• このエントリーをはてなブックマークに追加

記事 1件
  • ファミリーヒストリー その2

    2016-08-19 14:06  
    ■焼き尽くされた名古屋。食なく家なし。祖父母、鹿十朗ととみ江の苦労  貧しい農村では木の芽や草の葉をまぜた薄い粥で飢えをしのぐしかなかった。 東北出身の詩人、宮沢賢治は開花しない稲を前に、 なすすべを知らない農民の姿を「サムサノナツハオロオロアルキ」とうたった。 農民はヒエに期待をしたが、5分しか収穫がなかった。アワも冷害で大減収。 じゃがいもは全滅という有様で乳幼児は生まれてもただ、死ぬしかなかった。 後を絶たない娘の身売りが重大な社会問題になった。 飢餓を逃れるために、東北地方から大量の求職者が都会へと流れていく。 娼婦に売られるのを間逃れ女工に就職できた場合も労働条件は劣悪であった。 1935年当時、ビール一本は大瓶で37銭。 国産の電気冷蔵庫が登場した。 掃除機や冷蔵庫は高額で600円~800円であった。 掃除機の普及はわずか6000台程度、 洗濯機は3000台程度の普及であった