙しい人と比べたらやっぱり十分暇があるほうなのだろうなあ。
そもそも締め切りがあるわけではないので、いくら時間をかけてもいいのだけれど、そういうこといっていると短い人生があっというまに終わってしまいそうな気がする。
さて、きょうはそういうプロ -
天才ではない者が勝利を勝ち取る条件とは。
2016-06-08 02:4351pt
いつもいっている気がしますが、今週の『ベイビーステップ』が面白いです。
自分の目と身体で直接ウィンブルドンを体験し、「世界の頂上(トップ)」を肌身で感じたエーちゃんが、いよいよ「世界の頂上」を目指して戦い始めます。
いままであいまいだった目標が具体的に定まった意味は大きく、エーちゃんはふたたび爆発的な成長を開始します。
しばらくの間、「プロのきびしさを思い知らされるターン」が続いていただけに、今後の展開には期待です。
それにしても、あらためてわかるエーちゃんのメンタルの強靭さ。
普通、この手の漫画だと、「目標へのあまりにも遠い距離」を思い知られた主人公は絶望し、そのあと初めてそこから這い上がろうとするものなのですが、エーちゃんはそのプロセスをカットしてしまう(笑)。
全然絶望しないんだもん! この人。
それどころか、
世界の頂上(トップ)を目標に定めた練習は突き詰めるほ -
『HUNTER×HUNTER』は「人間的な共感」の境界を示す。
2016-06-07 20:2751pt
『HUNTER×HUNTER』最新刊をくり返し読み込んでいます。
一度読んだだけでは理解し切れないレベルの複雑さと情報量。
「グリードアイランド篇」もそうだったけれど、端から端まで完全に把握して読んでいる人は少数派なんじゃないかなあ。
ということは100パーセントわからなくても読めるシンプルな構造があるということで、なんというかもうほとんど天才の仕業。
いち凡人としてはただただ「すげえなあ」と感嘆するしかありません。
この巻から物語は人跡未踏の「暗黒大陸」に渡航するための準備に入ったわけだけれど、少し前まで死闘をくり広げたキメラアントを凌ぐという未知の脅威が複数登場し、物語のスケールは一気に広がりました。
さらには「デカすぎる」モンスターたちがあたりまえのように登場し、いったい人間の力は通用するのやら、しないのやら。
あまりに極端なスケールアップを「インフレ」と見て批判す -
学校なんて行かなくていい、とはいうものの。
2016-06-06 11:4351pt
有名ブロガーのちきりんさんと格闘ゲーム界の「神」梅原大悟さんの対談本を読みました。
なんでも3年にわたり、100時間以上対談しているそうで、本になったのはそのなかの精髄といえる部分なのでしょう。
話のテーマは「学校」。
本来、プロゲーマーのウメハラは「学校の授業はみんな寝ていた」という学校嫌いで知られた人、その人物に学校ネタを振るとは、さすがちきりん、恐ろしい子!
まあ、こういう無茶ぶりは話が空中分解して木っ端みじんになって終わるリスクもあるわけですが、結果としてはこの本はとても面白い内容になっています。
何が面白いかといって、冒頭から最後までちきりんさんと梅原さんの意見がまったく合わないことが素晴らしい。
普通、対談って、相手の意見を受けて「ですよね」、「そういうことですよね」みたいな形で意見を交換していくものだと思うのですが、この対談ではふたりとも真っ向から意見を衝突さ -
「障碍者」までのディスタンス。
2016-06-05 01:3851pt
たむらあやこ『ふんばれ、がんばれ、ギランバレー!』を読みました。
タイトルからわかるように(わからないかな?)、10万人につきひとり、ふたりという難病「ギランバレー症候群」にかかった著者の漫画形式での闘病記です。
はっきりいってプロレベルの画力や構成力があるとはいいがたく、読んで面白いものとはいえないかもしれませんが、事実だけがもつ圧倒的な迫力がすべての問題点を帳消しにしています。
ギラン・バレー症候群とはどんな病気なのか? なんだかガンダムのモビルスーツみたいな名前ですが、この本によると「全身を切り裂かれねじられ骨から身を剥がれ爪は剥がれ内臓はちぎれという痛みが24時間営業で続く」という超絶恐ろしい病。
それだけでなく呼吸もできなくなったりするそうで、著者は「死にたい」と思うほどの地獄に叩き込まれます。
いやー、この漫画を読むと、この病気にだけはなりたくないな、と心底思いま -
『HUNTER×HUNTER』における新世界とは「物語破壊の装置」である。
2016-06-03 15:0751pt
全読者待望の『HUNTER×HUNTER』最新刊が出ました。
さっそく電子書籍で落として読む、読む。もちろん雑誌で追いかけてはいたけれど、あらためてまとめて読むとあらためて面白いですね。
前巻で、長かった「キメラアント篇」に続く「会長選挙篇」が完全に終わって、この巻から「暗黒大陸篇」が始まります。
いままでの物語世界全体が広大な「暗黒大陸」に取り囲まれていたことがあきらかとなり(な、なんだってー)、一気にスケールアップするわけなんだけれど、あまりに突然の展開に、当初は正直、「大丈夫なのか?」という思いもありました。
しかし、その後の展開を追いかけていくと、どうやら大丈夫であるらしい。
なんといっても一向に物語のテンションが落ちない。第33巻にしてこの情報量とハイテンションは驚異的です。
もちろん、実質的に週刊連載のスタイルを捨てたからこその高密度ではあるんだろうけれど、そういうことは関係ないですからね。面白さが正義。
いったいこの先、「暗黒大陸」を舞台にどのような冒険が繰り広げられるのか、ほとんど想像を絶していますが、だからこそ楽しみでなりません。
さて、このブログを長いあいだ追いかけている人ならご存知かと思いますが、「暗黒大陸」や『進撃の巨人』の「城壁の外の世界」から発想して、LDさんは「新世界系」という概念を生み出しました。
『ONE PIECE』の「新世界」から採った名称です。『HUNTER×HUNTER』でも「新世界」という呼称が使われていますね。
「新世界系」とは何か? 説明するのが面倒なので自分の記事から引用すると、こんな感じです。
さて、ここで『HUNTER×HUNTER』の話に繋がるのですが、最近、ペトロニウスさんとかLDさんが「新世界」、あるいは「外の世界」といわれるヴィジョンについて話しています。
これは、『ONE PIECE』や『HUNTER×HUNTER』などの作品で、いままでの世界よりも遥かに大きい「新しい世界」が存在する、という展開が描かれているという話です。
『ONE PIECE』ではまさに新世界、『HUNTER×HUNTER』では暗黒大陸などと呼ばれている場所のことですが――これが、「現実」を意味しているのではないか、という指摘をLDさんがしているのですね。
非常に興味深い話だと思うのですが、ここでいう「現実」とは、「努力や成長が意味を持つ少年漫画的な原理」が通用しない世界のことだと思うのです。
通常、少年漫画のような物語は、四天王キャラが最弱の者から順番に襲いかかってくるように、主人公の成長に合わせて少しずつ進展する傾向があります。
『ドラクエ』でもレベル1のところにいきなりギガンテスがやって来るというようなことはないわけです。しかし、いま述べたように、現実はそうではない。
そこでは、判断を誤れば待つものは死であるのみか、最も正しい判断をしてなお、死しか待っていないかもしれない。そういう原理があるわけです。まさに、日本代表が最善の努力をしたかもしれないにもかかわらず、無残な敗北を喫したように。
努力が正しく報われる世界、正義が必ず勝つ世界、そういう少年漫画的な原理が通用する世界を「正しい」とするならば、この世は正しくできていないし、まさに「クソゲー」としかいいようがないシステムで動いています。
でも、その不条理さを受け入れること、そういう世界を折り合いをつけることが、「大人になる」ということでもあると思うんですよね。「いかにして成熟するか」という問題がそこにあります。
そして、成熟した上で、さらに過酷な現実に立ち向かう覚悟を維持することができるか? おそらくその強靭な精神を持った者のみに、絶望的な難易度のクソゲーであるところの「外の世界」は扉を開くのでしょう。
そこは努力とか、成長とか、誠意とか、愛情といったものが何の役にも立たないかもしれない世界。かたくななナルシシズムなど一顧だにされない世界。人間中心主義(ヒューマニズム)がまったく通じない世界です。
http://ch.nicovideo.jp/cayenne3030/blomaga/ar563640
そう、「レベル1から敵が出て来るとは限らない、いきなりレベル99のラスボスが登場するかもしれない世界」、それが「新世界」です。
こう書くとわかるかと思いますが、「新世界」においては通常の物語は成立しません。
だって、
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