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記事 88件
  • 書かねばならないのに書くことが何もない! そんなとき、ブロガーはどうするかという話。(2277文字)

    2013-04-26 22:47  
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     さて、書くことがなくなりました。まだ何冊か読んでいて取り上げていない本などもあるのだけれど、ふしぎと取り上げる気になれない。たぶんいまはそれについて語る正しいタイミングではないのでしょう。
     さてさて、どうしましょうか。先日にも書いたと思いますが、基本的にぼくは「ネタ」がなくなって書けなくなるということはないと考えています。
     ブログの良いところは書くことがなければ書くことがないということを、落ち込んでいれば落ち込んでいるということを書けばいいという点にあると考えているからです。いやまあ、落ち込んだ時に落ち込んでいることを書くと、その負の感情が伝染していくから良くないのだけれど。
     聴いた話によると、プロのライターさんなどにとっても「ネタ切れ」は深刻な問題で、年間数千枚の原稿を書いていると数年くらいで消耗してしまうといいます。
     しかし、それはライター業がある程度、「こういうものを書かなければならない」というカセがある仕事だからそうなるのであって、文字通り何を書いてもいいブロガーには「ネタ切れ」などというものは無縁なものだと思います。ほら、もう十数行埋まった(笑)。
     そうはいってもただ文字を埋めるだけではダメだ、内容が面白くなければならないだろう、と考えるでしょう? でも、ブロガーの場合、最優先の課題は「書くこと」であって、内容を精査しているヒマがあったらとりあえず書くべきだと思うのです。
     もちろん、お金をもらっている仕事である以上、記事に一定以上のクオリティを求められる現実は存在します。しかし、そのクオリティを判定するのは読者であって、書き手自身ではないことも事実。
     ようはチャンネル会員が満足するような記事を書ければそれで良いのであって、自分で「こんな記事はつまらないだろう」と判定して切り捨ててしまうより、まず書いてしまって、その上で読者の判断を待つほうが良いのではないか、とぼくは思います。
     書けば面白くなってくる可能性はあるし、自分でたいして面白くないと思っていた記事でも、案外、好評を受ける可能性はある。というか、ぼくの場合、自分でクオリティの判断をしていたら書くものがなくなってしまうw 「ぼくが書いた程度のものでお金をもらうなんて傲慢だよね」という話になってしまうのです。
     しかし、ようするに読者に受ければ何でもいい、受けなくても特に問題はない、と思えば、書けることは増えてきます。そういうふうに考えると、地方在住、経験なし、技能なしでもできるブロガーという仕事はぼくにとってやはり魅力的です。
     いや、ほんとうはそうではない、それなりの経験と技能を必要とするのだろうけれど、少なくとも履歴書に書くような資格はまったく必要ない。ようするに読者が読んで楽しめればすれば何でも良いのです。そこにブロガーの栄光と悲哀のすべてがあります。
     
  • どうすれば「責任」と「収入」のバランスを取れるか。プロブロガーへ続く最短の道を探る。(2401文字)

    2013-04-26 18:00  
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     月間100回以上更新を歌っていましたが、どうもこの速度だとそこまでたどり着けないようなので、更新目標を落としました。1日平均3回前後ということにしたいと思います。
     「月100回以上更新するというから入会したのに!」という方がいらっしゃいましたら申し訳ありません。しかし、新しいペースでも80~90回更新することになるわけで、十分多いですよね。ひと月に4回か5回程度しか更新されないブロマガも散見されるわけですから。どうかこの点、ご容赦いただきたいところです。
     おそらく個人運営のものとしてはぼくのブロマガの更新回数及び更新量は全体のなかでもトップでしょう。ほかの作業をすべてストップしていてヒマだからこそできることではありますが、それにしてもよくやるものです。おかげさまでそれに比例してチャンネル会員数も増える一方です(当然ながら更新をサボった日にはあまり増えません)。
     まあ、時々、記事が炎上したりもしていますけれどね。イケダハヤトさんのように「炎上もまたブログの醍醐味のひとつ」と割り切ることはできませんが、ぼくにはどうしようもないことですからね。放置&静観くらいしかありません。
     それにしても、持続性という観点で見ると、あまり無理をして更新しすぎることは良くないのかもしれません。ある一時だけ集中して更新し、そのあと疲れ果ててしまって更新できなくなるという事態は、プロフェッショナルブロガーとして最低です。
     プロブロガーに要求される条件とは、一定の質と、一定の量を兼ねそなえた更新をいつまでも継続的に続けられることなのです。これができなければ、どんなに文才に恵まれていてもプロブロガーになることはできません。
     長いあいだ書きつづけていれば、当然、調子のいい日も悪い日もある。それでも毎日平均的に平均的なクオリティの文章を書きつづけること。これがプロブロガーになるための最短の道です。
     しかし、そうはいっても、現実にはなかなかこの目標を達成することはむずかしいでしょう。ぼく自身、決して毎日更新しているわけではありませんし、文章の質にもばらつきがあると思います。
     ただ、それでも定期的に一定量の文章を書いていることには間違いない。それがやはり文章を書いてお金を得るためには最低限必要なことなのでしょう。
     現代において、「プロ」という言葉は以前よりずっと軽くなりました。ぼくのような人間ですら「プロブロガー」を名のることができるわけですし、そもそも「プロ」と「アマ」、「仕事」と「娯楽」は限りなく混ざりあっているといっていいでしょう。
     けれど、それでもなお、「プロ」と「アマチュア」にははっきりとした一線がある。それが「お金をもらうということ」です。これは以前にも書いた気がしますが、ある意味では一円でもお金を貰えばそこから「プロ」です。プロとしての能力があるかどうかに関わりなく、責任を背負わなければならないのです。
     これから先、おそらくブロマガは一般にも課金制が導入されることでしょう。しかし、そこで一定額のお金を稼ぎだせるひとはごくひとにぎりに限られるものだと思われます。その時、責任だけが生じて十分な報酬が得られないという事態が起こる。そういう事態にどれだけのひとが対応できるか、ぼくはいまから心配していたりします。
     
  • 肉体を軽視する者は肉体に復讐される。人生のスピード違反に注意しよう。(2239文字)

    2013-04-26 10:50  
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     リンダ・ハミルトン『ワーク・シフト』は2025年の未来を予想し、その社会における働き方を考えた本だ。もちろん、それは2013年に生きているぼくたちにとって役に立つ洞察に満ちている。
     そこで語られていることのなかで最も重要な予測は、「これからの社会はさらにすべてが高速で動いていく社会になるだろう」というものだ。
     2013年現在、インターネットをぼくたちはすべての物事が恐ろしいスピードで動いていく社会に生きている。その象徴が「リアルタイム・ウェブ」と呼ばれるシステムで、ぼくたちはついに情報を秒単位で消費し、発信する時代に突入してしまったわけだ。
     それはぼくたちにとって最大の快感でもある。ぼくたちはもはやスローな社会に満足することができない。信じられないほどのスピードと、ちょっと目を話せば目の前の光景が変わっているスリル、それなしではぼくたちの世代、さらにその下の世代は生きていけないことだろう。
     しかし、それは同時に恐ろしく疲れることでもある。だからこそ、「スローライフ」などという言葉が脚光を浴びるようになったのに違いない。社会があまりに「ファーストであること」にばかり価値を置いたため、いままで侮蔑と冷笑の対象でしかなかった「スローであること」にふたたび価値が認められようとしているのだ。
     たしかに何もかもが速いのは素晴らしいことではあるけれど、それではぐったりしてしまう。せめて時々はゆっくり、ゆったりしたい。そういう願望が「スローライフ」「スローフード」「スローセックス」といった言葉には表れていると思われる。
     しかし、古来より「貧乏暇なし」という。時間資産を大量に消費することは生活に十分な余裕がある人間の特権だ。これからの時代、そこまでの余裕を持たないぼくたち労働者階級は、ますます忙しくなり、ますます時間的余裕がなくなっていく。
     インターネットは相対性理論の限界に挑む速さで情報を運ぶ。人間は光の早さで動くことこそできないが、かぎりなくそれに近い速度で働くことを要求されるというわけだ。
     それはつまり絶え間ない消耗を意味する。非常な高速で高度な仕事をこなすことを求められたぼくたちは、少しずつ、少しずつ疲弊していくに違いない。そしていつの日かそれが限界に達した時、心の軸がぽっきり折れてしまう。そうならないためにはどうすればいいか。
     
  • 自信はないけれど遊牧する。働きたくない系ノマドブロガーが語るお仕事の現在。(2250文字)

    2013-04-26 09:55  
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     「ノマド」という言葉も旬を過ぎた感がある昨今ですが、ぼくはいまさらノマドワーカーに転身しました。ノートパソコンのひとつも持っていないので、正確にはひきこもりワーカーというべきか。
     オフィスを必要としないことは間違いないけれど、ひとに誇れるような立派な仕事ではありません。プロブロガーと名乗ってはみたけれど、正確にはニートブロガーというあたりが正しい。
     一応、収入は倍々ゲームで増えてはいますが、それがいつまで続くのかはわからないし、いつドワンゴからクビをいいわたされるのかも判然としない(ないとは思いますが)。そんなぼくがあえて「ノマド」への道を歩み出したのはなぜなのでしょうか?
     理由は簡単です。「それしかできないから」。これ以外は何もできないからこの仕事をしているのであって、もしきちんと会社勤めをして正社員になれるようならそっちを選ぶと思う。
     ノマドワーカーを自認するひとたちの著書を読むと、みんなそれなりに自信たっぷりです。自分の才能と技術でもって世を渡っていく自覚に満ちたひとばかりです。それはそうでしょう。そのくらいの自信がなければ安定した立場を捨て、「ノマド(遊牧民)」の道を選ぶことはできないはず。
     ノマドにとってあてにできるのは自分で狩りをし、自分で水源を探す技術だけです。それ以外のもの、組織とか会社とかをあてにすることはまったくできません。そうだからこそのノマドなのです。いわばノマドは才能がすべて。自分の能力に自身を持てない凡人はおとなしく定住の道を選ぶしかないでしょう。
     しかし、ぼくにその種の自信はまったくありません。いやー、きれいさっぱりこれっぽっちもないといっていいでしょう。プロブロガーを名乗ったのも決して自信からではなく、「まあ、こういう肩書きを付ければ騙されて読んでくれるひとも増えるかな」という程度の思いからです。
     たしかにチャンネルレポートの「今月の売上速報」の数字は恐ろしい勢いで増えているのですが、それもどこまで信用して良いものやら。このまま行くと年末にはものすごい数字になっているはずなんだよなあ。ちょっと信じられない。
     で、つまり、何がいいたいのか?
     
  • 【無料記事】だれにも愛されなかった人間がひとを愛せるようになるにはどうすればいいか。(8976文字)

    2013-04-24 13:15  




     初めに書いておきます。この記事は非常に長く読みづらいかもしれませんが、今後、「ゆるオタ残念教養講座」を読んでいきたいと考えておられる方は、ぜひ、最初から最後まで熟読してみてください。
     おそらくこれから先、このブロマガで展開される議論はこの記事で書かれたことを前提としたものになるはずだからです。はっきりいって快心にして渾身の力作記事です。いままでぼくが書いた記事のなかでもベストかもしれない。
     アクセスのことだけを考えるならいくつかに分けて投稿するべき内容かもしれませんが、読者の皆さんの理解を考えて、あえて一本の記事にしました。自分ではおもしろい内容だと思っています。どうかどうか、読んでみてください。お願いします。
     さて、数日前のことです。ぼくは自分で「界隈」とか「身内」とか呼んでいる友人たちと集まってお酒を飲んできました。異様にディープなメンツが集まっていますから、当然のごと
  • このひとに逢いたい! プロブロガー(笑)の海燕が無理を承知で出会いたいと願う方たち。(3783文字)

    2013-04-23 13:13  
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     ういっす。海燕です。きょうは近場のイオンが開店する日だったので、ティファールのフライパンを買っちゃいました。Amazonで買うより何千円も安い。ラッキー。
     いやまあ、仮にも有料の記事でこういう限りなくどうでもいいことを書き散らしていていいのだろうかと考えないこともありませんが、ぼくの脳内バカボンのパパが「いいのだ!」とつぶやいているのでいいことにしましょう。
     何であれ、書かないよりはいいのではないでしょうか。どんな無駄な文章を書いても紙幅が足りなくなったりしないのがブログメディアのいいところ。
     そういうわけで朝からちょっといい気分でネットを開いてみたところ、いつも読んでいるブロマガ「未来の普通」に「プロブロガー海燕さんに対談してほしい人12選」という記事がががが(http://ch.nicovideo.jp/normahead/blomaga/ar205205)。
     そういえばまだたいした収入もないくせにプロブロガーとか名乗っている痛い勘違い野郎がいたっけなあ、オレのことか、と思いつつとりあえず深呼吸。
     きっと「ベンガルトラと対談してください。そして食われてこの世から消滅してください」とか書かれているに違いないと考えながら読んでみたところ、そんなことはなく、挙げられている12名全員人間でした。あたりまえだ。
     ていうかビッグネームばかりだな! 十二宮を守るゴールドセイントといわれても納得できそうなメンツだよ。まあ、ブログを読んでいても自然と親しみが湧くPhaさんとはいっぺんリアルで逢ってみたい気がしますが、そのほかのひとは怖いからあまり逢いたくない。
     ていうか、武田鉄矢さんとか麻生太郎さんとか、逢ってなんの話をしろっていうんだ! でも、たしかに世界のウメハラ(最高のリスペクトを込めて敬称略)にはいっぺんお逢いしてみたいです。現代に生きる達人、現人神、リアルキリトくん(@『ソードアート・オンライン』)ですからねー。サインほしいです。家宝にします。
     まあ、現実的に考えると、対談とかそうとうきびしいですね。こういう文章でこそ好き勝手なことを書いていますが、じっさいのぼくは人間レベル2くらいの雑魚キャラ、コミュニケーションスキルマイナスの男、まともな会話が成り立たない可能性があります。そもそも着ていく服がありません。
     それは何とか考えないとしても、実をいうと、ぼくはいままでクリエイターサイドのひとと直接的に関わりを持つことは避けて来ました。いったん知り合ってしまうと、どうしても好き勝手に悪口、じゃない感想を書くことができなくなるからです。
     しかし、最近、この誓いは意味がなくなってしまいました。というのも、初めて逢ったときはたしかに普通の人だったはずの知りあいが、どんどんクリエイターになっていくからです。
     知りあったあとに作家になったひとは複数いますし、純粋な意味での作家ではないにしろ、ゲーム開発にたずさわっているGiGi(@GiGir)さんとか、編集者になった平和さん(@kimpeace)とか、普通に友達ですからね。お前ら、なに出世しているんだよ。
     そういうわけで、ぼくの「対クリエイターATフィールド」はなし崩し的に壊れてしまったのでした。だから、いまは叶うことなら逢ってお話を伺ってみたい方はいっぱいいます。傲慢を承知でひとり選ぶなら、やはり『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』の神山健治監督ですね。神山さんはかつてこんなことを語っています。
     
  • なぜピングドラムを探さなければならないのか。再帰的な家庭の「錨」となる方法を考える。(2284文字)

    2013-04-22 12:32  
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     東京へ向かう新幹線のなかで乙武洋匡さんの新刊『自分を愛する力』を読み終えました。これが実に素晴らしい珠玉の一冊で、今年読んだ本のなかでも特に感銘を受けたものといっていいと思います。
     タイトルの通り「自分を愛する力」、すなわち「自己肯定感」がテーマ。生まれつき両手両足がないという重度の障害者として生まれながら毎日を明るく生きている乙武さんが、どうしてそんなに明るい性格なのか?を語ってくれています。
     ぼくは最近「光属性」「闇属性」という言葉をよく使うのですが、この属性を分ける際には「無条件の自己肯定感を家族から与えられて育っているかどうか」がひとつのポイントになります。
     その文脈でいうと、乙武さんは完全に光属性のひとです。もう、なんというか光り輝いています。というのも、かれの両親は実に素晴らしいひとたちなのです。乙武さんの母親の深い愛情の偉大さは『五体不満足』で有名になったようですが、この本では父親のほうもクローズアップされている。
     これが実に泣かせる話で、乙武さんはほんとうに立派なご両親に育てられてあそこまでになったんだな、と実感が湧きます。かれのすべての成功の背景には圧倒的な自己肯定感の高さがあるのです。
     「自己肯定感」とは何でしょう? それはつまり、「無条件で自分の存在を肯定できる力」のことです。この「無条件」というところが大切。「無根拠」といってもいい。ぼくはよく「根拠のない自信が大切」といったりしますが、これはほんとうは「根拠のいらない自信が大切」といったほうがわかりやすい。
     周囲の評価や社会的成功といった条件、根拠に依存した自信はそれが失われればたやすく壊れてしまいますが、根拠のない自信は何がどうなっても失くなることはありません。だから根拠のない自信=絶対的な自己肯定感があるひとは、乙武さんのように重いハンディキャップを背負っていてなお、幸福な人生を手に入れることができるということが、この本を読んでいるとよくわかります。
     ただ、現代日本では乙武さんのように無条件で自分を肯定できるひとは少数派でしょう。それはかれの両親のように子供をどこまでも肯定して育てることができるひとが少数であるということを意味しています。家族こそひとが健全な自己愛を育む場なのです。
     しかし、それでは、そういう充実した家族環境に恵まれず、あるいは生まれつき健全な自己愛が欠損している人間はどうすればいいのか? そういうひとは努力するしかない。クンフーを積んで幸福のジェネレーターを回すのだ、ということを過去の記事では書いてきました。
     そのためには「好き」という特異点が必要なのだが、「好きなものが何もないひと」が「好き」を見つけることはきわめて困難なのだとも。とにかく「健全な家庭」というものに恵まれなかったひとは人生のスタート地点で大きなハンディを負うことになるのです。つまりは「ピングドラム」が欠けているわけだ。
     
  • 「海燕のゆるオタ残念教養講座」はただちょっと運が良かっただけなのか?(2328文字)

    2013-04-22 11:05  
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     今日4本目の記事です。ここ最近、金の亡者であるところのぼくは、アクセスアップとチャンネル会員増加という目先の欲に目がくらみ、購読者が読めもしないような量の文章を書いては投稿しているわけですが、自分でもよく書くよなーと思わないことはありません。
     イケダハヤトさんが「プロのライターになるためには毎日12時間書きつづけられるくらいの覚悟が必要」という意味のことを書いていますが(http://www.ikedahayato.com/index.php/archives/23106)、ぼくはたぶんそれくらい書けると思う。
     というのも、ぼくは書くことを「仕事」とか「義務」とは認識していないからです。ぼくにとって書くことはやはりどこまで行っても「権利」であり「趣味」でしかない。そして、書くことを通して自分自身をマーケティングすることですら「遊び」あるいは「ゲーム」でしかありえません。
     もちろん、仮にもプロを名のる以上、読んでくれるひとのため最低限の質と量を維持したいとは考えています。しかし、自分がやっていることを胸をはって「仕事」と断言できるかというと、「こんな楽で楽しいことを仕事とかいっていいのかなー」という思いを拭い去ることはできません。いや、仕事っていっているんですけれどね。お金が入ってきていますから。
     しかし、それでもぼくは「いやー、こんなしょうもない駄文でお金もらって悪いなー」とどこかで思っています。自虐ではなくて、本心から、自分の文章がお金になることに対する違和感を消すことができないのです。みんな、よくこんなブログにお金を払ったりするよな。いやまあ、払ってもらうように誘導してはいるんだけれど、それにしてもね。ありがたい話です。
     あとまあ、ここらへん、非常に誤解されやすい話だと思うんだけれど、ぼくはブロマガのランキングにもそんなに価値を置いてはいないんですね。たしかに「ホリエモンを追いぬくぜ!」とかアホなことをいったりするけれど、間違えてもそれは炎の野心の表明ではない。
     「何者でもないシロウトのぼくがホリエモンを追い抜くとかいっている構図ってちょっと笑えるよね」というネタなんですよ。だって、ぼくが堀江さんを追い抜けるわけがないし、追い抜いたところでべつに何で勝ったことになるわけじゃないもん。
     ただ、そうやって熱く勝負していることにしておいたほうが人生おもしろいよね、という「ごっこ遊び」あるいは「ロールプレイングゲーム」の発想でおもしろがっているのです。
     いやしかし、このブロマガチャンネルが予想外にうまく行っていることはたしかです。たぶん「あいつはラッキーだっただけだ」「いま、たまたまうまく行っているのに過ぎない」という意見もあるでしょう。
     実はまったくそのとおりで、ただひたすらにラッキーだったと思います。なんの努力も苦労もしていないもん。こんな我ながらどうなんだと思うくらい内容のない文章を書き散らしてお金がもらえるなんて、超ラッキー。宝くじにあたった気分。
     
  • 「特に好きなものがない」消極的オタクはどうすれば幸せに手がとどくのか。(2566文字)

    2013-04-22 10:16  
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     アニメ『輪るピングドラム』は多くの名台詞に満ちた作品でしたが、そのなかでも「きっと何者にもなれないお前たちに告げる」という言葉の印象は強烈なものがありました。「きっと何者にもなれない」、その限りなくリアルな響き。
     多くのひとが人生の前半で「何者か」になりたいという夢を抱き、しかし何者にもなれずに人生を終える。だからこそ、「きっと何者になれない」という決め付けはあまりにも的確にぼくたちの心を射るのです。そうなのだ、自分もまた「きっと何者にもなれず」一生を閉じるに違いないのだ、と。
     この場合の「何者か」とは「成功者」とか「特別な人」というニュアンスを孕んでいることでしょう。「何者でもない」群衆のなかにあって鶏群の一鶴とでもいうべき、特別な才能と個性をもったひと。
     言葉の上っ面だけを捉えるなら、本来、すべてのひとが「何者か」なのであって、「何者でもない」人間などいないのだ、と考えることもできなくはない。「ナンバーワンにならなくていい。もともと特別なオンリーワン」とか、そういう考え方ですね。
     心からこの言葉に共感し、「オンリーワンであるだけで十分だ」と思えるひとはほんとうの人生の勝ち組かもしれませんが、大半のひとは「そうはいっても何者かになりたい。ナンバーワンになってみたい」と望んでいることでしょう。そして同時に「そんなことは無理だ」という絶望を抱えてもいる。
     「何者か」になるということがどういうことかというと、周囲に「何者か」として見られるということです。そのとき、ひとは自分の人生をオリジナルなものとして感じることができる。ナンバーワンとオンリーワンはべつに対立する概念ではない。ナンバーワンこそがだれよりもオンリーワンなのですから。
     さて、前置きが長くなりましたが、それでは「きっと何者にもなれない」ぼくたち凡夫の群れはどうしたらいいのでしょうか?
     
  • 文脈を伝えきれないブログメディアの限界にぐぬぬ。(2267文字)

    2013-04-22 07:39  
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     きのうは寒かったですね。暖かくなったかと思えばひどく寒くなる不安定な日々、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。三日間も更新を止めてぼくが何をしていたかというと、ペトロニウスさんたちに逢いに東京へ行って来ていました。ぼくは定期的にひとに逢いに上京するのです。
     今回も非常に楽しい時間を過ごせました。いやー、おもしろかった。ペトロニウスさん、LDさんのほか、ぼくの友人界隈の最重要中核メンバーばかりの集まった飲み会で、いままで以上にディープな時間を過ごせました。
     そうなんです、ぼくたちの界隈におけるいちばんおもしろいやり取りは、ネットには上げられることなく、リアルで少数の人間にだけシェアされて終わってしまうのです。事件はネットで起こっているんじゃない、日本料理屋で起こっているんだ!というところでしょうか。
     今回つくづく思ったのは、ネットでぼくやペトロニウスさんのブログを読んでいる読者と、ぼくたち自身とのあいだに情報格差が生じているということ。というのも、いいかげん「その場にいたひと」にしか通用しない概念が大量に溜まってしまっているのですね。
     今回も「アンカー」「ジェネレーター」「コーリング」「クンフー」「契約」「契約弱者・契約強者」「恩寵の扉」といった造語がたくさん(その場の思いつきで!)飛び出し、話に付いていくことすら簡単ではありませんでした。
     ペトロニウスさんと直接会って話を伺ってみるとわかるんだけれど、このひとは口より頭のほうが回転が速いんですね。口もおそろしくよく回るのだけれど、たぶん頭のなかはさらに速く回っている。その場、その場でものすごい勢いで批評概念を構築していくそのスピードは、まさに圧倒されるものがあります。
     ラジオで聴いて知っていると思っているひともいるだろうけれど、リアルペトロニウスはさらに凄いんですよ。どんだけCPUのクロック高いんだよ。特に周囲にその発言を受け止めてフィードバックできる人材がそろっていると、相乗効果でさらに凄いことになる。
     今回はさすが最重要中核メンバーだけあって、(ぼくを除くと)とても頭がいいひとたちが集まっていたので、会話のスピードとテンションが実に凄いことになっていました。ていうかこれ、お金取れるよね、というくらい。
     ペトロニウスさんたちとは延々5時間にわたって話していたので、その内容をひとことでまとめることはむずかしいのですが、いずれこれらの言葉がぼくの記事のなかにも登場してくると思います。なんだかわけのわからない概念が出てきたぞ、と思ってもどうか戸惑わないでください。なるべくていねいに説明しますから。
     まあ、とにかくこの三日間はブロガーとしての「仕事」を忘れて、ひたすら遊び呆けていたわけですけれど、結果としては今後につながるものをたくさん得ることができました。いろいろなひとにも逢ったしね。
     おそらくここに書けば皆さんが驚かれるようなひとも参加していたりしていたので、職業プロブロガー見習いでしかないぼくは肩身が狭かったですよ。うう。ていうか、お前ら、社会的ステータス高すぎだろ。どんだけ成功すれば気が済むんだ。きっと何者にもなれない者の身にもなってみろ。
     まあ、そんなことを気にしているようではフリーランスで生きていくことなんてできないんでしょうけれど。じっさい、気にしていないしね(どっちなんだよ)。
     しかし、ほんと、読者との情報格差問題はどうにかして解決しないといけません。そもそもぼくやペトロニウスさんのブログは、オリジナルの造語や概念が乱れ飛んでいて、非常に理解しづらいことになっていると思います。
     「ハーレムメーカー」「契約・再契約」「善悪二元論」「脱ルサンチマン」といった概念ですね。これらは字面で意味がわかりそうに見えるんだけれど、その実、背景には膨大な話のやり取りが存在しているので、そう簡単には正確に理解できない。
     そこへさらに「アンカー」がどうこう、「コーリング」がどうこう、というような話が加わると、これはもう、いっそうわかりにくくなってしまうと思います。でも、必要な概念なんですよ。
     ただでさえブログは内容が記事ごとに分断されてしまうので、非常に文脈を伝えづらいメディアなんだけれど、その上でどうバックグラウンドの情報を伝達していくか。これは今後のぼくの課題ですね。
     というか、ブログではどうにも解決しようがない問題であるような気もする。外部にWikiでも作って「これを読んでください」とやるのがいちばん簡単でしょうか。あとはそもそもネット以外のメディアで書くとか。どこかの出版社でぼくに本を書かせてくれないかなあ。
     同人誌で書いてもいいし、電子書籍で出してもいいのだけれど、やっぱり読者の絶対数が少なすぎるんですよね。ほんとうは商業レベルで本を出すのがいちばんわかりやすい気がする。ま、自称プロブロガーでしかないいまのぼくにとっては、相当に遠い目標ですが。でも、いつかは実現したいなあ。まあ、こういうことを書くとまた増長していやがるな、と捉えるひともいるでしょうが……。