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記事 3件
  • ファミリーヒストリー その3

    2016-08-26 11:32  
    ■戦後の名古屋。父母の時代へ。 父、登は、食堂を継ぐつもりはなかった。 父は、江戸川乱歩のデビュー作である「二銭銅貨」を読み、 読書の面白さをしった。 また、山本屋食堂には、古墳発掘で明治大学の発掘チームが 滞在中に来てくれた。 父が15才のとき、1950年に名古屋市北区の白山藪から 5世紀のものと思われる前方後円墳から鏡や鉄製の刀などが発掘されたからだ。 少年時代の父、登は、明治大学生との交流で、大学の存在を知った。 また、考古学や歴史というものに興味をもつきっかけになった。 昼間は山本屋食堂の出前があるため、高校は定時制高校であった。 幸い、近くに明和高校があり、そこで勉強した。 父の時代はまだ、大学進学率は低かった。 父の60人の中学校の同級生のうち、大学に進学したのは2人だけだった。 とみ江がわたしに話したことがある。 「夜中まで捩り鉢巻きをして勉強していた」と。 昼間は働いてい
  • ファミリーヒストリー その2

    2016-08-19 14:06  
    ■焼き尽くされた名古屋。食なく家なし。祖父母、鹿十朗ととみ江の苦労  貧しい農村では木の芽や草の葉をまぜた薄い粥で飢えをしのぐしかなかった。 東北出身の詩人、宮沢賢治は開花しない稲を前に、 なすすべを知らない農民の姿を「サムサノナツハオロオロアルキ」とうたった。 農民はヒエに期待をしたが、5分しか収穫がなかった。アワも冷害で大減収。 じゃがいもは全滅という有様で乳幼児は生まれてもただ、死ぬしかなかった。 後を絶たない娘の身売りが重大な社会問題になった。 飢餓を逃れるために、東北地方から大量の求職者が都会へと流れていく。 娼婦に売られるのを間逃れ女工に就職できた場合も労働条件は劣悪であった。 1935年当時、ビール一本は大瓶で37銭。 国産の電気冷蔵庫が登場した。 掃除機や冷蔵庫は高額で600円~800円であった。 掃除機の普及はわずか6000台程度、 洗濯機は3000台程度の普及であった
  • ファミリーヒストリー その1

    2016-08-05 16:35  
    ■はじめに 100年、200年という年月は長いのか短いのか。 わたしにはわからない。 137億年という宇宙のスケールからすれば、人間の一生は一瞬である。 一方、一瞬にすぎないわたしたちの命のはかなさの中で、 わたしたちは、幸運にも同じ時代を生きている人々との連携を大事にしているだろうか。 身近な同僚を大切にしているだろうか。 この生きにくい世の中でお互いに助け合っているだろうか。 ほんの一瞬の命しか持たない者同士、 尊敬しあい、励ましあい、分かち合っているだろうか。 今回は、わたしの高祖父、曽祖父、祖父、父、そして息子たちのことを時系列に記す。 わたしたちが、ここに存在するのは、例外なく、わたしたちの祖先が、 懸命に儚い命をつないできたからである。 我が祖父、鹿十朗は、1964年、わたしが1才のときに死んだ。 わたしは彼と話した記憶はない。 彼は孤児であったし、学校にも行けなかったし、苦労