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記事 33件
  • 世界一面白いファンタジー小説は何ですか?

    2014-03-27 03:38  
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     川上さんとの対談のなかで、少しジョージ・R・R・マーティン『氷と炎の歌』の話が出ました。この小説、『ゲーム・オブ・スローンズ』のタイトルでドラマ化されていて、そちらも傑作らしいのだけれど、原作は歴史的なウルトラマスターピース。
     およそ世界のファンタジー小説のなかで、これ以上に面白いものはないのではないか、と思うくらいのとんでもない作品。普段あまりふれないのだけれど、田中芳樹とか栗本薫の小説が好きだったひとには文句なしでオススメの超名作です。
     いやー、云ってしまえばどこにでもある平凡な設定で、ありふれた筋書きなんだけれど、それを力技で超絶レベルの作品に仕上げているんですね。
     ひたすら王道。どこまでも正統。ただあたりまえのことをあたりまえにこなす、それだけでほんとうに凄まじい作品を仕上げてしまっている。
     作者のマーティンはSFも書けばファンタジーも書くというひとですが、典型的な「物語作家」で、書けば書くほどに長くなっていくんですねw
     これはストーリーテラー型の作家の特徴で、どうも「物語の自走性」に任せるとそういうことになるらしい。『グイン・サーガ』が予定を超えて長くなったのと同じ理屈です。
     おそらく、書いている最中に「あれ、この展開も面白いな」とか、「こいつの過去はどうなっているんだろう?」ということを際限なく思いつくのでしょう。
     だから、書けば書くほどに新たな物語が生まれてくる。どうやらそういうことらしい。もっとも、例によってぼくは途中で止まっているので、そろそろ最初から読み返したいと思っているところではあります。
     いや、ほんとうに面白いのだけれど、ひたすらマジメでギャグがないから、読んでいて疲れるんですよね……。
     それでもまあ、この手の戦記小説のなかでは最高の出来で、歴史的な重要作品であることは間違いないけれど。日本でどれくらい売れているのかわからないけれど、北方謙三の『水滸伝』シリーズとか好きなひとは楽しめるはず。
     とはいえ、マーティンの小説をファンタジーの代表のように語ることは、少々違和感があります。たしかにめちゃくちゃ面白いのだけれど、そこにファンタジーの息吹があるかというと、ちょっと違うよね、と。
     つまりは具象性が高すぎるのですよ。すべてがリアリスティックに描きぬかれていすぎる。ぼくにとってファンタジーとはもっと抽象的なもの。
     やっぱりタニス・リーとか、ロード・ダンセイニ、フィリス・アイゼンシュタインという作家が思い浮かぶわけです。
     フィリス・アイゼンシュタイン! 最期に翻訳されたのは何十年も前だけれど、いやー、ぼくは好きだったんだよなあ。『妖魔の騎士』に『氷の城の乙女』。素晴らしいですね。
     ただ、早川書房は最近あまりこの種の象徴性の高いファンタジーを出してくれなくなった印象がある。いや、たぶん売れないんだろうけれど、ぼくは好きなんだよなあ。
     ジェイン・ヨーレンとか、そこらへんの女性作家ですね。ジェイン・ヨーレンの『夢織り女』、大好きでした。ここらへんの流れはこの頃あまり見かけない気がします。
     やっぱり具象的で男性的な作品のほうが売れるのでしょう。抽象的で女性的な意味でのファンタジーは、受け手にある種の素養を要求するところがある。
     それは知識ではなく感性。感じるひとしか感じない世界なんですね。マーティンの小説にはないものがそこにはあります。
     とはいえ、一部の出版社はがんばっていろいろと出しつづけてくれていることも事実で、パトリシア・A・マキリップとか、気づくとたくさん翻訳されていますね。
     そこらへんも読まないといけないとは思っているんですが、どうも時間が。いや、 
  • トップブロガー「ちきりん」の創造の秘密を盗め!

    2014-03-26 22:09  
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     昨年は電子書籍元年とさわがれた年でした。そのわりに日本の電子書籍はいまひとつ普及し切っていない印象がありますが、個人的には電子書籍の時代はとっくに訪れていて、同じ本が紙と電子で存在していたらまず電子のほうを買います。だって、わざわざ書店へ行かなくても瞬間的に入手できるんだもん。  で、まあ、基本的にはKindleで買ったものをiPhoneで読んでいるのだけれど、この便利さ、この手軽さはたまりませんね。病みつきになります。
     最近はペトロニウスさんと話していて、「あの本は読んでおいたほうがいいよー」などと云われたら、その場で1クリック購入したりしています。
     この『「Chikirinの日記」の育て方』もそうやって購入した一冊。云わずとしれたトップブロガーのちきりんさんが、そのブログ運営術の一端を明かした本です。
     ぼくのような泡沫ブロガーからしたら参考になることが書かれているのではないかと気になるところで、さっそく読んでみました。
     まあ、ぼくも一時期は月間100万ヒット近いアクセスを稼いでいたんだけれどね……。いまはもうあの狂熱の季節は永遠に過ぎ去って、二度と、戻らない。ああ無情。
     えっと、ちきりんさんの話。まあ、ちきりんと云えば、いまではネットでも一、二を争うスーパーブロガーであるわけですが、もともとはぼくやあなたと同じ、ごく普通の一般人としてスタートしています。
     その彼女がいかにしていまの地位にのし上がったのか? そのトップシークレットがこの「本」にはセキララに記されているわけです! すばらしい。
     もちろん、それを読めば即座に人気ブロガーになれるというわけではないのだけれど、ヒントは盛りだくさんなのですね。いや、ほんと、よく書いてくれたものだと思います。偉い、偉い。
     個人的に、ちきりんさんのストロングポイントはその文章と論旨の圧倒的なわかりやすさにあると思います。ちきりんさんの「日記」は、とにかく圧倒的にわかりやすい。
     だれが読んでも理解できるレベルで、さまざまな事象がなで斬りにされている。その凄さは、じっさいにブログを運営してみた者にしかわからないかもしれません。
     「だれでも理解できる」って、ほんとうに凄いことなんですよ。もちろん、「いやいや、世の中にはムツカシイことがあふれていて、わかりやすく書き記すことなどできないのだ。単純明快な論旨では、ものごとの本質を捉えきれないのだ」と考えるひともいるでしょう。
     それはそれで、一理ある考え方ではある。しかし、じっさいにはごくシンプルであるにすぎないことを、わざわざ小むずかしくことは、ある種の中二病以上のものではありません。
     もしくはそのものごとをほんとうの意味で理解しきれていないのかも。ものごとの単純な本質を平明な文章で書くことができるということは、そのひとの本質把握力がきわめて高いことを意味しています。
     ちきりんさんの凄いところは、じっさいにその問題の本質がどこにあって、何を語れば語ったことになるのか、そのポイントを外さないところにあると思う。
     だからこそ、彼女は戦国乱世のはてなダイアリーにおいて、ナンバー1ブロガーになることができたのです。まあ、ある種の才能ですよね。ぼくはとても尊敬しています。
     それにしても、ブログというメディアはほんとうに自由で、素晴らしい。よく「人気が出ると書きづらいことも多くなったでしょう」と云われるのですが、じっさいには書きづらいことなんて何もありません。
     もともと 
  • モテの真実がそこにある! 女子モテのための必須条件とは何か。

    2014-03-26 21:29  
    53pt

     最近、ぼくのなかで何となくモテ本がブームです。そういうわけで、織田隼人さんのモテ本『モテの真実』を読み終えました。いやー、これはけっこう良いんじゃないかなー。
     モテ本をいろいろ読んでいくとオカルトのレベルに達しているとしか思えないものにも出くわすのですが、この本はまともなほうだと思う。
     出逢いからデート、告白、お付き合い、そしてプロポーズに至るまで、恋愛の一連のプロセスをていねいに綴っています。
     結論としては、ひたすら外見をととのえてあとは女の子に共感を示せ、ということに尽きるように思います。まあ結局、そういうことになるんだろうな、とは思いますね。
     「ただしイケメンに限る」というあのロジックは、べつに当の女性たちが云っているわけではなく、自分はイケメンでないと認識している男たちがひがみで云っているだけですからね。
     じっさいには女性にとっては、生まれついての容姿のよしあし以上に身だしなみやファッションが重要になってくるのかもしれません。
     雰囲気イケメンという言葉がありますが、その次元まではだれでも到達することができるとも思うのですよね。まあ、もちろん「いや、おれはブサキモメンだから無理だ」というひともいるでしょう。
     じっさいそうなのかもしれませんが、より可能性が高いのは、自意識の檻に閉じこもっているためにそういうふうにしか思えないということです。
     その上で、「しょせん女は顔でしかひとを判断しない」みたいな、他愛ないミソジニー(女性嫌悪)に飛びつくと、だれも幸せになれません。
     ぼくはべつにひとがみな恋愛ごとに夢中になるべきだとは思いませんが、恋愛至上主義を相対化できないひとは幸せにはなりづらいように思います。世の中、恋やら愛のほかにもいくらでも楽しいことはあると思うのですが……。
     まあ、ぼくも女の子といちゃいちゃしたいけれども! 海燕さん、35歳にして精神年齢は思春期くらいだからな! ごほん。
     それはともかく、この『モテの真実』、モテたいと思うひとにはなかなか良い本なのではないかと思います。まあ特別に目新しいことが書かれているわけではないのですが、モテ本に書かれている「モテの法則」が網羅的に綴られていることが大きい。
     これ一冊読めば、あとはほかのモテ本を読んだりする必要はないかも。いやまあ、アルテイシアさんの『モタク』とか、『オクテ男子のための恋愛ゼミナール』は読み物として面白いのでオススメなんですが。
     ぼくは彼女のブロマガをずっと購読しています。この間、川上さんと対談したときに「アルテイシアさんのファンです。できればお逢いしたいです~」とドワンゴの中の人にお願いしてきたのですが、あれははたして実現確率どれくらいあるのかしら。
     まあ、向こうはこちらのことなんて知らないだろうし、たぶん無理だろうけれど、何かの機会に「恋愛Hカウンセラー アルテイシアの相談室」に呼んでもらえませんかね。大ファンなんですけれど。
     えっと、ドワンゴの編集さま、もしこれを読んでいたら、あのとき云ったことは完全に本気ですので、よければ企画してください。ぺこりm(__)m 期待しないで待っていようっと。
     ちなみに、「外見」のほかにもうひとつ重要な要素であるとされる、「女の子の話を傾聴すること」ですが、これ、ぼくはできるんじゃないかと思うんですよ。
     というのも、以前にも書きましたが、ぼくはひとの愚痴に耳を傾けたりするの、まったく苦にならないひとなんですよね。それはもう、あいてが男性でも女性でも、何時間でも聞いていられます。
     うちの母の仕事の愚痴とか、連日、延々と聞いているもん。いくら連続で聞いても特に心の負担にならないのね。だからまあ、女の子の愚痴とか、いくらでも聞けると思いますよ。
     聞かせてくれる女の子は特にいないけれどね(涙)。それはまあそうだろうとは思うが……。あー、人生における女子分が足りないよー。
     最近読み上げた漫画『煩悩時』の主人公が、 
  • 差別ってほんとうに悪いことですか?

    2014-03-26 16:53  
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     きょうの朝、ペトロニウスさんと話していて(じっさいしょっちゅう話しているのですね)、ちょっと記事のネタが浮かんだので、きょう3本目の記事を書いてみます。
     いや、じっさい、書こうと思ったら1日に5本だろうが7本だろうが、書けないことはないんですよね。書かないでいるとめんどくさくなってしまうんだけれど、書き始めるといくらでも書ける。ぼくはそういう人のようです。
     ただ、まあ、あまり書きすぎてしまうと1本1本の内容が薄くなってしまうので、そこは考えないといけないところですね。きょうのこれ移行の記事はあしたに回そうと思います。
     で、何の話だっけ? そうそう、ペトロニウスさんと話していて浮かんだ話。「差別」と「仲間意識」の話ですね。
     これはおそらく賛成してもらえることだろうと思うのですが、差別という言葉には、紛れもなくネガティヴな意味が存在しています。少なくとも現代社会で差別は良いことだ、と語るひとはあまりいない。
     じっさい、嫌韓やらなんやら、差別的な行動に走っているとしか思えないひとにしても、自分は差別をしている!と大声で叫ぶことはしません。
     むしろ、自分がやっていることはあくまで「区別」であり、それは差別とは本質的に異なることなのだ、というエクスキューズを用意していることがほとんどであるように思います。
     それくらい、現代社会において差別は悪いことだ!というのは常識と化しているのだと思うのです。しかし、まあ、それなら差別をしないでいられるかと云うと、そういうわけでは決してないんですよね。
     むしろ差別が忌まれるのは、ひとの心が差別を大好きにできているからに違いありません。放っておくとひとは差別をするものなのです。だからこそ、人為的に「差別はいけない!」と触れまわらなければならない。それがまあ、ほんとうのところだと思います。
     で、ぼくは、差別はすべて一様に悪いことだ、すべてのひとを平等に愛せるようにならなければならないなんて戯言を、ひとかけらも信じてはいないのです。
     いやまあ、たしかにそれはひとつの理想ではあるのかもしれませんが、あえて云うなら非人間的な理想です。決して現実にはならないであろう夢です。現実には、仲間を大切にすれば、「それ以外」のことを切り捨てることにつながります。
     その「仲間」とは、たとえば地域の友人たちのことであったり、あるいはもっと広く同じスポーツを楽しんでいるファンのことであったり、あるいは日本人全体のことであったりするのですが、とにかく人類すべてをひとしく愛することができるような人物は異端であり、これもあえて云うなら異常でしょう。
     あたりまえの人間はどこかで線を引いて、ここからここまでが仲間で、この外はそうではない、と判断するものです。
     たとえば、『ヤンキー経済』で描かれている「マイルドヤンキー」たちはまさにそういう行動理念に沿って動いているように見えます。そして、しばしば極端な個人主義者の集団と見られる「オタク」にしても、じっさいのところ、何も変わるところはないのです。
     「ほんとうのオタクとは」とか、「あんな連中はオタクじゃない」と考えるということは、つまりは「オタクか、そうでないか」と線を引き、どこかで区別し、差別していることに違いないのですから。
     ぼくは何も、そのことを責めるつもりはありません。ひとがひとでるかぎり、やはりどこかで線を引く必要はあるのです。
     すべてのひとをまったく差別することなく平等に考えられたら、それはたしかにすばらしいでしょうが、そこには一切の「愛」がないということにもなるのではないでしょうか?
     そう、自分の妻や、家族や、友人や、仲間を厚遇するということは、紛れもない差別ではありますが、しかしそれこそがひとが持ちえる唯一の愛のかたちなのです。
     「みんな大好き」であるということは、優先順位が存在しないということで、だれも好きではないということと変わりません。そういうものなのです。
     何が云いたいかというとですね、線を引くこと、差別することはひとの本質にかかわる行動だということです。
     ぼくはもちろんすべての差別を無条件で肯定するつもりはありませんが、同時に、すべての差別を悪とし排斥するつもりもありません。ようするに何もかも程度の、バランスの問題であって、一切差別することなく暮らしていくなどということは、しょせん無理なことだと思うのです。
     そして、ここがぼくとペトロニウスさんの妙に気が合うところなのですが、線を、「境」を作ってしまうのは仕方ないと認めたとしても、その上で 
  • エッチな漫画は好きですか? キュートないちゃいちゃ漫画に身悶える日々。

    2014-03-26 16:02  
    53pt


     あなたはオナニーのことを「セルフプレジャー」と呼び替える動きがあることを知っていますか?
     どもども。きょうもひとり孤独に暮らす男、海燕です。きょうの二本目の記事ですね。いくらミツユビナマケモノの同類と云うべきぼくでも、1日30分労働はさすがにどうかと思うので、もう少し働こうかなあ、と思ったしだい。
     まあ外は雨が降っていて外出できないし、もともと書くことは好きなんですよねー。それならもう少し定期的に書けという話ですが、どうにもそのときそのときの調子に左右されるんだよね。
     まったくプロフェッショナルとは云いがたいわけで、ほんとに申し訳ないことです。そうだね、もう少し頑張ろ。
     さて、いきなりセクハラ的な冒頭で入ったわけですが、ぼくの頭のなかはいつもだいたいその手のことで埋まっているので、特に意外な事態ではありません。
     まあ、このブロマガの画像を見ればわかるよね! ちなみにこの半裸の少女、個人的に「八重花ちゃん」と呼んでいるのですが、いいかげんほかの画像に変更しようかと思っています。あまりにも女性読者を寄せ付けないよなあ、と(笑)。
     このブロマガ、9割以上男性読者なんじゃないかな……。もっと女の子の読者がほしいよ! まあ、書いている内容が内容だから仕方ないかもしれませんが。オナニーのこととか書いちゃいけないのか。
     でもえろすな漫画とか映画とか好きなんすよ、旦那。まあ直接的なエロも悪くはないけれど、もっとライトないちゃいちゃもいいよねー。
     そういうわけで、何かいちゃいちゃ漫画が読みたかったので、犬上すくね『アパルトめいと(1)』を読んでみました。これがなかなか絶妙ないちゃり具合だったので、オススメしてみます。
     現実世界でいちゃいちゃと縁がない独身ニートの海燕さんはフィクションでその手の欲求を満たしているのだ! いや、けっこうフィクションで満足できるものですよね。それがいいかどうかはともかく。
     さて、犬上すくねは軽快なラブコメディの描き手として一部で有名な作家。ぼくは『ファンロード』に描いていた頃からずっと読んでいるのですが、やっぱり『恋愛ディストーション』で一風変わった恋愛漫画の描き手として化けた印象がありますね。
     その後は安定して秀作を発表しつづけ、キュートなラブコメ漫画を読みたいひとには鉄板の作家として声望が定まった感があります。
     ぼくもまあ全部読んでいるわけではないのだけれど、読んだ作品はどれも面白い。実にこう、適度にリアルで、適度にファンタジーなんですよね。
     まったくの虚構というわけでもないし、そうかといって現実のそこかしこに転がっているものでもない。実にみごとなコントロールで正確な箇所に配球している印象があります。いいね!
     で、この『アパルトめいと』は連作短篇集で、表題作のシリーズは、借金のかたに年上の女性に「犯される」ことになったある男の物語。
     その女と男の関係性が、一進一退しながらも全体としては進んでいくさまが、エッチにキュートに描かれています。これを読んだ男性読者の大半は、おれも同じ目にあってみたいと思うことでしょう。ぼくも思ったw
     まあ、世の中には 
  • いま、『チャンピオン』が面白い! 『ANGEL VOICE』の超長期伏線が炸裂するとき。

    2014-03-26 15:12  
    53pt

     ブロマガ開始以前に公開していたブロブ「Something Orange」を再公開しました。
    http://d.hatena.ne.jp/kaien/
     だいたい1年3ヶ月くらい閉じていた計算になりますね。まあいまさら「Something Orange」でもないか、という気もするのですが、完全にオープンなメディアをひとつ持っておくのも悪くはないという気もするのですよね。
     これから一部の内容はこちらのブログに書いていこうかと思っていますので、もしよければたまにチェックしてみてください。まあそんなに頻繁に更新されることはないかもしれませんし、ぼくの主戦場がブロマガであることに変わりはありませんが。
     さて、そういうわけで、きょうも何か更新しようと思うのですが、特に何も思いつきません。最近、何か面白いことがあったか?
     まあ、『聲の形』は面白いよね。『ベイビーステップ』もあい変わらず面白い。そう云えば『ログ・ホライズン』のアニメが完結しましたし、そこらへんの話題もできるかも。
     ただ、そこらへんのメジャーどころについてはこのブロマガじゃなくても読めるので、普段あまり語らない『少年チャンピオン』の話をしましょう。
     いやー、いま『チャンピオン』が面白いんですよね。しばらくぶりに『刃牙』が帰ってきたこともあって、もう何か鉄壁の布陣という気がします。
     絵柄は古いけれど中身は新しい少年漫画王道のラブコメ『実は私は』にしても、何かいろいろと間違えたまま暴走している気がしてならない『弱虫ペダル』にしても、実に楽しい。
     しかし、きょうはとりあえず『ANGEL VOICE』について語りたいと思います。うっかり打ち切られると単行本すら出ない可能性すらある恐怖の戦場『少年チャンピオン』でなにげに30巻を超える長期連載となっている作品です。
     とはいえ、表面的にはごく地味なので、一般的な人気はそれほどではないかもしれません。少なくとも『刃牙』や『弱虫ペダル』の強烈なハッタリとインパクトは、この漫画にはない。
     ただ、あえて云うなら「それ以外のすべてがある」。作者は恐ろしく堅実に、誠実に、ひとつひとつていねいにブロックを積み上げるようにして、物語を組み上げています。
     よくサッカー漫画版『ROOKIES』に喩えられる作品ではありますが、ぼくは『ROOKIIES』より面白いと思う。
     というのも、『ROOKIIS』がいろいろな無理を驚異的な漫画スキルでごまかしごまかし展開さているのに対し、『ANGEL VOICE』は地味ながら比較的無理がない展開を選んでいるように思われるからです。
     いやまあ、もちろん無理はあるんだけれど、読んでいてそんなにそれが気になることがない。いまどき、ここまで繊手の体力づくりの描写にページを割く漫画は少ないのではないでしょうか?
     「学校中から集められた不良たちがサッカーで全国制覇を目指す」という、まあありふれた筋書きでありながら、じっさいこの漫画は面白い。
     ある意味では何もかも予想の範疇から飛び出したりしないのだけれど、作者の誠実さはその欠点を補って余りある。
     どこまでも飛躍させることなく、あたりまえの面白さを積み上げていった結果、何だかとんでもない大伽藍が出来上がってしまった。『ANGEL VOICE』を喩えるならそういう作品だと云っていいのかもしれません。
     そして、いままで散々地味、地味と云ってきましたが、実はこの漫画には強烈なインパクトをのこすエッジの効いた展開がひとつ用意されています。それは 
  • 斬新にして異形。数々の「ゴティックメード」が初披露される記念碑的画集がついに刊行!

    2014-03-25 05:47  
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     うっす。海燕です。小旅行から帰宅してからずっと『ファイブスター物語デザインズ4』を読んでいます。
     これは永野護の漫画『ファイブスター物語』の設定画集第13弾にあたるもので、価格は5000円以上します。まあでも、同じ設定画集の『ナイトフラグス』は7500円したから、それを考えれば決して高くはない。
     そもそも高かろうが安かろうが買うのだから、値段は大した問題ではないのです。いやまあ、ほんとうは大問題だけれども、とにかく永野護の画集が出たら買うのだ。
     特に今回の画集は過去三作の『デザインズ』にも増して価値がある。なんといっても、『ファイブスター物語』の世界観全体が、モーターヘッドと名づけられたロボットが闊歩する世界から、「ゴティックメード 覇者の贈り物」と呼ばれるロボットが動きまわる世界へ、完全に変更されたそのあとの画集だからです。
     当然、いままでまったく未公開だったゴティックメードたちの画像がたくさん公開されるであろうという期待があったのだ。しかし、蓋を開けてみれば、いささか肩すかしな内容だったというのが正直なところ。
     既に『ニュータイプ』で公開されていた画像が大半で、新作ゴティックメードの画像はほとんどないんだものなあ。それはまあ、ファティマ(オートマチック・フラワーズ)やら「詩女」の画像はたくさん載っていますが、ぼくとしてはもっと新作ゴティックメードのイラストが見たかった!
     それでも特に5040円が高いと思わないあたり、ぼくは根っからのファンなのだと思う。それはもう、20年以上続けて読んでいますから、思い入れもひとしおなのです。そのうち10年くらいは連載が休止していたような気もするが、気にしない、気にしない。
     そういうわけで、新しい発見はそれほど多くない画集でした。まったくの新デザインのゴティックメードは、次の『デザインズ5』に回されるらしい。買うよー。
     ただまあ、あらためて公開された「ダッカス・ザ・ブラックナイト」やら「ホルダ19 メロウラ」やらのデザインの美しいこと、美しいこと。やはり驚かされるものがある。
     ある意味では異形とも云える恐ろしく偏ったデザインなのだけれど、それはそれでバランスがとれているのである。もちろん、あまりに異様な姿だと感じるひともいるに違いない。
     しかし、あえてぼくは云う。これこそめちゃくちゃかっこいいデザインなのだと。永野護が30年近く前に生み出したナイト・オブ・ゴールドやLEDミラージュなどの「モーターヘッド」のデザインは、時代とともに古くなり、あたりまえのものになっていた。
     その当時としてはあまりに斬新であったであろうバッシュにしても、破裂の人形にしても、いまでは清新なインパクトを与えるものではなくなっていたのだ。
     それはすべてのクリエイターがいつか辿り着く道。大半の作家は「それでもいい」として、時代が変わってしまったことを受け入れるに違いない。
     じっさい、時の変遷を経てなお、モーターヘッドは美しい。ある種の様式美とも云うべき、クラシカルな美しさ。初めて発表されたときのセンス・オブ・ワンダーはすでにないかもしれないが、それでも時代に合わせてリファインされ、十分に美しいと云えるものに仕上がっていたのだ。
     その不変の美に満足していない者は、それこそ永野護本人くらいであったかもしれない。しかし、それでもなお、永野にとっては「古くなった」ことは致命的と受け取られていたに違いない。
     そして、全設定、全デザインの一斉リファインという、暴挙とすら思われかねない革命的な出来事が起こることになった。
     それはゼロ年代、テン年代を通して百花繚乱の様相を見せた「平行世界もの」に対する永野からのアンサーであったように思う。
     「一切何の説明も準備もなく、ある物語世界を並行世界に移行させる」という、異常に切れ味するどい展開! これは、たとえば 
  • 男の子同士だって仲良くしたいもん! ぼくたちの女子化する関係性。

    2014-03-25 01:11  
    53pt


     ほへー。1日30分の労働で暮らしている男、海燕です。ここの記事を1本書くのにかかる時間が30分くらいなんですよねー。
     それ以外の23時間30分は何をしているかというと、まあ本を読んだり、映画を見たり、家族と話したり、寝たりしています。我ながら自堕落を絵に描いて灰いろに塗りたくったような生活で、こんな毎日でいいのかしら?と思います。まあいいか。
     で、たったいまペトロニウスさんから、「マイルドヤンキー」の記事を書いたから反応しておいてくれ、という指令が下ったので、さっそく記事のネタにさせていただこうと思います。
     いや、いま、まわりのブログ仲間が軒並みブログをやめてしまっていて、ひとりだけのこっていたペトロニウスさんもほぼブログに時間を割けない状況になってしまったので、ぼくのブロマガはひとの記事を引用するスタイルから離れつつあるのですが、まあたまには昔のスタイルでやってみるのも面白かろうと思います。
     さて、マイルドヤンキーとは何でしょう。それは『ヤンキー経済 消費の主役・新保守層の正体』という本に書かれている「新保守層」とされる一群のことです。まさに「新しいヤンキー」というべき人々で、具体的には以下のような特徴があるとされています。

    ・生まれ育った地元指向が非常に強い(パラサイト率も高い)
    ・郊外や地方都市に在住(車社会)
    ・内向的で、上昇指向が低い(非常に保守的)
    ・低学歴で低収入
    ・ITへの関心やスキルが低い
    ・遠出を嫌い、生活も遊びも地元で済ませたい
    ・近くにあって、なんでも揃うイオンSCは夢の国
    ・小中学時代からの友人たちと「永遠に続く日常」を夢見る
    ・できちゃった結婚比率も高く、子供にキラキラネームをつける傾向
    ・喫煙率や飲酒率が高い
    http://blogos.com/article/82662/

     これだけ見ていると、非常にダメな人々みたいに見えるんですけれども。でも、それは「成長を目指して世界と戦いつづける高学歴・高収入のオレかこいい」的な価値観から来ているダメ出しで、一様に悪い生き方だと云えないことは間違いないでしょう。
     仲間内の「絆」を重視し、外を見ず、大きな夢を抱かず、最終的には地元に生きて地元に死んでいく。そういうスタイルは、とびきり魅力的とは云えないかもしれませんが、そこまで悪いというものでもない。
     じっさいこういうマイルドヤンキーがどのくらいいるものなのか、そして『ヤンキー経済』の指摘がどの程度正確なものなのかは、ぼくにはわかりません。
     ただ思うのは、これはひとつの生き方としてありだな、ということ。しゃにむに成長を目指して苦しい道を歩むより、地元に根ざしていくらか定収入であっても幸福度の高い生き方を実現することは、賢い選択と云えるのではないでしょうか?
     ちょっとぼくにはそれがどれくらい幸福なことなのかわからないのですが……。何しろまあ、ぼくはヤンキーではありませんから。
     ただ、「仲間との絆」を重視し狭いサークルを作り出すヤンキー的なライフスタイルはぼくにとってそこまで遠いものではありません。じっさい、ある程度の魅力を感じないこともない。
     漫画の例を挙げると、『ONE PIECE』のルフィの海賊団なんかは非常にヤンキー的だと思うんですよね。「仲間」と「それ以外」を分けて考えて、「仲間」のことは命をかけてでも守るけれど、「それ以外」にいくら迷惑をかけても平気、というような。
     そしてその負の側面に着目すると『HUNTER×HUNTER』の幻影旅団になるわけです。仲間が大切であることは論を俟ちませんが、『ONE PIECE』の描写を見ているとちょっとどうなんだろうと思ったりします。
     そういうぼくは「ヤンキー」ではなく「オタク」というカテゴリに所属している人間であるわけなのですが、先述したようにいくらかヤンキー的なところがあります。
     ペトロニウスさんと実質的にふたりで、友人のサークルを作り上げてしまったところなど、見方によっては非常にヤンキー的ですね。
     「この界隈」とか呼んでいるこの名前のないサークルは、じっさい、ネットから見える以上に大きいものです。いま、その根拠地はLINEにあると云っていいでしょう。
     現在、20人ちょっとほど参加者がいて、それらの人々がサークルの中心人物です。で、ひたすらいっしょに時間を共有し、時にはオフを開いたり旅行に行ったり合宿したりもするわけです。
     まあつい先日も「インプット合宿」と称して読書や映像を楽しむ合宿を開いたりしました(じっさいには、まったくインプットせず酒を呑んで麻雀したりしていたんだけれど)。
     これがねー、めちゃくちゃ楽しかったわけです。ぼくは「大人の修学旅行」と呼んだりしているのですが、いやもう、青春スーツ着用!的なイベントでございました。
     それにしても、「こういうのやったら面白いんじゃない?」的なツイートを見てから、企画が立案されて実行されるまでのスパンの短いこと、短いこと。
     何しろそのツイートが流されてから1時間後には既に企画がスタートしていたというのだから凄い。いやまあ、てれびんと「面白そうだな」「じゃあやるかー」と話しただけなのですが。
     それがちゃんと実行されてしまうんだから大人って楽しいよなあ。で、こういう企画が一瞬で組み立てられて実行されてしまうのも、仲間がいるからこそですよね。
     そういう意味では「ヤンキー」的なるものもいいものだと思います。ぼくとこの仲間たちはそれなりの「絆」で結ばれているわけなのですが、その「絆」は日々強くなっていく一方で、いろいろな問題が発生したりしなかったりもしています。
     AとBとCというひとがいたとして、AとBとC両方と仲が良くても、BとCの仲が良いとは限らない、ということが往々にしてあるわけなのですね。
     いまはまあ、みんな大人だからあまり顕在化していないけれど、きっとそのうち顕在化するんだろうなあ。それくらいたがいの距離が近づいてきているということです。
     うんうん、楽しみ。おもしろいですねー。まさに青春。まさに思春期。唯一、海燕さんの非モテを反映してか、それとも甲斐性がない連中が多いせいなのか、メンバーに一切女の子がいないことが非リア的なのですが、まあ女の子がいたらきっともっとどろどろとした状況になっていたかもしれません。
     で、このサークルは「大人の修学旅行」を企画したりするほかに、個別でいろいろなイベントを楽しんでいます。以前は主にオフ会を開くことで満足していたのだけれど、最近はそれ以上にディープな関係を築こうとしていますね。
     端的な例を挙げるなら、以前にも書いたかもしれないけれど、ぼくは男だけで南青山のイタリアンレストランに行ったりしているわけです。
     どう考えても女の子とのデートとかに使うような店を野郎だけで予約しちゃうわけ。で、コース料理を頼んではそれなりに高級なワインとか呑んでそのでたらめな美味しさに驚いたりする。
     これはもう、「女子会」みたいですよね。じっさい、ぼくたちの普段の行動は、LINEで常時接続しあい、また会話しあっていることも含めて、あまりにも女子的だと思う。
     それはもう、『けいおん!』の軽音部みたいな関係を、いい歳した男だけでやっているわけなのです。もう、どこのボーイズ・ラブ漫画だよ、みたいなツッコミ待ち的なエピソードもありますよ。いやー、楽しいですよね。
     何が云いたいのか?  
  • 平凡、凡庸、退屈、迷惑。『黒子のバスケ』脅迫事件の被告人意見陳述を読んだ。

    2014-03-24 22:14  
    53pt

     いまネットで話題になっている『黒子のバスケ』脅迫事件の被告人意見陳述の全文を読んだ。
    http://bylines.news.yahoo.co.jp/shinodahiroyuki/20140315-00033579/
     なかなか面白い。非の打ち所のない正論と取れるところもあれば、まったくの暴論とも取れるところもあって、全体的な印象がモザイクになっている感じ。共感できるところもあれば、そうでないところもあるというべきか。
     だから、この文章について語るなら、各箇所を個別に語っていくべきで、全体を通して「ありか、なしか」と語ることにはあまり意味がないと感じる。
     それでもあえて云うなら、ぼくの意見は「ああ、ネットでよく見かけるタイプだな」ということになるかもしれない。云ってしまえば、ごく平凡で、ありふれた文章で、はてなの匿名ダイアリーあたりに載っていても違和感がない気がする。
     文章力そのものはなかなかに傑出しているが、内容的に斬新なものを見つけることはできなかった。まあそれはそうだろう。特に文才があって世に出たひとでもないのだから。
     ただ、これだけ論旨の明快な文章を書いて内心を吐露してくれたことはありがたい。「なるほどねえ」と感心させられたことはたしかだ。ぼくにはほとんどない心理であるだけに、「そういうものなんだねえ」と思わせられた。
     この文章で共感がわくのは、自身の「不幸」について、それが犯罪を正当化しないと述べているあたりだ。これはまったくの正論で、いくらか不遇な環境に置かれているとしても、だから劇場犯罪を起こして世間をさわがせて良いということにはならない。
     そのことを正確に認識していることはそれなりに立派だと思う。まあ、「自分の不幸を客観視しているオレ偉い」というだけの心理なのかもしれないが、それでも一定の評価には値する。
     一方で、「自分のような汚い顔のキモブサメンが成功したイケメンの足を引っ張ってはいけないのです。」などとしょうもないことを書いているあたりはまったく共感できない。
     云うまでもなくこの犯人の容姿などどうでも良い。この犯人の顔はたしかに「汚い顔のキモブサメン」なのかもしれないが(ぼくは知らない)、べつだん、顔が醜いから逮捕されたわけではないのだ。
     あたりまえのことだが、『黒子のバスケ』の作家が成功したのも生まれつきイケメンだったからではない。なぜここで容姿の話が飛び出してくるのかよくわからない。
     まあそういう自意識のひとがいるということは理解できるが、少々冷たい云い方をするならば、この人物はかれの顔になどだれも興味はないということを知るべきではないだろうか。
     ぼくはかれがキモブサメンであろうが、イケメンであろうが、まったくもってどうでもいい。ただ、「汚い顔のキモブサメン」という自意識から罪を犯したということそのものは、迷惑な話だなあと思うばかりである。ほんとうにこの人物が捕まって良かった。
     ぼくはこの犯人が述べているようにかれ個人のために特別な方が適用されるべきだとは思わない。あたりまえの法であたりまえに裁けば十分だ。
     かれは自分を「無敵」と捉えているが、そもそも日本の刑罰は、べつだん、かれの自意識を傷つけることを目的にしているわけではない。
     だから、かれがそれを有効な罰として認識しないとしても特に問題はない。かれ自身はいかにも重要な問題であるかのように考えているかもしれないが、そこらへんはわりと自己中心的な考え方であるように思われる。
     つまりは凡庸なのだ。「よくネットで見かける普通のひとの普通の意見」。これがぼくのこの文章に対する印象である。このような大犯罪をなした者もまた、ごく普通の人間なのだとわかったという意味では、読んだ価値はあった。
     しかし、かれが世界の不幸の中心だとは考えないし、世紀の大犯罪者だとも思わない。かれのような「無敵の人」が今後続々出てくるだろうという予測にも特に賛成しない。
     たしかに今後、経済的な沈滞と平行して日本の社会不安は増すだろうが、さすがにここまでの罪を犯す「無敵の人」が大勢いるとは考えない。そういう意味では、たしかにかれはある程度は突出して迷惑な人だったと云うこともできるだろう。
     しかし、そうは云っても、かれの意見そのものは大したものではない。読みやすい文章には感心させられるが、特別な才気を感じさせるわけでもない。云ってしまえば平凡なしろものだ。
     かれは出所後、自殺するつもりだと述べている。そのことについても特に感想はない。死にたければ死ねばいいだろう。いや、べつだん「死にたいならさっさと死ねよ」と突き放すつもりもない。
     ぼくとしては、できれば生き抜いて幸せになってほしいが、まあさすがにむずかしいだろうし、どうしても死にたいようなら止めるすべはないと思っているというだけのことだ。
     ただ、またも罪を犯すようなかたちで死ぬのだけはやめてほしいものだ。まあ、そこらへんはかれを信用するしかない。
     それにしても、こういう暗い自意識を持った人物にはたしかに同情させられるものがある。というのも、ぼく自身はまったくこういうタイプではないからだ。
     たしかにこういう考え方をしていると辛いだろうな、と思うわけである。たとえば、この犯人は全人生において恋愛経験がなかったと語っているが、それはぼくも同じである。
     いままでただの一度も恋人を持ったことはない。というか、そもそも異性であれ同性であれ、ひとに対し恋愛感情を抱いたことがぼくにはない。それが特に異常だとは思わない。ごく普通のことだと思う。
     ぼくがいつも非モテだ非リアだと云っているのは 
  • 海燕さんマジリア充! ドワンゴ川上会長と逢ってきました。

    2014-03-24 11:46  
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     ふー。ようやく帰宅しました。海燕です。実は川上さんとの対談放送からずっと、関東にいたんですねー。千葉の房総でオフシーズンのコテージを借りて合宿したりしていました。
     二泊三日泊まり込みの合宿だったのですが、これがもう、楽しいこと、楽しいこと。昼は蕎麦を食べに行ったり公園に遊びに行き、夜ともなれば温泉に入って延々と話しあい、それはもうマジリア充な暮らしを楽しませていただきました。
     もし問題点があるとすれば女の子がいないことくらいですが、いたらいたで大変なことになってしまう可能性があるのでこれで良いのでしょう。
     となりのコテージに来ていたリア充臭団なんてうらやましくないよ。全然うらやましくないんだったら!
     まあ、かいちょーとの対談からずっと関東にいたということは、四泊五日の旅行をして来たことになるわけなんですが、ぼくの人生でも充実度上位に入る素晴らしい五日間でした。
     山奥にぽつんとあった食べログ上位の蕎麦屋の美味いこと、美味いこと。食べている間思わず沈黙してひたすら蕎麦を啜ってしまう味。たまりませんね。てれびんとかそれだけのためにまた千葉へ向かうつもりでいるようです。都会を離れた山奥の名店ってほんとにあるんだなーと驚愕です。
     まあ全体として大きな失敗もなく、楽しい日々でした。多少のトラブルはあったり、人間関係の問題点が露出したりといったことはあった気がしますが、それもまた感慨深い。
     いやー、ひとが集まると色々なことがあるものですね。ある程度選びぬかれたところがある仲間内でもそうなんですよね。実に面白い感じです。
     最近、仲間内でも若い子が増えてきていて、大半がぼくより年下という状況になっているのですが、ぼくとしては後輩ができたみたいでなかなか楽しいんだよね。偉そうに先輩風を吹かせるつもりはまったくないけれど、若い子たちを見ているとにやにやしてしまいます。
     まあとにかく楽しい合宿でございました。またやりたいと思います。とはいえ、千葉房総は遠かった! 次回はやはり東京で開きたい。旅館の一室でも借りてやりたいと思います。
     けっこういまどきの都心にも安い宿があるんですよね。そうなってくるとほぼ大人の修学旅行というか、ぼくは大人になってから青春スーツを着用して色々やっているなあと感じます。
     まあ、ドワンゴに潜入してかいちょーと逢ったりもしたことも含めてね……。かいちょーは取材と放送合わせて5時間近く話したことになります。
     初対面のかいちょーはとても面白いひとでした。「宮﨑駿さんが」とか「庵野さんが云っていたんだけれどさあ」とか、ぼくとしてはあまりに遠い有名人たちの名前が、「ただの知り合いのひと」の名として出てくることには、実に不思議な気がしました。うーん、思えば遠くに来たものだ。
     で、ニコニコ生放送にも出演したのですが、どうだったんだろう。いくらかでも面白かったのなら良いのですが。海燕さんのネットとはだいぶ異なるキャラクターがかいま見えたのではないかとは思います。そう、リアルでのぼくはああいう奴よ。
     放送そのものはまあそれなりにそつなく終えられたとは思いますが、もっと積極的に話していくべきだったかもしれないとちょっと反省。
     とはいえ、いきなりそれは無理だよなあ。今回は失敗しないことが最優先事項であって、大成功を目指してゆくべき局面ではなかったと思うんだよね。
     だからまあ、かなり「置きに行った」感じの内容にはなったと思うけれど、まあそれで良かったんじゃないかと。ええ、普段の海燕さんは