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我が家は中学受験をしないことに決めました(番外編)
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我が家は中学受験をしないことに決めました(番外編)

2017-03-24 02:10



    ---なるほどね、なるほどね、あるある中学受験----


    東京に住み始めて27年になるが、どうしても馴染めないもののひとつが、
    東京の中学受験というものである。

    中学受験をするのが当たり前。少なくとも、わたしの周りではそうなのである。
    これにはびっくりしている。


    親自身が中学受験を経験して、子供にも是非という土壌が東京にはあるらしい。
    なるほど!

    また、子供には高校受験や大学受験をさせてくない、
    なぜならば、それは苦しくつらい経験だからだ、という思いもあるだろう。
    なるほど。大学の付属にいれることで、大学までストレートに進学できる。
    確かに堅い選択だ。

    それが、早稲田や慶応やMARCHなどの有名私大であれば、なおさらだ。

    経済力があって、子供に十分な教育費をかけることができる家庭だけとは限らない。
    貧乏な家庭は中学受験は最初からできないので、経済力をバックに子供の将来に未来の進路を小学生のうちに確保してしまうという「お得な」作戦だ。

    なるほどねー。

    あるいは、子供の将来を親が心配してというか、教育方針として、
    公立中学校よりも内容のよい私立を望むということもある。

    公立ではいじめや学級崩壊のリスクがあり、我が子がその犠牲になる、という心配もある。

    貧乏人の子供と一緒に授業を受けるのが嫌という声まであるらしい。とほほ。


    わたしも、大学受験では、中学受験が圧倒的に有利だと思う。
    現役で大学に合格するためには、当然、受験勉強は前倒しで始めたほうがよい。
    中高一貫ならば、6年間かけて大学受験の準備ができる。
    中学校のうちに高校まで進み、高校三年生の一年間をまるまる受験対策できる。

    それに対して、公立組は1~2年の不利がある。
    公立組は、小学校のとき、まったく勉強していないから、
    小学生の5年生ぐらいから週に何回も有名塾サピックスに通う生徒と比べると、
    学力が大幅に低いのは仕方ない。
    そういうことがわかっていると親は焦るでしょうね。
    わかりますよ。その焦る気持ちも。


    そりゃそうだよね。中学受験が人気なわけだよね。
    週刊誌も、私立学校はたくさん広告を出すから、受験に前向きな記事ばかり。

    公立は広告なんて出さないから。


    うちは、それでも、中学受験をさせなかった。
    それには、うちなりの理由がある。


    うちの「へんてこりん」な考えを紹介しましょう。


    ---リスク回避型の行動をとる親----


    わたしは、へんてこりんな考えをもっている。
    それは、「厳しい環境で人は育つ」と思っているからだ。
    普通は、厳しい環境は悪ですよね。でも、うちでは、善なんです。

    親は子供の幸せを願うので、どうしても、子供に失敗をさせたくない。
    その気持ちは痛いほどよくわかる。
    だから、親は先回りをする。先回りをして子供を危機から救う。

    でも、それは「へんてこりん」な考えにそまったわたしにとっては、悪です。


    東京に住み始めて、子供がまだ小さいとき、
    公園やモール内の子供の広場で頻繁に起こることといえば、
    自然なおもちゃや遊具の取り合い。

    子供同士が喧嘩をする。
    ところが、東京では、子供は喧嘩しないのである!!!
    いや、親が喧嘩する前に止めてしまうのだ。
    あらららら。


    せっかく喧嘩をしそうになって、いい感じというのに、
    あれ、ここで??というところで親が止める。

    喧嘩になりそうな気配でとめてしまう。


    そんな折、わたしは、
    「あーもったいない。せっかくの学びのよいチャンスだったのに」
    と残念に思ったものだ。

    おもちゃをとられて、嫌な思いをしたり、させたりしながら、
    痛みを覚え、どうしたらよいのかを自分たちで考えるというのが社会的な動物、
    響き合う動物人間である。

    だから、子供がつらい思いをしていても、それは成長に不可欠なビタミンだ。
    喧嘩を止められてばかりの子供は、心の発育不良となる。


    親が子供の心の成長を意図的に阻害しているのだから、
    一種の軽い虐待だねと私は思った。


    うちは子宝に恵まれて男の子四人の家庭だから、兄弟喧嘩もあったが、
    兄弟間の喧嘩をむしろ微笑ましく感じていた。

    父親であるわたしが、どちらか一方の方を持つことはない。
    一貫して何も言わない。

    もちろん、どうして喧嘩になったのか、云々というくだらないことも聞かない。
    どうせくだらないことが原因なのだ。聞いても仕方ない。

    (わたしの妻は、喧嘩に負けて子供が泣いているとき、子供の泣き顔はなかなか撮れないといって、写真をとっていた)


    徹底的に放置する。というか、もっと上から子供を見るのである。
    喧嘩が始まったら、「おおいいねえー」とビデオにとるぐらいでいい。

    喧嘩の後、兄弟間で気不味くなって、遊び相手がいなくなって、損をする。
    結局、つまらない時間を過ごす羽目になるのは喧嘩した当人たちなのだ。

    つまらない時間をつまらなく過ごさせて、どれだけ喧嘩が不毛であるかを
    身を以て知らしめるのだ。

    それから、学ぶはず。一歩、心が成長する、というわけ。


    うちでは、小学校の高学年になれば、弟から売られた喧嘩を兄は買わなくなる。
    はは、面白いね、と兄は喧嘩のネタを収める。

    喧嘩をしたがる弟は未熟な生物ぐらいにしか思わなくなるからだ。


    ---多発する困難。それらがよい教育の材料になる---


    何がいいたいかというと、
    人生においては、いつも、いつも、困難は多発するわけ。

    それに耐えて、みんなと事態をよい方向へと向かわせる「リーダーシップ」を身につけさせることは子供の生きる力となる。

    生きる力は、子供の一生の力となるのに対して、
    小学生の6年生のときの学力は、その時点での知識にすぎない。

    子の生きる力にスポットをあてて育てるのが親の本来の姿のはず。
    (よい学校にいれると幸せになるとはわたしは思わない。日本に生まれただけで奇跡でしょ。もう、十分、幸せなんだよ。)


    リーダーシップを学ぶためには、できるだけ問題の多い環境で学ばせる方がよいに決まっている。

    江戸川区には、荒れた公立も多いから、先生方もあえて江戸川区を希望する人は、ひとつの中学に留まることができる。

    そして、心から感謝していることのひとつとして、
    情熱を持ち、生徒を指導してくださる有名教師が多数、
    地域で奮闘していただいている。

    先生方は土曜日も日曜日も部活動を指導。
    夏休みもほとんど毎日指導。
    大変な負担だとは思うが、
    「望んで教師になったのだから、部活動に情熱をそそぐのは当たり前です」
    とおっしゃる。

    「教師になって休みたいなんて、そんな教師は教師ではない」とも。

    そういうことを平然とおっしゃる江戸川区の先生方。

    わたしは、公立中学校を気概をもって運営する先生方の情熱に感動してしまうのです。


    なるほど、江戸川で日本一の部活動が多いのにはこうした背景があるのだということがわかった。


    荒れた江戸川というイメージがあるから、勤務地希望で、江戸川を選ぶ先生は少ない。
    その中で、下町が好きで、江戸川をあえて希望する先生もいて、長期の地域へのコミットメントが可能となっているのである。


    ---小学生のときから公立中学のお世話になって---


    子供たちは、土曜日も日曜日も小学生のころから、
    公立中学のグランドを使用していた。

    クラブスポーツに公立学校が協力してくれるのである。

    中学校の先生たちが、土曜日や日曜日にクラブスポーツの小学生たちをリクルートすることもある。

    うちで部活やってみないか?丁寧に教えるよといわれて、
    スポーツ選手もあるクラブの小学生たちは、受験ではなく、
    公立中学校へ行きたいと言い出すのだ。


    ---迷った時は、より困難な道を---


    うちは、あえて、子供たちに困難な道を突きつけてきた。

    息子がサイレント・ドラム・セットが欲しいといったとき、だめだといい、
    仕方のない息子は、ダンボールでドラムセットをつくった。

    勉強を思い切りしたいから個室が欲しいといったとき、それはだめといい、
    みんなリビングのテーブルしか勉強場所がないようにした。


    それはわざと、あえて、そうしたのである。

    子供部屋は誰にもあげなかった。


    あるいは、野球をやりたい、地域のチームに入りたいといったときも、
    1年間はイエスといわなかった。

    1年間、ずっと入りたい訴え続けたら、本気であると判断した。
    実際、息子は一年間ずっといい続けた。
    (親のサポートがすごく大変になるのがわかっていたから、親にも覚悟がいる。
    わたしも結局、7年間、コーチをすることになってしまった。子供の気まぐれに、親は簡単にはイエスとはいえないのです。コーチをやったら、大変でしたよ。その間、我が人生における長期の計画を一時凍結しなければならなかったのです。)


    だからではないか。
    いまでも、子供はドラムを一生懸命やっているし、大学でも野球部で頑張っている。

    親が簡単には許さなかったから、当人は、自分の意思の強さに自分で自信を持ち、だから、一生野球やドラムを続ける強さを身につけたのだ。


    次男は勉強机がほしいといったが、親は許さないから、
    これもやはり、段ボール箱を補強してMY勉強机(段ボール製)を作って、
    結局、段ボール箱で高校受験の勉強した。

    子が勉強したいのに親がサポートしない。
    だからこそ、勉強したいという強い気持ちが持続した。
    親が勉強をサポートしないから、かえって、もう自分のことは自分でやるしかない、と奮い立つ。


    ----お前が生まれた場所にあるお前たちの学校なんだぜ---


    公立中学校だから起こるクラスの問題、monster parentsの問題、
    いじめの問題や不登校の問題も、これは、学校の問題ではない。
    生徒たちの問題なのだ。

    大人が口を出すこっちゃない。
    子供たちが自分たちの仲間とどう関わっていくのか。
    子供の心の成長は、幼馴染であるクラスメートたちと共に、である。


    子供たちよ。当事者意識を持ちなよ。
    もし、クラスメートが困っていて、なにも行動をしないなら、
    お前らそれでも仲間なのかよと。

    仮に、いじめがあったとしたら、それは生徒で解決しなさいよ。


    「いじめなんてくだらない。そんなもの、俺が許さない」
    という頼りになるリーダーが育てばば、そのクラスは安定する。

    もちろん、最初から、頼りのあるリーダーなんていない。
    クラスがひとりひとりが、頼り甲斐のある人間に育つように、失敗させて、
    悩ませて、考えさせる、という循環を大人は見守ろうよ、と。


    長男は、不登校の生徒の家をよく訪問して、学校での出来事を話していた。
    親であるわたしは、勉強よりも、そういうことが大事であると息子とはよく話をしている。
    お前が生まれた場所にあるお前たちの学校なんだ。
    お前たちの学校ならば、お前たちでなんとかしろ、と。


    こんなことを書いていると、いや、理想論だ、社会は変わらない、政治がダメだ、公立学校の先生はダメだ、という外野の声が大きくなるのはわかっている。


    それでも、わたしは、子供たちに常々、こう言っている。

    先生とか、親とか、つまんねえことをいっているんじゃねえよ。
    言い訳並べてるんじゃないよ。親とか学校じゃないんだ。
    学校で起こることは、先生じゃなくて、
    生徒が自分で解決しなきゃならないんだと。

    とにかく、言い続ける。

    お前がなんとかしろ、と。


    勉強なんか、どうだっていいよ。社会人になってから、いくらでもできる。
    そういって、わたしは、自ら大学で勉強する姿を見せてきた。

    親がアホみたいに必死に勉強すれば、もう、子供に「勉強しろ」なんていう必要なまったくない。
    勉強は自分のために、自分の意思でやるべきものだからだ。

    親がガイドして、やれば、そりゃ、小さいときはよいだろうが、
    50歳を過ぎて、勉強するような大人になるだろうか。

    子供の修羅場は50歳過ぎなんだから、
    大学入試なんて修羅場でもなんでもない。
    50歳過ぎて、親が弱ったときに、
    よし、俺に任せろ、父ちゃん、母ちゃん、
    といえる大人になってほしいのだ。


    自分の周りの人に勇気と希望を与えられる人間に育ってほしいよね。
    優しい男はたくさんいるが、夢と希望を与えられる男は少ないから。
    今のご時世。

    優しい男もいいけど、難事に立ち向かい、覚悟を決めて「俺に任せろ」といえる男になってほしい。

    その目標に比べれば、大学入学なんてことは、大きなことには思えないのだ。


    ---自分を自分の意思で変える。自分の周りの人々をリスペクトする---



    わたしが子供に伝えたい唯一のことは、
    「世の中は変えられる!(自分は変えられる)」

    というひとつの信念。もちろん、周りへの感謝を忘れてほしくない。


    世の中は変えられる。だって、自分が自分を変えられるから。
    自分が変わることは世の中が変わるということだ。

    だから、人生は本気で努力する意味がある。
    命にも、生きることにも、重大な価値があるのだ。

    社会全体は無理かもしれないが、自分の周りの組織は変えられる。
    自分の学校ぐらい、自分たちでなんとかしろよ、ということだ。
    周りへ感謝しながら、で。
    他者へのリスペクトをいつも胸に抱いて、強者に立ち向かい、弱者を守る人間になってほしい。


    問題の多いところで、悩み苦しんで、いじめのターゲットになっても負けない
    で強くなってほしい。

    そして、我が子がいじめられても、
    わたしは、いま、心の余裕があるから、こう思うのかもしれないが、
    よくいじめてくれたと、いじめっ子を抱きしめてあげたいぐらいだ。

    いま、多分、そういうステレオタイプのいじめっ子は少なくなっているのかもしれないけど。


    --ファーストネームで呼び合う!!!
       江戸川区の公立中学校の生徒たちは!--



    わたしが子育てで、よかったと思うことは、

    1)保育園にいれたこと、
     そして、
    2)地域のスポーツチームに入れたこと。(ボランティア組織)


    保育園は、子供をファーストネームで呼ぶ。

    そして、地域のスポーツチームのコーチや監督は選手である子供たちをファーストネームで呼ぶ。
    だから、うちの子供たちは、小学校でも中学校でも、友達はみんなファーストネームで呼び合う。

    こいつら、一生、お互いをファーストネームで呼び合うんだろうな。
    いいな。いいな。

    生まれた場所で育ち、生まれた場所にある保育園、野球やサッカーチーム、中学校で育った。

    何か問題があったとき、ちょっと話を聞いてくるといって、
    夜に息子たちが友達の問題に向き合っていた。


    ---S先生に感謝---


    S先生。本当に感謝しています。
    わたしたちの地域の学校を溢れる情熱で支えていただきまして、
    感謝の言葉しかありません。

    夏休み、お盆を除いて毎日の部活動。
    部活の合間に勉強まで見ていただきました。

    夏休みの部活が終われば、プールまで解放していただき、
    子供たちは幸せものです。
    学校の勉強をしっかりやれば、塾には行く必要はない、
    ともおっしゃってくれました。


    教師として、あえて、困難な学校を希望してくださいました。
    いまの学校がとてもよい学校なので、実は、もっと困難な学校に転勤したいん
    ですよとおっしゃった。

    親たちは慌てて、先生、転勤しないでお願いします。
    わたしたちも慌てました。まだ、転勤しないでくださいと。

    子供たちは先生のことを心から尊敬しています。
    大人が全力を尽くす姿に子供は学んだのだと思います。

    その先生の見せた背中に、教育を見た。
    わたしたちは心から尊敬しているのです。

    このすばらしい江戸川の公教育。
    学費が無償であることに感謝です。


    日本株ファンドマネジャー
    山本 潤


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